「下世話」
「……はぁ。明日から警視庁の保安課か……サイバー犯罪対策課じゃなかった私を元気にするため、何かの手違いで、あいつを生活備品として寮に誤送付してくんないかな。」
牛タンを咀嚼しながら、朝倉がクズみたいな願望を口にする。
いつもの談話室は、各地の酒とツマミの匂い、そして女子学生特有の、精液の匂いすら連想させるような濃厚な欲に満ちていた。
「無理よ。あいつの『提出物』、知ってる?先月の定期提出の数値を盗み見た浅井の話じゃ、『ランクS』だったらしいよ。紙にSって印字が見えたってさ。」
干川が明太子を指で舐めながら、獲物を定めるような目で言った。
20歳を超えた男性が月に一度の精液提出を終えた後、繁殖適格判定に応じてランク分けがなされる。
「ランクS……。それって『交配権』の倍率、ウチの入校試験より高いんじゃないの?」
横峯が驚愕の声を上げ、それに干川が反応する。
「ウチらは一応キャリアだから、まだ可能性あるよね。卒業後の成果次第では、1発目の交配権行使であいつを選択することも出来る可能性あるし。流石にあいつはⅡ型でしょ。」
ランクSの精液は、『繁殖力に優れ、交配に広く使われるⅠ型』、『繁殖力に優れている上、男性自身が特異な才能を有しているⅡ型』に分けられる。
「Ⅱ型なのは間違いないね。あんな胆力がある男ってこれまで見たこと無いし。交番の実習で扱った男なんて、幻滅するやつばっかりだったわ。」
朝倉がそう言いながら牛タンを二枚掴んで、口に放り込む。
「Ⅱ型だとしたら、うちの同期で優先交配できるのは優秀な2、3人ってとこね。私は孕むなら佐藤のが良いから、卒業したら死ぬ気で頑張らないと。」
干川が両手で拳を作り、やる気をみなぎらせたポーズを取る。
目覚ましい成果を上げた国家公務員は毎年、数名程度ランクS-Ⅱ型の優先交配権が褒賞として与えられるためだ。
「……あんたたち、ホントに浅ましいわね。」
姫野はへしこを細かく千切りながらそう言ったが、その耳は少し赤い。
「姫野は男自体を嫌ってるもんね…でも……私は少しわかるわ。」
そう言いながら最上がくさやスティックの封を開ける。
「…悔しいけど、あの組手の時の、無機質で圧倒的な強さ。……あれを身体の芯で受け止めたら、本能が『この男の子を産め』って叫ぶのよ。あいつ、ただの資源じゃない。……オスとしての格が違う……」
「あー!最上がまた思い出して濡らしてる!チョロすぎ!!」
「うるさい!ただの分析よ、分析!ほんとだから!!」
焦る最上を中心に笑い合った4人の中で、横峯だけが静かにだし醤油をかけた豆腐を突ついていた。
その様子を、朝倉の鋭い視線が逃さない。
「……ねえ、そういえばさ。横峯、タバコの銘柄変えたでしょ。また佐藤の影響?」
部屋の空気が一瞬で凍り、そして沸騰した。
「え、マジ!?あの思い出のメンソールはやめちゃったの?」
「あー、横峯!ついに振られたかー!仕方ないよねー!佐藤は法律にしか興味がないから!」
横峯は頭を掻いて、ポケットから緑色のパッケージを取り出した。
「うわっ!ほんとに銘柄変えてんじゃん!何で変えたの?」
「……別に、久々に校舎に戻ってきたから、非常階段で吸おうとおもったら、たまたま、佐藤が、この銘柄に変えてたから、おいしいのかなって思っただけ……」
「うっわ!ストーカーじゃん!火を借りたあの日から横峯がただのストーカーになってるよー!」
干川が身を乗り出す。
「……佐藤は、男が女のタバコに直接火をつける意味を『知らない』って言ってたし、私はストーカーじゃないよ!」
そう言いながらも横峯は、あの日、触れ合いそうになった睫毛の距離と、タバコの先が赤く灯った時の、心臓が爆ぜるような音を思い出していた。
「それに、佐藤は『毒の共有だ』なんて、可愛くないこと言って……」
「「「「毒の共有……っ!!」」」」
それを聞いた4人が悶絶する。
「何それ格好良すぎるんだけど! 逆に濡れる!」
