33.三つの問い、一つの答え
馬車の窓から差し込む光が、アルの頬を淡く照らしていた。
外見からは想像もよらない馬車の内装に驚かされ、勧められるがままに座った座席にまた驚いた。
座席は深い焦げ茶の革張り、内部壁面には防音布と断熱処理がされている。
座席の背後は板で荷物部分と区切られていた。
背もたれとして活用できるように柔らかい布地が貼られている。
走り出すとその静音性と快適さにまた驚愕した。
聞くと揺れを最小限に抑えるため、車輪の軸に魔石製の緩衝輪がはめ込まれているという。
なんという実用的な馬車だろう。
機能性しか重視していない。
乗り込む前の見た目は、地味な荷馬車に見えた。
幌馬車ではないものの、ところどころに修繕の跡がある、樫木の車体だ。
馬は栗毛の丈夫な品種で、手入れも行き届いているように見える。
外観のこだわりはむしろ馬だけだ。
奇妙な馬車の持ち主は、今は御者台に座っている。
馬車をあまり好まないフェリクスは久しぶりにブレイドにまたがり、並走している。
随分と生き生きした表情で、楽しんでいるのが分かる。
窓からフェリクスの姿を見たアルは、陽光の下で伸び伸びしている人馬にほほ笑んだ。
カルナから三人分の日差し避けの黒皮の頭布を渡され、身につけている。
それを受け取った時のゼスは、何やら微妙な表情をしていたが。
「……めちゃくちゃ丁寧に鞣されてる」
「価値が分かるのか? それはうれしい」
思わず呟いた独り言を迫力のある美形に拾われ、ゼスは乾いた笑いを返していた。
返事はしなかった。
御者台に座る自称叔父が手綱を握る仕草は堂に入っていた。
御者台に深く腰を下ろし、片手で軽やかに手綱を扱いながら、風向きと馬の呼吸を確かめている。
馬は彼の声だけで動きを合わせ、軽く手綱をひくたびに速度を調整した。
乗り心地は恐ろしく快適だが、ブレイドが抑圧を感じない程度の速さはありそうだ。
余裕があるのか、御者の男は前を向いたまま、背後の二人に声をかけた。
「さて、ようやく落ち着いてきたな。色々質問もあるだろうが、三つの選択肢の中で、我が姪に一つだけ答えよう」
どこか悪戯めいた響きを持たせ、男は告げた。
「一つ、私の正体。二つ、君の正体。三つ、彼の正体」
御者は頭を揺らす角度で示した。
彼──馬に乗る、アルの幼馴染を。
アルはいきなり始まった男の問いに、なんの意図かを探る必要もなかった。
「では、一つめを」
完璧な制御をしていたはずの手綱捌きに揺れがあったようだ。馬が不審げにブルルルと嘶く。
「理由を聞こうか」
理由? 深い理由など何もない。
「二つめと三つめはすでに知っているから」
「ほう、後学のために教えてくれ」
「わたしと、その相棒です」
そして、それ以外に何か必要な情報があるとも思えない。
その人の芯なるものが分かっていれば、飾り部分は無理に知る必要はない。
ある意味、素っ気ない返答に隣の森の護り人は、くすくすと笑い声を漏らした。
「らしいわー」
ゼスの肩から力が抜けた。
抜けた今になって分かったが、彼は彼なりに緊張を保ち続けていたらしい。
糸目の眦を下げて、首や腕を回すと、コキコキと小気味良い音が鳴る。
そして、正面の御者を見た。
「さあ、教えてくれるんだよねぇ。おじさんの正体とやらを」
「私はアルフェ・セレスタリアの叔父、カルナ・マールヴェルだ」
その言葉は、淡々と告げられた。
前を向いたままなので、どんな顔をしているのかは見えない。
ゼスが瞬きを忘れたように固まり、フェリクスは馬上でほとんど聞き取れないほど低く息を吸った。
アルは、ほとんど表情を変えなかった。
驚いていないのではない。
驚き方が、ただ静かだった。
自分が旧王家の血筋であるということ。
それ自体が飲み込めたわけではない。
老婆から言われた話も確信のない話で、ずっと保留にしてきた。
ゼスが「姫さま」と呼ぶのも、エステバンが「姫ぎみ」と呼ぶのも、単なる呼び方で、アルに影響を与えることはなかった。
しかし、目の前の人が「アルフェ・セレスタリア」の、自分の叔父だと言う。
あやふやにしていた何かが、急に実態を伴って、現実味を帯びてきた。
馬車の揺れよりもわずかに早く、空気の振動だけが先に伝わってくるような、そんな重みがアルに伝わった。
アルの衝撃には気づいていないだろう。
カルナは淡々と話を続けた。
「少しばかり重たい話になるが」
言いながら、手綱を軽く引く。
馬が速度を一定に保ち直し、ブレイドも自然に横歩きで並ぶ。
「私は西の前辺境伯家の出だ。君の母──ルセナ・マールヴェルの弟、つまり君の実の叔父だ」
「本当の、おじさん」
「最初から、そう言っているだろう」
カルナの声音は飄々としていたが、その響きはひどく穏やかだった。
横に並ぶフェリクスが馬上から口を挟んだ。
「前、というのは……」
「辺境伯家は、旧王家と近すぎたから、革命のあと没落したってこと?」
言い淀んだフェリクスの後をつないだゼスが直球で疑問を投げかける。
カルナは、片方の口端だけを上げた。
「没落というより、“降りた”と言った方が正しい。
星詠みの一族に近すぎたせいでね。
表向きは革命派に目をつけられ、貴族籍を剥がされて追われたことになっているが。
母上──君の祖母は商売の才があってな。市井に紛れ、ひっそりと商いを始めた」
馬の歩調に合わせて軽やかに揺れながら、カルナは淡々と続ける。
「君の母上は、マールヴェルの長女、つまり私の姉だ。
幼い頃から、星詠みの一族の長となるべき男……君の父上に惚れ込んでいた」
ゼスとフェリクスが同時に「へえ……」と漏らす。
アルはわずかに目を丸くした。
「姉は真っ直ぐだった。
戸惑う君の父上を押し切る勢いでな。
だが最後は互いに心を寄せ、正式に結ばれた。
自由恋愛の多い王家とはいえ、あれほど惹かれ合ったのは珍しいくらいだ」
カルナの声には、懐かしむ気配と、少しの寂しさが混じっていた。
「二人が共に逝ってしまったのは、姉の望みでもある。常々、あの人は『どこにでも、どこまでも一緒にいく』と言っていたから」
話しすぎたな、とカルナは肩をすくめた。
「君の母は、最後まで君のことを気にかけていた。
私に血族の証である星の欠片を押し付け、私に君を託したいと願っていた。
たが、私が異変を感じて王宮へ向かった時にはすでに革命は終わっており、君は行方不明になっていた」
無駄に声にまで覇気のある叔父だったが、最後の言葉はその全てをこそぎ落としたようだった。
「よく、無事でいてくれた」




