(二)因縁生起
個室に泊まりたい旨を告げると、亭主は微妙に言葉を濁した。
「うーん、あるにはあるんですがねぇ。お客さん、細かいことを気にするタチですか?」
気弱そうな初老の親父が禿頭を撫でつつ言う事には、個室は一部屋だけ空いているが、そこは宿泊客からの不満がやたらと多いのだという。
「夜中に変な音がしたとか、嫌な気配を感じたとかでね。ろくに眠れなかったから金を返せ、なんて揉めることもしばしばでして……」
要するに曰く付きなのだが、神仏不信の源九郎にとってはどうでもよいことだ。むしろそれを材料に値引きできぬものかと思う。実際に交渉してみると取引はあっさり成立した。実に得した気分だが、ケガラワシイだ何だとごねられても面倒なので、連れには内緒である。
案内されたのは二階の奥。六畳ほどの板間だった。
手入れはきちんとされていたらしく、見た目は小奇麗で格別悪い印象はないが、
「……何か嫌な感じがするな」
部屋の襖をあけるなり、八重は不快そうに言った。
「空気が澱んでいるからじゃないか?」
しれっとのたまう源九郎。主人が窓を開けようとするが、どうにも立て付けが悪いらしい。手間取っていると、部屋のあちこちからパチンパチンと木の爆ぜるような音がした。
「むっ? 家鳴りか」
怪訝な顔で周囲を見回す八重。源九郎はさらりと流す。
「古い建物だからな。ガタが来ているんだろう」
すると、この発言に抗議するかのように、どんっ、と天井裏を叩くような音。
「屋根裏に鼠がいるな。あるいは貉や蝙蝠が居着いているのかも」
と、八重が源九郎の顔を覗き込み、
「そなた、私に何か隠しているだろう?」
中々勘のいい娘である。実際のところ隠し事だらけなのだが、源九郎はあくまでしらを切り通すつもりだった。
「隠すって、何をさ?」
「はん。とぼけおるわ」
八重は鼻を鳴らすと、びしっと真っ直ぐ腕を伸ばし、
「だったら――あれは何だ?」
指し示された先、部屋の四隅には清めの塩がてんこ盛りになっていた。
(何であんなあからさまものが置いたままになっている)
亭主のしまったという表情から察するに、片付け忘れていたのだろう。さすがにこの状況を前にして、何も無かったと言い張るのは難しく、やむなくかいつまんで事情を話すと、
「ま、他に部屋が無いとあらば仕方あるまい」
意外にも八重は駄々をこねたりはせず、それならそれでさっさと祓ってしまえばよい、などと言い出した。
「亭主よ、これも何かの縁だ。この奇怪なる現象を、私がどうにかしてやろう」
唐突な申し出に、亭主は露骨に胡散臭そうな表情になる。
何せどこの誰とも知らぬ旅人の提案だ。金の無心かと警戒するのは当然だし、こんなちんちくりんのお祓いでは何の有難味も無いだろう。だが、このまま浮いた宿代を維持するには八重の気の済むようにさせてやるのが一番――というわけで源九朗も後押しに回る。
「あー、こんなナリをしちゃいるが、この子はこう見えて由緒正しき神社の巫女なんだ。駄目で元々、一つやらせてみちゃくれないか? もちろんお代は結構だ」
「はぁ……そういうことでしたら」
そんなわけで不承不承といった感はあるが、どうにか承諾は取り付けた。
「では早速だが、怪異について詳しく説明してもらおう」
ふんぞり返ってのたまう八重に、亭主は苦りきった顔で答える。
「今から半年程前のことです」
怪異のきっかけと思われるのは、その頃この部屋に泊まった子供が亡くなったこと。死因におかしなところはなく、明け方両親が気付いた時には既に冷たくなっていたらしい。
「亡骸は寺に埋葬して、お経も挙げてもらいました。ただ――やっぱり気味が悪いですからね。部屋に盛り塩を置いたんです」
ところがその後、その部屋に泊まった客から苦情が出るようになる。
「ここで子供が死んだなんて、お客は知るはずもないんですがね。ひとまず、この部屋の使用は見合わせるようになったんですよ」
話を聞き終えると、八重は開口一番こう言った。
「まずは盛り塩を全て撤去するのだ」
「はぁ……しかし、それはまたどうして?」
「塩は清めに効がある。だが、それはあくまで正しく用いればの話。そもそも初めに盛り塩を置いた際、祓い給え清め給え、と心から祈念したか?」
「いえ、そこまでは。不幸があった後で気味が悪いので、とりあえず塩を置いただけでして」
「それでは殆ど意味が無い。むしろ気に障るだけだな」
八重は大袈裟に溜息を吐いた。