「あいつ、無自覚に女を殺しにかかってるわね……」
「横峯、あんたそれ、もう半分妊娠してるようなもんじゃない」
「バカ言わないで……」
横峯は顔を伏せ、無理やり酒で熱を流し込んだ。
「佐藤は、そんな安い男じゃない。……実家が潰れかけて、私が実家に戻ろうとした時、あいつは『被害者の顔を想像しろ』って私を叩き起こした。」
横峯の目が、酔いが回りながらもふと真剣なものに変わる。
「佐藤悠真は、誰の所有物にもならない。……でも、もしあいつがこの狂った組織を内側からぶち壊すっていうなら、私はその『毒』を最後まで一緒に喰らってやるって決めたの!」
「で、佐藤に合わせてタバコも変えましたー!ってことかー!情熱的だねぇ!」
干川が再び茶化すような雰囲気を醸し出した。
「だーから!佐藤が吸ってたから、おいしそうだと思って買ったの!」
「それがストーカー気質の執着だって、そう言ってんのよ。」
姫野が、へしこを口に運びながら冷たく、だが確かな重みを持って割り込んだ。
全員の視線が、班で最も男嫌いとされる姫野に集まる。
姫野は一度、窓の外の非常階段のある方角を見やり、ため息をついた。
「横峯。あんた、一年以上前に非常階段で私の鼻をミントの香水で誤魔化したこと、覚えてる?」
横峯の肩がビクリと跳ねる。
「……あ、あの時は、私が香水つけてただけで……」
「嘘ね。あの時、あの場所には佐藤がいた。そして、あいつが吸っていたメンソールの臭いを消すために、あんたはあいつの銘柄に似た香水を自分にぶっかけた。……警察組織を腐らせる、個人的な情実の極致だわ。」
部屋が静まり返る。
姫野の指摘は、単なる追求ではなく、あの日からずっと抱えてきた規律への裏切りに対する自白のようでもあった。
「姫野……気づいてたの?」
「気づかないわけないでしょ。バレバレよ。……でも、報告しなかった。規律よりも、あんたたちのあまりに醜く、切実な共犯関係の方に、……ほんの少しだけ、興味が勝ったから。」
姫野は酒を煽り、耳の赤さを隠すように横を向いた。
「佐藤悠真は、ランクSの資源なんかじゃない。あれは、女を狂わせるための猛毒よ。それに触れて平然としていられるほど、私たちは強くない。」
姫野がそう言って再び窓の方を向いた。
「……そうね。あの組手のマウントの感触だってそう。あいつが放つ『オス』の波動は、私たちの理性を一瞬で溶かす。……交配権とか優先順位とか言ってるけど、本能ではみんな分かってるんでしょ? 」
最上が、くさやスティックを握りしめたまま語り、朝倉が深く頷いた。
「誰が選ばれるかじゃない。あいつが誰を『選ぶ』のか……。あるいは、誰をも選ばず、一人で現場の地獄へ突き進むのを、私たちは指をくわえて見てるしかないのかって……大阪で男性職員の自殺もあったし……」
「……悔しいよね。国家資源として守るべき対象に、魂ごと持っていかれてるなんて……」
干川が、明太子で真っ赤になった唇を噛んだ。
朝倉が空になった缶をテーブルに叩きつけた。
「……決めた。私、これから死ぬ気で実績積んで、絶対にあいつの『優先交配権』もぎ取ってやる。そして、交配権の行使も直接佐藤のシリンジで入れるのも同じでしょ?って言ってやる!」
「「「「最低……っ!」」」」
全員が笑い、そして涙ぐんだ。
横峯は、新しく買った緑色のタバコのパッケージを愛おしそうになぞる。
「……明日、私たちはそれぞれの現場へまた行く。……佐藤はきっと何もさせて貰えないんだろうけど、佐藤の分までこの狂った組織の階段を駆け上がって、制度を変えるしかない。……また皆で成長して再開しよ!」
横峯は立ち上がり、チューハイの缶を掲げた。
「「「「乾杯!!」」」」
女子寮の喧騒が、夜の静寂に溶けていく。
明日、彼女たちはそれぞれの戦場へ。
そして佐藤悠真は、誰にも知らされずに『点』を繋ぎ始める。
それが、どのような結末を迎えるのかは誰にも分からない。




