第九十九話 テロリスト
雨は止むことを知らない。容赦なく降り続ける。そんな中、雨夜とソナムは向き合っていた。豪雨の中だが、ソナムの声はよく通った。
「反政府勢力でもテロリストでもない。連合軍の空爆で一般人が死んでいるんです」
予想外の言葉に、雨夜は一瞬視線を下に落とした。
「大義の前に……多少の犠牲は……」
ソナムの言葉に雨夜の信念が揺らいでいく。
「あなたの言う世界平和は……ボクらにはいりません」
「に、日本は……東国連合の友好協力国として……支援……を」
ソナムは亡霊のような暗い瞳で雨夜を見据えて言った。それは幼子を諭す親のような口調である。
「あなた方が連合という名の『テロリスト』に支援をするから、戦争が終わらないんです」
「……テロリストは……あなた達でしょう! 沢山の人を……巻き込んで! 子供に爆弾を……無理やり……」
ソナムは溜息をついて雨夜から視線を逸らす。その顔に失望の色が見えた。
「この国では子供が爆弾で死ぬことはない。平和ぼけをしているから危機感が芽生えない……。だから善意と称して戦争を支援するんだ」
ソナムは雨夜の目を見据えて言う。
「水門の姫様。あなたを殺せば水門は失墜し、ミサイルを輸出できなくなる。サルティへの空爆が減るかもしれない……そうなるならファイブソウルズは喜んであなたを殺します――ただ……」
「おい……やんのか?」
シュウは雨夜とソナムの間に立ち塞がる。ソナムから物騒な言葉が出たからである。
「――今のあなたは殺すに値しない」
ソナムはそう言うと背を向け歩き出す。雨夜はただ立ち尽くしている。その顔は呆然としていた。
「……やはり、狙うならあなたの父親……高原左京か」
ソナムの宣言に雨夜が反応した。
「……お父様を? ま、待ちなさい!」
ソナムは立ち止まらない。もう用は済んだと言わんばかりである。
「おい! 俺もファイブソウルズには借りを返さなきゃならねぇ! 逃げんのか!」
シュウはソナムに向けて叫んだ。ソナムは立ち止まると、シュウの方を見る。
「……ジャスミンから話を聞いています。あなたはルトナの死を悼んでくださった。だから今日は殺しません。でも次に会ったら……」
激しい豪雨の音で、ソナムの言葉はかき消えた。そしてその背中は廃墟群に紛れて見えなくなった。シンユーはクシャミをするとシュウに言った。
「さて。俺等は帰る。お前とはもう会うこともねぇな」
シンユーはソジュンを背中に担ぐ。シュウはソジュンの顔を見ると思い出したように言った。
「ああ、そいつはあの時のアイツか。氷川四中抗争の時の。まだ生きてんのか?」
「そう簡単にソジュンが死ぬわけねーだろ。ボケ」
「シンユー……お前も酷い傷だが、歩けんのか?」
シンユーはシュウの問いには答えず、前から思っていたことを口にする。
「お前さ。これ以上トラブルに首突っ込むな! リーシャ様に心配掛けるなよ……。じゃあな」
「ああ? 誰だ? リーシャって!」
「龍尾の頭領だ! 馬鹿野郎!」
シンユーはシュウに怒鳴った後、雨夜にも声を掛けた。
「おい、ガキ。お前は普通に飯食って、普通に学校へ行け。お前には……それができるんだからな」
「私には……水門の使命が……あります」
シンユーは呪詛のように「使命」と繰り返す雨夜を一瞥すると雨の中を歩いていった。
「けっ、シンユーめ。あれだけ憎まれ口を叩けるなら大丈夫そうだな。……ん?」
遠目でシンユーに話し掛ける人影が見えた。ピンク色のパーカーを着ている金髪の少女だ。二人は何やら会話をすると、一瞬シュウの方を見る。
「……誰だ? あの子は」
