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対話の始まり

ミヤとレイは装置の招きに応えた直後、装置の内側にいた。


物理的にはまだ潜航艇の中にいる。距離五十メートルの位置取りは変わらない。しかしミヤの観るとレイの聴くは装置の格子の内側に展開する別の空間に開かれている。空間と呼ぶのが正しいかわからない。観る対象が広がる場所と聴く対象が並ぶ場所が同時に開かれている。物理的距離ではなく認識の深度で測られる場所だ。


ミヤは観る。


装置の内側には層がある。五つの層が薄い半透明の膜のように装置の中心を取り囲んでいる。一番外側の層が最も新しい。中心に近い層が最も古い。五つの層はそれぞれ、過去の五代の継承者の最終地点に対応している。シナとカゲの第四小反復、フユとその対の第三小反復、それより前の二代がそれぞれ別の層を占めている。それぞれの層に対の意識の残響が薄く残っている。


「五人いる」


レイが小さく言う。


レイは目を閉じたまま、装置の内側を聴いている。


「対は二人で一つだから、合わせて十人の残響だ。しかし五人のように一塊で聴こえる。装置の中で、対は一つの存在として扱われている」


ミヤは頷く。装置の機構は対を一単位として記録している。観る者と聴く者の同期した存在のみを装置は残している。観る者だけでも聴く者だけでも装置の内側には残らない。対の同期した瞬間だけが装置に意味として保存される。だから過去の世代でも対が揃わなかった試みは装置の内側に残響を持たない。記録されたのは五代だけだ。それより前にも観測する女や聴く男は存在したはずだが対として同期しなかった者たちは装置の前に到達しないまま世代の流れに溶けて消えた。


---


最外層の膜がゆっくりと開く。


シナの姿がミヤの観るの中に浮かぶ。漂泊団系の若い女性で長い黒髪を後ろで束ねている。表情には穏やかさがある。シナはミヤに向かって何かを伝えようとしている。


「あなたは私の続きだ」


シナの声がミヤの内側に直接届く。音ではない。意味と感情が一体になった何かだ。


ミヤは応える。「私はミヤ。あなたの四十年後の世代だ」


シナは小さく頷く。「父があなたを育てた。私はあなたの父を、四十年前の海星座号事故の前に一度だけ見ている。父は私を追っていた。私の痕跡を辿って、装置の影響圏に知らずに入った。その結果があの事故だ」


ミヤは息を呑む。父がシナの痕跡を追っていたことはカグラから聞いている。しかし父が直接シナの近くまで来ていたとは知らなかった。十年前のあの事故で家族を失った日にシナの何かが既に父に届いていた。それが今、ミヤに繋がる長い縦軸を作っている。


「あなたは父の続きでもある」


シナは続ける。


「父は記録することが目的だった。あなたは対話することが目的だ。記録は対話の前提になる。父があなたに残した観測ノートが、あなたを今ここに連れてきた。父の四十年前と、私の四十年前があなたの今に重なっている」


ミヤは応える。「あなたは何を伝えたいのか」


「希望を」


シナは答える。


「希望は結果ではない。希望は、試みを繋ぐ姿勢のことだ。私もカゲも装置に呑まれて、結果としては失敗した。しかし試みを繋ぐ姿勢をあなたたちに渡せた。それが私の希望だ」


ミヤは黙ってシナを観る。シナの言葉がミヤの内側で広がっていく。希望の定義が変わる。ミヤは長い間、希望を結果として捉えてきた。装置との対話に成功すれば希望と呼び、失敗すれば絶望と呼ぶ。その二分法でしか考えていない。しかしシナは違う定義を渡している。試みを繋ぐこと自体が希望だ。結果に関係なく、次の世代に試みを渡せたなら、その時点で希望は実現している。


シナの言葉の重みがミヤの内側に静かに沈む。父も同じ姿勢で観測ノートを残した。父にとっても希望は結果ではない。記録を残すこと自体が父の希望だった。今、その希望がミヤに引き継がれている。


