六月(松下の決意)
(もう10年か…。)
私はコーヒーを片手に大原の街並みを眺める。
署内からの眺めは中々のもので、私は時折こうして時間を潰している。
警官人生31年、警備課に配属になってまだ6年程度の私だが、署内では居るのか居ないのかハッキリしない存在である事はもはや自他共に認めるところだ。
最近じゃ松下には右翼と酒でも飲ませておけば良いなんて言う奴も居るそうだ。
「ふぁ〜ぁ。」
私は大きく欠伸をすると自分の机に足を歩める。
何も怠慢で皆んなが愛想を尽かして「幽霊」署員になった訳ではない、私がこうなったのもきちんと理由があるのだ。
今から10年前。
昭和59年に私はココの刑事課に居た。
当時大原は今ほど栄えている訳でもなく平凡な街で、事件らしい事件はほとんどなかった。
そんなある日の事だ…。
署長に呼ばれた私達はある事案について捜査するように言われたのだ。
ある事案とは行方不明者の捜索で、近隣の「岡田市」の署からの協力要請だった。
行方不明になったのは「大橋恵」という20歳の女性だ。
大橋さんは両親と親子喧嘩をして家を出た後、行方が分かっていない。
彼女は度々複数の年上男性との関係があったようで、この時の親子喧嘩もそれが理由らしい。
私達は早速捜査に乗り出したが、無論足取りを掴むのは容易ではない。
お世辞にも都会とは言えない岡田市の周りで、ある程度大きな繁華街があるのは大原くらいだろう。
岡田市から出た彼女が大原に立ち寄った可能性はたしかに高い。
私の経験上、家出の事案はほとんどが本人の帰宅で解決する。家出したは良いが金がないから親元に帰るというのが大体だ。
しかし大橋さんは2月待っても帰宅しないのだ。
男性との交友関係が広い彼女の事だ、どこかで住まわせてもらっている可能性もあるだろう。
しかし私の勘では彼女は事件に巻き込まれた可能性が高い。
何故なら彼女の所持金はゼロだったようで、所持金の無い人間がまずそもそも連絡の取りようがないし、いくら何でも公衆電話だってタダじゃない。
彼女には同性の友人はほぼ居ない事も考えると、一度帰宅せざるを得ない状況なのだ。当然着替えもない。
荷物も持たずに突発的に家出したようだ。
近所の聞き込みは岡田署が行ったようだが、当夜に誰かと大橋さんが会っていたのは目撃されていない。
私は大原駅前での聞き込みを相方と分担して行った。相方はまだ新人で、こういう経験をさせるには不謹慎だが丁度良い。
こうした日々をしばらく送っていた私達はついにある証言を得る事ができた。まだまだ解決はしないものの、ヒントを得る事ができた時の達成感はやる気を益々向上させる。
私達は駅前の茶店で情報共有をした。
証言は大原駅前でたむろしていた若者からだった。彼らはいわゆる「不良」で、聞き取りは昨晩相方が行ったものだ。
「よくやった。」
他の刑事は新人をイビリ倒して教え込んでいくが、私はそうはしない。褒めて伸ばすのが私流だ。
「正直不良相手だったんで、怖かったです。」
相方は引き攣り笑いを浮かべると、聞き込み時の心境を吐露する。
「いいか、まだ終わりじゃないからな。でも解決には近づいた。もう一踏ん張りだ。」
私は「一緒に」戦っている事を後輩には意識して伝えるようにしている。そうすると大体の後輩は「もっと頑張ろう」という気になる。
「で、どんな証言だった?」
「はい。当日の夜、大橋さんによく似たワンピースの女性が駅前をふらふらしていたので、遊びに誘おうと声をかけたらしいんです。
駅前はそうして声をかける連中が不良以外にも大勢居るらしく、誘ったら食事を食べさせて欲しいというのでこちらも金がない事を伝えたところ、誘いには断られたそうなんです。」
彼女の当日の服装は白いワンピース。不良の話は唯一の特徴と合致している。信憑性はある。
「そのあと彼らは溜まり場に戻ってしばらく談笑していたそうなんですが…女性はその後もふらついていたようで、しばらくするとあそこの角で背広を着た男と話している姿を目撃したそうです。」
そういうと相方は交差点の角を指指す。
「少し暗いので男の人相風体までは覚えていないらしいですが、男の側に停めてあった黒い乗用車に乗って走って行ったと…。」
彼女は声をかけてもらいたくてここまで来たのだろう。どうしてそんな淫らな生活を送るのだろうか。
同じ親としてご両親の心境は察するに余りある。
「しかし、岡田から大原まで歩くとかなりあるな。徒歩なら1時間強はかかる。まあ歩けなくもないか…。」
私はその女性が大橋さんであると仮定して推理する。
(背広に黒い乗用車、風俗関係か?)
