壱 ある大学生の一生
両親は良く言っていた。
「命懸けでお前を生んだんだよ」
出産時に色々あって、母を取るか子を取るかみたいなことを言われたらしい。
もっとも結果的には母子ともに助かった。
俺は無事に外に出た時は3000グラムオーバー。
ただ、母さんは二人目は無理な身体になった。
もっともそうでなくとも一人っ子の予定だったらしい。
なにせ出産前から決めてた俺の名前は”日登利”なんだから。
そんな一人っ子確定で生まれた後の俺は順調に育った。
母さんは1年近く伏せっていたらしいけど、隣には伯母夫婦が住んでいた。
仲の良い姉妹で結婚後も隣の家。別に田舎の一軒家ってわけじゃなくて、首都圏のベッドタウンの分譲地でだ。
特に父さんはちょっと無理をしていたように思う。
多分一人っ子確定の理由の一つは経済力だったろう。
食事はちょくちょく伯母さんが差し入れしてくれてた。
家の車はボロの商用車で、ナビなんてものもなかった気がする。
犬が欲しいと言っても、飼う余裕がないと暗い顔をさせたこともある。
そしたら伯母さん夫婦が犬を飼いだしたりもした。
とはいえ概ね幸せな暮らしだったと思う。
誕生日には伯母さん家の息子も合わせてみんな集まってやった。
クリスマスも、父さんと伯父さんでサンタ&トナカイをやってくれた。
節分だって赤鬼青鬼そろい踏みだった。
俺の6つ上の伯母さんの子が、当たりのきつい時期はあったけど。向こうが中学に上がる頃には頼れる兄貴みたいになってた。
だから10歳の時に両親が失踪しても別に寂しくはなかった。
ただ帰って来ないだけ。
ただそれだけだ。
「可哀想に――泣かなくて偉いわ」
「辛いでしょうに、まだ10才なのよ」
周りが悲しそうだから、釣られて悲しんでみただけだ。
隣で親族だったから、俺はすんなりと伯母さん夫婦に引き取られた。
気付いたら法的にも親子になっていたらしい。
ただそれから伯母さんが良く怒るようになった。
「また、何もしてくれてないって。なんで捜査しないのよ」
どうやら両親の失踪の件で警察が動かないらしい。
まあ、良い年した大人の失踪、しかも事件性なしだ。
仮に子供が居ても腰は重いのは理解できる――今となっては。
ただ、失踪届すら弁護士使わないと受理しなかったのは変だ。
「受け取らないと駄目なんですけどね」
と弁護士も首を傾げるくらい不自然なこと。
更に警察が家に着たこともなければ、事情を聞かれたこともない。こっちから捜査状況を聞きに行ってもなしのつぶて。
伯母さんは良く警察に対して悪態を吐くようになった。
だから俺は自分で調べるようになった。
まあ、捜査をするってわけじゃない。
聞き込みとかもしない。両親が居なくなる理由に心当たりもない。
有り得る可能性として山歩きを趣味にした。
山に上って崖から転落死。ちょっと前にそんなニュースが流れたた。確か漫画家か何かだったと思うけど。
ともかく、そう思いたかったんだ。俺が捨てられたわけじゃないって。
だから俺はずっとワンゲル部に入っていた。
まあ見つかるわけがないんだけどさ。
中学の部活で行く山は対したことない。夏休みに行くのも一泊で行ける山ばかり、隣県がせいぜいだった。
高校になっても変わらない。
変わったのは俺が山に上る理由を伯母さんが察したことくらいだ。
「また山に行くの?」
「休みになる度行って――バイトはそのため?」
「そんなことしても――見つからないわ」
顔が暗くなっていくのが俺も辛くなったけど、辞められなかった。
高校を卒業したらそれも終わる。
と思っていたけど。
「大学には行きなさい。家から通えるところよ」
謎に縛りが発生した。
多分、両親のことがあって出て行かせるのが不安だったんだろう。
少し大変だったけど、近くの国立になんとか現役で行けた。
伯母さん夫婦に恩を返そう。
なんて意識になったのはかつての成人年齢を迎えた頃から。
就活を3年の内に終わらせた。
そんで4年、両親が居なくなって干支が一周した記念で俺は最後の山登りに行く。
まあ、そんな記念がなくても、これで終わりだ。
何せ招待があった。
それは父さんの姉って人からだ。
受け取ったのは大学のゼミで、教授に呼び止められて――弁護士を紹介された。
白髪が目立つ割にソフトモヒカンの、老いた割に勢い良く喋る弁護士だった。
「吉海日登利さんですねっ。私、弁護士をしております。中藤と申します!」
「はい――両親のことですか?」
弁護士は少し笑って頷いた。
「察しが良くて助かりますっ。はい、手紙の主は貴方の父君の姉に当たる方です!」
「父さんの家族!? じゃあ、その人は――両親の行方を知っているんですかっ」
「分かりませんっ、ただ貴方よりは事情が分かっていると思われます!」
「事情って失踪に事情があるってこと? 事故とかじゃないって言うんですか?」
「私は伺っておりません! ただ、貴方の父君について話たいとだけです! そして丁重にお連れするようにとも!」
「電話では駄目ですか?」
「電話で出来る話ではありません! また、依頼人は大変忙しい方で。出来れば其方から出向いてくれないかと。勿論! 旅費の一切は出すとのことです!」
「場所はどこですか?」
「はい! N県の山奥になりますっ」
「そこが父さんの故郷――なんですね?」
「そうなります!」
「分かりました。行きます」
「ありがとうございますっ」
日程は夏休みになってからにした。
