40.北の大地──誓紋
北へ向かう一行は、その服装から判別できる。
防寒対策として、厚く重ね着をしているためだ。
乗合馬車に持ち込める荷が限られており、あらかじめ着込んでおくものも多い。
動きの妨げにならない程度に身につけていたほうが、運ぶのが楽だ。
しかし、厚着ゆえに性別や体型は外からは分かりにくい。
四人の旅人が早朝の馬車に乗ってきたとき、御者は「相当北の方へ行くんだな」としか思わなかった。
その馬車は、七日に一度、王都から北に一日かかる街ヴィアに、荷物と人を混合して運んでいる。
先頭の背の高い人物が「四人分頼む」とまとめて路銀を支払った。
先に三人乗車しているので、これで出発だ。
「まいど」
荷物のみで運搬することも多い北行きの便。
王都閉鎖の噂のなか、北行きでも乗っていくことがあるんだなぁと、今回の運行は大幅に黒字が決定した御者はにこやかに金を受け取る。
南や西行きは混雑しすぎて臨時の馬車を出したらしいが、それでも間に合わず、徒歩で向かう人数も多いらしい。
「北も、極北まで行かなきゃ良いとこも多いけどなあ」
御者の独り言は、動き出した車輪の音に紛れて溶けた。
シスターレイナは現状把握ができていない。
あの夜、気にかかっていた子へ、旅立ちの祈りを伝えられたのはただうれしかった。
ただ、あまりに様々なことが起こった一夜だった。
最後にすべての勇気を振り絞って対峙し、宿舎にたどり着いたときには足元から崩れ落ちるほど脱力した。
そこで、声をかけられた。
「シスター、見ていました。無茶をされましたね。
でも、あなたは勇敢でした」
「あなたは……」
言葉の続きを探す間に、年配の司祭は深く礼をした。
柔和な目元に刻まれた皺が和む。
「ルーフェン、と申します。
突然お声をかけて失礼いたします。
先ほどの出来事、遠くから拝見しておりました。
敬意を表します。
どうか、今夜のうちに温かい食事を。
本日は儀式の予定で宿舎での食事の準備もできていないし、軽く外に食事を取りに行きましょう」
「ありがとうございます。レイナと申します。
お気持ちはありがたいのですが、私はこれ以上外には……」
知らない人と食卓を囲む。それはさすがに不安が大きかった。
シスターレイナがやんわりと断ると、ルーフェンはこちらの負担を軽くする柔らかな声で続けた。
「ご安心いただけると思います。同席の方をご紹介いたしましょう」
彼が横へ身を引くと、そこには若い女性が立っていた。
シスターレイナは、気がついた。
“証の灯火”の儀式で、最初に祭壇に立ち、毅然と前を見つめていた女性。
密かに尊敬と好意を抱いた若いシスターだった。
「レイナ様。お会いできて光栄です。シモーネと申します。このようなご縁ですが、よければ今夜、ご一緒しませんか?」
おしとやかな声。慈悲深いまなざし。
そして、たしかに芯の強さを感じる。
若い彼女と少し話をしてみたいと感じたのは確かだ。
気づいたら、レイナは小さく頷いていた。
向かったのは、宿舎近くの食堂。
夜遅くにも関わらず人のざわめきがある。
儀式の今日だけは遅くまで営業すると、事前に聞かされていた店の一つだ。
ルーフェンは控えめに料理を勧め、隣のシモーネは穏やかに場をつないだ。
思わぬ安堵に包まれ、緊張が少しずつほどけていく。
そのとき、扉が開いた。
目の前に座るルーフェンが片手を上げた。
「いや、お待たせしたようだ」
涼しげな声とともに現れた商人の衣装をまとう男。
皮肉をまとった笑みが、どこか余裕に満ちている。
シスターレイナを興味深げに観察する目。
レイナは、遠い記憶を掘り起こそうとした。
昔、そうかなり昔にこの目を知っているような。
年齢はレイナより下だろう。
だが、その態度は常に場を掌握している者のそれだった。
初めて会ったときにも感じた「危険だ」と直感が告げてくる。
善か悪かではない。
どこまでが彼の本音で、どこまでが計算なのか分からない。
そんな種類の危険さ。
「シスター。初めまして、ではないかな?」
レイナの脳裏で警戒の鐘が鳴り、過去の風景ごと思い出した。
彼は。
彼は、かつての大教主──エステバン・クレメンスだ。
エステバンはレイナが混乱していることを見てとって、くすりと小さく笑った。
そして席につくなり、本題を切り出した。
「単刀直入に言おう。あなたの養い子たちを助ける方法は、ただ一つ」
木さじを持つ手は止まっていた。
そんなレイナに、エステバンは優しく告げた。
「あなた自身が、私たちと同行することだ」
意味が分からない。
