41.湖底の召喚
森に着くまで馬を駆る移動は、会話ができる速度ではなかった。
小雨の中、計五頭での移動。
集落で二頭の馬を借り、一頭にはフェリクスが、もう一頭にはゼスが騎乗した。
アルはブレイドにまたがる。
アルも乗馬はガスパルに仕込まれているが、慣れたブレイドに乗ったほうが安全だろうと、フェリクスが勧めた。アルにもちろん異論はない。
カルナは自らの愛馬を巧みに操っていた。
族長ヴァルクは森の入り口で馬の速度を落とし、アルの隣を確保しつつ、満面の笑みを浮かべている。
案内役として先頭を進む男が、自分の隣にアルを誘導した。
存外幅広い森の道は、馬二頭が並んでも余裕があった。
ヴァルクは、実に裏表のない男だった。
敵意があれば睨み、好意があれば笑顔であれこれ話しかけてくる。
「殿下。疲れてないカ?」
「大丈夫です」
「無理は禁物だが、無意味な我慢をしそうな雰囲気はナイ、と」
族長の正直な感想に吹き出したのは、アルの斜め後ろの位置に付いたフェリクスだ。
「そこは保証する」
「そこはもっと違うことを請け合ってほしいかなあ」
「おれの保証は裏付けがあってのことだぞ」
思わず反論すると、さらに幼馴染から自信ありげなお墨付きを得ることになった。
さらに参戦してきたのは最後尾に位置したゼスだ。
「なーんか、ルガが言ってたなー。
『自分の限界を自分で決めるな。だが、限界を知らずして無茶をするのは愚かだ。周囲をも傷つける。己のみが傷を負う前者のほうが、まだ良い。
本当に賢い者は、限界を知り、なお一歩を量りて踏み出す者だ』
ってね」
雨に濡れた前髪の隙間から、糸のように細い目が楽しげに細まる。
「おばばもルガも説教好きだよなー」と軽い口調でぼやくが、そこには親しみの響きがある。
アルはなんだかんだと、次期族長の言葉を一言一句思い出せるゼスに微笑ましい感情を覚えた。
あの世話焼きの大男は、周囲から浮きがちなゼスを何かと構っていたのだろう。
「本当に賢いのかは分からないけど、まだ良いんだったら、いいか」
妙な納得をするアルに、ヴァルクが愉快そうに喉を鳴らした。
「ははっ、森に入っても賑やかだ。悪くナイ」
「この子のこだわりの無さは心配になるくらいだな」
「それは昔からずっとだな」
カルナが呆れたように言うと、フェリクスが後をつないだ。
フェリクスはそう言うが、何かにこだわりを持てるような余裕はなかったし、それは同じ環境で過ごしたフェリクスも同様だ。
それでも、シスターレイナやガスパルによってもたらされた環境は優しかった。
できる限りの手を差し伸べてくれた二人には、感謝しかない。
王都から北へ向かう道中の荒んだ様子を見るにつけ、恵まれた環境だったのだと痛感した。
ふと、首筋に違和感を感じた。
アルは、無意識に背筋を伸ばした。
風が変わった。
湿り気を含みながらも、冷たさはなく、どこか懐かしい匂いがする。
「どうした、アル?」
アルの様子に気づいたのはフェリクスだ。
二馬身ほど離れた斜め後ろにいるにも関わらず、アルの身じろぎに気づき、声をかけてくれる。
「何かが見ている気がする」
一気にフェリクスとゼスが臨戦体制を取った。
アルより気配を察知する能力が高い二人が気づかない。
それが意味するところを今までの経験から二人は警戒している。
「んー、配置変えたほうがいいか。気配の方向分かる?」
「前方かな」
まさに進行方向から、何かに呼ばれている気配を感じる。
これは、今までの状況と酷似している。
何事も経験を積むということは大切なんだなと実感する。
すばやく詰めた配置は、ゼスとヴァルクが最前列、アルとカルナ、フェリクスの順だ。
アルの左はカルナ、ゼスの右がヴァルクになる。
ゼスの提案した配置に、年配二人も異論はなかったようだ。
完全に護衛されている囲い込みに、アルは苦笑した。
心配性と伝えるには、自分は実績を積みすぎている。有り難さしかない。
護ろうとしてくれる人たちに、正確に、自分が今持つ情報を伝える必要がある。
「敵意は、ないと思う」
そう口にしてから、言葉の足りなさを自覚する。
根拠がある結論ではない。ただ、胸の奥に沈んでいたものが、静かに浮かび上がってきただけだ。
