(四)執着
源九郎はひたすら逃げ回るしかなかった。不幸中の幸いは刀を失った分だけ身軽になったことだ。風にそよぐ柳のように、回避に次ぐ回避を幾度となく成功させる。
だが――やはり多勢に無勢。気付けば三方から挟撃を受ける形となってしまう。
一斉に押し寄せる分身達を前に、源九郎は捨て身での突貫を試みる。分身の足を諸手で刈って押し倒すのだ。
これが奇妙なほどにうまくいった。
前方の一体が倒れると、後ろの二体はそのまま同士討ちとなったのだ。おまけに分身の刀は身体と一体不可分らしく、互いに刀を撃ち込み合った二体は身動きが取れなくなっている。
(こいつは、ひょっとすると――)
丁度その時、煙幕を張るのに最適の風が吹いた。
源九郎は全ての煙玉に引火して多々良へ放ると、迷わず髭面の躯の元へと走った。そして、落ちている刀を拾うと背後の様子を確認する。
煙幕の出来は上々。分厚い黒煙が完全に多々良達を覆い隠している。
「ちっ」
舌打ちの反響音で煙幕の彼方を索敵すると、分身は再び数を増やしていた。一箇所に固まっているのは不意打ちから身を守るためだろう。これは単純だが実に効果的な使い方だ。こうなると俸禄玉も通じまい。
それでも仕掛けるなら、この機を逃す手はない。
こうした視界不良の状況下でこそ、自分の能力は最大限に生きるのだから。
(――と、奴は考えているかねえ)
煙幕を挟んだ反対側で、多々良監物はぼんやりと思考を巡らせていた。
殺し合いの高揚感でつい忘れがちだが、呪術を使う際の精神的疲労は相当なものだ。現在、展開中の分身十体にしてもそう長くは維持できまい。さっさと片を付けたいところだ。
幸いなことに敵は攻勢に出るつもりらしい。なにしろ異常なほど気配を読むのに長けた奴だ。祇園城では水煙を利用してうまく立ち回りもした。当然、この機を利用してくるだろう。
迎え撃つ用意はある。
まず、現在周囲を固めている分身十体だが、このままでは鉄壁過ぎて攻め手のやる気が萎えるので、これをばらけさせねばならない。一応の備えとして三体を盾役として残すが、残り七体は煙幕の内外に分散配置。そして、この七体のいずれかを本体と誤信させ、あえて攻撃を受けさせる。つまり前回と同じ硬化の罠だ。とはいえ今回は武器のみならず、奴の体の一部を取り込む形にもっていくつもりだが。
問題は、前回の経験を経て奴が用心深くなるだろうことだ。
ちょっとした違和感程度では、本体と誤信させることは不可能だろう。本命の分身には本体だけが可能と思われている行動をとらせる必要がある。
(だったら単純明快に――分身を喋らせてやろうじゃないの)
それが可能なのは、多々良と分身間では伝声術を使えるからだ。
そもそも、分身とは妖刀の力を用いて多々良が産んだ木偶である。だが、その本質は儚いもので、本体と切り離されればすぐに掻き消えてしまうのだ。そこで多々良は分身を産む際、一部を紐状にして本体と結び付け、人の魂と肉体を結ぶという『魂の緒』を擬似的に再現。分身に本体から呪力を供給し、その存在を保つのみならず変形による操作をも可能とした。したがって、分身には思考能力どころか五感も声帯も存在しないのだが、『魂の緒』という呪的な紐を通すことで、声を伝えるくらいはできるのだ。
(前回、奴は呼吸音で本体を探っていたっけな。結局、錯覚と思ったようだが……そうじゃない。あれだって、俺が伝声術で引っ掛けたんだ)
そこを誤解したままでいる限り、奴に逃れる術は無い。
多々良はほくそ笑むと、釣りに興じる気分で各所に分身の糸を垂らした。それからできるだけ小声で挑発的な台詞を口にすると、同じ声が分身からは増幅して発せられた。
「オイコラ、いつまでコソコソ逃げ回ってやがる! そぉら、かかって来いやぁ!」
そして胸を躍らせ成り行きを見守る。
(さあ来い! ほら来い! 俺の胸にどんと来ぉい!)
