第九十七話 虎の咆哮
激しい雨が降り注ぐ中、ソナムは倒れているソジュンを見下ろしていた。ソジュンの意識はない。腹部から真っ赤な血が流れ出ている。ソナムの表情は暗い。生気のない目で血だまりを見ている。そして小さな声で呟いた。
「リアを迎えに行かなくちゃ」
ソナムは山育ちである。絶えず自然の中に身を置いてきた。その感性は野生の獣のように研ぎ澄まされている。ソナムの野生の勘は豪雨の中でも発揮された。
――パシャッ……。
本当に微かな音である。水鳥が水面から飛び立つ時に発する程度の音――。それを聞き取ったソナムは獣のような身のこなしで屈む。次の瞬間、頭部を狙ったシンユーの回し蹴りが空を切った。空気を雨ごと両断する切れ味である。
「ちぃっ!」
奇襲を回避されたシンユーは、体勢を崩しながらも空中で回転し、着地する。それと同時にソナムは高く跳躍して距離をとった。倒れているソジュンを囲むように、二人は向かい合う。
「てめぇ……! ファイブソウルズだな?」
シンユーは先日の襲撃を思い出していた。目の前にいる少年は自爆をした少年兵と同じ服を着ている。
「あなたも排除の対象です」
ソナムはシンユーの問いには答えず、おもむろに呟いた。その抑揚のない声にシンユーは苛立った。
「ソジュンを殺しやがったなぁ!」
シンユーは目の前に佇む少年を睨み付ける。ソナムは青白い顔をしていて不吉なマナを纏っていた。まるで亡霊のようである。
「おらぁ!」
シンユーは地に伏しているソジュンを跳び越え、ソナムに蹴りかかった。ソナムはバク転で蹴撃を回避する。しかし、シンユーの攻撃は止まらない。二撃、三撃、四撃と突きと蹴りを繰り出す。軽身功によりコンビネーションの繋ぎ目が見えない。
「があぁぁ!」
凄まじい速度の連撃である。怒りに我を忘れながらも、シンユー独特の勘がぎりぎりのところで技をコントロールしていた。剛田の時よりも速く、そして強い。ソナムは冷静に攻撃をさばきながら感心していた。
(凄いな……この人。野生の虎みたいだ)
シンユーはソナムに負けず劣らず、野性味を帯びていた。打ち合いの中でその鋭さを増していく。その連撃に終わりが見えない。
「このままではいつか当たる」
ソナムはそう呟き、大きく後ろへ跳躍して距離をとると、右手を地面に叩き付けた。
「伸びろ。土塊」
――すると、地鳴りと共にコンクリートが割れ、シンユーに向かって土塊が隆起していく。先刻、ソジュンを貫いた技だ。
「なに!」
シンユーは水晶のように鋭い土塊を横へステップして回避する。しかし、技の攻撃範囲が広い。ソナムを中心に地面が割れ、隆起している。それは土の剣山を彷彿とさせた。足場は武術の生命線である。ついにシンユーの動きが止まった。
「ちぃ!」
ソナムはアース系のエレメンターである。地震を起こすほどの強力な範囲攻撃はシンユーの武術と相性が悪い。武闘家であるシンユーは内マナ型に偏っている。外のマナに依存しない分、技の規模は小さい。シンユーは外部からマナを吸収することが苦手であった。それをソナムに見抜かれている。
「お兄さんは強いですけど……こういう攻撃を想定していないでしょう」
「はは。知るかよ。そんなん」
シンユーは頭に巻いていたバンダナを投げ捨てた。丹田に力を込め、重心を落とす。足と地面の接触部分に亀裂が入った。
「はあぁぁ!」
シンユーを中心に螺旋状のマナが吹き荒れた。勁でマナを練り上げる。しかし、そのマナの量が明らかに増えていた。ソナムは少し驚いた顔をした。
「地中の龍脈をこじ開けようとしているの? 怖いなぁ」
想定外の順応性である。野生の虎と呼ぶにふさわしいと素直に感嘆した。シンユーの本能は緻密な戦略を上回る。
「行くぜ!」
シンユーは軽身功で神速の限界を超え、一足飛びで踏み込む。シンユーが駆け抜けた軌跡に旋風が吹き荒れ、雨が弾けた。硬気功で硬化した右腕に螺旋状のマナが絡みつく。その拳は隆起している土塊を粉砕した。渾身の一撃がソナムに届くと思われたが――。
「……残念ですけど、届きません」
ソナムは無表情のまま、右腕と左腕を交差させた。
――刹那、左右の路肩が陥没し、地中から鋭利な土のドリルが飛び出した。そのドリルは神速で動くシンユーの右腕と左足を貫く。
「ぐあっ!」
左右のドリルに貫通され、シンユーは動きを止めた。足が傷付き、自慢の速度はもう出せない。ソナムは冷めた目でシンユーを見ている。そして冷淡な声で言った。
「結局は……マナ量と攻撃範囲の広さで決まるんです。残酷ですが……」
(こいつのマナ量は……どれほど)
シンユーは意識が途切れそうになるのを必死で抑えていた。手足の激痛で何とか正気を保っている。
「ここまで……か。ソジュンすまねぇ」
少し後方ではソジュンが倒れ、シンユーは身動きがとれずに、重傷である。この市街戦は龍尾の完敗であった。シンユーは左頬のタトゥーを撫でながら言った。
「リーシャさま……すいません」
出血多量で気を失いそうになった――その時、少女の声が響いた。
「慈悲なき千夜の雨」
――すると、雨粒が大きくうねり、鋭い槍となってソナムに降り注ぐ。
「これは……?」
ソナムは足下を隆起させ、大きく跳躍して回避する。想定外の範囲攻撃に警戒心を高めた。倒れているソジュンの横に青いケープを纏った少女が立っている。
「……水門の高原雨夜」
ソナムは目を見開いた。更に警戒度を上げる。その時、廃墟の路地裏から金髪の少年が姿を現した。少年は青い稲妻を身体に纏っている。シンユーが叫んだ。
「おまえは……シュウ!」
「よう、ピンチか?」
その少年は電拳のシュウであった。
【参照】
慈悲なき千夜の雨→第七十二話 慈悲なき千夜の雨