私は大原の風俗店への聞き込みをする事にした。
「それにしてもその不良もずいぶんと警察に協力的じゃないか。聞き込みが上手いんだなぁ。」
私が笑ってそう言うと、相方は照れ笑いを浮かべて私に礼を言った。
「最初はずいぶんと警戒されましたが、松下さんのように世間話から入っていったら思い出してくれたんです。」
普段の私の職務質問をよく見ている。コイツは優秀な刑事になる。
私はそうかと言って笑うと、茶店の会計を済ませ相方と夕方の風俗街へ出かけた。
大原の風俗店は平成になると急激に店舗数が増えたが、この頃はまだ10店舗程で聞き込みは順調に進んでいった。しかしどの店舗もそんな事は知らないとの事で、私達は見当違いだったかと昼間とは変わって半ば落胆していた。
しかしそれは泣きの最後の1店舗に入った時だった。この時の衝撃は今でも忘れられない。
私は他店舗の時と同じように、この女性を知っているか…従業員に街中の一般人を風俗に誘わせているか…などを聞いていた。
この店舗の店長は一番協力的で、"ある噂"を私に教えてくれた。これが捜査状況を一変させる。
実は最初この店でも他と同じような返答ではあったが、私はこの店に関しては「モグリ」で本番行為が行われているのを以前逮捕した人物からの情報提供で知っていた。
その事を店側に暗に指摘したのである。
すると店長はバツの悪い顔をして煙草を吹かし白状した。喋った方が有利だと思ったのだろう。
「いやぁ刑事さん。うちもコレに面倒見てもらってる訳だけど、正直なところ金が高くてね。こういうのやらないと回らないんだよ。」
そう言って店長は人差し指を頬に付けて一直線に下ろす仕草をした。コレというのはヤクザの事を言っている。
「でね、目瞑ってもらえたら噂なんだけどね、ちょっと面白い話あるんですよ。」
私は今回の事件と関わりがあるか否かに関わらず、話を聞く事にした。
「前にお忍びで政治家が来た事があってね。ほら、大原の市議会議員の〜後藤って議員だよ。ベロンベロンになった奴が、またどこで聞いたか分からないんだけど"本番やらせろ"って言うのよ。ウチは常連にしかソレ提供してないからそんなの知らないって言ったんだけどさ、そしたら普通に遊んでくって言うから部屋入れたら本番しちゃったのさ。しかも強姦だよアレ。」
私と相方はまさかの情報に度肝を抜かれた。
しかし驚くのはまだ早い。
「アレは変態だね。そんで勝手にそんな事されたら困るって事で、ウチらこの辺の風俗の面倒見てる草心会に連絡したのさ。したら若い衆が来て、「そのまま帰せ」って言うんだよ。それから何にも無いのよ。おかしくないかい?それからウチらの間じゃ"あの議員と草心会は繋がってる"ってのが噂なんだよ。」
私はこの話が本当なのかどうか知る由はないが、草心会と言えば新興の組で大原を牛耳っている事だけは確かである。私達はこの店長の情報提供を受け取ると店を後にした。
「とんでもない話でしたね。今回の事案と何か関係があるでしょうか?」
相方は声を震わす。
「いや、あの話が本当かどうかも分からない。ただ、本番行為をしているのを白状した。後で生活課に連絡してガサだね。」
私は最初からあの店を見逃す事は考えていなかった。悪は悪である、法に沿って然るべき対応を取るのは警官として当然だ。
もし話が本当ならとんでもない事だし、今回の事案と関係が無いとも言えない。とにかく自分で確かめてみようと思った私は翌日から後藤議員を監視してみる事にした。
この事は署内でも一応口にはせず、監視当日は相方にも伝えなかった。万が一疑っているのがバレて、議員がシロだった場合には私の首が飛ぶだけじゃ済まない。
「お、来た。」
私は大原の外れにある山の峠道で倉庫から出てくる議員を見つめていた。あの倉庫は議員の所有物らしい。
風俗への聞き込みの翌日、非番でこの日を迎えた私は妻の作った握り飯を頬張り、ドライブに来た人間を装いながらの仕事となった。
議員は自宅からここまで寄り道せずに立ち寄ると、その後倉庫を後にして市役所へと向かった。
「さすがに昼間は何もないか…。」
白昼堂々と議員とヤクザが会う事もなかろう。
ましてや、あの草心会だ。私から見ればチンピラのようなものだ。会えばすぐにわかる。
夜になっても議員は自宅へ帰るか、市街地にある複数の議員が代表を務める会社への顔出しくらいで、不審な点は何もない。私は非番の度にこうして時間を作っては議員を監視したが、大した成果は無かった。
「やはり杞憂だったか…。」
私は監視を密かに解くと、通常の大橋さん失踪事件の捜査に打ち込んだ。
それから何日か経過、私達は突然捜査の中止を命ぜられる。