「よいか、部屋の四隅に塩を配置すると結界を築くことになる。結界は邪気の侵入を防ぐにはよいが、既にその場が邪気に満ちているなら事前に場を清めねばならぬ。でなくば結界の中に穢れを残し、閉じ込めることになってしまうからな。今回の状況がまさにそれだ。死んだ子供が迷って出るのではないか。そんな想いを抱いたまま結界を築いたことで、この部屋は邪気の溜り場となってしまったのだ。つまり、それが怪異の原因だ」
「一体どういうことです?」
「怪異と亡くなった子供に、直接の関係は無いということだ。今回のことは、そなた達の気味が悪いという想いが、結界の中で醸成されて禍津霊――霊的な澱みを生じたに過ぎぬ」
「つまり私が余計な事をしたがために、こんな事態になったわけですか?」
亭主の言葉に八重は重々しく頷くと、
「良かれと思ってした事も、やり方を誤ればえてして悪しき結果を招くもの。気になるのであれば、初めから神職なりに頼んでおくべきだったな。まともな呪術者であれば、結界を張る前には必ず清めを行ったはずだ」
「いやはや、これは参りましたな」
苦笑いを浮かべながら禿頭をさする亭主だが、このやり取りで何か思うところがあったらしい。聴き取りを終えた八重が、お祓いをするにあたって要求した全ての事を――湯浴みの支度や清潔な着替え等だ――自らの持ち出しで取り揃えてくれた。おかげで源九朗もさっぱりできて全く言う事無しである。
一同は支度を整え、再び二階の部屋に集った。
手始めは盛り塩の撤去から。全てを部屋から取り払うと、窓の方からガタリと音がした。
もしやと思い源九朗が戸を引くと、
「お、開いた」
「さもありなん。結界が決壊したことで、風通しが良くなったのだ」
「ひょっとして……洒落たつもりか? 何だ、案外お前さんも嫌いじゃないんだな」
一瞬の沈黙の後、八重の顔が朱に染まる。
「い――今のは違うぞ。たまたま、たまたまだからな!」
あたふたと繰り出される弁解を流しつつ、源九朗は戸を全開にする。薄暗い部屋の中が光で満たされ、板間の寒々とした印象も随分と和らいだようだ。
「――まったく、そなたと一緒にするでない。私はみだりに言葉遊びなどせんのだ!」
未だぶつぶつとこぼしている八重だったが、
「ふむ……言葉遊び。それもまたありか」
と、呟くやしばし黙考し、
「先ほど、この怪異は室内の霊的な澱みに過ぎぬと言った。つまり、特に名のある怪異というわけではないのだが、私はあえてこれを〝奇々怪々〟と名付けようと思う……よいな?」
「はぁ?」「はぁ……」
曖昧な返事をする男共に、
「分かったか? 分かったな?」
八重は何度も念押しすると、文机に向かってさらさらと筆を走らせる。神札か護符でも作っているかのように思われたが、書き上がった物を見て源九郎は拍子抜けすることになる。
「何だこりゃ?」
「キキカイカイだ!」
えへんと胸を反らす八重。
つまり、これは命名札らしいのだが――実際そこに書いてあったのは〝嬉々快々〟なる文字なのだ。それも言っては何だが下手くそというかやたらと愛嬌のある書体で、男二人で顔を見合わせ苦笑してしまう。
「ふむ、出来は上々のようだな」
だが、八重は満更でもなさそうな様子で、
「さて、これより祓いに移るぞ。皆、頭を垂れて黙祷するように!」
言われた通りにしていると、ややあって大きく柏手を打つ音がした。
一つ、二つ。
大きく息をして、八重は神呪を唱え始める。
「トホー、カミー、エミー、タメー」
「カン、ゴン、シン、ソン、リ、コン、ダ、ケン」
「祓い給ひ 清め給ふ」
直後――ずんと突き上げるような衝撃に、一同の身体が跳ねた。家屋は小刻みに鳴動を続け、あちこちで物の落ちる音が響く。
「うろたえるでない」
宿中が慌てふためく中、八重だけは一人すまし顔だ。
「天津祓、国津祓、蒼生祓。すなわち三種の祓を用いたことで急激に場が清められた。これはその現れに過ぎぬ」
まさかそんなはずはあるまい。この程度の地震ならさほど珍しくも無い。偶然、お祓いの最中に起これば奇跡のようにも思えるが、平時であれば誰も気に留めないだろう。だが、ひょっとすると本当の奇跡かも。そんな思いを抱き始めていることは、源九郎も認めざるを得ない。亭主に至っては、今や八重を偉大な呪術者であるかのように仰ぎ見ている。
「さて――仕上げに入るとしよう」
八重は件の〝嬉々快々〟を源九朗に手渡すと壁に貼るよう指示。
「丑寅の方角、できるだけ高い所へな」
とのことで長押の上に糊付けしてやる。おそらくは鬼門封じとやらだろうが、
(こんな物が護符の代わりでいいのか?)
