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第43話


 底冷えのする笑い声が響いた。


 およそ人のものとは思えぬ『それ』に、怖気を抱くのも無理はないだろう。

 感情の見えない黒装束たちでさえ、本能的に忌避した。


「所詮は、飼い犬だったわね。あの人と馬が合っていたようだから使っていたけれど、手を噛むようなら、もう要らないわ」


 エリンが、青い顔をして言う。


 そして、腹部に突き刺さった短刀を、自分の手で抜いた。

 血は既に止まっていた。


 彼女の手から離れた短刀が床に落ちて跳ねる。


 アサが腕組みをして、片眉を上げた。


「あー、もうそれ人間じゃないっすね。オババとおんなじ、人の皮を被った別物っす」

「人であることが、そんなに重要かしら」


 エリンの首が傾げられた。

 詰まらない顔をして、アサが距離を取る。


「それも毒、っすか。毒は薬にもなる、って言いますけど、そんな使い方して人体が平気だとは思えませんけどね」

「この程度で終わってくれる身体なら、もう少し幸せだったかしら」


 アサの目が細められる。


「……人の世界から逸脱すれば、人間とは交われないもんっすよ」

「だから? 何が言いたいの? もしかして、カンタルの事を言っているの? だとすれば、見当違いもいいところね。あの人は、私と方向が違うだけで、同じ種類のものよ。だからこそ、惹かれたの」


