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夢喰い  作者: けせらせら
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逃避・11

「不愉快だ!」

 非現実的な世界がそこにあった。

 直子を中心にその部屋の全ての物が重力を失っていた。まるでホラー映画のワンシーンのように、テーブルやテレビが宙に浮いている。

 強風が直子を中心に渦巻きはじめる。

「直子!」

「直子ちゃん!」

 洋子と和美の叫び声が部屋に響いていた。

「せっかくこの俺がおまえらの夢とともに喰らってやろうとしていたのに。全てぶち壊しやがって!」

 直子を中心に、まるでそこが一つの宇宙であるかのようにぐるぐると弧を描いて回っている。そのなかで洋子と和美だけが、とり残されたように床や壁に捕まりながら耐え続けていた。

「泣き叫ぶがいい! 絶望でその心を一杯にしてやる!」

「直子ちゃん! 目を覚まして!」

「さあ、どんな死に方が希望だ?!」

 グラスが壁にぶつかって粉々に砕け散る。

「やめて!」

 洋子はまっすぐに直子の身体を見つめて叫んだ。そして、風に耐えながらジリジリと直子に向かって近づいていく。

 突然、宙を舞っていた椅子が体に打ちつけられ、洋子はグラリと膝をついた。それでも、洋子は諦めなかった。

「直子ちゃんを……返して」

 懸命に立ち上がると、再び直子に向かって歩み出す。

「何を言ってる? おまえは子供たちを捨てようとしたじゃないか! 親を追い出そうとした子供に、子供を捨てようとした母親!」

 直子の髪は逆立ち、その周囲を青白い炎が包んで燃え上がっている。

「おまえらは皆、自らの欲望のままに動き、地獄に落ちるのさ」

 直子に向かって洋子は手を伸ばす。

「ええ――そうかもしれない。私はこの子たちを捨てて逃げようとした。でも、私は間違いに気づいた。もう逃げない。何があっても私はこの子達と一緒に生きるって決めたの! 直子ちゃんの身体を返して!」

 炎に臆することなく、洋子は直子に飛びついた。

 たちまち炎が洋子の身体を包み込む。身体全身に切り裂かれるような激痛が走った。洋子は悲鳴をあげながら、それでも直子の身体を離そうとはしなかった。

「ええい! 離せぇ!」

 切り裂くような怒号を投げつける。

(死んでも離すもんか)

 必死になって洋子は直子の体にしがみついた。

 その瞬間、直子の様子が一変した。その青白い炎が何かに押されるかのように揺らぎ始めたのだ。

 直子もまた苦しそうな表情へと変わっていく。

「く……くそ……」

「直子ちゃん……」

「きさま……こんな……あの女か……あの女がこいつらに力を……」

「直子ちゃん!」

 その隙をぬうように近づいてきていた和美も、洋子と同じように直子に飛び付いた。

「なにを!」

「もうやめなさい! もうやめて!」

 洋子は何があろうと離すまいとするように直子の身体をしっかりと抱き締めた。

「は、はなせ! はなせ!」

 子供とは思えない強い力で直子は二人を振り払おうとした。それでも洋子は決して手を緩めようとはしなかった。それは簡単なことではなかった。直子が逃れようとすればするほど洋子の体にはその青白い炎で焼かれるような鋭い痛みが走る。

「うぉぉぉぉ!」

 獣のような叫び声が直子の口から吐き出された。だが、次第にその直子の抗う力が落ちていくのを洋子は感じた。

(もう少し)

 洋子の手が和美の手に触れた。思わずその手を握りしめると、和美もまた握り返した。

 その青白い炎がみるみるうちに小さくなっていく。

「おの……れ……」

 それが最後だった。

 がくりと力が弱まり直子の体が崩れ落ちた。

 部屋のなかに渦巻いていた風も止み、静寂が部屋を包み込む。

 恐る恐る力を弱め、自らの体のなかに倒れる直子の顔を見つめた。その顔からはさっきまでの形相は消え、以前までの穏やかな表情が戻っていた。

「直子ちゃん?」

「直子?」

 二人で直子の顔を覗き込んだ。

 再び、直子が目を開けた時、そこにはもとの七歳の少女の瞳があった。

「お姉ちゃん……お母さん」

 洋子はその小さな身体を抱きしめた。


   *   *   *


 川辺洋子たち三人は翌日、笑顔で由美の前に姿を現した。

 洋子は昨夜のことを何も語ろうとはしなかったが、そこで初めて由美は昨夜見た光景がただの夢ではなかったことを確信した。

 手や頬にわずかながら火傷の跡が見えたが、洋子はそのことについて語ろうとはしなかった。

 由美もあえて、そのことを洋子たちに訊こうとは思わなかった。

(この人たちは勝ったんだ)

 もうあの〈男〉のは洋子たちの前には現れないだろう。どうしてかはわからないが、由美はそう確信していた。今はむしろ何も言わずに忘れさせてあげたほうがいいだろう。

「私たちここを引っ越すことにするわ」

 洋子は微笑みながら言った。

「なぜ?」

「昨夜、三人で話し合ったの。修一郎――お父さんの故郷で生活しようって。田舎で家族水入らずで暮らすのが、昔からのあの人の理想だったから」

 そう話す洋子の目には夢が輝いているように見えた。


   *   *   *


 洋子がここを去ってから一ヶ月が過ぎた。

 田川寿美が死に、杉原麻里が死に、川辺洋子は新しい生活を求めてこのマンションから出て行った。たった数か月の間に由美のまわりにいた3人が姿を消した。

 そして、次にあの〈男〉が狙うのは自分であろうことを由美は覚悟していた。

 だが、年を越した今になっても、まだあの男の影は見えない。

(何を企んでいるのだろう)

 何も起こらなければいい。そう思う反面、何も起こらなければ起こらないほど不気味さが増していく。

 あの時、なぜ、あの〈男〉が力を弱め、洋子を狙うことを止めたのか……それは由美にもわからなかった。

 だが、あの男が必ず次に由美たちの前に姿を現すことははっきりと感じられていた。

(そのために……)

 自分に何が出来るのだろう。

 由美の心のなかのにある不安は、日に日に増していくのだった。


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