エフェス編 第21話 五葉松の挿し木
星霊暦五〇四年一月三十一日、木曜日。早朝。
その朝は、昨日の朝とは違い、暖かな日差しがエフェスたちの顔に差し込んでいた。木々の葉で輝く朝露もどこか穏やかだ。 騒動も緊張もなく始まった美しい朝であった。
捕虜救出に成功した一行は、まず朝食の準備にかかっていた。近場で魚を獲る者、小動物を狩る者、そして、果物や食用植物を採集する者。 エフェスは弓が使えないため、ファラと共に、植物採集の部隊を手伝うことにした。
そこで、エフェスは、エルフ族(植物民族)の真価を目の当たりにする。 彼らは、目で探しているというよりは、まるで本能で「そこにある」と知っているかのように、次々と食用植物や果物を見つけ出していく。 「これは『甘草』、根が甘い」 「こっちは『野エンドウのさや』、生でも食えるぞ」エフェスも、少しばかり毒キノコや毒植物の知識を教えてもらったが、その膨大な知識量と経験則に、ただただ圧倒されるばかりだった。
(……うん。おいの結論は、『素人はキノコに手を出すな』ばい)
朝食を済ませた一行は、三つの隊に分かれた。 まず、エルフの救助部隊の四名と、捕虜になっていたファラ以外の五名(大人三人、子供二人)の合計九名が、ならず者たちの檻を外した荷馬車(馬二頭)を利用し、シギロア村へと帰って行った。
次に、捕まえたならず者二人を移送する二名。 フィンネルが昨晩言っていた通り、彼らを生きたまま放つため、救助部隊の二名が、川を北に越えて北西の方角へと連れて行った。 エフェスは、ならず者たちの傷口に、リーファの「銀葉草の止血粉」が使われているのを見て、本当に生きて解放するつもりなのだと、ほんの少しだけ安心した。
そして、残されたのは、エフェス、フィンネル、ファラの三人。 ……なのだが、案の定、朝から盛大に揉めていた。
◇
「なんで、エフェスはフィンネルと残って、俺は村に帰らないといけないんだよ!」
「なんでって、当たり前だろうが、この馬鹿! お前は連れ去られて、村のみんなが死ぬほど心配してるんだから、まずは村に帰れ!」
ファラが、フィンネルとエフェスがこれから何かしらの用事をこなすために、少し南西の方角へ進むと聞いてから、「俺も絶対についていく」と、ゴネているところだった。
「ほら、まだシギロア村への荷馬車が見えるんだから、早く追いかけろ!」
「……言ってやる」
「……?」
ファラは、これ以上ないほど邪悪な(……いや、得意げな)笑みを浮かべ、フィンネルを指さした。
「リーファ姉ちゃんに、フィンネルが拷問の道具にリーファ姉ちゃんの薬を使って、ならず者を脅したって、言ってやるぞー!」
美しい森に、とんでもなく大きな声がこだました。
昨日まであれほど冷徹で、頼れる指揮官だったフィンネルの顔が、見る影もなく青ざめていく。口が、かくかくと開閉している。
「な……なぜ……いや、何のことか……さっぱり分からないな?」
「ごめんフィンネル」 エフェスが、悪気なく追い打ちをかけた。
「おいたち、昨日の夜、隠れてフィンネルに会いに行ったんやけど、偶然、拷問してるところを見ちゃってさ……」
「まぁ、俺とエフェスは、ここでフィンネルたちを邪魔しちゃいけないと思いながら、じっくり見たというわけだ」
「あぁ……お、お……俺は、俺が用意した薬を使ったんだよ!リーファの薬を、そんな風に使うわけないだろうが! ハハハハ!」
明らかに動揺を隠せていない。
(昨日の、ならず者たちを言いくるめる嘘の上手いフィンネルですら、追いつめられると、こんなに嘘が下手になるんやな……) エフェスは、真面目にそう思った。
ファラは、そんなフィンネルに、決定的な一撃を加える。
「しらばっくれても無駄だぜ。エフェスから、リーファ姉ちゃんの薬草箱の中身を見せてもらって、持ってきたからな!」
フィンネルは、大きく目を見開いた。 ファラの手には、あの緑色の液体が少しだけ入った薬瓶が握られている。 そして、ファラは、焚火の前で見た、昨日のフィンネルの姿を、完璧に再現し始めた。
「『分かるだろ? これは、お前ら鳥民族の禁忌の猛毒である……【アボカド】が入った、特製の毒だ』」
「や……やめろぉぉぉおおおおおおおおおおッ!!」
フィンネルの絶叫に、森の鳥たちが驚き、一斉に飛び立った。
「ハァッ……ハァッ……」
フィンネルは、地面に両手をつき、がっくりとうなだれていた。
「……ついてきて、良いから……リーファには、言わないでくれ……ッ」
「ほーん。フィンネル? それが、人にお願いする時の態度か? ん?」
「……ッ! リーファには……! 言わないで、ください!!」
「よし……」
(なんやこれ)
エフェスは、この世の終わりかと思うほど絶望しているフィンネルと、満面の笑みで頷くファラを見ながら、究極の茶番を見せられているような気分だった。 同時に、人は弱みを握られてはいけないこと。 そして、女は怖い、ということを同時に学んだ。
◇