 エリンの口元から、一筋の血が流れた。

 肌を伝い、足元へ一滴の血が墜ちる。


「もう、人の世界なんて要らない。あの人さえいればいい。何もかも、血と肉と泥の世界に還ってしまえばいい」

「あ、これヤバいっす」


 アサが頭を抱えて飛び伏せた。


 彼女の周囲にいた黒装束が、急に痙攣を引き起こし、立ったまま身体を捩じらせていく。


 筋肉が千切れ、血を絞り出し、内臓が潰れても捩じることを止めない。

 余りの苦痛に、自らの手で顔面を掻きむしった。


 紅蓮にも似た華が咲く。


 エリンの瞳が、その周囲に向けられた瞬間――――玄関が開いた。


 絨毯の上を、薄汚れた靴が進んでいく。

 それは、何の特徴も無い男だった。


 ただ、顔だけが怒っていた。


「何やってんですか」


 カンタルが言う。


 それだけのことで、エリンの表情が崩れた。

 見せたくないものを見られた顔をして、視線を逸らす。


「……あなたに関係無いでしょう」

「そうですか。それなら、これから関係させて貰います」

「は?」


 目を細めて、エリンが彼を見た。


 何も知らずに、ただ過ごしていくだけで良かったのだ。

 言い争いがしたい訳では無いのに、わざわざ首を突っ込んでくるなら、カンタルと言えども腹が立つ。


 怒りを孕んだカンタルを相手にするのは、気分が悪かった。

 再会出来て嬉しくないはずは無いのだが、どうせなら、全てが終わった後に会いたかった。


 彼は言う。


「喧嘩は終わりにしましょう」


 彼が腕組みをして、そう宣言した後で、空気の濃さが変わった。


 何とも言えぬ安心感と、何より、傷が癒えていく。

 引き絞られてぼろ雑巾となっていた黒装束が、次々と倒れ、身体が元通りに癒えてしまった。


「何やってんですかねー。馬鹿じゃないですか」


 アサが口元を笑わせて、黒装束たちの体制を立て直した。

 視線だけで指揮を執り、牽制として老執事たちを襲わせる。


「さて、どうなっておりますやら」


 シュミットが、カンタルの後ろでモジモジしているレイナを一瞥してから、剣を抜き放った。

 鋭い斬撃が、襲い来る黒装束へ向けられる。


 黒装束が切り飛ば――――されるまえに、胴体が引っ付いていた。

 まるで、剣が素通りしたかのようだった。


 切られた黒装束も、元に戻るとは思ってもおらず、立ったまま呆然としている。

 結果として、切られたその端から回復していたのだ。


 必殺の間合いで、シュミットと黒装束が目を合わせる。


「ふんっ」


 即座に意識を立て直した老執事が、黒装束を殴り飛ばした。

 遠慮なく殴ったので、小柄な黒装束が吹き飛んだ。


 ただし、負傷している様子が無い。

 殴った方の手も痛くない。


「……またー、奇妙なスキルですね。でも、大本を叩けばどうでしょう」


 混乱している大勢を看破し、すぐさまアサが動いた。

 狙いは、腕組みしたままのカンタルだ。


 暗殺の本職からして、仕留める方法は幾らでもある。

 腰元から隠し短刀を抜き、駆けだした。


 しかし、腕組みをしたカンタルに睨まれてしまった。


「ひっ、あれ――――あいたぁ!」


 どんな殺気にも恐れなかったアサが、彼の視線を恐れた。

 遠い昔、隠れ里のオババに折檻されたことを思い出したのだ。


 その隙に、頭にげんこつを食らってしまった。

 たんこぶすら出来ていないが、衝撃が脳天を突き抜ける。


 しかも、痛みが引かない。


「ぬおぉぉぉ、何ですかこれぇぇぇぇ」

「愛ある『げんこつ』だよ。防御不可。ダメージ無し。でも痛い」


 のたうち回るアサを見て、カンタルが言った。


「痛いのは、俺の手も一緒さ」

「そんなんで、納得できるわけないじゃないっすか!」


 頭を押さえたアサが、再び視線で黒装束に指示を出した。


「そうはさせませぬぞ」


 シュミットが即座に動いて、黒装束を殴り倒す。

 周囲を襲わせて自分だけ逃げようとする魂胆だろうが、『緋毒』さえ動かなければ、黒装束は戦力として大したことが無い。


 多少の手間が掛かるが、適当に吹き飛ばしてやればよいだけのことだ。

 傷が治り、即座に立ち直るのは面倒だが、逆に言えば面倒程度で済む。


 そのことを分かっている執事たちが各自で戦い、的確に黒装束たちを薙ぎ倒していた。


 そこで、モノリスで黒装束を吹き飛ばした修道女が、はたと気付く。


「……ちょっと待って。『聖母』になってないのに、これだけの『天命』を果たして良いものなの? え?」


 セルディの顔が、急に青ざめた。


 例の母乳が使われていないということは、スキルの位階が上がっていてもおかしくない。

