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兄妹

 大和源九郎を名乗る青年は、かつて山深い寒村の少年だった。

 伝承によれば村の起こりは、古の昔にさる名家の落人おちうどが隠れ住んだことに始まるというが、その真偽はさておき、昔から外部との交流が稀であったことは確からしい。

 そうした環境下で血が濃さを増したゆえか――いつしか村人の間には奇怪な眼の病が生じていた。当初は克服も試みられ、発症者の排除や新たな血の受け入れを積極的に進めたという。だが、そうして生まれた新たな世代もまた病を逃れることはなかった。

 やがて巷には、こんな噂が広まった。

 あれは忌まわしき〝朽ち目〟の呪い。連中に関わった者は、ことごとくが呪いを受ける。奴らがそばに居てはならない。どこかに追いやってしまうべきだ――

 迫害に晒された村人は、更に山奥へと引き籠もった。

 待っていたのは過酷な暮らしと、いよいよ村中に蔓延した病。だがその苦境を結束によって乗り越えると、後は住めば都である。貧しいことに変わりはないが、そこには穏やかな営みがあった。時代が変わり乱世ともなると、僻地ゆえの戦禍と無縁な暮らしは、世間一般と比べても幸福なものであっただろう。

 だが、それも今から八年前までのこと。

 すべては唐突に終焉を迎えた。

 大軍の襲来によって村は焦土と化したのだ。住民は老若男女を問わずなで斬りとされ、かろうじて生き伸びることができたのは、当時十歳の少年とその妹だけだった。

 世間知らずの子供二人で、どうやって生きてゆけばよいのか。少年は途方に暮れたが、妹の前では努めて気丈に振舞った。妹に比べれば、自分の苦しみなど何ほどのものでもない。

 妹――アヤコは生まれついての全盲だった。その上、視力に頼らず周囲を知覚できる能力も、身に付いてはいなかった。皮肉なものである。兄はまだ目の見えるうちから反響音の判別すら可能であったのに、全盲の妹にその才がなかったのだから。

 それゆえ、少年はこんな誓いを立てたのだ。

 自分がこの子の盾となろう。何があっても、アヤコだけは守り抜いてみせるのだ。それがきっと、自分に与えられた使命なのだから。

 

 寄る辺のない兄妹は、物乞いをして流れ歩いた。

 やがて食うや食わずの日々の果て、少年は盗みを働くようになる。

 スリ、置き引き、かっぱらい。いずれの手口もそつなくこなした。幼少より仕込まれてきた鋭敏な感覚は、こんなところで役立ったのだ。

「わるいことしたらだめだよ! いつか、きっとばちがあたるよ!」

 それを妹に知られた際は、いたく咎められたものだ。

 この状況で何を悠長な事を、と思うのが普通だろうが、これは二人にとって重要な問題だった。兄妹は悪事に対して強い嫌悪感を持っていたからだ。厳密には犯罪行為そのものではなく、罪業を負うことへの恐れかもしれない。

 その理由は掟を何よりも重視した故郷の習俗にある。

 ――掟は託宣によってもたらされしもの。よって掟破りを罰するは神意なり。

 かの地において掟は単なる遵守規則ではなく、一種の信仰と呼ぶべきものであった。それは共同体の構成員に、厳格な規範意識を刷り込む為の措置であったのだろう。

 だが、その論理的帰結として、一族が業病に苦しむ理由も、かつて祖先が犯した罪の報いとされたのだ。二人が悪事に対して格別の恐怖を持つに至るのも、当然の成り行きであった。

「アヤコ。罰なんて当たらないよ」少年は妹の頭を撫でつつ囁いた。

「お前は何も悪くない。だから……大丈夫さ」

 だが、妹はかたくなに首を左右に振るばかり。

 無理もないことだ。何しろ彼女は生まれ付いての盲目。つまり先祖の罪の報いとやらを、最も重い形で背負わされてきたということである。そこに加えて、身内が大罪を犯したとなれば、どんな報いがあったものか気が気ではあるまい。

「ごめんなアヤコ。でも当分は我慢してくれ」

「とうぶんって、いつまで?」

「せめて、もっと落ち付くまでは」

「……あにさん。アヤコ、むらにかえりたい」

「ああ。そうだな」

 帰りたい。帰れるものなら、平和だったあの頃へ。

 それが叶わぬまでも、せめて同じような暮らしに戻ることはできないものか。

 だが、一体どうやって?

 

 何らの展望もないまま時は流れ――転機は突然に訪れる。

 冬の到来が間近となり、世間の風当たりも一層冷たさを増した時期のこと。

 その日もいつものように兄妹は町中で物乞いをしていた。早朝から夕刻まで、施しを求めて各所を回るも誰からも相手にされず、今夜も空きっ腹を水でごまかして眠らねばならないか、と少年が思い始めた頃、目の前を羽振りよさげな身なりの男が通りがかったのだ。

