綾姫
朝日が障子を淡く染め始めていた。
鳥のさえずりが、静かな山寺へ響く。
綾姫はゆっくりと瞼を開けた。
「……ここは」
木組みの天井。
見慣れない寺の一室。
ぼんやりとした意識が少しずつ戻っていく。
身体を動かしてみる。
昨日まで全身を焼くようだった熱は、不思議なほど引いていた。
布団の傍らには、一人の男が座っている。
黒い異様な装束をまとった青年。
胡座をかき、片膝だけを立て、その膝へ肘を預けたまま目を閉じていた。
眠っているようにも見える。
少し離れた床では、巴が壁にもたれたまま眠り込んでいた。
さらにその向こう。
褐色の娘――クルミは、床へ直接左側を下にして身体を丸め、小さな布だけを抱くようにして眠っている。
綾姫が静かに身体を起こそうとした、その時だった。
「無理しないでください」
恒一が口を開く。
綾姫は思わず息を呑んだ。
「起きて……いらしたのですか?」
恒一はゆっくり目を開け、小さく笑う。
「寝てましたよ」
「ですが……」
綾姫は不思議そうに首を傾げる。
「座ったままでした」
「ああ」
恒一は肩をすくめた。
「仕事の癖です。こういう寝方もできるんですよ」
(変わった方……)
綾姫は少しだけ感心したように見つめる。
恒一は視線を少し逸らし、心の中で呟いた。
(A.R.G.O.S.、状態確認)
青白い表示が視界へ浮かぶ。
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【対象:畠山 綾】
体温 36.8℃
脈拍 82bpm
脱水 解消
危険状態を脱しました。
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(よかった)
心の底から息を吐く。
「熱は完全に下がりました。もう大丈夫です」
綾姫は微笑んだ。
「それは……神代殿のおかげですね」
そう言って身体を見下ろした瞬間。
「あ……」
自分の衣が変わっていることに気付く。
見覚えのない、薄い麻の衣。
「この衣服は……」
恒一は頭を下げた。
「熱を逃がすために着物は脱がせました。勝手に申し訳ありません」
綾姫の頬がみるみる赤く染まる。
胸元を両腕で隠しながら、小さく震えた声で言った。
「ま、まさか……あなたが」
「違います!」
恒一は勢いよく両手を振る。
「そこは全部、この二人に任せました!」
その声で巴が「ん……」と寝返りを打つ。
二人は慌てて口を閉じた。
静けさが戻る。
綾姫は恥ずかしそうに胸を押さえながらも、小さく笑った。
「それなら……安心しました」
恒一も苦笑する。
「誤解されたままだと困るので」
少し間を置いて。
「少し……外を歩いてもよろしいでしょうか」
「歩けそうですか?」
「ええ」
「じゃあ、ゆっくり行きましょう」
◆
寺の外。
朝露をまとった草が朝日に輝いている。
山の空気はひんやりとして心地よかった。
二人は並んでゆっくり歩く。
綾姫が静かに口を開いた。
「恒一」
「はい」
「あなたは……何者なのですか」
恒一は少し笑う。
「巴さんにも話しましたが、遠い国から来ました」
「そして、この国で言う武士に近い仕事をしていました」
「人を助け、時には、人を守るために戦う。簡単な治療、応急処置ならやることもあります」
「異国には、そのような人を守るための専門の職があるのですね」
「ええ……そんな大層なものではありませんが」
少しだけ沈黙。
やがて綾姫が空を見上げた。
「ですが……“異国”と言われても、あなたはそれだけでは説明がつかない気がするのです」
恒一の足が止まる。
綾姫は恒一を見ない。
朝日に照らされる山々を見つめたまま続ける。
「火薬の武器」
「見たこともない衣」
「病を見抜く知識」
「水を失った身体を救う術」
「そのどれもが、異国という言葉だけでは届かないほど遠い」
綾姫は静かに息を吐く。
「まるで……」
一瞬だけ言葉を探す。
「私たちが生きている場所とは、違う世界」
「越えることのできない壁を越えて来た人のように思えるのです」
恒一は何も答えられず、ただ綾姫を見つめることしかできなかった。
目を逸らしたら彼女の言葉を肯定してしまいそうな気がしたからだ。
彼女は問い詰めようとはしない。
答えを求めてもいない。
ただ、自分が感じた違和感を、そのまま口にしただけだった。
恒一は小さく笑う。
「綾姫は、鋭いですね」
綾姫もまた、小さく微笑んだ。
「私は人を見る目だけはいいのです」
「神代殿は……」
「巴さんにも言ったんですけど、殿をつけるのはやめてください。落ち着かないので」
「恒一と呼んでください。巴さんもクルミもそう呼んでます」
「そ、それでは……」
「恒一……」
「はい」
名前を呼ばれて、それに応える。
ただそれだけなのに2人はどこか恥ずかしくなって、顔を伏せた。
「それで、言いかけたのは?」
「なぜ恒一は、私たちを助けてくれるのですか? ある方の命令と言っていましたね? どなたです?」
至極真っ当な問いだった。
この時代で異質な彼がなぜ自分たちを命を賭して助けたくれるのか。
心のどこかでまだ違和感や警戒心があった。
その問いについて、恒一は困ったように目を逸らした。
「それは……言えません」
「ただ、あなた方の味方であることは誓えます……!」
恒一の言葉は力強い。
「また……お話できる時がくれば、します」
綾姫は目を閉じて小さく息を吐く。
「……わかりました……私たちも頼る伝手がほとんどありません。あなたが何者なのかは分かりませんが、少しの間、よろしくお願いします」
「恒一、あなたも寝てください」
「賊が来るかもしれませんし」
「あなたには、鉄の武器があるでしょう?」
綾姫は恒一の右太ももに装着された鉄の塊−−拳銃を指差した。
「わかりました。では少しだけ。そっちで寝るので、姫様はそこで寝てください」
そう言って恒一は立ち上がると、入口付近の彼女達から少し離れたところてま横になった。
それを見届けた綾姫も再度寝入った。




