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将軍王視点

「国を興した? 確かにそうだ、けれど俺は必要なかった。だというのにあっちが勝手に喧嘩を吹っ掛けてくるから迎え撃っていたら、いつの間にか国土なんてものを持たなければならなくなったのだ。王になるつもりなど一欠片すらなかった。俺は将軍になれればそれでよかったのだ、貴族どもが下手を打たなければこんなことにはならなかった! 何故、剣の代わりにペンなど持たなければならん! 俺は田舎将軍で十分だったのだ!」

「へ、陛下……」

「貴女にはご不幸なことだろうがな! 俺にだって癒しが必要なんだ! 愛らしい貴女が悪いのだ! 一生俺の隣で癒しを提供してもらうからな!」



 確実に結婚初日にぶちまけるような内容でないものが口から滑り落ちてしまった後、疲労と混乱と絶望でどうにかなった頭が唯一の職務さえ放棄したらしく正面が真白になる。ああ、こんな馬鹿をやらかすのならば大人しく積み上げられた書類と睨めっこしていた方がましだった。もう寝ているだろうから、寝顔だけでもこっそり見て帰ろうと思っていただけなのに。三年前と変わらぬ美しい人はきっと驚き恐怖しているだろう。本当に何をやらかしているのだと数秒前の自身を殴ってやりたかった。


―――


 三年前。そう、三年前のあの日、俺はこの人を見つけた。見つけてしまった。



『……何かの催しの最中なのか』

『ええ、毎年この時期には音楽の都から学生の方々が慰問にいらっしゃいます』

『ほう、見事なものですなあ』



 今は亡きダルダ王国が俺たちの土地を明け渡さねば街を焼け野原にしてから貰ってやっても良いのだなどと、お行儀の良い書簡を送りつけて来たものだから養父の知り合いの伝手を頼って教会に潜伏していた時だった。この頃は田舎だった俺たちの小さな土地に高価な薬草が群生していることが発覚したあたりであったから、こういった“お誘い”が多く辟易して苛立っていたのだ。だからこそ養父の『いっそのこと、その逆をしてやればいい』という甘言に乗ってしまった。きっと正常な判断が出来ていれば、首を横に振れただろうにその頃の俺は正常ではなかった。


 教会主は養父と通じ、無辜の民が傷つかないのであればと間諜の真似事にも寛容であった。その約束通りにダルダを攻め入る際、既に一般人は先に避難させておくことができ面倒ごとが一つ無くなりはした。今となればお前らのそれはどうなのだと思わなくもないが、事が円滑に回ればそれで良い。教会は国の中枢にも通じていたので実にあっけない侵攻であった。


 その戦を起こす少し前、教会に慰問に来ていた学生団の中に彼女はいた。全員が貴族令嬢で豪奢でないが小綺麗で美しく、田舎にはいないような人々であったけれど、その中でも彼女はひときわ何かが違った。他の女学生と同じような服装で同じような髪型をしているのに、何か派手な化粧をしている訳でもないのにちかちかと光っているようで。友人だろうかこっそりと談笑している姿は朝日が揺れる湖畔よりも綺麗だった。



『……』

『おやおや、息子よ。もしやあの可愛い人たちに見惚れてしまいましたかの?』

『いや、馬鹿を言うなそんなんじゃ』

『右側の子ですかな、左側の子ですかな、それとも』

『確かに別嬪さんばっかりだしなあ』

『あ、分かった。真ん中の列の右から二番目』

『!』

『え、ジュリア、怖……』

『ふふん、こういう勘は当たんのよ』



 何故か見事に言い当てられてむきになって否定するのもおかしなことだしと、だんまりを決め込んでいるとやいやい騒ぐ仲間を養父が嫌な笑顔で制した。



『まあまあ、皆さん。ヴァルはすこおし恥ずかしがりなお年頃ですからな、どうぞこの辺で』

『元はお前のせいだがな?』

『おお、息子よ。父上様とお呼びなさいと言っているだろう。本当に頭がぽんこつなのだから、そんなことも覚えられない』

『あ゛?』

『まあまあまあまあ、どうどうどうどう』

『喧嘩しない喧嘩しない』



 泣きまねをする養父に詰め寄ろうとすると、がたいのいい連中が咄嗟に俺の行く手を阻む。その狸爺は俺が近くでがなり立てようとびくともしないどころか、それを鼻で嗤うような奴なのだから虐められているのはこちらであるのにどうして俺が悪者のように止められなければならないのだ、といつも思う。