見覚えのない少女である。その後も少し会話をし、少女は姿を消した。シンユーはもう一度シュウの方を振り返るが、何も言わずに去って行った。雨の中、シュウと雨夜が残される。
「……私は」
雨夜は俯いて顔を上げない。あれだけ気が強かった雨夜が小さく見える。シュウは雨夜の頭を撫でると意図的に明るい声を出した。
「なんつーか……マナリンクからの帰りで大変だったな! ケーキでも食って帰るか?」
「……ふふ。こんなに濡れていたら、どこにも入れませんよ……シュウさん」
雨夜は力なく微笑むと、シュウに言う。
「シュウさん……。リッカさんが泣いていた時……私が言ったことを覚えていますか?」
「ああ」
――涙している女の子の前で慌てるなんて、男性としてどうでしょうか。しっかりと受け止めてあげてください――
「了解だ」
雨夜がシュウの腰に手を回し、抱き付いてきた。小さな肩が小刻みに震えている。
「……シュウさん。……どうか……少しこのままで」
雨夜は静かに涙を流していた。雨夜が泣くことは滅多にない。シュウは優しく微笑んだ。
「なんだよ……? へこんでんのか?」
シュウは雨夜の頭を優しく撫で続けた。
「……うぅ……っく……」
雨夜は雨の中、泣き続ける。年相応に泣いていた。
「……雨夜」
シュウは雨夜をそっと抱きしめた。彼女が顔を上げるまで――。
雨が止む気配はない。激しく降る雨は全ての痕跡を洗い流していく。
◆
――廃墟街の表通り。黒いビニール傘を差す二人の男がいた。遠藤と新垣である。二人の前には壁に衝突した放置車両がある。
「あの車かな? 新垣くん。開けてみて」
「うっす。えーと、鍵は開いてるッスね。……あったあった! これだ」
新垣は後部座席からアタッシュケースを取り出した。龍尾がスパイダーから買ったDMDである。シンユーはソジュンを病院へ連れて行くため、パンクしている車には戻らなかったのだ。
「金とブツの強奪。コンプリートだね。新垣くん。開けたらダメだよ? ダークマナは有害だから」
遠藤はそう言うと、新垣の肩を叩いた。
「うっす。それにしても遠藤さん。あんたが一番怖いかも。ニシカワフーズの事件が東銀からギフターを遠ざけたわけだろう? あれすら布石とは誰も思わないっしょ」
新垣は冗談交じりに言った。遠藤はにっこり笑うと廃墟街を歩いて行く。この後は龍王の幹部が集まる飲み会である。良い報告ができそうであった。
「荒川アウトサイダーズは、まあまあの働きをしましたね。勝負を決めたのはサクラのファイブソウルズでしたが。目的を殺害ではなく強盗にしておいて良かった。前者ならもっと凄惨な結果になっていたでしょう」
「……どこまで先読みしてるんすか。遠藤さん」
「私は『異人もどき』だからね。もどきだからこそ見えることもあるんだ。さて……今日は飲もう! 後藤さんと坂田さんが喜んでくれるよね」
「そっすね。目的は達成したし。そろそろ龍尾がガチで怒りそうだな。これだけちょっかい出したら……」
アルティメット・ディアーナとの武器取引とニシカワフーズの密入国案件、そして今回のスパイダーとのDMD取引を立て続けに襲撃したのだ。
そして三件中、二件はファイブソウルズが関わっている。これで龍王とファイブソウルズが共闘していると龍尾に伝わったはずである。これから龍尾がどのような動きに出るのか。想像に難しくはない。遠藤が口を開いた。
「異人街で……たくさんの血が流れることになるかもしれないね」
新垣が笑いながら答える。
「ちょっと前まで、俺等はニートと大差ない生活だったんすけどねぇ。何か大変なことになってきたなぁ」
二人はにこやかに談笑しながら、表通りを抜けて闇に紛れていった。廃墟街には雨が降り続けている。その激しい雨は朝まで降り続けたのであった。