レイナはこれから宿舎に戻り、明日の朝に今後の予定が発表されるだろうから、その方針を確認して。
そこから、そこからその指示に従わなければならない。
それは、十三年前に定められた、額の誓約に縛られていて。
同行など、到底不可能で。
「それは、無理で……」
「本当に?」
レイナの聞こえるかどうかも怪しい、か細い声に、間髪入れずに商人は応える。
目を細め、悪戯気のある光を瞳に浮かべる。
「確かめたか?」
彼は、隣の司祭に向き直った。
その表情を確認してか、年嵩の司祭が体を後退させ、警戒した。
「君の教会にきた三人は、確か全員少年だったな?」
「………………はい」
突然の話題に、レイナは意味が分からなかった。
ただ、沈黙ののちに肯定した司祭は、眉間にしわを刻み、歯を食いしばっていたように感じた。
そして、わずかな間が空き、驚愕の表情に変化した。
「どう、いうことですか」
震えが声に出ている。
司祭が狼狽しているのは、傍目から明らかだった。
それを確認したエステバンは質問には答えず、俯いた。
肩が小さく震えている。
口の中で、何か聞き取れないほど、小さく呟いた。
次に顔を挙げたときには、また皮肉げな笑みを浮かべ、司祭に言った。
「何も問題ないと、その証明さ」
未だ自失している司祭に、かつての大教主は手を出し、立ち上がった。
「さて、彼らからの預かり物を受け取ろう。
今日はもう遅い。君たちも腹ごしらえが済んだら早めに就寝したほうがよかろう」
「待ちなさい」
席を立とうとしたエステバンを止めたのは、隣に座るシスターシモーネだ。
黙々と食事を進めていた彼女だが、二言三言どころか二、三十は言いたいことがある。
しかし、彼女ほどうしても今伝えたいことを優先した。
静かに立ち上がる。
「殴っていいですか」
「シ、シスターシモーネ?」
このおしとやかな彼女からは想像もつかない声音にレイナは声をかけた。自分の空耳かと思った。
しかしエステバンは、眉一つ動かさなかった。
「君にはその権利がある。どうぞ。
君の働きがなければ、被害はもっと広がっていた。誇っていい」
「……っ! あなたは、本当にずるい」
シモーネの拳は震え、涙が頬を伝った。
その涙は、怒りでも憎しみでもなく、安堵の色をしていた。
「……ご無事で、よかったです」
エステバンは無言でそれを受け止めていた。
そして、シモーネは涙を拭い、エステバンに言った。
「体調万全にしてお待ちください。私も拳を鍛えます」
不意をつかれた表情をするエステバンは、すぐにニヤリと笑う。
「機会はすぐにくるだろう。ルー、後は頼む」
ハッと我に返った司祭が同意すると、エステバンはあっという間に店から去った。
レイナの返答を聞くこともなく。
そして今。
北行きの馬車の中。
分厚い外套に包まれ、旅人四人が並んで揺られている。
ルーフェンは御者に語りかけ、
シモーネは静かに祈りを捧げ、
エステバンは余裕の笑みで景色を眺めている。
レイナは、ルーフェンから昨夜の別れ際に告げられ、彼らと同行することを決めた。
『あなたは子どもたちの拠り所だ。
守るべき対象が王都に残る限り、彼らはいくらでも手を打てる。
あなたが離れれば、彼らの手法は大きく制限される。単純な理屈です』
守ろうと、子どもたちを守ろうと決めたのだ。
そして、最後に一言。
『私は、三人のうち一人が少女と知っていました』
おやすみなさいと、背中を向けた司祭の発言の意味を理解したのは、寝床についた後だった。
少女と知っていた?
なんと言ったのか、エステバンは。
『全員少年』
それに頷いた司祭。
そしてその驚きの表情。
──光らなかった、額の誓紋。
問題ないことの立証。
いくつもの欠片が集まって、鮮やかな絵を織りなすように。
「大丈夫ですか? レイナ様」
「シモーネ様」
車輪の音が、問い返すようにガタガタと響く中、シスターシモーネがレイナを気遣ってくれる。
「ありがとうございます。どこに向かうのか、少し不安で……」
「そうですよね。私も知らないのです」
シモーネは小さく笑い、両手を胸の前で重ねた。
「でも、あの方は目的のために手段は選ばない人ですが、目的を己のために設定することはありません」
庇っているのか微妙な言い回しだが、エステバンを表すには適切な表現に思えた。
そこに宿るエステバンへの確かな信頼。
若さゆえの未熟さと、信仰ゆえの覚悟が、美しく同居している。
眩しいものを見る心持ちで、もう少し彼女たちを見守ってもいいのかもしれない。
優しく眦を下げ、レイナは馬車の行き先に思いを馳せた。