『ですがね、息子。彼女はきっと後数年で結婚してしまいますよ、それがご貴族様というものですから』

『当たり前だろう、俺とは住む世界が違う』

『いやいや、住んでいる世界も生きている場所も同じですとも。神はそのように世界をお創りになられました』

『そうですなあ、教会主様。夢は持ち続けねば』



 呆れてものが言えなくなった俺に養父と教会主が詰め寄る。養父は狸だと思うが、あの教会主は狐かもしれない。厄介ごとに巻き込まれはしないと仲間はいつの間にかいなくなっている。



『ヴァル様、貴方のこれからの行動次第で夢は夢ではなくなるでしょう。神はいつでも世界を見守っておられますからな』

『そうそう、夢物語が詰まらないと言うのならそれを現実にしてしまえば良いのだ』

『そもそも俺は別段夢など見ていないが』

『はっはっは、見ようとも思わずに見てしまうのが夢なのです』

『さあまずは目先の仕事を片付けねばな』



 きっと既にこの時、養父は俺を釣る為の餌を見つけたとほくそ笑んでいたのだろう。ダルダを含めた数々の国を配下に入れていく最中にも撒き餌は何度も投げられた。



『偶然にもあの時の絵が手に入ったぞ』

『おい、爺。軍議中だと分かっていての発言か』

『あ、ほら将軍。将軍のお気に入りの子も描かれてますよ』

『ああ、儂は悲しい。息子の淡い初恋の為に尽力したこんなに優しい父に対してそんなことを言うなんて……』

『ヴァル様が爺様泣かせたー』

『可哀想ー』

『しくしくしくしく』

『俺が一番可哀想だろ?』

『そう言いながら絵を持って行こうとする感じ嫌いじゃないです』



 初めの撒き餌は大きい割に彼女の描かれている割合が少なく、しかしもう二度と見ることもないだろうと思っていた俺には十分な代物だった。



『もう後は放っておけば良いんじゃないか、これ以上国土を広げて何になる』

『ここで止めてしまっては内から膨張して弾けてしまう。この勢いのままにとれる所をとっていってしまえば、そういう輩は大人しくしていた方が吉と鳴りをひそめるだろう。今はまだ隙を見せてはいけない時期だ』

『しかしこのまま広げ続けたとて不穏分子を確実に押さえつけられる訳ではない。今のこの規模であるなまだ目を光らせることも可能だ』

『大物はきちんと仕留めておるし協力者も十分、残りはただの小役人だけだ。それでもまた田舎者と嘲る痴れ者共に頭を下げる日に戻りたいのか』

『田舎者なのは事実だ、俺は良い治世者には頭を垂れる』

『ふむ、あの国は音楽の都に不利益な条約を結ばせようとしているらしいが良いのか?』

『音楽の都?』

『あのご令嬢の国だなあ。音楽の都は小さく軍備もそうない。きっと条約を結ばざるを得ないだろう、そうすれば彼女もきっと不利益を被って今までの暮らしもままならなくなるかもしれない…』

『お前、おま、お前……っ!』

『父上様と呼びなさい』



 そう言った養父は俺にそっと折り畳んだ紙を二枚手渡した。一枚はその頃にこちらへちょっかいをかけて来ていた国が音楽の都に対して送ったらしい書状で、ちらと見ただけでも無茶苦茶を言っているのが分かった。もう一枚は。



『どこでこれを』

『この前、友人が音楽の都に遊びに行ったらしくてな』

『犯罪だぞ』

『描かれるくらいは貴族令嬢には日常茶飯事よ、大体それは売り物だ。音楽の都では最高学府を卒業する者を描いて卒業式の祭りの日に縁日で売り出すのだそうだ』

『何のために』

『売り上げを教育や福祉に寄付するのだそうだ』

『訳が分からん』

『そう言いながら胸ポケットに仕舞う奴がいるからじゃないかの?』



 数名の女生徒と描かれている彼女は初めて見た時より、少しだけ髪が伸びていてすました顔で目を閉じていた。最近は仲間内でもふざけて“王様”などと呼ばれるようになった俺ではあるが、背筋を伸ばしたその凛とした姿はやはり俺風情には縁のない存在であった。けれど音楽の都に不利益な条約を結ばせようとしていた国は潰した。今までで一番やる気が出たし、その国では内でも重い税収などで国民の不満がたまっていたらしく歓迎ぶりも相当だった。ここで幾人か使える人材が増えてまた動きやすくなってしまう。