---


カゲの姿がレイの聴くの中に浮かぶ。


レイの口元がわずかに動く。レイはミヤに向けてではなく、装置の内側のカゲに向けて応えている。


「カゲ。あなたを聴いた」


レイは小さく言う。


「七年前の冬、シエラ・ディープ廃区画B-3であなたの最期の感情を聴いた。『もう一度…』の続きを、あなたは言わずに消えた。その続きを私は装置を通じて受け取った」


カゲの声がレイの聴くの中に展開する。「もう一度、対話を、試みる。それが続きだ」


レイは頷く。「次は、できる」「私たちがその『次』だ」


「次は、できる」


カゲは応える。それは冬のシリンの来訪の時に告げられた言葉と同じ響きを持つ。継承者たちの間で繰り返されてきた約束の言葉だ。


ミヤは観る。シナとカゲがミヤとレイの対と並んで装置の内側に立っている。四十年の時間差が装置の内側では消えている。


---


二番目の層が開く。


フユの聴く男が現れる。名前は禁忌だ。誰も口にできない名前を背負ったまま、彼は装置の内側に残っている。


「フユは生きている」


聴く男は言う。レイに向かって。


「七十年前私は装置に呑まれた。フユだけが部分阻止に成功している。彼女は私の名前を守った。私の名前が語られないことが彼女の選択だった。今フユは九十二歳でまだ世界に残っている。彼女の最後の任務はあなたたちを支えることだ」


レイは頷く。「フユからは多くを学んだ」


「彼女に伝えてくれ」


聴く男は言う。


「『私は、ここで待っている』と。彼女が来る時まで私は装置の内側で待ち続ける」


三番目の層が開く。第二小反復の二人が現れる。約百年前の対だ。名前は伝わっていない。彼らは並んでミヤとレイに向かって頷く。


「私たちも希望を渡す」


二人の声が同時に届く。


「装置に呑まれることは、終わりではない。装置の内側に層として残ることが次への準備になる。あなたたちが対話に成功すれば、私たちも層から外側に出られる」


四番目の層が開く。第一小反復の二人だ。約百二十年前の対になる。装置に呑まれた最初の対の継承者たちだ。彼らは最も古い層にいる。


「私たちが最初だった」


二人の声がより遠い響きで届く。


「私たちは対話の方法を、知らずに装置に来た。装置が私たちを呑み込んだ。しかし呑み込まれたことで私たちは装置の機構の一部になった。装置がハヤの設計通りに機能するための、最初の素材になった。あなたたちが対話する道は私たちの呑み込みの上に立っている」


---


ミヤは観る。レイは聴く。


五代の継承者全員が装置の内側で並んでいる。全員がミヤとレイの対を見つめている。観るでも聴くでもない別の何かでミヤとレイを受け止めている。


ミヤは五人の姿を順に観ていく。シナの穏やかな目が最初に視界に入る。カゲのまだ若い顔がその隣に並ぶ。フユの聴く男の落ち着いた表情が次の層から覗いている。第二小反復の二人の年若さが奥に見え、第一小反復の二人の遠さが最も古い層から微かに伝わってくる。それぞれが別の時代から装置の内側にやって来てそのまま留まり続けてきた者たちだ。時代も背景も違うが彼らは一つの系譜を作っている。観測する女と聴く男の対の系譜が、ここに完全な形で並んでいる。


ミヤは自分の対であるレイの方を観る。レイの姿が継承者たちの並びの中に自然に重なっている。ミヤとレイはこの並びの最も外側の層を形成している。次にまだ誰も座らない第六の層があり得るかどうかは、これからのミヤとレイの試みの結果次第だ。第六の層が生まれるなら継承の道は続く。生まれないならミヤとレイの世代でこの並びは終わる。


シナが五人を代表して、最後の言葉を告げる。


「お前たちは、最後の、希望だ」


シナの声が装置の内側全体に響く。他の四人の声もシナの声と重なる。五代の継承者の集合した声としてミヤとレイに届く。


ミヤは目を閉じる。観るための目を閉じても装置の内側の光景は内側に残っている。シナとカゲがいてフユの聴く男がいて、第二小反復の二人と第一小反復の二人も並んでいる。十人の継承者たちが装置の内側でミヤとレイに最後の祝福を渡している。


「最後の」という言葉の重さがミヤの内側に沈む。最後とは終わりではない。これ以上ないという意味だ。継承者の系譜がこれ以上は続かない。第二大反復の脅威が現実になれば、世界の人口の大半が失われ、次の継承者の世代は生まれない。ミヤとレイが対話に失敗すれば、装置の前にもう誰も来ない。


それゆえに、最後の、希望だ。


ミヤは観るを通じて、五代の継承者たちに小さく頷き返す。受け取りました、と。彼らの試みの上に立っている、と。その肯定の応答が装置の内側全体に薄く広がる。継承者たちの姿が一段階明るくなる。彼らはミヤとレイの応答を受け取った。試みは正しく繋がれた。あとは結果を待つ番だ。結果は第六の道の本編で生まれる。


レイがミヤの隣で頷く。レイも同じ言葉を受け取っている。


ミヤとレイは五代の継承者の集合した祝福を背負って、装置の中心に向かってもう一歩、観るを深めていく。

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