そして――
ドン、と凄まじい勢いで分身の胸を深々と刃が貫いた。多重分身の脆い身体を、奴が刀を握った腕ごとぶち抜いたのだ。
「いよっし来たかァ!」
余剰の分身を解除し、呪力を一点に集中する。
分身は瞬時に硬化。腕を押し潰さんばかりの勢いで取り込んだ。
慌てふためく奴の姿が滑稽でたまらない。多々良は嬉々として駆け出した。
「可哀想に――まずはその腕、解放してやろぉなっ」
地擦りから逆袈裟に、渾身の力で斬り上げる。
斬――奴の腕が高々と宙を舞った。
鮮血が迸り、勝敗は決した。
敗者に言葉は無く、ただ、顔の半分を土につけ無念の表情を浮かべるのみ。
そして勝者――
源九朗は忸怩たる思いで、死骸の傍らに転がる腕を見つめていた。
全ては狙い通りだった。あえて分身に腕を取り込ませることで、絶体絶命の窮地を演出。多々良の本体を誘き寄せ、これを返り討ちにしたのである。とはいえ、肉を切らせて骨を断ったわけではない。もとより、刀と腕とを封じられれば反撃は不可能であるし、そうでなければ多々良がその身を曝すわけもないからだ。
つまり、虚仮には虚仮を。
源九朗は分身に腕を取り込まれたと、多々良に誤認させたのである。
煙幕を張った直後。刀を入手すべく髭面の躯の元へやって来た源九朗は、切断された腕が落ちているのを見て、文字通り手を貸してもらうことにしたのだ。
まず、躯の腕に刀を縄で括りつけ『刀を握り締めた腕』とする。そして、それを袖の下に隠し持って分身に突撃――胴を貫く。すると、多々良は源九朗を捕らえたものと誤認、分身を解除して自ら攻撃に乗り出した。そこを源九朗は髭面の脇差で心の臓を一突きにしたのだ。
これが可能だったのは、分身が遠隔操作できる人形でしかなかったからだ。その確信を得たのは、三方からの挟撃がお粗末な結果に終わったこと。あれは、三体の分身を一点に殺到させたことで生じた死角に、本体がうまく対応できなかったのが原因だ。
そこを踏まえて、源九朗は最も突出した位置にいた分身を狙って攻撃。細工に気付かれる事なく、窮地を演出できたというわけだ。
「協力に感謝する――お陰で奴を倒せたぞ」
共闘者の躯に腕を返し、源九朗は心から冥福を祈った。
そして踵を返す。既に陽は没し、辺りは随分と薄暗い。それでも、気になっていた相手の様子はすぐに分かった。荷車の上で、八重は無邪気に手を振っていたのだ。
(さて……戻るか)
知らず笑みが零れ、足取りも軽くなる。まるで家路にでもつくかのようで、おかしな気もしたが……いや、まさにあれが自分の帰るべき場所なのだ、と喜びを噛み締める。
いよいよ、八重がどんな顔をしているのかが見えてきて、源九郎は苦笑いを浮かべた。
なんだ、あの泣き笑いのような顔は。げんこで頭をぐりぐりしてやりたくなるじゃないか。
だが、その顔がなぜか急速に強張って――
「危ない!」
気が付いた時には、腹部に鋭い痛みが走っていた。
だが――源九郎が見たものは、怪我のことを忘れさせるほどに衝撃だった。
死んだはずの多々良監物が、あの痩せぎすの幽鬼のような男が、わずか三間ほど離れた場所から、虚ろな目でこちらを睨んでいるではないか。
だが、その身体は見る見るうちに煙のように掻き消えてしまう。
(今のも分身だったのか?)
そんな疑問を抱きつつ、怪我の具合を確認する。どうやら五寸程度の鉄棒が刺さっているようだ。嫌な予感とともに抜いてみれば、
「くそっ……こいつは!」
自分の棒手裏剣だった。それも猛毒を塗布した暗殺用の切り札だ。
(ああなんてこった――畜生、畜生畜生!)
湧き上がる狂おしい感情を、それでもどうにか抑え込む。毒が回りきる前に、八重の安全だけは確保しなければならない。
急ぎ多々良の本体のもとへ走り、生死を確認。ひとまず胸を撫で下ろす。
直前まで生きていた可能性はあるが、少なくとも今は確実に死んでいる。ひょっとするとさっきのは、現世に執着する怨霊だったのかもしれない。
「とにかく、これで痛み分けってことか」
ぽつりと呟いて、再び八重の元へ向かう。その足取りが重かったのは、既に心理的なことだけが理由ではなかった。