『さてもさても、ここまで来たか。優秀な養子で養父として鼻が高い』

『白々しい……』

『今やお前は国王陛下、あのご令嬢とも地位の差で悩むこともない。むしろこちらの方が格段に上になってしまってはいるが』

『だから何だ。彼女ももう結婚しただろう、これ以上は姿絵では釣られんからな』

『うむうむ、では彼女が結婚する前に会う機会をやる、と言ったら?』

『……は?』

『実はなあ、可哀想なことに我々がいろんな国と戦ばかり起こしておったものだから、もしや自国もとどの国も慶事を控える傾向にあるようで』

『爺のせいだがな』

『父上様と呼びなさい。確認をしたら案の定、音楽の都でもそうだったらしくあのご令嬢もまだ結婚はしていないらしいのだ』

『……何が望みだ』

『おや、話が早い』

『口では勝てん』

『可愛らしいことだ。ただ彼女に会いたいと言えば良いものを』

『口では勝てんが物理では勝てるからな?』

『息子が怖い、儂悲しい』



 最後の最後、きっと養父の最大の目的であった国を攻め滅ぼした。今まで戦はこちらに不利益な条件を強要してきたり、支配下に入れようと目論む国ばかりだったがその国は唯一違った。けれどやはり養父はその国でも多くの協力者を既に得ており、これまたあっけない滅亡であった。そうして大陸の三分の二以上が俺の支配下におかれた。


 養父は、きっと養父だけであってもこれを成し得ただろうに玉座には俺を座らせておいて今でも裏でこちょこちょと動き回っていた。あれに見放された時点でこの首は容易に飛ぶのだろうことは理解している。だからこそこの一時の平穏を楽しんでおこうと慣れない帝王学やら何やらを詰め込みながら、仮初めの玉座で足を組むのだ。



『……』

『おお、どうした息子よ。すごい顔だぞ』

『わあ、王様本当にヤバい。千人くらい斬ってきた?』

『単なる寝不足ですな、それはそうと追加の書類です』

『……もうしぬ』

『大丈夫ですよ、王様は殺したって死にません。槍やら何やらが何本か刺さっても生きてるし』

『あれ今だから笑えるよねー』

『笑うな』



 とは言え、田舎の小さな領地経営と生まれたばかりの大国の運営は似て非なるもので。量と規模が違うのはもちろんのこと、多民族国家になってしまったが故に起こり得る問題の数々が面倒で面倒でたまらない。けれど寝首を掻かれる訳にもいかず連日寝不足で業務に励んでいた。



『さて息子よ。あのご令嬢な、ルチア嬢。来月には嫁いできてくれるって』

『ああそうか。……。……?』

『え、あのご令嬢ってあのお嬢様? ダルダの時に見た?』

『嫁ぐってことは、え、お嫁さん?』

『……あ?』

『ええ、宰相閣下のご指示でわたくしめが音楽の都に使いをやった所、ご快諾頂けました』

『王様の嫁さんってことは、お妃様ってことだよな』

『そうなるなあ。いやあ、綺麗な王妃を貰えば国民も安心するだろうて』

『お、おい、待て』

『えええ、でも来月って急ですね。お迎えは? 俺ら行きましょうか?』

『はい、こちらで部隊の編成を行いますので不都合があれば仰って下さい』

『待て!』



 寝耳に水とはこのことだった。書類と睨めっこのし過ぎで初めに聞き流してしまったのも悪かった。俺の知らない所で、あの美しい人は俺に嫁ぐはめになってしまったらしい。養父も滅茶苦茶に頭が良い大臣兼秘書も決定事項だと言って取り付く島もなかった。


 昔に近所の子どもらと一緒に教会の牧師に読んでもらった夢物語を思い出した。悪い王様や魔物が姫様を攫って、それを王子様やら騎士様やらが助けに来る勧善懲悪の物語。幼い頃は善側に憧れていたものだが、それが悪側についてしまうとは笑えないのに笑えてくる。むしろ笑うくらいしかできない。あの毒父め、と養子になってから一番の殺気が湧いたが、もう嫌われても良いからひと時の夢を見たいとも確かに思った。