 『聖母』に至る道を順調に進んでいるのであれば問題無いが、短期間での成長は、器の崩壊を促す。


 極薄いガラスの器に、焼けた油を注げばどうなるか、という話だ。


 そもそも、即座に人の傷を癒すのでさえ、奇跡に等しい御業なのだ。

 それを何人も、何回も、誰も彼もに施すことが、まともでないことぐらいは容易に想像が出来る。


 物事には因果が付きまとうものだ。

 奇跡と言う結果を引き出すために、差し出す代償が少ないはずはない。


「駄目っ! カンタルくん! それ以上の奇跡は、誰にとっても良くない結果になるわ!」

「ですかね」


 彼は苦笑いを浮かべて、同意とも否定とも取れない返事をした。

 声に光が滲むという、理解し難い現象だった。


 しかし、モノリスで天命を見て取れるセルディが、彼の喪失したものに気付いた。

 否、現在も喪失し続けている。


「ねえ、あなた、命を削ってない?」

「すいません」


 彼は、精一杯の虚勢を張って笑った。


 転生して一度は死んだ身である。

 この場に居る人たちが助かるのであれば、それは仕方のない事だと覚悟していた。


 その時、彼は気付いた。

 己の命より大事なものが、まだ、此処にあったのだ。


 今度こそ、拾い上げねばならない。

 悲しむよりも前に、出来ることはある。


 失敗しなければ気付かなかったことが、やり直せるチャンスだった。

 そして、そのことを伝えられれば、言うことは無い。


「そんなの、卑怯じゃない! 自分の命を盾にして、あんまりだわ!」

「それじゃあ喧嘩、やめて下さい」

「私がやめるのは構わないけれど、それで収まる算段があるの?」


 セルディが心配そうな表情になる。

 この場を収めたとして、誰もが納得できなければ、再び争いが起こるのは必至だ。


 特に『緋毒』を放置しておけば、国が一つ無くなってしまうかもしれない。


「一応、考えています」


 カンタルは、覚悟した声で言った。


 行動には責任が伴うものだ。

 これから彼が行う蛮行について、被害を受ける者たちからの責めを担う必要がある。


 その報酬は――――彼女らが幸せになること。


 いいじゃないかそれで、と彼は心の中で呟いた。

 カンタルの表情を見たセルディが、不服気に笑う。


「年老いた神父様みたいな顔してるわよ。……そうね、カンタルくんの望みのままにするけれど、『隠れ里』の連中がが止まるの?」

「あ、そうですね。シノを呼んでみます。シノーっ」


 カンタルが呼びかけると、異形の剣で黒装束を薙ぎ倒していたリョカが振り向いた。

 普段の彼女とは思えない満面の笑みを浮かべると、一足飛びに近づくが――――彼の手前で立ち止まった。


「はは、さま?」


 喜びと困惑が衝突して、身動きが取れなくなっている。

 恐らくは、器の継承によって、精霊が天に召されたのが原因だろう。


「仕方ないですね」


 彼の頭の中だけで、声が響いた。

 カンタルの耳から、小さな光の玉が出てくる。


 シノにはそれが視認出来たのか、視線で追っていた。

 小さな光の玉から、聞いたことのある声が発せられる。


「……心配をかけたな、娘よ。我の頼みを聞いてくれるか」

「うん、うん! だいじょうぶだよ! ないてないよ!」


 彼女が表情に浮かべるのは、幼子が久方ぶりに会った母に見せるものだった。

 泣き笑い、そして溢れ出しそうな感情を抑え、ちゃんと言葉で伝えようとしている。


 小さな光の玉が、ゆっくりと耳の中に戻った。


 シノがそれを目で追っていて、急にカンタルへ飛びつく。


「はははははははははははははさまぁぁぁぁぁぁーーーーーーーー!」


 これまでで一番の叫びだった。

 絶叫と言っても良い。


 カンタルの腹に顔を埋めたシノが、背中側まで突き抜ける勢いで抱き着いていた。


 彼女の頭を優しく撫でてやると、シノが顔を上げ、にへぇ、と笑った。

 カンタルが言う。


「頼めるかな?」

「あい、ははさま」

「ごめんね。ちょっとそこのアサに、言うこと聞くようにして貰って良い?」

「……またあれが、ははさまにそそうを?」


 感極まって感情が反転し、憎悪が顔に出ている。

 これでは教育に悪いと、カンタルは考えた。


「違うよ。そこの黒い人たちを何とかしたいんだ」

「ならべて、まっぷたつにすればよいのでは?」

「助けてやりたいんだ」


 幸せになる方法を、探して欲しいと願う。


 こんな願いは、おせっかいで、上から目線の傲慢なやり方なんだろう。

 援助もせず、面倒も見ず、勝手に押し付けておいて、無責任でしかないだろう。


 ――――けれど。


「俺は、そうやってこの世界に助けられたから、生きていられたんだよ」


