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12 悲しい夢

夜。

当然、一日中寝ていたから眠くない訳で。


「夜風にあたってこよう」


「お母様も、お父様も、お兄様も……ミアも、元気かしら」


あれから一度も会っていない家族の顔が、ふと心に浮かぶ。


——少しだけなら、帰ってもいいよね…?


私はそっと目を閉じ、転移魔法を発動させる。


転移魔法は、想いを具現化する魔法。

思い描くのは、懐かしき我が家、エバンス子爵家の屋敷の前。


風が頬を撫でる。

目を開けると、私は確かにそこに立っていた。


懐かしい屋敷の景色。

けれど、その美しさが胸に痛い。


みんなが私を忘れてしまっている。


自分がしたことなのに、胸が張り裂けそうになる。


覚悟、したはずなのに。



顔を見たい。



本当は、それすらも許されないのかもしれない。

でも私は、自分の部屋へと転移した。


貴族の屋敷には、魔道士が張る結界がある。

許可された者しか入れない強固な魔術の壁。


けれど今の私なら、どんな屋敷でも突破できるみたい。


「……私の部屋なのに、まるで別の場所みたい」


そう。私の存在が消され、記憶も消えた。


だから、私の痕跡もすべて消えてしまったのだ。





この数ヶ月で、私は魔法を使いこなした。


不可視化魔法。

魔法使いのみ使える魔法だ。







不可視化の魔法を展開すると、空気がひたりと肌に寄り添うように薄く揺れた。


誰にも気づかれず、誰の視線にも触れず、私は静かに廊下を進んでいく。


足音は、昔から知っている屋敷の床にそっと吸い込まれていった。



——この廊下を、私は毎朝ミアと走っていた。


——この窓辺で、お母様と花の世話をした。


——この扉の前で、お兄様に泣かされたり、笑わされたりした。


——この中庭で、お父様と魔法の訓練をした。


懐かしさが胸に絡みつき、呼吸が少し苦しくなる。


そっと階段を下りると、灯りの漏れるサロンの前にたどり着いた。


半開きの扉の向こうから、聞き慣れた声が微かに響く。


「……ミアーナ、もう寝なさい。明日も早いでしょう」


お母様の声。


小さな頃からずっと変わらない、柔らかくて、少し甘い声音。



「でも……なんだか眠れなくて。ねえ、お母様。私ね、悲しい夢を見たの」


ミアのかすれた声が聞こえてきて、胸がきゅっと痛んだ。


「またそんなこと言って……」

お母様は苦笑している。けれど、どこか寂しそうだった。


「なんだかとても…悲しくて、幸せな夢なの。私、お姉様がほしかったな。そしたら一緒に眠れたかも」


——ミア。


扉越しの妹は、膝を抱えながら笑っていた。

寂しいような、嬉しいような、複雑な笑顔で。


私はそっとドアに触れる。

冷たい木の感触が、指先から胸の奥に染み込んでくる。


「……夢見が悪いのは、体調不良の現れだぞ?」


お父様の優しくて、低い声。


「大丈夫か?俺が部屋まで送ってやるよ」

お兄様の心配そうな声。


「そうじゃないの。ただ……よく分からないの。胸がぎゅってなるのに、涙は出ないの」


お母様がミアをそっと抱きしめる気配がした。


「大丈夫よ。あなたは何も失っていないわ」


——ミア、お母様、お父様、お兄様、私はあなたたちの家族です。


そう喉まで込み上げたけれど、声にはできなかった。


私の存在を消したのは、ほかでもない私自身なのだから。


けれど——。

ミアは泣きそうな声で、ぽつりと呟いた。


「夢でね、ぎゅっと抱きしめてもらったの。その人は…なぜか泣いてた。抱きしめ返したいのに、私は抱きしめれなかったの」


ミア…ごめんね、私のせいで…。

お母様が静かに囁いた。


「それは……あなたの優しい心が生んだ幻よ。大丈夫。そんなふうに感じられるあなたは、きっと幸せになれるわ」


ミアはこくりと頷いて、お母様の胸に顔を埋めた。


もう、耐えられなかった。



私は音を立てないよう後ずさり、小さく息を吸う。


——泣いちゃ、だめ。


魔法が揺らぐから。


でも、涙は勝手に滲んできた。

涙だけは、魔法では制御できない。


廊下の灯りを背に、私は静かに屋敷を後にした。

外に出ると、夜風がひどく冷たく感じた。


「……帰ろう」


自分に言い聞かせるように呟く。


転移の魔法陣が淡く光り始めたその瞬間、胸がじんと痛んだ。


会えてよかった。

……でも、一番会いたい人には会えない。


彼は、きっと私の存在すら覚えていないのだから。


光が視界を包む。






静かな夜の中、私の気配は何事もなかったように消えていった。

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