十九 憎悪と苛立ち
「仕事の内容はここに書いてある。待ってる間はいい暇つぶしだろ」
待ち構えていた監督官は、四つ折りにしたメモ用紙を愛桜に渡す。
(なぜメモ用紙……?)
愛桜は受け取りながら、不思議に思う。これまでメールでしか仕事内容を伝えられたことがなかったため、いきなりアナログになるのは不自然に感じた。
メモ用紙を開いてみると、書いてあるのは仕事の内容だった。
確かに、仕事の内容だ。しかし、その内容からは本音が透けて見える。
――誰にも知られることなく、いなくなれ。
本部は、どうやら愛桜たちを殺したいらしい。
『ふざけるな。いつもいつも無茶な仕事を押し付けやがって』
「俺たちは捨てられたんですね。仕事内容をメールで送らないのは、俺たちを捨てた証拠を残さないためですか」
ウェンディゴを憑依させた状態で研究所に行くと聞いて本部が出した結論は、危険人物、すなわち愛桜の処理だ。そして、処理の遂行を任されたのが監督官というわけだ。
元々、本部に期待や希望なんてものは抱いていないが、ここまで勝手に扱われると呆れてため息が出てくる。憑依させたせいでウェンディゴ諸共殺されるなら、最初から捕獲ではなく駆除を命じて欲しかった。駆除なら生かす必要はないから、こんなに骨を折ることもなかったはずだ。
更に気に食わないのは、死ぬのは愛桜だけではないということだ。口封じとして憑依されていない四人も死なせるため、愛桜と行動を共にするよう指示されている。それには少し、怒りが湧く。
愛桜たちの死亡が外部に露見したところで、待機中に勝手に山奥に入って死んだことにすれば、監督官や本部は他の誰かから責められることはない。家族もいない愛桜たちは、それほど騒ぎが大きくなることもないし、存在を消しやすいのだ。
ハンターの中にいる危険人物や、いらなくなった人間を殺すこの方法は、以前、噂で聞いたことがあった。まさか本当だとは思わなかったが、今その立場になって、噂は事実だと証明されたわけだ。
一体、これまで何人、このやり方で殺されたのだろうか。
「お前、炎を斬ったんだってな。そんな人間、見捨てられて当然だ。ウェンディゴがいつ出てくるか分からねぇし、憑依させてるなんて気持ちわりぃ」
『捕獲しろというから、そうしただけだ。斬りたくて斬ったわけじゃないのになぁ? なのに、見捨てるなんて。しかもディールに食われろと言っているようなものだ。ひどいなぁ』
監督官の口からは、相変わらず憎まれ口しか出てこない。しかし、それを利用して愛桜の心を揺らそうとウェンディゴが饒舌になっている。今のところ、うるさいとしか思わないが、それがストレスになっていることは確かだ。
――この時愛桜は、自分で思う以上に限界が近いことに気づいていなかった。
気づかずに、深く静かな憎悪は膨れ上がっていた。
そして、静かすぎる憎悪は、愛桜の小さな苛立ちで誤魔化されてしまう。
(見くびられたものだ)
と、愛桜はその小さな苛立ちと共に思う。
本部は、愛桜たちが他の人とは比べ物にならないくらいの強さがあることを知っているはずだ。それなのに、こんなやり口で本当に死ぬと思っているのだろうか。
愛桜は、仲間の顔を見る。
各々、愛桜と同じく苛立ちを感じているようだ。鋭い目つきで監督官を睨みつけている。
それを見て、思わず口角が上がった。
疲労はあるのだろうが、感情の起伏があり、それを抑え込めるほどには気力と体力が残っているようだ。まだ十分に戦えることを示している。
「こんな仕事、すぐに終わらせますよ。だから明日には研究所に連れて行ってください」
進言すると、それが気に食わなかった監督官は、眉を顰める。
「決められる立場か? 勝手を言うな」
「ですが、ウェンディゴが外に出てしまえば、確実に被害が出ます。それに、もし俺がウェンディゴに惑わされて操られるようなことがあれば、真っ先に狙うのは、あなた達でしょうね」
『そうだ、こんな奴ら殺してしまおう。俺たちを死なせようとしているなら、殺される覚悟くらいはあるだろう』
