第四十五話 絶対零度
黒髪の少年は何も答えない。後ろの銀髪の少女も同様だった。シュウは沈黙が肯定の証だと解釈する。上着を脱いでシャーロットに被せた。そして、ゆらりと立ち、前の二人と距離を詰める。
「……その黒い制服見たことあるぜ。お前等、協会のギフターだろ」
シュウの問いかけに少年と少女は無言で返す。少女は少年をちらりと見る。
「……南、やるの?」
少女が初めて言葉を発したが、それはシュウへの返答ではなかった。南と呼ばれた少年は軽く手を振り、そして言った。
「フィオナは下がっていていいよ」
その言葉に感情は感じられなかった。フィオナと呼ばれた少女は数歩下がる。
シュウは驚くほど冷静に――怒っていた。森の、木々のマナがシュウへ集まっていく。マナが螺旋を描きシュウを中心に立ち上っている。次第にそれらのマナが電気を帯びていく。
「……お前等、許さねぇ!」
――次の瞬間、青白い稲妻がバリバリッと弾けた。巨大な電流を纏うマナが意志を持った大蛇のようにシュウを包み込み、夜の森を明るく照らした。突風が吹き荒れ、木々を鳴らし、池の水面を波立たせる。黒川南は一歩下がった。シュウが放つマナを驚いた様子で見ている。
「こいつ……蛇のマナを? ……金蛇……雷火の弟子? まさか……」
シュウは発電しながら一瞬で南との間を詰めた。瞬きする暇も無い。正に神速である。その勢いのまま、電気を握り込んだ拳を打ち込んだ。南は冷静に回避し、そのまま距離を取る。しかし、シュウの拳が眼前に迫っていた。
(……速い!)
回避は不可能、防御しても電流のダメージを受ける。発電は攻防一体の技である。その時、フィオナが動いた。腰に携えたレイピアを抜き、シュウに向かって突き出した。シュウは瞬時に反応し、レイピアを掴むとバリッと電流を流す。
「……っ」
フィオナは自分の手をマナで守り、レイピアを引き抜く。そして大きく跳躍し、シュウから離れた。シュウはバックステップで数メートル下がる。どうやらギフターは龍尾や龍王のチンピラと違うらしい。動きに無駄がない。
「フィオナ、僕一人でいいってば」
南はそう言うとシュウの方へ一歩距離を詰める。目を閉じてマナを自分に集約させた。冷気を纏うマナが周囲を吹き荒れる。凄まじいマナ量である。南が短く息を吐くと、自身の足下に氷塊が生成されていく。バキバキッと鈍い音を立てて剣山のような巨大な氷が出現した。
「なっ! アイスキネシスか?」
思わずシュウは体勢を崩す。足下が凍り付いており、バランスをとれない。気が付くと辺りが凍結していた。足場が悪く、初動が遅れる。
キィンと耳をつんざく音と共に、南の頭上に氷のドリルが発現し、凄まじいスピードで回転している。そして――、シュウに向かって射出された。
<氷槍>は体勢を崩していたシュウの腹部をえぐり、背後の池の水面を吹き飛ばす。シュウは腹を庇って氷の地面の外へ避難する。南は氷山の上からシュウを見ている。視線は氷のように冷たい。
シュウはその鋭い冷気で思い出した。
(……ああ。こいつはソフィア誘拐の時。ベランダにいた奴か)
黒川南の通り名は【絶対零度】である。異能はアクアキネシスの上位互換、アイスキネシスだ。アイスキネシスとエレキキネシス、遠距離と近距離……シュウに分が悪い間合いとなった。
シュウは一度冷静になり、シャーロットの方へ目を向ける。つい先ほどまで見られた彼女の笑顔が頭の中に浮かび、そして消えていく。もう彼女の笑顔は見られない。
「……引けねぇ。許すわけにはいかねぇよ」
シュウは更に強力な電気のマナを練っていく。もう自分がどうなってもいい――と強い覚悟を持って――。
再びシュウの周りに大蛇のマナが出現した。電流を纏う巨大な蛇は氷山を溶かそうと威嚇しているように見えた。明らかにシュウの容量をオーバーするマナ量である。シュウが死を覚悟して踏み出そうとした瞬間――。
「兄さん!」
背後の森からリンとチェンが現れた。そしてシャーロットに駆け寄り、リンが悲鳴を上げる。
「ああ! シャーロットさん! な、何で! 死んじゃ嫌!」
泣き崩れるリンとは対照的にチェンは冷静だった。南とフィオナの方を一瞥し、最後にシュウを見る。
「兄貴! トクノーとやり合っちゃ駄目だ!」
「……チェン、頼むよ。リンとシャーロットさんをどっかにやってくれ。そこにいられると気が散るんだ」
チェンは何かを言い返そうとしたが、シュウの青白い顔を見ると何も言えなくなった。腹部から大量に出血していることに気が付いたからだ。そして背後の池の形状が変わっているのを確認する。巨大な氷塊で削られたようだ。地形をも変えるギフターの能力の傷跡。