 もちろん、少年は獲物から首尾良く財布をスリ取った。これで久々に腹いっぱい食べさせてやれるぞと、少年が浮足立ったのも束の間のこと。男に尾けられていたのだ。

「おい、どう落とし前をつけるつもりだ? ガキとはいえ、俺の金に手を出した以上は指の一本……いや、腕の一本は置いていってもらうぞ」

 少年が青ざめるのを見ると、男は口の端を吊り上げた。

「おいおい――そう怯えるな。お前の心がけ次第では、助けてやらんこともないんだ」

 実はこの男、名うての盗賊団の頭領であった。自分から財布をすり取った少年に才を感じ、一味に加えたいのだという。

 少年は困惑した。已むを得ず盗みを働いてはいたが、そこまで道を踏み外す気はないのだ。

 だが、男は脅しと甘言を巧みに使い分け、着実に少年を追い詰めた。

「いいか、よくよく考えてもみろ。このまま宿無しの身で冬が越せるか? 俺の仲間になりさえすれば、妹だって苦労せずにすむんだぞ?」

 結局、この言葉が決め手となって、少年は男の一味に加わることになる。

 それからは毎日が盗みの訓練である。それもほとんどは実地であり、恐怖と罪悪感に押し潰されそうになる日々が続く。

 それが頂点に達したのは、入団から半年も経たぬ頃。

 とある屋敷で家人に見付かり、一味は口封じの殺戮を行ったのだ。少年は傍観していただけだが、あまりの事にその日は仕事にならず、頭領はそんな彼を容赦なく打ちすえ罵った。

「いいか、あんなのは単なる作業だ。いちいち深く考えるな。無心でおれるようになってもらわにゃ困るぞ。いずれはお前にも、お鉢が回ってくるんだからな」

 翌日、少年は妹の下へ赴いた。盗賊団に加わって以来、妹は山寺の預かりとなっていた。そうしておけば、万一捕まった際に累が及ばないからだ。

 寺での暮らしは良好のようだった。朝夕の食事が保証され、温かな寝床につけるのはもちろん、周囲の人々も盲目の少女を憐れんで、なにかと気にかけてくれていたらしい。

 とはいえ、その全てが純然たる善意によるものというわけではない。

 しょせん他人からすれば、妹は下働きすらままならぬ盲目の子供。厄介者でしかないのだ。この好待遇も少年が相応の対価を支払っていればこそである。

 ちなみに金の出所については、商家に奉公して稼いでいることになっていた。丁稚に給金など出るわけもないが、さすがに本当の事を告げるわけにもいかなかった。

「あにさん? おかえりなさい!」

 妹の笑顔を見ると、少年は全てが報われた気がした。その思いを噛み締める間も無く、飛びついて来る小さな身体に尻餅をつかされてしまう。

「ただいま……また、少し重くなったな?」

「ふふっ。あにさんは、ずいぶんたくましくなったね?」

 彼女にそれが分かるのは、少年の体中をぺたぺたと撫で回しているからだ。それも兄の身体の上に馬乗りのままである。何ともはしたない行為だが、彼女には直に触れて確かめることが重要なのだ。だが、この日に限っては止めておくべきだっただろう。

「あにさん、あにさん、だいじょうぶか? おっきなたんこぶができているぞ――」

 怪我を知られてしまったのは失敗だった。早く治るようにと、おまじないやらを披露してくれたことは嬉しいが、泣かれてしまっては意味がない。

 アヤコには余計な心配をかけたくない。いつも、いつまでも、笑顔でいて欲しいのだ。

 今後はもっと用心深くしなければなるまい。特に悪事との関わりは、絶対に知られるわけにはいかないのだから。

 

 それから四年余りが経過して――少年が十五歳、すなわち元服を迎えた日のことである。

 頭領は少年に一振りの刀を与えて言った。

「これからはお前にも、大人の仕事をしてもらおう」

 それは忍び働きのことだった。

 元々、この盗賊団の構成員は忍びばかりであったらしい。それも多くは天下に悪名高き伊賀の忍びであるという。伊賀の忍び衆といえば、かつては一国を支配する程の勢力を誇った忍びの中の忍びであるが、この頃は亡国の憂き目に遭い諸国へ散った者が多かった。

 頭領が率いていたのは、そうした残党の一派だったのだ。

「――確かに俺達は帰る土地を失った。だが臥薪嘗胆がしんしょうたん。いつまでもこのままでいるつもりはない。長き雌伏の時を経て、いよいよ失地回復に乗り出す時が来た。ようやく雇い主が見つかったのだ。それも大名家よ。働き次第ではお抱えの目もあるという話だぞ」

 それは少年の内奥に甘美に響く言葉だった。

 大名家のお抱えとは士分、つまり土地持ちになれるということだ。

 実現すれば兄妹共に暮らせる家が手に入るかもしれない。ましてや大功を挙げ村の一つも手に入れば、一族の再興も叶おう。

 少年の決意は固まった。

 自らを駆り立てるように、彼は様々な任務に従事した。時として人を殺めねばならぬこともあったが――もはや迷うことはない。

 どうにかして安住の地を手に入れ、妹と共に穏やかに暮らしたい。

 ただその一念の下に、あらゆる感情が押し殺せた。思えば罪だの報いだの、何と下らぬ迷信だろう。そんなことに煩わされて、幸福への道を閉ざすことはないのだ。

 任務に忙殺される日々が続き、妹とはめっきり会わなくなった。

「次はいつ会えるの?」

 ある別れの朝。彼女は哀しそうに訴えたものだ。

「もう待つのは嫌。迷惑はかけないから、私もあにさんと一緒に暮らしたい」

「それは無理だな。行商で各地を転々としてるから、決まった住み家も無いし」

「なら一緒に行く! 私も大きくなったし、これからは一緒に商いすればいい」

「駄目だ。道中は危険なんだぞ。とてもじゃないが、お前を連れてなんて行けないよ」

「そんなことない!」

 二人の間に溝が生じ始めたのは、この頃だろう。

 妹は現状に不満らしく、会う度に色々な提案をしては兄を困らせた。その気持ちは少年にも分からなくはなかったが、今は将来を見据えて耐え忍ぶ時なのだ。

 聞き分けるように諭し、新たな任務へと赴くのみ。

 やがて訪れる幸福な未来だけを、少年は信じていた。

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