結局、ファラに弱みを握られたフィンネルは、しぶしぶファラを連れ、エフェスと三人の奇妙なパーティで、川沿い近くの経路を南西の方角へ向かっていた。
用件は、エルウィン長老に頼まれていた【五葉松の挿し木】を、ウィグル鉱山との中継地点に植える作業であった。
一時間ほど歩くと、少し開けた場所に辿り着いた。
「よし、ここくらいでいいだろう」
フィンネルは、背負っていた荷物から、丁寧に布で包まれた四本の挿し木のうち、一本を取り出した。 そして、その挿し木を地面に深く植えると、詠唱を始めた。 それは、ガラーシャ村で、エフェスがマキリが水の魔法を使う時に聞いた詠唱に似ていた。
『水の聖霊ウンディーネ、我が祈りに応え、治癒の水となれ…』
「挿し木を植えて、いったい何になるんだ?」
ファラも、この使い方の真意は知らないようだった。
「まぁ、何もないことはないやろうけん、ちょっと見てようぜ」
フィンネルの詠唱が終わると同時に、手のひらから溢れた【いやしの水】が、挿し木に吸い込まれていく。
……五秒ほど、待った。 何も起こらない。
「なんだよー。結局、何も起こらないじゃん」
「長老は、何のために我々にこんなことをさせたのだろうか……」
「うーん」
三人が疑問に思った、その瞬間。 いきなり、全員が目を疑うようなことが起こった。 あの一本の小さな五葉松の挿し木が、目に見える速さで地面に根を張り、幹を太くし、枝を伸ばし……みるみるうちに、二メートルほどの、立派な若木になったのだ。
「うぇぇ? この挿し木、爺ちゃんの魔法か!」
「はー……すごかな。なんか、ファラの魔法に似とるね」
「とはいっても、さすがに木になるだけの魔法じゃないよな……」
エフェスが、これが本物の五葉松なのかと、そっと幹に触れた。
その瞬間。
『おーい、エフェスさんや!』
「えっ!?」
エフェスは、驚いて思わず木から手を放した。
「どうしたんだ、エフェス?」
「いや、今、エルウィン長老様の声が聞こえてきて……」
「気のせいじゃね? 爺ちゃんの幻聴が聞こえるほど、疲れてんのか?」
「いや、本当に聞こえてきたんだよ!」
二人のやり取りを見ていたフィンネルが、何かを察したように、自らも五葉松に触れた。
「……うん。エフェスの聞き間違いではないぞ。エルウィン長老の声だ」
「え? どういうこと?」
「この木は、長老の『分身』みたいなものだから、こうして触れることで、話ができるそうだ」
「え? なんで、話ができると?」
「俺が分かるわけないだろ。直接、長老に聞け」
エフェスは、正直、理解が追いつかなかった。
「うわ、なんか怖ー……爺ちゃん怖ー……」
ファラも身内に対して、思ったことがそのまま口に出ていた。
エフェスとファラが、恐る恐る、再びその不思議な木に触れる。 今度は、はっきりと頭の中ではなく、確かに「耳」に、あのエルウィンの声が響いてきた。
『二人とも、子供らしく素直に『爺ちゃん凄ーい!』とか、喜ばんか!』
「おお、本当に長老様の声だ! すげぇ!」
「うわー! なんで聞こえてくるの? どういう仕組み!?」
『たく、ファラは心配ばかりかけよって。……その口ぶりじゃと、元気そうじゃな』
「うん! エフェスたちに、助けてもらったぜ!」
話を聞いてみると、どうやらこの五葉松の木は、触れることでエルウィンと話せるだけでなく、エルウィン側からも、エフェスたちの姿や風景が見えているらしかった。 それを聞いてファラがアイデアを出した。
「なんなら、この挿し木をたくさん植えれば良いんじゃない?爺ちゃんが監視できるってことやろ」
『無茶なことを言うな!それは、わしに、命を削れっていうことじゃぞ』
「ちぇっ、なーんだ、できないのか良い考えだと思ったんだけどな」
『わしの分身であるということは、わし自身なんだから大変なんじゃぞ。まぁ、渡したウィグル鉱山までの4本分くらいであれば、問題ないということじゃ』
エフェスもそれを聞いて、確かにそんなに便利なものであれば、このような事態になるまで、ならず者を放っておくことはないだろうしな、と思っていた。
『今回、無事に全員救出できて本当に良かった。… そして、本音を言えば、ファラに早く帰ってきてほしかったが……』
エルウィンの、やさしい声がエフェスたちの耳元で響き、その心配する表情も安易に想像できた。
『……とはいえ、もう集団と分かれてしもうたか。ファラ一人だけを、今からシギロア村に返すというのも、不可能じゃろう』
「やった!」
『……フィンネルの邪魔をせんよう、しっかりお手伝いするんじゃぞ』
かくして、ファラの同行は、長老からも正式に認められた。 エルウィンは、フィンネルに、ウィグル鉱山近くにもう一本植えて欲しい、と新たな指示を出す。
エフェスたち一行は、フィンネルの(どこか疲れた)命令を聞きながら、残り三本の【五葉松の挿し木】を植樹するため、前方に注意し、静かでありながらも賑やかにウィグル鉱山へと向かっていった。




