糜爛の呪い 〈過去編 その7〉
「ヨーン!」
シェイネは悲鳴を上げた。
何のつもりか、ヨーンが立ちはだかる兵士に飛びかかってしまったのだった。
「なんだ、この、猫はっ!」
「黒猫!呪いの猫!そいつも化物だっ!」
シェイネはうろたえた。
「待って!待って!その子は違うわ、普通の猫よ!お願いやめて!魔女は私!その子は違うわっ!!」
シェイネは腕を上げる。片手をかざし、ヨーンを助けようと···。
「は、ぁ、うっ!!!」
その時、遠く離れた地で、シェイネの窮地を知ったスタイレーンの全身全霊の魔術が、シェイネを襲う。
その熱い奔流は、一瞬のうちにシェイネを絡め取り、優しく強く締め上げて、がっちりと包み込んでしまった。
指一本すら動かせないシェイネ。
「ジャ···ン···。あぁ、なんて、こと···ヨーン···!!」
大きく目を見開くシェイネの目の前で、ヨーンのしなやかな体は八つに引き裂かれた。
「いやぁぁぁぁぁ!!!」
シェイネの体を、濃い紫の煙が覆う。
人々は恐れおののき、近づくことすらできないでいた。
やがて煙は急速に集束し、一気にあたりに飛び散った。
ものすごい風が巻き起こり、一瞬のうちにシェイネの家を囲んでいた炎は消え去る。
そこから現れたのは、確かにシェイネであった。
顔も形も変わらないはずだった。
しかし街の人々は息を呑む。
「目が···」
赤みがかった茶色い目、優しげに細められていたその瞳が、今はギラギラと真っ赤に光り輝いている。
可愛らしく染まっていた唇は紫に染まり、不敵な笑みを浮かべていた。
長く伸びた爪をきらめかせ、シェイネはその手を一人の兵士に触れさせる。
それはヨーンに剣を突きつけた男。
「ぎゃあああああああ!!!」
甲冑の隙間から、紫の湯気のような煙が上がった。
兵士は慌てて鎧を脱ぎ捨てて、痛みに喘ぎ地を転げ回った。
その皮膚は焼けただれ、赤茶色く血に濡れていた。
す、と、音が消えたその場で、シェイネだけが動く。
もう一人、ヨーンを切り裂いた兵士に、シェイネは手をかざす。
ボンっ、と、その兵士の甲冑の隙間から煙が上がる。
「は、わ、う、う···」
兵士はそのまま後ろに倒れ、動かなくなった。
後ずさりする兵士、甲冑でほとんど固定されているだろうその手が、大きく震えている。
俺も···猫を切り裂いた···でも、見えてなかったかも···。
そう思う兵士を、ギンっ!!とシェイネが睨む。
赤い光が兵士を襲う。
その途端、兵士の四肢が、てんでバラバラにはじけ飛んだ。
「ぎゃっ!!」
四本とも骨が折れ、ひどいところはその皮膚を骨が突き破るほどだった。
なすすべなく、地面に崩れ落ちる兵士。その甲冑のガラガラという音が響くのを合図に、人々は一斉に走り出した。
「う、わあああぁぁああああ!!!!」
剣や斧、鍋やおたまなどがばらばらと落ちたシェイネの庭。
シェイネはただ一点を見つめていた。
そこには黒い塊が。
「ヨーン」
ポト、と雫が落ちる。
ワタクシが浅ましいばかりに
貴方までもがこんな目に
賢く優しい子であった。
雨に濡れて震えていたあの日
見つけたのがワタクシでなければ
今もまだ、生きていただろうに
いけないのはワタクシ
触れれば灼ける、そうわかっていて
触れたのは罪
シェイネは大きく息を吸い、隠し持つ黒魔術を放出した。
この街のほとんどの名を手にしている。
『ワタクシはシェイネ。最高にして最大の、苛酷にして絶大の、大魔女シェイネ。その肌に触れればたちまち焼けただれる。その痛みはそこの兵士に聞けば良い、それでもわからねば触れに来れば良い。近づくもの、皆に、死が訪れるであろう』
呪いを振りまき、恐怖を伝播する。
これ以上ないほどに、これ以外ないほどに、
もう二度と、近寄ろうと思わないほどに、
ワタクシが···。
イザボー···っ!!
「···っ!」
シェイネは苦しそうに、眉を寄せた。
固く目を瞑る。
眉が下がる。両手が、慈しむように空を抱く。
そしてギン、と目を開けた。赤が迸る。
『ジャン=スタイレーン そなたの記憶から私を取り除く。私との関係を弾き出す。そなたに呪いをかけよう、もう二度と、その魔力はワタクシには向かわない。そなたに他者は縛れないであろう』
ギャン!と強く赤が光ると、そこにはもう、何もなかった。
その日、その街の全ての人が、思い知った。
魔女の恐ろしさを。
魔女シェイネに近寄ってはならない。
触れれば必ず厄災が起こる。
つい昨日まで、その傷を癒やし微笑みを向けられていた者でさえ、その恐ろしさは身に染み込み、癒やしは忘れ、恐ろしさのみが
記憶に残った。
これにて、イザボー率いる過去編は終わりです。
次回はミイナのいる現代へ戻ります。
12月29日公開予定です