睨みつけると、監督官は唇を噛んで悔しそうに言葉を飲み込む。
脅しが効いたようでよかった。
しかし、進言を受け入れることが不服の監督官は、おろおろした様子で口を開く。反論しないと気が済まないようだ。
「準備が間に合わないかもしれないだろ。動きが早いウェンディゴを逃がさないよう、確実に引き渡すんだぞ? 準備の大変さと、それにかかる労力を考えて言え」
『ごちゃごちゃと。こちらのことなんて考えないくせに。こちらの苦しみを知らないくせに』
監督官が愛桜たちの望みを受け入れてくれないのはいつものことだが、愛桜はいつもの状態ではない。心を掻き乱すことを得意とするウェンディゴがいるのだ。いるだけで既に、心に余裕はない。
「あぁ、準備する気がないくせによく言えますね。でも、準備しておくしかないんですから言っておきます。心配なら、何かあった時のために俺たちより強い人を呼んでおけばいいでしょう。逃げても仕留められるように。いくら俺が強いとはいえ、俺より強い人だって数人いるんですから」
上から目線で、相手を苛立たせる言い回しになる。いくら余裕がないとはいえ、これほど感情の制御が効かず強い口調になったことは、愛桜自身驚いた。
今までは、そんなことをしても得はないから、そのような態度を取らなかった。それに、馬鹿にして見下してしまえば自分自身も貶めることになるから、同じ土俵に立たないようにしてきた。
しかし今は、言わずにはいられなかった。
「バカにしてるのか? お前、そんなこと言えるほど偉くなったのか? なんだ、おい。上の連中を呼び出せるほど偉くなったつもりか?」
監督官は、いつにも増してカッとなって詰め寄る。
普段は上手く流す愛桜だが、今日はそれができない。
目の前にいるこいつが、ムカついてしょうがない。
『そうだ、コイツを消してしまおう。俺たちを死なせようとしているなら正当防衛だ。そうだ、みんなを守るためにも、そうしよう。殺そう』
徐々に、少しずつ、ウェンディゴの存在がストレスを与え、愛桜が感じている以上に精神が磨り減っていた。自分を抑えることができないほどに。
だから、手が出てしまった。
「強いからって偉そうにしてんじゃ――っ」
ヒュッ、という音と同時に、監督官は喉を引きつらせ、言葉が途切れる。
喉元に迫った手刀。
監督官はそれを、目だけで確認する。動けば首が落ちる気がして、目しか動かせない。
手刀は肌に触れてもいないが、一瞬靡いた風が首を切ったのかと思った。今、生きていることが不思議に思えるほどに、『死』を感じた。
「あぁ、すみません」
言いながら、愛桜は喉にやった手を引っ込める。
「中の奴が、殺せってうるさくて。気が立ってるので、あまり突っかからないでくれますか」
冷え切った温度で放たれたその言葉が、監督官を黙らせる。
「仕事は引き受けますよ。すぐにに片付けます。だからウェンディゴを捕獲できる環境を整えて下さい。明日までに」
監督官は何か言い返そうと愛桜を睨むが、いざ目が合うと怯えたように何も言わない。その目を泳がせる様子さえも、愛桜を苛立たせる。愛桜から、周りに聞こえないくらいの小さい舌打ちが漏れた。
「はぁー。ウェンディゴが外に出て被害なんてあったら、上は責任を取らないでしょう。どうあってもあなたに押し付ける。そこまで、というかそんなことにも頭が回りませんでしたか」
愛桜が言っていることは、全てその通りだ。監督官は愛桜を睨みつけるが、自分が立たされている状況を理解したようで、言葉は出ない。
大人しくなった監督官だが、苛立ちが収まらない愛桜は、追い打ちをかけるように一言付け加える。
「それとも、今ここでウェンディゴを放ちましょうか」
その一言に、カッなって目を剥く監督官。
しかし、愛桜と目が合うと、やはり縮こまってしまう。
「…………チッ」
何も言えない監督官は、言葉の代わりに舌打ちを一つ吐き捨て、そして逃げるように背を向けて去って行く。
