178 『虹の乙女』アナイスの断罪 2
その後しばらくは、穏やかな日々が続いた。
この国の土地が痩せてきているという衝撃の事実を知った私は、できるだけ多くの情報を集めたけれど、やはり現状はフェリクス様の説明してくれた通りで、農地の状態は悪化の一途をたどっているということだった。
そのため、食物の値段は上がり、地方ではひもじい思いをする者まで現れ始めたらしい。
フェリクス様も頻繁に王宮を空けるようになり、申し訳なさそうに謝罪しながら朝早く出ていくことが増えた。
けれど、王宮の外に出た時はいつだって、道中で見つけた花を一輪摘んできてくれるのだから、忙しい仕事の最中に私のことを考えてくれたのだと嬉しくなる。
その日も、夕食の席にちょうど戻ってきたフェリクス様が、湖の近くで摘んだという花を差し出してくれたので、自然と笑顔になった。
水の入ったグラスに花を挿し、紫色の花を眺めながら食事をしていたところ、珍しくギルベルト宰相が晩餐室に入ってきた。
どうしたのかしらと訝しく思っていると、宰相はフェリクス様にぼそぼそと小声で何事かを報告した。
途端にフェリクス様は笑みを消すと、感情を覗かせない表情で頷く。
それから、私を見ると、困ったように眉尻を下げた。
「少し厄介なことになった」
フェリクス様がそんな風に言うのは珍しかったため、どうしたのかしらと心配になる。
すると、フェリクス様が気遣うように私を見てきた。
「アナイスが地方の痩せた土地を回り、『虹の乙女』の加護を分け与えているという話は、以前したよね。それが上手くいっていないようだということも」
「ええ」
その時のことを思い出しながら頷くと、フェリクス様はため息をついた。
「芳しくないという状況は変わらないのに、なぜかアナイスはこれ以上の加護を与えることを止めると宣言し、王都に戻ってきたらしい。それから、ヘル伯爵を始めとした虹の女神に傾倒する一派が、アナイスの周りに集結しているようだ。どうやら、先日の夜会での件を聞いたのだろう」
先日の夜会の件というと、恐らくブリアナに関することだろう。
「フェリクス様が『虹の乙女』であるブリアナを拒絶したことかしら?」
確認のため尋ねると、フェリクス様はその通りだと頷いた。
「アナイスの周りに集まっているのは、虹の女神に傾倒する一族ばかりだ。虹色髪を最上だと考え、その髪の持ち主は最上級に大切に扱われるものだと信じて疑わない。彼らからすれば、『虹の乙女』であるブリアナを拒絶した私の行為は、許しがたい暴挙に違いない」
「つまり、最上級に大切に扱われるべきブリアナをフェリクス様が拒絶したから、同じ『虹の乙女』として何らかの抗議をしようと王都に戻ってきたのね?」
フェリクス様は唇を歪めると、ゆるりと首を横に振った。
「連中にそんな考えはないだろうな。アナイスとブリアナは互いに牽制し合っているから、相手を庇おうとするはずがない」
フェリクス様は意味あり気に私を見てきた。
「そうではなく、このまま地方に留まり続けていては、分が悪いと考えたのだろう。私は君に夢中だし、文官も武官も君の味方だ。そして、肝心の『虹の乙女』アナイスは、与えられた役目の成果を出すことができず、国民の人気は下がる一方だ。このままでは自分たちの立場が悪くなるだけだと悟り、いちかばちかで勝負に出ることにしたのだろう。つまり、直接対決だ」
フェリクス様は膝に載せていたナプキンをテーブルの上に置くと、椅子から立ち上がる。
「食事の途中で悪いが、事柄の詳細を詰めたいので、抜けさせてもらってもいいだろうか」
途中で退席する理由を丁寧に説明してくれたのは、フェリクス様の思いやりだろう。
この話を他の者から聞いた私が不安にならないよう、直接フェリクス様が説明してくれたのだ。
フェリクス様が一人でアナイスと対決するつもりなのは分かっていたけれど、私は彼に質問する。
「フェリクス様、話し合いの場に私が同席することはできるかしら」
「何だって?」
フェリクス様はとんでもないことを聞いたとばかりに、私を見つめてきた。
10年前、アナイスが私を傷付けたことを、フェリクス様は知っている。
だから、彼はこれ以上私が傷付くことがないよう、できるだけアナイスから私を遠ざけたいと考えているのだろう。
その気持ちは分かるけれど、私とアナイスの間には、解決できていない大きな問題があった。
そして、そのことはずっと私の中に残っていたので、どこかできちんと向き合わなければいけないと考えていたのだ。
「10年前、私とアナイスの間には大きな行き違いがあったわ。そのことが、私の中にずっと残っているの。彼女と話をしたからといって、全てが解決されるわけではないと分かっているけど、きちんと彼女と向き合いたいわ」
「……ルピアはそうやって、いつだって正面から向き合おうとするのだな。しかし、誰もが誠実というわけではない。世の中には決して理解できない相手というのがいるのだ。だから、アナイスと会うことで、君は嫌な思いをするかもしれない。それでも、君は彼女と会いたいのか?」
真剣な表情で確認してくるフェリクス様を見て、私はとても嬉しくなる。
ああ、やっぱりフェリクス様は素敵だわ。
ここにいるのが母国の家族だったなら、全員が問答無用で私とアナイスを会わせようとしないだろう。
母国の家族は私に『不要な不幸』を与えることはないから、どれほど私が望んだとしても、『不幸になるかもしれない原因』に近付かせてはくれないのだ。
けれど、フェリクス様は違う。
彼は心配しながらも、私の意思を確認してくれる。
そして、私が傷付くかもしれないと分かっていながら、私の好きにさせてくれるのだ―――『アナイスに会わせない』と決断した方が、何倍も楽なのに。
「ええ、アナイスに会いたいわ」
きっぱり返事をすると、フェリクス様は私を見つめたまま頷いた。
「……分かった。では、私の隣に席を用意しよう」
私の望みを叶えたうえで、最も近い場所で私を守ろうとしてくれるフェリクス様の気持ちがすごく嬉しい。
だから、私は感情のまま、フェリクス様にぎゅっと抱き着いた。
「ル、ルピア?」
動揺して尋ねてくるフェリクス様の胸に顔をうずめると、私はくぐもった声を出した。
「フェリクス様、世界中を探してもあなたのような人はいないわ」
「……そうだろうか? 確かに、私は誰よりも君を愛していると自負しているが。そうか、やっと私の気持ちを分かってくれたか」
「……私が言いたかったことは、少し違うわ」
大いなる勘違いをしているフェリクス様の言葉を聞いて、私は胸の奥が温かくなるのを感じた。
フェリクス様は誰よりも素敵なのに、その自覚がないのだわ。
そして、彼にとって私を好きでいることは大事なことだから、今みたいな発言になったのだわ。
そう理解した私は、フェリクス様は素敵な夫だわと、改めて思ったのだった。