中止の話を聞いても刑事課のほとんどは動揺するどころか、むしろ安心したようだった。
"やっと残業しないで帰れる" "そのうち帰るよ"
などと言った警官としての矜持を感じない態度がほとんどであった。
そんな先輩達の姿を見て相方は戸惑いを見せたが、私はこれが警察の現実だという事を隠さずに伝えた。
私はというと当然納得できる訳もなく、むしろあの疑惑に信憑性が再び増してきた事に言い知れない不安を覚えていた。
そんな私を見て署長は後日私だけを呼び出した。
「松下。納得いかんか。」
「はい。正直なところ…。」
私は議員とヤクザの関係を署長に話してみようと思ったが、噂の域を出ない話をするべきでないと思い口を閉じた。
しかし署長の次の一言で私の中の疑惑はほぼ確信になった。
「未解決事件は"政治"あるいは"宗教"が絡むのがほとんどだそうだ。何か聞いたんだろう?見てれば分かる…でもここまでにしておけ。実のところ俺も上から内々に指示されてな。こういうのは大体どっちかが絡んでる。」
署長は若い頃私の「教育係」だった人物で、教育方針は"怒って伸ばす"だ。私とは対の考えの持ち主で、度々衝突があったが、信念は私と同じだった。
しかしこの時ばかりは署長も遠くを見たっきり、それ以上この事を口にしなかった。
私は署長に捜査の継続を望んだが、遂に要望が通る事もなく、しばらくして署長は退職、私は警備課に異動、今では右翼の監視役だ。
疑惑の後藤議員はその後多くの市民の歓迎を受けて市長へ…大原は様変わりした。
密接と思われる小沼一家草心会は勢力を拡大。最近では会長の草野義一が他団体との小競り合いで一時身柄を拘束されたが、惜しくも証拠不十分で釈放。
私は忠明社と言う右翼の監視の現場で彼に遭遇、その後偶然署内で顔を合わせたが、私は彼を知らないフリをした。
唯一救いだったのは、相方が腐る事なくその後私と同じ警備課に異動、今ではエースとして警備課を牽引している…。
しかし今彼は同じ大原署の警官でありながら、職場が異なる。
私達は諦めていなかった。
相方はその後も秘密裏に個人的捜査を継続し、もはや抜け殻になっていた私に情報を度々共有してきた。
私は彼に申し訳ない気持ちで胸が詰まりそうになった。
しかし彼のお陰で、段々ともう一度やってみようという気になったのである。
それはもちろん今も消息が掴めない大橋さん、ご両親への想いから来るものであったが、自分に嘘をつけない、刑事としての意地も確かにあった。
私は警備課として右翼の監視役という「本業」とは別に、再び大橋恵さんの失踪と市長、草野の関係を探る事にしたのだ。
しかし警備課ではどうもヤクザ内部の情報が手に入らない。新設された組対の鉢屋警部補に尋ねても、彼には彼の矜持があるようで話したがらない…。
そこで私は相方にある頼み事をした。一か八かの大勝負だ。相方ももはやそれしか無いと思っていたようで、快諾を得た。
ここからの動きは早かった。
この勝負は結局私と相方、署長の知るところとなった。署長は最初渋ったが、私も馬鹿ではない。
署長が以前誤認逮捕をした相手に内々に示談金を支払っていた事をちらつかせた。手段は選ばない。
私も警備課の6年で、様々な情報を収集していたのである。
正直警察が嫌いになるような内部の情報に、反吐が出る気持ちだったがこの時だけは警備課への異動が「天与」に感じた。
ただし、万が一「クロ」だった時には潔く上層部の指示に従う事が条件である。
「シロ」なら私は命を捧げる覚悟だった。
私は彼に「潜入捜査」を依頼したのである。
失敗したら切腹でも何でもするつもりだ。
後は私個人、署内では徹頭徹尾「抜け殻」を演じる事だ。右翼と酒でも飲んでいれば良い?大歓迎だ。
作戦は滞りなく進み、失踪事件に関する情報のみならず、別の事案でも彼は動いてくれた。
鉢屋には悪いが正直組対が要らないほどだ。
草野が先日他団体に襲撃された事も察知済みで、私は相方から情報を得ていた。しかしここで動いては組対にバレる可能性があるので、こういう時は何もしない。むしろ草野が逮捕されてくれれば、大橋さんの件も取り調べる事ができる。
草野が死亡すれば元も子もないが、草野義一はちょっとの事じゃ死なないのは今までの情報から察する事ができる。
しかしこの時はそうはならなかった。
私は次の機会を待っていたが、次の情報まで日は待たなかった。
「松下さん。情報です。」
夕飯時の公衆電話からの連絡に、私は聴き入った。
「草野が関与しているとみられる先日の愚連隊の失踪ですが、奴らはまた草野を襲撃する計画です。」
「分かった。」
私達の「静寂」な戦争は、火蓋を切ったのである。