「そうか。お前がそう言うなら、そうなんだろ」
肯定の声は誰よりも早く背後から届いた。
誰よりも共に年月を刻んだ相棒の声だ。
「ま、敵意がなくても、実害が出るのとは別問題だからねえ。ほら、森のときも隙あれば取り込もうとしてたし」
「今度はひとりにさせるつもりはねぇ」
ゼスの冷静な意見に対し、気負う様子もなく、フェリクスが答えた。
フェリクスの声は大きくはなかったが、前を進む叔父の耳には届いたようだ。
振り返りはしなかったが、その美貌は無表情なまでに真剣味を帯びていた。
「アルフェを、頼む。
叶うことなら、私が寄り添ってやりたい。
だが、天灯の一族でも、聖域へ呼ばれる星詠みに寄り添える者は、滅多に現れない」
カルナの静かな、だが確信に満ちた言葉に、フェリクスは短く「分かった」とだけ応じた。
星詠みの一族を、その隣で命を賭して守護する天灯の一族。
だが、聖域そのものが星詠みを強く求める時、守護者たる天灯が「拒絶」されることも少なくないと叔父は語った。
馬を進めるにつれ、森の気配が変わっていく。
葉擦れの音が遠のき、雨音は梢に吸われ、代わりに一定の間隔で刻む微かな音が混じりはじめた。
水だ。
「もうすぐダ」
程なく先頭を行くヴァルクが、鋭く片手を上げた。
「来たゾ。湖底の聖域、その入り口だ」
森の木々が唐突に途切れ、視界が開ける。
そこには鏡のように静まり返った巨大な湖があった。しかし、その水面は雨に打たれているはずなのに、波紋一つ立っていない。
「……ッ、来るぞ!」
ヴァルクの叫びと同時に、湖の中央から凄まじい吸引力が放たれた。
それは物理的な風となり、アルを引き寄せようとした。
「させないっショ!」
真っ先に動いたのはゼスだ。
彼は馬から飛び降りるや否や、空間の歪みを縫うようにしてアルの前方に割り込んだ。
放たれた緑の矢が空中で交差し、目に見えない「力の流れ」を一時的に分断する。
「招くにしても、無法者のような乱暴さだな」
カルナが馬を操り、アルの側面を塞ぐように割り込む。その手にはいつの間にか抜き放たれた細剣があり、聖域から伸びる不可視の風の触手を、研ぎ澄まされた剣気で切り裂いていく。
鮮やかな太刀筋だった。
「我が母なる湖ながら強引ダ! Kara-vei kotu-na ven’ra ya?」
ヴァルクが咆哮し、地面に拳を叩きつける。瞬時に土の壁がせり上がり、アルを包み込む防壁となった。
だが、湖の意思と呼べるなにかは、強固だった。
湖の底から、青白い光の奔流が噴き出す。それはゼスの脇をすり抜け、カルナの剣を弾き、ヴァルクの土壁を粉砕した。
聖域が召喚しようとする力。
ブレイドに騎乗しているにも関わらず、体がふわりと浮き、湖の中心へと引きずり込まれそうになった瞬間をアルは自覚した。
これは、王都で、森で、そして洞窟で呼ばれたときと同じ。
ひどく自分を求めるもの。
「……アル!」
すぐ側で声が聞こえた。
影が跳ねた。
フェリクスだ。
彼は重力を無視したかのような瞬速の踏み込みを見せた。跳躍というよりは、空間を滑るようなその動きは、見る者の目を疑わせる。
フェリクスはブレイドに乗り、アルの腰を抱き寄せると、空いた左手で虚空を掴んだ。
そのまま、徒手で何かを捩じ切るような動きを見せた。聖域がアルを引く目に見えぬ何かを断ち切るように。
「……こいつは、俺の相棒だ」
フェリクスの琥珀色の瞳が、黄金色に輝く。
「知ったこっちゃねぇが、星詠みの隣に立つのが天灯の役割なんだろ? だったら、アルを連れて行くなら、おれも連れて行け。一人で行かせるつもりは、これっぽっちもねぇんだよ」
その宣言が響いた瞬間、激しい光が二人を包み込んだ。
拒絶されるかと思われたフェリクスの存在を、湖底の聖域は「星詠みの不可欠な片割れ」として認識したのか、吸引力は柔らかな光へと変わる。
「アルフェ!」
手を伸ばす叔父の姿がアルの目に映った。
「大丈夫です!」
アルが叫び返すと同時に、二人の姿は水面に吸い込まれるようにして消えた。
あとに残されたのは、静まり返った湖畔と、呆然と立ち尽くすカルナたちの姿だった。