 その罰だっただろう。結局、悪者側がどんなに尽くしたって最後には主人公側が勝つようになっているのだから、嫌だと泣かれて死にたくなるくらい絶望したとて遅いのだ。


 そして、冒頭に戻る。


―――


 この一瞬でこの三年間を一気に思い出した。そのまま記憶喪失にでもなればいいのだが、そんな風に都合の良くない俺の頭ではもう何も考えられなかった。顔を上げられず片手で押さえながらもう片方の手のひらを彼女に向け待ってくれと制した。



「いや、その、すま、すまない。今のは間違いだ、いや、貴女が愛らしいのも傍にいて欲しいのも間違いではないが、そうでなく、間違いだ。あの」

「陛下……?」

「ここ数日、仕事がたまっていたのと今日が楽しみ過ぎて眠れなくて、だな。頭が回っていなくて、いや、その、あの」

「あの」

「怒鳴って申し訳なかった。しかし決して悪いようにはしないし、貴女の望むものなら何だって手に入れてみせるから、離婚だけは勘弁してくれ……!」



 幼い頃のように涙が溢れてきた。自身にもまだこんな一面があったのかと若干ぞっとしたが、そうであっても止まるものではない。慌てふためいて物で釣るような台詞を吐いてしまったが、それ以外に渡せる物がないのも事実だった。そんな俺を憐れに思ったのだろう、美しい人は泣きじゃくる大男をまるで子どもでもあやすように抱きしめた。


 そこからぽつぽつと二人で話をした。多分、結婚初日にやることではなかったと思う。俺は情けなくも何度も狼狽し、けれど彼女はしっかりと俺の目を見て話してくれた。ただ美しく愛らしいだけでなかった彼女は俺などよりもよほど自身の役割を理解していて、その上で俺と共にあると言い切ってくれた。三年前から一方的に知ってはいたが、話すのはもちろん初めてだったのにこんなにも愛おしく思えるものなのかとただ驚いた。


 結婚についての諸々のことは俺と彼女とで認識の差があるようであったが、いくら悪者側であってもそんな蛮行は致さない。安心をしてくれと言うと、彼女は美しい眉を少し下げて笑った。可愛かった。


―――


 同じベッドでなど緊張で眠れそうにもないと思っていたが、図太い俺は最近の疲れもあって初日からすんなり熟睡した。彼女も、いや、妻も慣れない長旅で疲れていたらしくそのまま寝てくれていたので一安心した。それから毎朝の額への口づけが待ち遠しくて、妻の起きる前に必ず起きてしまっていることは悟られないようにしなければいけない。



「……あの、ヴァル様」

「何だ、ルチア?」

「ええと」



 妻はとても慎ましやかな人だったようで、新婚夫婦の慣例を伝える度に顔を赤くして戸惑っていた。嫌がられてはいない、と、思う。本当に嫌なら言って欲しいと伝えているし、俺に言いづらければ他の誰かにでもこっそり伝えてくれればいつでも止めるとは言っている。ただ伝える度に戸惑われる慣例は全て俺の育った片田舎だけのものだったらしく、それに付き合わせていることを理解していた。けれど。こんなに可愛い嫁さん貰ったんだから子どもの頃に密かに憧れていたあれこれはできればしたい! ……嫌がられない範囲で。



「それは、その、どうしてもなさいますの?」

「……これも、貴女の故郷ではしないのか?」

「そう、ですね……。少なくともわたくしの家では」

「そうか……」



 妻の為に一通りそろえた色とりどりのペディキュアの為の小瓶はその数が夫の甲斐性を示すものだ。俺が子どもの頃は行商人が珍しい色の小瓶を持ってくる度に男どもが群がっているのをよく見たし、父もそうしていた。そしてそれを手ずから自分の妻や子どもの足の爪に塗ってやり、健康と平穏を祈るのだ。今思えばあれはまじないとかそういうものが起源だったのだろう。


 普通のことだと思っていたことの多くは彼女にとっては普通ではない。現状、妻は俺のしたいようにさせてくれていて、俺には全く不満はないのだが彼女は本当にこれでよいのだろうか。ずらりと並べた小瓶を見てただ喜んでくれると馬鹿みたいに楽しかった先ほどまでとの温度差で、結露でも起きそうな出来の悪い頭を掻いてどうしたものかと考えてみる。


 ペディキュアを塗る、と言った途端に妻は戸惑いながら一人掛けのソファで縮こまってしまった。困ったように小瓶に視線をやる彼女は間違っても嬉しそうには見えない。ここで我を通すのも違う気がしてきた。一人親元を離されて見知らぬ土地で訳の分からない慣習を無理矢理やらされたとて、はっきりと嫌だとは言えないだろう。