 転生を望んで、ようやく気付けたことがある。

 生きていることは当たり前ではない、ということだ。


 だからどうか、悪意だけに眼を奪われないで欲しい。

 ほんの僅かな、小さな小さなおせっかいが、誰かに届きますように。


「あい、ははさまが、そうおっしゃるのであれば、ぜひにおよばずです」


 シノが手を放して身体から離れ、異形の剣を肩に担いだ。

 そして、真顔で言う。


「おのれら、ならべ。せいざ」

「ひぃ――――」


 恐怖の感情を顔に張り付けたアサが、ジャンピング土下座を敢行する。

 その背後に、定規で計ったような正確さで黒装束が並び、正座した。


 今まで殺せない敵と戦っていた者たちが、顔を見合わせて肩の力を抜いていた。


 カンタルは、手を叩いて言う。


「はい! 注目! 今から片づけをして、御飯にします! 話し合いは明日しますので、各自で役割分担しながら宿泊の準備をしてください!」

「つまらねぇ……何でてめぇが――――ぶごふぁ」


 ファルマ伯爵が因縁をつけようとして、後頭部にモノリスが叩きつけられていた。

 腕組みしたセルディが、小さく微笑む。


「『これ』は私が担当するわ。掃除すればいいのよね」

「はい、お任せします。あ、師匠は部屋の割り振りと掃除道具を用意してください」


 いきなり声を掛けられたルフェンが、やれやれと言わんばかりに己の後頭部に手をやる。


「やれやれ、師匠使いの荒い弟子だ。石板で叩かれるのは困るからな、言う通りにしてやろう。……どれ、そこの黒い者らも手伝わせるのだろう。指図しても構わないか?」

「えっと……はいぃっ」


 アサが顔を上げて、シノをちらりと見ると、即座に黒装束の指揮を開始した。

「頼むよ、シノ」

「あい、ははさま。すぐもどります」

 カンタルが頷くと、シノが監視とばかりにアサをゆっくりと追いかける。


「はーい。私は?」


 レイナが手を上げて言いつけられるのを待っていた。

 カンタルは、ファルマ伯爵の後ろについて澄ました顔をしているエングレスを指さす。


「えっと、これからクラウス王子を迎える予定なんだけど、あの人と一緒に協力してもらって、邪魔が入らないように準備をお願い出来るかな?」

「ええ、平気よ。任せて旦那様」


 彼女が、薄い胸を叩いて見せる。


 その背後に、執事が音も無く立っていた。

 シュミットが何かを言う前に、カンタルは口を開いた。


「護衛をお願いしてもよろしいですか」

「ええ、それが私の仕事でございます」


 執事が柔らかく微笑んだ。

 気を使って貰えたことの返礼をするように、恭しく頭を下げる。


 そして、誰もが役割を得て仕事を始めたのだが、一人だけ所在なく立っている女性がいた。


「さて――――」


 カンタルは振り向いた。

 エリンが肩を少しだけ震わせた。


「な、なによ」

「今は取り合えず、御飯、作りましょう」

「何で、私が? 今更?」


 拳を握りしめ、叱られるのを待つ少女のようだった『緋毒』が、己の胸を掻き抱いた。

 そして、違和感に気付く。


 何よこれ、と呟いて、胸元に手を突っ込み、それを取り出した。

 何を隠そう、カンタルの下着だった。


「ん? それは……」


 彼が目を細めていると、エリンが急いで胸元に戻した。

 顔を伏せる彼女と、どうして良いかわからないカンタルであった。


「…………」

「…………」


 何とも言えない空気が流れていく。


「と、とりあえず、一緒に御飯を作ってくれませんか?」


 彼女がこれ以上ないくらいに顔を紅く染め、顔を上げた。

 全速力で厨房に向かう。


「お、置いていくわよ! カンタルさん!」

「え、ええ?」


 勢いよく走っていく彼女の背中を見て、彼は小さく笑った。

 これなら大丈夫だろう、と僅かに安心する。


 そこで、頭の中に声が響いた。

 光の玉が、無感情に言う。


「随分と、無茶をしましたね」

「そうかなぁ」

「この者たちに、それだけの価値がありましたか?」

「あると思うんだけど」

「……もう『天命の器』は、ほぼ空になっています」


 光の玉が、ここで初めて気の毒そうに言った。

 奇跡の代償は、すぐそこに迫っている。


「これで、良かったんですね?」

「うん。……これでいいんだよ。まだ最後のひと踏ん張りが残ってるけどね」

「まあ、見届けさせてもらいますよ」


 それきり、光の玉が黙ってしまった。

 カンタルは、少し寂しく思いながらも、エリンの待つ厨房へと、足を向けるのであった。





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