1-1 地球の野良
西暦2112年。日本列島の東北地方。
山の中に一頭の熊の死骸が転がっていた。
胴体には大きな穴が開き、内臓はほとんど残っていない。
その傍らで、水色の毛に覆われた生物が、生々しく熊の骨を噛み砕いていた。
バキッ。
乾いた音が、静まり返った森に響く。
鋭い牙がべっとりとしたどす黒い血に染まっている。
血でぬかるんだ地面を蹴りあげ、エイリアンは流れるような身のこなしで狭い獣道を駆け抜けていった。
「そこにいたぞ!!!追うぞ!」
「よし!そっちにいくよ!ミウラ!追ってくれ!」
ジックがエイリアンの向かった方角を鋭く指し示す。
「わかった!このままいけば山を抜けるぞ!そっちは崖だ!」
ぼくは祖父から受け継いだ古めかしい猟銃を背負い、必死に追う。
やがて、草木をかき分けるガサガサという音が、崖の岩肌を激しく打ちつける波の音へと変わっていった。
眼前に開けた一面の日本海は、どんよりとした曇天の下、相も変わらず澱んだ鈍い色をしている。
追い詰められたエイリアンが、切り立つ崖の縁でピタリと足を止めた。
「もう逃げ場はないな。崖から飛び降りるか? 昔の映画じゃ十中八九、生き残るぜ」
ぼくは少し興奮している。
水色の毛が、海風にサラサラとなびいている。
その光景は、地球の景色にまったく馴染んでいない。
そう、こいつは、どこかの星からこの地球に”連れてこられた“エイリアンだ。
いまや、そんな光景は珍しくもない。
地球には多くのエイリアンがあふれている。
逃げ場を失った“野良“のエイリアンが、牙を剥き出しにして、ぼくに向かって全速力で跳びかかってきた。
その鋭利な牙が、まっすぐにぼくの喉元を狙う。
ぼくはすぐに銃口を下げ、引き金を引いた。
乾いた、けたたましい銃声が波の音を切り裂いた。
岩に打ち砕かれる波しぶきのように、鮮血が噴き出す。
祖父の猟銃で、獣を狩るようにエイリアンの足を撃ち抜いた。
耳をつんざくようなエイリアンの絶叫が、重い曇り空を突き抜けていく。
足を激しく痙攣させ、そのまま地面に崩れ落ちた。
「痛いか? もう暴れるなよ。おまえをこんな場所に捨てた、人間の飼い主を恨むんだな」
ぼくは冷え切った声で吐き捨てる。
「おまえが生きようが死のうが興味ないよ。あとは、大人がどうにかするさ」
ジックは続けてそう言うと、慣れた手つきで自身の血が入った黄ばんだ注射器をエイリアンの首筋へと突き刺した。
エイリアンはピクリとも動かなくなり、すぐに深い昏睡へと落ちていった。
今回は効いたようだ。
ぼくはジックを横目で見ながら、ニヤリと笑う。
ジックが自分の血の特性に気づいたのは偶然だった。
以前、ジックの腕を噛み、血を体内に取り入れたエイリアンがすぐに眠りに落ちたことで気付いた。
猟銃も血も使えるものは使う。それだけの話だ。
ぼくたちは、新緑の草が生える地面に腰を下ろし、一息ついた。
——じじい。今日も捕獲したぜ。まだ見つからないけどな…
「やっぱり、この銃の音が一番いいんだよな」
ぼくは、まだ火薬の匂いが残る銃身を撫でながら、独り言のように呟く。
「うるさいだけじゃない?」
ジックは相変わらず、思ったことをストレートに口にする。
「わかってないな。昔の男たちは銃に愛する女の名前をつけてたんだぜ」
「それ、銃に名前をつける理由になってる?」
「なるだろ。最高にロマンがあるんだよ」
「まあ、よくわからないけど」
ジックは興味のない話題になると、ばっさりと話を打ち切る癖がある。
「まあ、その銃声のおかげで、離れていてもミウラの居場所が分かるからいいんだけどね。……それじゃ、保健所に連絡する」
ジックはポケットから携帯を取り出し、手慣れた様子で通話を始めた。
ぼくは、じじいと過ごしたこの世界は嫌いではない。
ただ、世界が変わるのは一瞬だった。
ぼくは、じじいと町へ出かけたことをふと思い出した。
———
老朽化した街頭ビジョンでは、日々、ニュースキャスターが淡々と現実を報じている。
『……スペースナイン社が労働代替型エイリアンを導入したと発表。本格導入は年内を予想……。一方、エイリアンの権利を守る会、通称エイ権はこれに猛烈な抗議声明を……』
日々垂れ流されるエイリアン関連のニュースに、人々はとうとう関心を持つこと自体に疲れ果てていた。
じじいもこのニュースを聞いており、何も言わず、物思いにふける表情が印象的だった。
各国が競うように、エイリアンを新薬の材料、新しい素材の開発、あるいは退屈を紛らわす愛玩動物として連れ帰った。