脅してしまえば、去り際は実にあっさりとしたものだった。
******
「大丈夫か?」
監督官の姿が見えなくなったところで、灰鳴は、明らかに冷静ではない愛桜に声を掛けた。
「大丈夫」
愛桜はそう言うが、灯も、これほど刺々しい愛桜は見たことがなく、不安になって確かめる。
「本当……?」
みんなが知る愛桜は、いつも落ち着いていて、的確な判断をする。厄介な監督官もあしらって争いを生むような態度は決して取らなかったはずだ。
しかし、今は違った。
『こいつらはなんだ。いつも頼りきりで、何もしてないじゃないか。あれしきのことで不安そうにするなんてなぁ。こっちはロボットじゃないんだ。怒りも苛立ちも憎しみだってあるのに。いつも抑えているだけなのになぁ』
この言葉はウェンディゴの言葉で、本心ではない。
(俺は、そんなこと気にしない。こいつは、俺を壊したいだけ)
愛桜は、分かり切っていることを強く自分に言い聞かせた。そうしないと、感情を持っていかれそうだ。
ウェンディゴの言葉に侵されて、少しまずいと思った愛桜は、落ち着くために一つ、息を吐く。
これくらい、まだ耐えられる。まだ大丈夫。
そして、落ち着いた振りをして、ふっ、と仲間に笑いかける。
「今は大丈夫。それより、仕事だ」
愛桜たちを殺すために仕組まれた仕事でも、やるしかない。一応、殺す気があるくらいだからそう簡単に済ませられる案件ではない。いくら気に食わないからといって仕事を放棄し、もし犠牲者が出れば一生悔やむことになる。
「内容はなんだったの?」
梗香がメモを覗きながら聞いてきた。
「百蝙」
愛桜が答えると、灰鳴が唸る。
「数か……」
『百蝙』とは、蝙蝠のような見た目で、群れで行動することからそう名付けられた。体長は三十センチメートルほどで普通の蝙蝠と比べると大きいが、真っ黒で翼もあり、姿かたちがよく似ている。今回、百蝙がいることは随分前から分かっていたそうだが、まだ被害がないことと、対処できるハンターが限られることを理由に放置されていたようだ。
「梗香は、無理するなよ」
愛桜は小さく言った。
梗香は幼い頃、住んでいた村を百蝙に食い潰され、両親と姉に守られ生き残った。五百人ほどしかいない村だったが、ある日、山から下りてきた百蝙が住人のほとんどを食いつくし、気が付けば食い荒らされた家族が、自分を守って覆いかぶさっていたらしい。肉と骨になって、誰かも分からない死体を見た時の心境は、苦しいものだったに違いない。
しかし、
「大丈夫よ。というか、今更何とも思わないわよ」
梗香の目は少しも怯んでいないし、苦痛もない。今更、心が揺れることはない。
悲惨な現場は、これまで何度も経験して慣れてしまったのだ。たとえ家族を食ったディールでも、トラウマのように思い起こされることはない。
それほど、慣れてしまった。
愛桜は、梗香がなんとも思わないことは分かり切っていたが、人は変わるものだ。念のため聞いたに過ぎない。そして、平坦な梗香の声で問題なしと判断する。
慣れとは便利なもので、どんなにトラウマがあっても、人は慣れてしまう。慣れるまでが辛いが、慣れてしまえば楽なものだ。
愛桜たちにとって、慣れとは救いで、慣れなければトラウマに苦しめられて普通の生活を手放していただろう。しかし、トラウマに慣れるということは、家族を食われた悲しみや辛さに慣れることのようで、心が欠けたような寂しさがあるのも事実だ。
そんな寂しさを少し感じながら、愛桜は歩き出す。
「行こう」
今は、仕事に集中だ。
ディールがいる山に入る以上、戦いに邪魔となる感情は置き去りにしなければならない。
そうやって置き去りにして、戦いに必死になって、気づけば忘れている。抱いた感情は、その程度のものだ。
愛桜に続き、梗香、灰鳴、灯、炎の五人は、自分たちを死なせるための仕事に向かい、山の中に入っていく。
迷いはない。
元々、いつ死ぬかも分からないような仕事だ。覚悟ならとっくの昔にできている。
死ぬ瞬間まで、ディールを狩る。それだけだ。