チェンは賢い。瞬時に判断した。氷のギフターは強力な異能を秘めていてシュウでは勝てない。更に銀髪のギフターが後ろに控えていて、片手に持っているレイピアからは禍々しいマナが放たれている。あれで突かれたら鉄も貫通するだろう。
(子供の僕にできることは――この二人を遠くに避難させることだ)
チェンはうずくまっているリンに優しく声を掛けた。
「リン姉。ここにいると兄貴の邪魔になる。……行こう」
リンはシュウの方を見て、兄の出血の多さにパニックを起こした。
「駄目! 兄さんが死んじゃう! もう嫌ぁ!」
リンが叫ぶと同時に赤黒いマナが発現し、陽炎のように揺らめいた。
キィィ……と不協和音が響き渡る。異能の暴発――。最悪のタイミングで最悪の能力が放たれようとしていた。
「ごめん! リン姉!」
チェンはリンの額に掌を当てマナの負荷を掛ける。リンは力なくうなだれ意識を失った。そしてチェンはそのまま両手を前へ突き出し、異能を発動させる。ふわっとリンとシャーロットが宙に浮いた。その様子をフィオナが見て呟いた。
「あんなに小さな子供が大人二人を浮かすなんて……」
南もフィオナと同じことを考えた。一瞬、チェンに意識を奪われる。
(まあ……あの子供はいいか。面倒くさい。さて、あいつは……)
南はシュウへ視線を戻した。――すると、シュウの姿が無い。
「南!」
いち早くフィオナが叫ぶ。いつもの無表情ではない。本気で叫んでいた。
ガン! ガン! ガン! と振動と共に音が響き渡る。眼下の氷塊を駆け上ってくる一筋の稲妻。死を覚悟したシュウが目前まで迫っていた。南は足下の氷を操り隆起させ、シュウの攻撃を回避しようとした。しかし、シュウは自分の血を南の目に飛ばし視界を奪う。
「くっ!」
精神を乱された南は能力を発動させることができない。シュウの拳に稲妻を帯びた蛇が絡みつき、それはそのまま強力な電気に姿を変えた。
「クソガキがぁぁ!」
渾身の一撃を南の腹部に叩き込む。まるで落雷のような爆音が響き渡り、氷山が爆発した。凄まじい量の排マナが排出され、砕けた氷が周囲に飛び散った。
――氷塵が煙と共に晴れていく。シュウの拳は南を捉えた……はずだった。
崩れた氷山の中心にシュウと南の姿はあった。南の腹部は氷に覆われている。シュウの拳は氷を砕けず停止していた。その拳は凍り付いている。
更に南の足下から氷槍が出現し、シュウの足を貫いていた。それだけではない。南を中心にパキパキと地面が凍っていく。それは池にまで及んでいた。かろうじてシュウはマナで身を守ったが、腹と足から血が滴り落ちていた。
空気が冷え込み、天から雪が降り出した。同時に雨蛇公園を氷が覆っていく。南の広域凍結能力が発動したのである。フィオナは南に向かって叫んだ。
「南! それは使っちゃ駄目よ! どれだけの熱量を奪うか分かっているの! ……反動が!」
南は無表情だ。氷のように冷たい視線でシュウを見据えている。シュウのマナが尽きた。その場で膝を突く。排マナで逃がしきれなかった能力の反動が身体を襲う。
「……ごめん、シャーロット。仇を……とれなかった」
シュウはそのまま崩れ落ちた。南は自分を覆っていた氷壁を解いた。そして足下のシュウを見て呟く。
「まさか、あんた……【雷神】の……?」
シュウは意識を失っている。南は面倒くさそうに溜息をつく。その眼差しに感情は一切無かった。
「幸いまだ『蛇』か。……『龍』になる前に殺しておいた方がいいよね。姉さん」
南が手をかざすと氷塊から氷の剣が出現した。放置しても凍死するだろうが、厄災の元は早々に断ち切った方が良い。南はそのように考えた。
「出会うのがもう少し遅かったら。違う結果になっていたかもね……。ばいばい、電拳のシュウ」
南は冷徹に氷剣を構え、シュウに向かって振り下ろした。
――次の瞬間、ゴロゴロゴロッと大きな雷鳴が轟いた。青白い閃光が地表を照らす。そして天から地面を薙ぎ払うように、巨大な雷光が南に向かって落ちてきた。
南は氷を隆起させ、その電流を回避した。そのまま跳躍し、フィオナの方へ着地する。
「やれやれ。まったく、世話のかかる弟子だねー」
聞き慣れた声がする。氷塵の中から現れたのはシュウの師匠、【雷火】のランであった。
【参照】
ソフィア誘拐事件→第四話 血に染まった部屋
フルゴラについて→第十八話 シュウの師匠
南とフィオナ→第二十七話 第二十七話 黒川南とフィオナ=ラクルテル