城下町
昼前。4人は寺を後にした。
綾姫の熱はすっかり下がっていた。
まだ本調子ではないものの、歩くことに問題はなさそうだ。山道を下りながら、恒一は前を歩く綾姫へ声をかけた。
「本当に大丈夫ですか?」
「ええ。もう何度目ですか、その問いは」
「いや、だって昨日まで40度近い熱があったんですよ?」
「よんじゅう……?」
「あ、いや……こっちの話です」
綾姫が不思議そうに首を傾げる。
その後ろを巴が歩き、最後尾にはクルミが続いていた。
恒一は時折、視界の端に浮かぶ表示へ意識を向ける。
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【対象:畠山 綾】
体温 36.7℃
脈拍 79bpm
状態:安定
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(まあ、大丈夫そうか)
表示を消す。
「それで、これからどこへ?」
恒一が尋ねると、綾姫が前を向いたまま答えた。
「城へ戻ります」
「城?」
「畠山の城です」
その声がわずかに沈む。
「……残っている者たちがいるかもしれません」
恒一は何も言わなかった。
襲撃。
賊。
追われていた三人。
その言葉だけで、城が無事でないことくらいは容易に想像できた。
「分かりました」
恒一はそれ以上聞かなかった。
◆
山を下りてしばらくすると、道が広くなった。
踏み固められた土の道。人の往来に使われていたのだろう。
その先に、ぽつぽつと家屋が見えてくる。
「城下です」
綾姫が言う。
「城までは、この町を抜けていきます」
「なるほど」
恒一は何気なく町へ目を向け――
表情を変えた。
「これは……」
道沿いに並んでいたであろう家々。
そのいくつもが黒く焼け落ち、柱だけを残している。
屋根は崩れ、壁は剥がれ落ちていた。
道端には割れた桶や壺が転がり、泥にまみれた衣が放置されている。
焦げた木の臭い。
土の臭い。
そして……
恒一には覚えのある臭いが混じっていた。
自衛官として嗅いだことのある臭い。
死臭……
思わず奥歯を噛む。
綾姫の歩みも遅くなった。
「……ひどいですね」
小さく漏れた声。
巴が黙って綾姫の横顔を見る。
クルミも何も言わない。
町には人がいた。襲撃で命からがら生き残った者たちだ。
焼け残った家から荷物を運び出す男。
瓦礫を退ける老人。
道端に座り込む女。
母親の袖を握ったまま、こちらを見つめている子供。
誰の顔にも疲労が刻まれていた。
その中の一人が、綾姫に気付いた。
「……姫様?」
声が震えた。
その言葉に別の男が振り返る。
「姫様……!」
また一人。
また一人。
人々の手が止まっていく。
「綾姫様!」
「ご無事だったのですか!」
町人たちが集まってくる。
綾姫は彼らを見回した。
「皆……」
声が詰まった。
自分の領地に住む者達がここまで酷い有様に……
彼女は頭を下げた。
「申し訳ありません」
「私が……」
「姫様!」
年老いた男が声を上げた。
「お顔を上げてくだされ!」
「姫様がご無事であった。それだけでも……」
男はそこで言葉を詰まらせた。
綾姫は目元を袖で拭うと、唇を噛んだ。
恒一は彼女の数歩後ろから、その光景を見ていた。
(分かっちゃいたけど……姫なんだよな)
当たり前のことを、今さら実感する。
自分にとっては、熱を出して倒れていた一人の少女だった。
しかし、ここの人々にとっては違う。
彼女の生死そのものが、希望になる。
恒一は邪魔にならないよう、さらに後ろへ下がった。
その時だった。
「――待て」
低い声。
一人の男が恒一の方を見ていた。
40ほどだろうか。
額に布を巻き、左腕には血の滲んだ包帯。
その目が、恒一を捉えている。
「お前……」
男の顔から血の気が引いた。
次の瞬間、男は周りの者たちに呼びかけた。
「槍を持て! そいつを囲め!」
空気が一変した。
近くにいた男たちは驚きながらも武器を手に取った。
壁へ立て掛けていた槍、農具、棒。
手に取れるものを掴んで、恒一を取り囲んだ。
「ちょ、ちょっと待った!」
恒一は両手を上げる。
「何? 俺なんかした?」
「とぼけるな!」
槍の穂先が恒一の胸へ向けられた瞬間、反射的に右手が動いた。
右腰付近のホルスターへ。
指先がグリップへ触れる寸前、恒一は少しフリーズすると、手をホルスターから離した。
「(違う。この人達は敵じゃない)」
恐怖で武器を向けているだけだ。恒一はゆっくり手を上げ直した。
「分かった。何もしない」
「恒一!」
巴が刀に手をかけてすぐに動こうとする。
「巴さん、いいです」
恒一が制した。
「しかし……!」
「大丈夫です」
恒一が辺りを見回すと、誰もが殺気立っていた。
だが、よく見れば分かる。槍を握る手が震えている者がほとんどだった。
「お前、どこの者だ」
「……遠いところから」
「どこだ!」
