6 ヒロイン
学生街は王都の縮小版だ。馬車で30分行けば王都には戻れるが、基本的に学院の生徒はこの学生街で用をすませる。あらゆる店があり、入学式が終わった学生達が楽しそうに散策していた。
「ここね」
「あの……」
そこは王立学園の学用品専門の店だった。全てのものはここで揃う。学院の購買で買うよりも品ぞろえがいい。もう入学式も終わったので、混み合うこともなく、店内には私とヒロインだけだ。
「本日はいかがいたしましょう」
感じの良い店員がすぐに対応してくれた。
「この子の制服をお願い。出来るだけ早く頼むわね。割り増ししてもかまわないから」
「承知しました」
「請求はガルシア公爵家へ」
その名前を聞いて店員の態度が急に変わった。
「は! 大至急ご用意いたします!」
明らかに顔に恐怖の表情が浮かんでいる。あの黒い噂を信じているタイプの人だったらしい。
「あの! こんなことしていただくわけにはいきません!」
「いいのです。私の無礼のお詫びだと思ってくださいませ」
もう仕事は終わってる。攻略キャラクターはこのヒロインを認識していたし、私に反感を持っただろう。後は好きにしてOKと出資者から言われているし、罪悪感を減らさせてもらおう。出資者の金で。
「いえそんな……ガルシア様は私の事を考えて注意してくださっただけではないですか……」
(ん?)
あれ? なんかすごいポジティブに捉えられてしまっているぞ。
「いいえ、私は意地悪で言ったのですよ?」
だってそういう約束で金を出してもらったし。
「でも今こうやって制服を用意してくださってるではないですか!」
その後、後日必ず代金を支払うと仕切りに言うので、
「私に恥をかかせないでちょうだい!」
と、人生で言ってみたかった台詞の中の1つを発することになってしまった。
「な、なんてお優しい……!」
こうやって何を言ってもいいように捉えるのは、ヒロインへの矯正力なのではないかと疑ってしまうくらいだった。もっと他人を疑って?
制服が出来るのを待っている間、私達は別室でお茶をいただいていた。ガルシア公爵家の名前は伊達ではないようで、数日は待つつもりがすぐにできると言うので、ヒロインの情報を引き出すことにしたのだ。これ以上関わるつもりはないが、何があるかはわからない。情報は力になる。
「そういえば、お名前を伺っても?」
「アイリス……アイリス・ルクペンシアと申します」
姉は自分の名前でゲームをしていたから本当のところはわからないが、アイリスというのがこのゲームのデフォルトネームだったのかもしれない。
「アイリス様、何故制服代が足りなかったのでしょう? 奨学生は十分な準備金を用意されているはずです」
これは私も兄から学園へ行けないことを聞かされた後、自分で調べたから確かなはずだ。それなりの額にはなるので、いったい何をどうしたら足りなくなったのだろう。
「じ、実は……恋人の母親が病気になってしまったらしくって……薬代の足しにしてもらったのです」
ガシャン! と音を立てて私が持っていたカップが割れた。
「大変! ガルシア様大丈夫ですか!?」
(な!? ななななななな!? なんだって!?)
「あ……貴女恋人がいらっしゃるの?」
ポタポタとお茶が滴っていることなど忘れ、冷静を装いながら尋ねる。
「はい……1年くらい前に村にやって来た冒険者なんですが……」
少し頬を赤らめながら恋人のことを話し、何の文句も言わずに私の制服の濡れた部分を自分のハンカチでぬぐってくれる。
(情報を追加したらダメだ。頭が混乱し始めた……)
ちょうど音に気が付いた店主がやってきて、慌てて割れたカップを片付け、新しいお茶を用意してくれた。放心状態の私に変わり、アイリスがペコペコと頭を下げていたのが目に映る。
(矯正力どこ行った矯正力!?)
ヒロインに恋人がいても関係ないのか? 悪役令嬢は絶対だったのに?
(でもこれじゃあヒロインが攻略キャラを攻略しにいかないんじゃ?)
だって彼女は幸せそうだ。例の恋人のことをペラペラと話してくれる。
「彼、少し前まで有名な冒険者だったらしいんですけど、怪我をして本気を出せなくなってしまったんです。だから今は冒険者をお休みしてて……」
「それで大切な支度金を渡してしまったの?」
「……はい。けど彼が涙を流しながら感謝してくれて。必ず返すって約束してくれたから大丈夫です!」
どうやらその彼の言葉を信じ切っているようだ。でもたぶんそのお金、返ってこないよ!
「……その方のお母様はどちらにいらっしゃるの?」
「お金を持ってフォーリアという街に行っていたのでそこだと思います!」
フォーリアと言えば、賭博場と娼館で有名な街だ。
(これどうしたらいいの……? どうにかした方がいいの……? 放っておいても大丈夫かしら……)
いや、私には関係ない話だ。これ以上、ゲームのキャラクター達に近づかない方がいい。どう考えても雲行きが怪しい。今日制服が出来上がったらお終いにしよう。
「あの……こんなことガルシア様にお尋ねしてはダメだってわかってるんですが……」
「なにかしら?」
もうこれ以上関わらないと決めたら気が楽だ。美味しいお茶をいただきながら、ヒロインとの最後の会話を楽しもうとしよう。
「私娼館で働きたくって」
ブーッ! と漫画のようにお茶を吹き出してしまった。公爵令嬢としてあるまじき失態だ。
「……なぜかしら?」
お茶を吐き出したことなどなかったかのようにすまして尋ね返す。だがカップを持つ手はブルブルと震えてしまっていた。
「彼、今怪我で働けなくて……だから私が代わりに働かないと彼のお母さんの薬が買えないし。でも学園もあるし、娼館なら短時間で沢山お金がもらえると彼が……」
「か、彼が娼館で働くよう言ったのですか!?」
(思った以上のクズだ! クズがいるぞ!)
「貴女、娼館がどんなところかご存知なの……?」
ヒロインの純粋さ故に、娼館の定義を間違えてるとか、そういうオチであってほしいと真剣に願ってしまう。
「男女がいかがわしいことをする店だとは知っています……」
やっぱ知っていたか……それでもいいという覚悟がいったいどこからくるんだろう。
「その……恋人が普通他の人とそういうことをやるのは嫌なのではなくて?」
やばい。私としたことが、予想外の事が続いて声まで震え始めてしまった。
「愛があれば平気だって!」
「ですが私は、そのようなこと他人に頼むべきことではないかと思いますが……彼が自分で解決すべき問題ですよ」
諭すように伝えてみる。すると必死の形相になって反論してきた。
「彼には私しかいないんです!」
そう言った後、我に返ったように急にボリュームダウンした。
「公爵家のお噂を聞いていたので、もしかしたら口利きをしていただけるかと……申し訳ございませんでした……」
(放っといたらダメなやつだよなぁぁぁ……)
私は心の中で思いっきり頭を抱えたのだった。