理由は多岐に及ぶが、結果として星々の生き物たちがこの地球にあふれ返っている。
これまでの「人間中心」だった世界に異物が混入し、かつての厳格な管理主義では決められないことが多くなった。
次第に人々は諦めに近い感覚を抱き、管理しきれない現実そのものを受け入れるようになった。
社会は管理主義から離れ、ファジーな時代へと逆行していった。
完璧な管理など最初から無理なのだ。
法整備はいつも現実に追いつかない。
逃げ出し、逃がされ、故意に捨てられ、あるいは野生化して繁殖していく外来種たちの生息域は、この東北の山々にまで急速に拡大していた。
———
やがて、ジックが連絡した、白い防護服を着た大人たちが、銃で撃たれたエイリアンのもとへ足早に駆け寄る。
手際よく太い鉄の鎖が巻き付けられていく。
「これで、今月の捕獲ノルマは達成かな。……だが、この個体は、ちょっと……」
職員の一人が照合用の携帯端末の画面を何度も確認するが、エラーを知らせる電子音が森の中に虚しく響き渡る。
大人たちが顔を見合わせた。
その動きはどこか不自然に慌ただしく、どこかへ連絡を入れる。
彼らの背中は、いつもの淡々とした事務処理のそれとは違っていた。
ジックの鋭い視線が、ざわつく大人たちの間を行き来していた。
あいつがあんな怪訝な顔をするときは、大抵ろくなことが起きない。
「おい、このエイリアンを捕まえたのはきみたちかい? どう見たってただの子どもたちに見えるんだがね」
口髭の濃い男が、ぼくを値踏みするような鋭い目で睨みつけてきた。
「そうだけど、何か」
ぼくは臆することなく短く返す。
「そうか。大したお手柄だね。……で、いったいどうしてこのエイリアンは、足を撃たれて出血しているというのに、こんなにも穏やかな表情で眠っているのかな? 一体、何をしたんだい?」
男の声には明らかな不信の色が滲んでいた。
ぼくは隣のジックにちらりと視線を送る。
「疲れて眠っただけじゃないんですかね。もう帰っていいですか」
ジックは血液のことについてはシラを切る。
ぼくたちがこうして危険を冒してまで野良エイリアンを捕獲し続けるのは、単なる小遣い稼ぎなどではない。
「ジック、今度こそ見つけるぞ」
「何年探し続けていると思っているんだか」
「見つけるまで、終われるかよ」
「……そうだな」
ぼくたちは、いつだって大人たちから疎ましく思われていた。
すれ違う近所のおばさんらが、ヒソヒソと声を潜める。
「またあの子たち、野良を捕まえたんですって?」
「まだ諦めてないのねえ。あんな事故があったっていうのに……」
「おじいさんのこともあったし、本当に浮かばれないわよねえ」
ぼくは、親の顔は知らない。
物心ついたときには、じじいの存在があった。
じじいはマタギだった。
ぼくは頻繁にじじいと山に入り、獣を追った。
そんな、唯一の家族だったじじいを連れ去った、手足が複数あり、まるでエビのようにもみえる奇妙なエイリアンを探している。
「なんだ!このエイリアンは?誰の命令でここまで、きたんだ!?」
ぼくは、じじいの連れ去られる際の辛そうな表情を鮮明に覚えている。
そのエイリアンは、ぼくが近くにいたにも関わらず、目もくれなかった。
まるで、ここに来た目的はじじいだけのように…
幼かったぼくは、一晩中泣いた。
既にじじいは死んでいるかもしれない。
そのエイリアンを見つけ、捕獲したらどうするか?
知らない。その時の感情に任せるだけだ。
ただの死ぬまでの暇つぶしと自分を納得させている。
高齢化が進む、この小さな町では、すぐに噂が広がる。
話のネタが欲しいのだ。
「相変わらず、鬱陶しいね」
「ほっとけ! 意味のない会話をするやつらは、自分に意味がないって自己紹介しているんだよ!昔、じじいがそう言ってたぜ」
ぼくがそう吐き捨てると、ジックは小さく笑った。
その瞬間、ジックの携帯が鳴り響いた。
画面には、「見知らぬ番号」だけが表示されている。
ジックはそれを一瞥すると、わざわざぼくにも聞こえるようにスピーカーに切り替えて電話に出た。
「もしもし……」
受話器の向こうから、あの聞き覚えのある、冷ややかな大人の声が響く。
――おい。今すぐ、保健所に来い。
口髭の濃い男だった。
「何の用ですか」
男は一拍置き、重く低い声で告げた。
「……あの個体の登録番号を、照合した」
「それがどうかしましたか」
「その個体は――この地球に、本来存在するはずのない生物だ」




