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天はあまねくものを照らす  作者: 藍砂 しん


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36.ソルヴァの森──旅立ちの支度

森は、夕光を受けて揺らめいていた。

緑の濃い木々の間を縫う風は静かで、草葉が微かなさざめきを立てている。

ここ数日は、小雨が降っては止み、森は生命に満ち溢れている。

ヴェルンの大樹が生命力ちからを取り戻したからだと、森の護りの一族は理解している。


その奥深く、森の護りの一族が住まう集落の中心で、簡素な木屋の縁側に、老婆は腰を下ろしていた。

その木屋はヴェルンの大樹の近くにあり、一族と言えど、限られたものしか近づけない。


白髪を結い、細い身体は年齢を物語るが、背筋は真っ直ぐだ。

濁りを知らない瞳は、遠くの空を見つめている。


「来るよ」


老婆が呟いた瞬間、白い影が風を裂いた。

森のこずえを滑るように飛来し、縁側の欄干にひらりと着地したのは、白い小鳥だ。


「おつかれさん」


皺だらけの指が、そっとピーの胸元をひとなでした。

ピーは嬉しそうに胸を膨らませ、脚に巻かれた布を誇らしげに差し出した。

老婆は、木屋の柱に吊るしてあった小さな水瓶を取り、掌ほどの皿に水を注いだ。

さらに、すり潰した木の実と穀物を混ぜた柔らかい餌を、指三つぶんほど皿に添える。


小鳥は嬉しげに水を飲み、餌をついばみ始めた。

その様子を見ながら、老婆は満足げに頷き、脚元の布を外した。


「……ゼスの字だね」


森の一族にだけ伝わる古い文字。

老婆は刻まれた内容を目で追った。


星のかけら。叔父に同行。マリノス


しばらくの沈黙。

風が森の奥から吹き抜けた。

老婆は、目を閉じ、胸の内でひとつ息を送る。


「西が、動いたかい」


その声は驚きではなく、長い年月を経てようやく訪れた“道が開いた”と知る者の声だった。

のそり、と木屋の影から大男の影が現れる。

ルガだ。

彼は背を丸めて木屋の梁を避けつつ、老婆のそばに膝をついた。


「おばばさま、ピーか?」


老婆は黙って布を渡した。

ルガは眉間に皺を寄せ、ゆっくり文字を読んだ。


「星のかけら? 叔父? まさか……」

「まさか、で間違いないよ」


老婆はゆっくりと腰を上げた。

小柄な身体は、立ち上がるだけで不思議な威圧感を放つ。


「あの子の息子、カルナと言ったかね。

やれやれ、商いで多忙を極めていると聞いていたが、嗅覚はなは大したもんだ」

「あの方の……」


ルガが言葉を詰まらせた。

何か遠くを見る眼差しをしている。


「あの覇気は、誰に教わらんでも分かる。

うちに挨拶に来るときは、いつも風がひるむほどの眼をしてたよ。──母親のほうがね」


老婆はくつくつと笑う。


「おっかないくせに、筋は通す。あれはそういう女だった。その息子が現れた。なら、やるべきことは決まってるだろう」


ルガは喉を鳴らした。


「おばばさま、森を出るのか」

「そうさね。道が開いたときは出て、道が閉じたときは戻るのが、昔からのならわしじゃ。

開いたからには、出るのが道理どうりというもの」


老婆は、森の奥に視線を向けた。

そこからヴェルンの大樹は仰ぎ見ることができる。

天高くそびえたつ、生命いのちみなもと


ざっと風が大樹から吹き降りた。


「ルガよ、く支度を整えよ。

大樹が急かしておる。

荷は軽く、人はもっと軽く」

「何名だ」

「要らぬ」

「なら、おれだけだな」


付き添いは不要と断じた老婆に、大男は応じた。

老婆の目が愉快そうに和む。


「要らぬと言わなんだか?」

「おばばさまの世話の引き受け手は、おれ以外におらぬだろう。便利だろうが。連れて行け」


老婆は引く気が一切ない大男を見た。

森の次代を担う男は、忍耐強い。

緑還の弓は、この男に応じていた。

森を出ていくゼスを案じ、次代の証である緑還の弓を預けた。

緑還の弓も、男の思いにこたえ、ゼスを使い手として認めた。


老婆と次代を担う男が、一度に里を抜けること。

混乱をきたす恐れがある。

さらにこの男に万一のことがあれば、大樹に近づける一族がほぼ皆無となる。


しかし、と、老婆は目の前の男を見た。

老婆の視線に合わせ、屈む男を。

こやつは、全てを百も承知の上。


「ルガよ」

「おう」

「杖を持て」


にやりとルガは笑んだ。

老婆にとって杖は帯同するもの。

それをルガに預けるということは、同行を許可するということだ。

ルガは立ち上がり、胸に拳を当て、大きな身体を折り曲げて深く頭を垂れた。

老婆は、目の前の小鳥を見やった。


「ピー、お前さんにもう一度ひとたびの働きを願いたい」


白い小鳥は羽をふるわせた。

布の裏に一族の文字を連ねる。


「ゼスに返事を届けておくれ。

『星の導きあり。案ずるな。支度する』とな」


布を足に巻いたピーが高く鳴き、空へ舞い上がる。

夕影の森に、小さな白い光が吸い込まれていった。

老婆はその光を最後まで見送り、微かに呟いた。


「ようやく、天の道が開けてきたようじゃ」

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