五話
「待って、お願いだから」
梨衣は必死に千佳の背を追いかけるが、どう頑張っても、追いつけるどころか距離を離されてしまう。元バスケ部男子と、インドア女子。これで追いつくというのが無理な話なのかもしれない。
それでも諦めるという選択肢はなかった。
階段に差し掛かり、下っていく分、距離は少しだけ縮まる。
だから梨衣は今まで出したこともないような大きな声で、千佳を呼び止めた。
「待ってよ! 千佳くん!!」
下校時刻を過ぎたからか、周囲には生徒の姿はない。廊下に梨衣の声が響き渡った。
まさか梨衣がこれほど大きな声を出すとは思ってもみなかったのだろう。千佳は驚いて目を丸くしていた。その足が止まっている隙に、千佳の元まで階段を降りていく。千佳と二段くらいの差を残して、梨衣は立ち止まった。二段分、梨衣の方が立っているところは高いはずなのに、千佳の方がまだ視線が高い。身長差が三十五センチもあるのだ。当たり前かもしれないが、なんだかズルいと思ってしまう。
梨衣の息が整うと、千佳がぶっきらぼうに話しかけてきた。
「なんで追いかけて来たんだよ」
「千佳くんが好きだから」
なぜこれだけスラリと言葉が出てきたのかはわからない。けれど、その言葉は偽りのにあ梨衣の心だった。
「俺を好き? それは俺がさっき梨衣先輩を好きだって言ったから?」
疑いにかかる千佳の気持ちがわかる気がした。
もし梨衣が逆の立場だったら、千佳と同じことを思うと思ったからだ。
「違う。でもこれは本心だよ。言い訳かもしれないけど、千佳くんが茅野先輩を連れていってくれたあの日、本当は図書館に行こうとしたの。でもその時に三年生の女の先輩に千佳くんと茅野先輩に近づくなって言われて。怖がりな私は、その通りにしたの」
「…………」
千佳は黙って梨衣の話を聞いてくれた。
「でもね、さっき茅野先輩に言われたの。千佳くんを避けるのは間違ってるって。いじめられたんなら、千佳くんや杏奈ちゃんを頼ればいいって。だから千佳くんを追いかけろって背を押してくれたの」
千佳の目を真っすぐと見て告白を口にした。
「千佳くんが今、信じられなくてもいい。千佳くんが信じられるまで、何度だって言うから。千佳くんが好きだって」
何度も好きと声にしたせいで、顔が熱い。初めての告白だった。
沈黙ののち、唐突に千佳が自身の顔を大きな手で覆う。
「……だろ」
「え……?」
ぼそりと呟いた声が聞き取れなくて、耳を少しでも近づけようと背伸びをする。
するとそこには、手をどけ、頬を少し赤らめた千佳の顔がそこにあった。
「反則だろって言ったの」
なにが反則なの、と聞こうとするが、それは叶わなかった。
背伸びしたままの体を千佳に抱きしめられ、口を塞がれていたからだ。口を塞いでいたのは、もちろん手ではない。
千佳の柔らかな唇だった。
千佳が唇を離すと、自身の唇をペロリと舐める。
「ミントチョコの味がする」
「ち、千佳くん」
まさかキスをされるとは思ってもみなかった。おそらく今の梨衣はゆでだこのように真っ赤な顔をしているに違いない。そんな梨衣を見る千佳の瞳は柔らかな色をしていた
「俺も好きだよ。俺と付き合ってよ、梨衣先輩」
「は、い」
「絶対にもう離さないから、覚悟をしておいて」
千佳はそういうと、また梨衣にキスをしてきた。
二回目のキスは、千佳の唇に味が移ったのか、梨衣の好きなミントチョコの味がした。