その方が伯母さんたちには卒業旅行と言いやすいからだ。
父さんを探しに行く――きっとまた悲しむからだ。
多分、生きてるって話はされないだろう。
生きてるなら――普通に連絡があるはずだ。
それに卒業旅行ってのは嘘じゃない。
これで両親のための山登りは卒業にするつもりだったから。
社会人になったら、あの2人を父さん母さんと呼んでみようと思ってたから。そのための区切りの旅行に――なるはずだった。
父さんの故郷、飛鳥馬という場所は聞いたことのない場所。
見たこともないレベルの田舎だった。
「こっから更にタクシーか――思ったより田舎だなぁ」
タクシーの運転手も、少し困るほどの田舎らしい。飛鳥馬と言うと露骨に嫌な顔をされた。
「飛鳥馬ですか? 車が汚れるんだよなぁ。あ、いいですよ。勿論出します」
山を越えてトンネルを抜けて、嫌がる理由が分かった。
『虫釜の里――飛鳥馬へようこそ』
という看板と同時に。
――パシィ
フロントガラスにバードストライクならぬインセクトストライクの跡が付いた。
「お客さん。虫大丈夫ですか? 尋常じゃなく出ますよここ?」
「ああはい、山登りが趣味なので。慣れてます」
「みんなそういうんですけどねぇ。並みの防虫スプレーじゃあ足りないですよ」
「こなへんのアルプスも行ったことありますんで」
「ああ、そう。なら大丈夫――かなぁ?」
そういう間にもインセクトストライクがあった。
車が行く道には田畑が広がり、その向こうは山。山に囲まれていて行き場がない。
田舎の閉塞感が現れたような地形。広々としているのに息がつまりそうだった。
とはいえずっとそれじゃなく、国道を走るタクシーが少し行ったら町が見えた。
「じゃないと生活出来ないよな」
ちょっとしたショッピングモールと、ちょっとしたビル群が現れる。まあ、ビルと言ってもせいぜい5階建てくらいで低いけど。
「あ、ホテルニュー竃土までお願いします」
「はいはい、向かってますよ。どうせ泊まる場所なんてそこしかないんでね」
1つ――本当に田舎だ。
「おー結構立派じゃん」
ビルは結構豪華だった。
東京に建っていてもおかしくないレベルで、恐らく結構新しい。
ただテナントがどうにも田舎っぽい。
「老人福祉センターばっか」
後はウーマンだとか男女平等だとか人権っぽい言葉が並ぶ。
立派なビルは役所絡みばっか。民間の店が入っている建物はボロボロの年代物だ。
――没落
なんて言葉が浮かぶ。
「税金使って何してんだかねぇって思いました?」
「いや、ええ、まあ」
「ですよねぇ。税金下げろっての。出来なくても仕事作れってねぇ」
「そうですね」
「それに、ここ道路も酷いもんでしょ。がったがたで」
確かにタクシーにしては乗り心地が悪い。まあ、乗ったことは数回しかないけど。
「あ、付きましよ。ほんと、虫には気を付けてくださいね」
「はい、ありがとうございます――ってこれかぁ」
薄汚れて、ペンキの剥げかかった看板に『ホテルニュー竃土』とある白い建物の前に降り立った。
「何がニューだよ」
と、悪態を付きたくなる。
まあ、中は悪くなかった。サービスも悪くない。晩飯も普通に美味かった。
「白い茄子は美味かったなぁ――まあ虫が出なくて良かった」
父さんは食べてたのだろうか。
旅の疲れもあり、弁護士のおっさんに連絡するとすぐに寝てしまった。
翌日、弁護士のおっさんが言った通り迎えが来た。
朝食を食って服を着替え、ロビーの赤いソファで待っている。
「ああ、君が東野か」
声の方を振り向くと、逃げ出したくなる女が居た。
派手という言葉じゃ言い尽くせない。どこかロープレのラスボス味のある妙な配色の妙な格好の――年齢不詳の女。
初老くらいに見える男を連れて、こっちは普通のおっさん――かと思ったら片目が白く濁ってる。
「君だ君。ソファに座ってる君」
「え、俺? 俺は東野じゃないですけど」
「あ、ああ、そうか。そうは名乗ってなかったな――すまない」
にっかり笑う女。笑顔が牙を向いた獅子みたいで――また逃げ出したくなった。
「ああ、じゃあ貴方が父の――」
「そうだ。私は吾妻相依。君の父さん。若利の姉だ」
「吾妻――ですか?」
「吾妻家は長子以外は東野と名乗る決まりでね」
「そうなんですか」
「ああ。割と名家だからね。余所で勝手に飛鳥馬の吾妻って名乗られたら困るんだ。といっても今の子にはピンと来ないか。単なるド田舎の風習と思って欲しい」
「はぁ、それで父は――父の行方はご存知ですか?」
「残念ながら今どこでどうしているかまでは分からない。ただ――」
「ただ?」
「12年前に若利とその妻――ええと」
「母はひとみです」
「そうだそうだった。若利がそう呼んでたな」
「会った――んですか」
「ああ、ここでな。恐らく君の前から消えた後のことだ」
初めてだ。
初めて掴んだ両親の手がかり。
俺は気が逸っていた。
めちゃくちゃ怖いと思った女に。
親族と名乗るだけの女に。
会ったはずの母さんの名前も忘れた女に。
一度も俺の名前を呼ぶこともなかった女に。
気を許してしまった。
「若利たちが最後に行った場所。行ってみるかい?」
「お願いします」
何も疑うこともなく、車に乗り込んだ。
山奥に向かっても警戒することもなく。
なんでこんな場所に建物が建っているかも不思議と思わなかった。
なんで建物が厳重に閉じられているかさえ、考えることもなかった。
だから、俺の人生は終わることになった。