気になって確認すると、問題無いと断言される。
「むしろ下手な護符より効果はあるだろう。さきほども言ったが、そもそも怪異の原因はこの部屋を気味悪く思ったことなのだ。そんな所へ仮に〝悪霊退散〟などと書いた護符を貼ったとして――」
と、ここで八重は亭主を向き、
「――そなたはどう感じる?」
「それじゃあ、いかにも何かが出そうですね」
半笑いで答える亭主に、彼女は我が意を得たりといった様子で頷いた。
「さもありなん。いかに霊妙な護符とて気に障っては逆効果だ。その点、私の作った命名札なら気持ちも和むというものだ」
「それはいいとして、どうして命名札なんだ?」
源九郎の疑問に、八重は得意気に微笑んで、
「人は正体の分からないものを、必要以上に恐れるもの。それを防ぐには、ひとまず在り方を定めてしまえばよい。怪異を命名によって縛り、次いで同音異義に置き換える。言い換えれば『この部屋に泊まっても〝奇々怪々〟な事は起きず、むしろ〝嬉々快々〟になる』と、意識させることで清め――つまり気を良めることになるわけだ」
要するに、全ては気の持ちようということか。そういえば昨夜の会話でも、清めとは気を良めることと、聞かされていたことを思い出す。
「なるほど……疑心暗鬼を生ず、ってわけか」
何事も猜疑心を抱いていれば恐るべき鬼に見えるもの。その実、鬼がいるのは自分の心の内というわけだ。
「つまり、祓い清めるべきは部屋じゃ無く、あくまで怪異を感じる側なんだろう?」
亭主が階下へと戻ってから、改めて八重に確認してみた。今更、蒸し返す必要も無いのだが、何となく暗に指摘したくなったのだ。それは所詮、詐術の一種ではないか、と。
「ま、そういうことだな」
返事は気の抜けたものだった。
「そなたの推測は概ね正しい。正しいが、もしも怪異を単なる錯覚と思っているなら、それは誤りだ」
彼女は窓辺に張りついたまま通りの様子を眺めるのに没頭中、源九朗を見向きもしない。
「じゃあ、本当に亡霊がいたというのか?」
そう言われて、ようやく億劫そうに振り向くと、
「だから……澱みだというのに」
丹念に裾を整え正座になると、こんな事を言い出した。
「もっとも、あのまま子供の亡霊だと信じていれば、本当に子供の魂を呪縛したかも知れぬ」
「へえ、そいつはどうして?」
「信じるということは想いを定めること、すなわち呪縛の念に他ならぬからだ」
瞑目し俯きながら、八重は説法師がごとくに語る。
「そもそも呪術というものは、結び、縛り、括ること。ちなみに、神ながらの道の根幹に〝ムスヒ〟という概念があるのを知っているか?」
もちろん源九朗が知るよしも無く、ゆっくりと首を左右に振ると、
「ムスヒは霊を産むと書く。つまりは万物の生成発展を促す働きのことだ。そしてこの〝産霊〟は〝結び〟に通じる。ほれ、『実を結ぶ』という言い回しがあろう? ゆえに夫婦が結べは子を成し、木々を結べば家が建ち、家と家が結べば村となる」
「要するに縁起のことか?」
源九郎が口を挟むと、彼女はあっさり同意した。
「そうとも言う」
縁起とは因縁生起を略したもので、この世のあらゆる事象は〝因〟と〝縁〟――すなわち『主たる原因』と『間接的な原因ないし条件』――の関わり合いによって生滅変化するという、仏教の中核思想である。これは例えるなら、作物という結果を得るには種のみならず土や水や手入れも必要、ということだ。
「森羅万象は因縁相互の結び付きによって定まるもの。たとえ良因といえども悪縁を結べば悪果となるのだ。子供の亡霊などという悪縁を結べば、悪しき結果を招くは道理であるな」
いまひとつ要領を得ないので、源九朗は会話の内容を整理してみた。
「信じることは呪いに等しく、そして呪いとは結び付ける力だ。森羅万象が結び付きによって生成される以上、信心次第で現実を想うがままに導くこともできる。お前さんが言いたいのはこういうことか?」
「うむ……当たらずも遠からずといったところか」
と八重は小首を傾げて、
「特に想うがままに導くなどというのは言い過ぎだ。確かに呪術によって因縁を結ぶことはできるが、因果を直接結べるわけではないのだぞ」
つまり、できることは願望が叶う確立を高める程度、ということか。
結論を得て源九朗は鼻で笑いそうになる。
それではまったくもって検証不能、いかにも詐欺師好みの言い訳ではないか。
とはいえ、源九郎は呪術そのものに否定的なわけではない。嘘も方便、信じる事で救われる人がいるなら、それはそれでいいだろう。八重が亭主を〝気良め〟たことだって、素直によくやったと言っていい。惜しむらくは彼女自身が嘘に縛られていることだ。自らの身を顧みず任務を果たそうとするほどの信仰心は、決して己の為になるまい。
そんなことを考えていると、亭主から食事の差し入れがあった。御祓いの直会に、とのことなのでありがたくいただくことにする。
「うむ、実においしいな。これぞまさしく善因善果だ」
「〝おむすび〟だけにな」
「ふふん――その通り」
八重は喜色満面。食前の祈りもそこそこに、おむすびを平らげるのだった。