「それは……」
「その髪!」
別の男が叫んだ。
恒一は眉を寄せる。
「髪?」
「その奇妙な衣もだ!」
男が恒一を指差した。
黒い迷彩服。コンバットシューズ。ガンベルト。ホルスター。
確かに、この時代の人間から見れば異様そのものだろう。
だが……
「……待ってくれ」
恒一の表情から笑みが消えた。
「俺みたいな格好の奴を知ってるのか?」
「黙れ!」
槍が一歩近付く。
「お前たちが!」
男の声が震える。
「お前たちが、この町を!」
恒一の目が細くなる。
「……お前たち?」
その言葉に引っかかった。
「どういう意味だ」
「白々しい!」
「本当に知らないんだ」
「ならば、なぜ同じ姿をしている!」
「同じ……?」
恒一が聞き返す。
男は吐き捨てるように言った。
「この町を襲った者どもだ!」
恒一の顔から完全に表情が消えた。
周囲の町人からも声が上がる。
「あいつらも髷を結っていなかった」
「見たこともない格好をしていた」
「こいつも同じだ!」
「仲間に違いない!」
「姫様から離れろ!」
恒一は何も言えなかった。
「(……どういうことだ? 俺以外にも……?)」
頭の中に、嫌な可能性が浮かぶ。
その時。
「槍を下ろしてください」
静かな声が響いた。
町人たちが振り返ると、それは綾姫だった。
「姫様……?」
「聞こえませんでしたか。その槍を下ろしてください」
先ほどまでとは違う。
柔らかな少女の声ではない。
綾姫が恒一へ歩み寄る。
「しかし姫様!」
「その者は危険です!」
「騙されております!」
綾姫は止まらない。
そして、恒一と槍の間へ入った。
「姫様?」
恒一が思わず声を漏らす。
槍の穂先の前に、綾姫が立っている。
「姫様! お退きください!」
「退きません」
「ですが!」
「この者がいなければ」
綾姫が町人たちを見る。
「私は今、ここにはおりません」
ざわめきが止まった。
「賊に追われた私たちを救ったのは、この者です」
「私が病に倒れた時、夜を徹して看病したのも、この者です」
「水を探し、薬を与え、私の命を繋いだのです」
恒一が後ろから小声で言う。
「薬はほとんど使ってないですけど……」
「黙っていた方がいいと思うぞ」
巴は小声で恒一に忠告した。
町人たちの表情は険しいままだった。
「されど……」
最初に槍を向けた男が言う。
「そやつの姿は、あの者どもとあまりにも……」
綾姫は遮った。
「私も、この者が何者なのか、すべてを知っているわけではありません」
綾姫は恒一を一瞥して続けた。
「ですが、この者が私たちを救ったことだけは、疑いようがありません」
町人たちを真っ直ぐ見つめる。
「恒一は、私の恩人です」
「この者に槍を向けるというのなら、まず私を退かしてからにしてください」
「姫さ……」
「黙っていた方がいいと思うぞ」
巴は再度小声で恒一に忠告した。
しばらく誰も動かなかった。
しかし、やがて男がゆっくりと槍を下ろした。
「……姫様が、そこまで仰るのであれば」
一人。
また一人。
槍の穂先が地面へ向いていく。
だが、誰一人として、恒一を見る目から疑念を消してはいなかった。
恒一はそれを感じながら、小さく息を吐く。
「……どうも」
返事はない。
「(歓迎って雰囲気じゃないな、こりゃ)」
そう心の中で呟いた時。
「うっ……」
人垣の向こうから呻き声が聞こえた。
恒一が振り向く。
焼け残った家屋の軒先。
一人の女性が、腹を押さえて蹲っていた。
「母ちゃん!」
子供が駆け寄る。
女性が口元を押さえた次の瞬間。
「うっ――!」
地面へ吐いた。
恒一の表情が変わる。
そのすぐ先にも横たわる老人。
腹を押さえる男。
嗚咽している少女。
一人ではない。
「……なんだ?」
恒一が周囲を見回す。
さっきまでは、襲撃による怪我人だと思っていた。
だが違う。
包帯を巻いた者とは別に、明らかに病に伏している人間がいる。
「姫様」
「……はい」
「この人たち」
恒一は倒れた女性を見つめる。
「いつから吐いてるんですか?」
綾姫にも分からない。
代わりに町人の一人が答えた。
「……数日前からだ」
「数日前?」
「腹を下し、吐き……熱を出す者まで現れた」
別の老人が震える声で続ける。
「日に日に増えておる」
恒一の目が細くなる。
「医者は?」
「薬師も診た。だが、どうにもならぬ」
町人たちの視線が、焼け落ちた町の一角へ向いた。
そこには小さな祠があった。
何人もの人々が膝をつき、手を合わせている。
「……祟りだ」
誰かが呟いた。
「祟り?」
恒一が聞き返す。
「この町を襲った、あの奇人どもがもたらした呪いだ」
恒一は祠を見る。
必死に手を合わせる人々。
その横を、また一人、腹を押さえた男が運ばれていく。
「呪い……ね」
恒一の顔から、いつもの軽い笑みが消えた。
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