「ルチア、これは止めに」

「分かりました」

「え」

「ですが一つお願いが」

「いや、無理をしないでも……お願い?」

「はい」



 妻は話をする時、人の目を真っ直ぐ見るようにしつけられているらしかった。縮こませていた背を伸ばしてしっかりとこちらを向いた彼女は珍しく願いがあると言う。



「わたくしもヴァル様の爪を塗りたいです」

「……うん?」

「ヴァル様はわたくしの爪を塗って下さるのでしょう?」

「え、ああ、うん」

「では、わたくしも」

「いやそれは、え?」



 先ほどまで戸惑っていた人と同一人物とは思えないくらいに目を輝かせ、若干前のめりになる妻は美しいが幼児のような愛らしさもある。かわい、いや、ちが。違わないが。



「それはその、どうなんだ。体面的に」

「ヴァル様は体面を気になさっていつもこのようなことをご提案されているのですか?」

「そうではないが」

「あの、もし、触れ合いとか、そのようなことに重きを置いておられるのでしたら、わたくしが貴方様にしても良いと思うのです。…駄目でしょうか」

「駄目じゃない」



 小さく柔らかい手をつぶさないように注意して握ると妻は照れたように微笑んだ。この何とも言えない衝動をどうしたら良いのだろうか。部屋の外から「めっちゃ尻に敷かれてる」とか「おひいさんが強い」とか「王様があれ過ぎて笑える」とか色々聞こえてくるので後で特定の後にしかるべき処置をとる。



「ルチア、やはり俺たちの認識の差はかなり大きいようだ」

「そうですね。ですが、わたくしは最近それが楽しくなって参りました」

「楽しい、か?」

「驚いてしまう時もあるのですが、貴方がどのような所で育たれたのかとかどのようなことを思われているのかとか、少しだけ知ることができるので」

「ルチア」



 はにかみながら微笑む妻はやはりこの世で最も美しいが、同時に少しぞっとする。何故何の抵抗もなく、自身に一切馴染みのない風習を受け入れられるのか。これは彼女の夫が俺でなくともこうだったのだろうか。こうやってそいつを肯定して、隣で笑っていたのかと想像をして腸が煮えくり返る。


 妻は優秀な人だった。彼女は普通だと言っていたが、そもそもこの国の識字率が低い。取り込んでいった国々の貴族たちは全員がいなくなった訳でもないが、身を隠している者逃亡した者も多い。王城にいる気のおけない者たちの中にも読み書きができない者もいる。書類が読めてその意味を正確に理解できるだけで十分なのだ。彼女は貴族社会にも詳しく、学生時代に多くの国に慰問に行っていた為に全てを網羅してはいなくともそれらの文化にも詳しい。多分、養父はそこら辺まで考えた上で彼女を俺に与えたのだ。


 そんな妻が自身に従順であればあるほど嬉しい反面、それでよいのかと「ヴァル様!」



「ヴァル様ったら」

「……あ、ああ」

「もう、ヴァル様ってたまにそうやってぼうっとなさいますね。わ、わたくしといらっしゃる時くらい、ですね……。……いえ、ええと、えっと、何でもありません」

「ル、ルチア…」



 俺に手を握られたまま一生懸命に顔を背けようとして真っ赤な首筋が露わになっている妻が可愛いのでもうどうでもいい。



「そうだな、ルチアといるのに他のことなどどうでもいい」

「ど、どうでもよくはないです」

「ルチアが俺の傍にあるのなら、それでいい。その為に王になったようなものだ」

「それは言い過ぎですわ……」

「過言も語弊もない。だから、ルチア」

「はい、ずっと一緒にいますわ。ずっとです、でもたまには手を離して頂いてもよいのですよ?」

「……俺を、魔王に堕としたいのか?」

「……失言でした、お忘れください」

「さて、では右足からでいいな?」

「あ、忘れていらっしゃらなかったのですね」



 当初の目的を果たしながら、この平穏を一日でも長く続くようにあの窮屈な王座に座り続ける覚悟をした。その為ならばいけ好かない養父に頭を垂れるくらいは安い。これもあの養父の思惑通りなのだろうが、それでもいい。妻さえここにあればそれでいい。小さく白い足に口付けながら少し前まで一つも望んでいなかった未来を夢見た。

読んで頂きありがとうございました。

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