第四百五話 陽炎の密か事
亜梨沙の高笑いに稲葉が驚いた様子で言葉を失い、ウラノ、京極は動きを見せない。武蔵が残酷な笑みを浮かべ舌舐めずりをする。
「へへ、いい女だな。俺の趣味を教えてやる……お前みたいな高飛車な女を屈服させることだ。泣くか?」
亜梨沙は野卑な挑発を無視してこう続けた。
「無知な男に国防が務まるのかな」
「んだとぉ……拉致って殴って犯すぞ? 女ぁ」
武蔵は亜梨沙を見下ろすと禍々しいマナを放出する。それは周囲を威嚇するには充分だった。しかし亜梨沙は鉄の笑顔を被ったままだ。
「お前は麻薬捜査をケチと言ったな」
「ああ、お前らギフターは犬と変わんねぇ。DMDだけ追っかけてりゃいいんだからな。紛争地で特殊作戦こなしている俺達からすりゃぁクソだ」
「無知なお前に教えてやろう。DMDは毒だ。少しずつ国を腐らせる猛毒だよ。まず人が壊れ、街の治安が悪化し、反社から金が流れ政治が腐敗する。社会が機能不全を起こし、最後は国だ。静かに崩壊が始まる。ここまでくると解毒剤はない。分かるか? お前が呑気に国防を謳っていられるのも、我々が内から守っているからだ。そんなことも知らずにギフターを見下すとは――世の中を知らなすぎて泣けてくる。まるで母親の気分だよ」
武蔵は鬼の形相で亜梨沙の襟を掴み、丸太のような腕で捻り上げる。だが彼女は不敵な笑みを崩さない。その瞳に暗い炎が灯る。
「そして忘れるな。龍王と龍尾の抗争の原因はなんだ? フェイロンとリーシャを怪物にして野に放ったのはどこのどいつだ? ――つまり我々ギフターがしているのはお前等の尻拭いなのだよ」
「クソ女がぁぁー!」
バキッ! 武蔵の拳が亜梨沙の顔を捉える。ボタタ――と鮮血が滴った。場が騒然となりギフター勢が一斉に動くと亜梨沙が怒鳴った。
「動くなぁ!」
稲葉達は動きを止めた。しかし――。
「南……動かないで」
南の氷剣が武蔵の首筋に当てられていた。ツプ……と赤い液体が溢れている。辺り一帯を冷気が覆い、武蔵の足元は凍り付いていた。南は感情が籠もっていない目で武蔵の顔を見据えている。
「なるほどな? その女が銃、お前がその弾丸ってわけか。おいガキ。俺の首を刎ねてみろ」
「……」
武蔵がニヤリと笑った。
「お前の目は見覚えがあるぜ。そうだ、戦場にゴロゴロ転がっていやがる死体……お前は歩く死体だ。けけ。後ろのホスト野郎よりマシじゃねーか。どうした? さっさと俺を殺せよ」
南がボソリと呟く。
「……こいつ、殺さないの? 姉さん」
「ダメよ。剣を引きなさい」
亜梨沙は鼻血を拭いながら南を制する。南はゆっくりと剣を引くと一歩下がった。武蔵は舌打ちをすると豪快なマナ・コントロールで足元の氷を砕く。
「武器出したら最後まで振り抜けやクソガキぃ!」
自由になった足で南を蹴り上げた。吹き飛んだ身体を稲葉が受け止め、その後ろでレイピアを抜くフィオナをブリュンヒルトが押さえつける。
そこで京極が動いた。
「武蔵くん」
「あ、ああ?」
パァン! 武蔵は思い切り頬を叩かれた。
「君を二週間の停職処分にします」
「うっす。すんません。群長」
先刻の態度とは打って変わって素直に頷く。ウラノが大きく笑い亜梨沙の肩を叩いた。
「だはは! ご高説どうも。血、大丈夫か? 美人が台無しだ。それにしても魔女の血も赤いんだな。はっはっは……っと、これは余計な一言だったか」
「いえ、お気になさらず」
「ああ、ママラガンの情報提供の件は感謝している。スメラギは取り逃がしちまったがな。いつか借りは返すぜ」
京極が亜梨沙の前に立った。
「副会長殿。隊員の愚行の件、失礼いたしました。我々は敵ではありません。志は同じです。必要なら医務室へ行ってください。それでは」
敬礼をすると特能群を率いて去っていく。ウラノはチョチョイと拝み手でその場を離れた。亜梨沙の襟元は真っ赤に染まっている。
南は咳き込みながら亜梨沙の顔に手を添えた。
「ごめん、姉さん……怪我させた」
「ふふん♪ あんな奴、殺す価値もないよ――今はね」
南の頭を撫でてウインクする亜梨沙はいつもの調子に戻っていた。
「あーあ。なーんかむかつく奴等だったねぇー」
「副会長。口も切っていますよ。私のハンカチ使ってください」
アリスのフォローを皮切りに、ギフターがドドッと押し寄せた。皆が得点稼ぎに必死である。南はその様子を少し離れた位置で見ていた。稲葉がその背中に話し掛ける。
「ありがとな、あの中でお前だけが動いた」
「……別に」
先輩に対する気遣いはゼロ。しかしそれにも慣れた。稲葉は南の横顔を見る。
(こいつ……本気で殺すつもりだったな)
動くな――。亜梨沙の言葉は南に向けられたものだったのだ。
そして介抱される亜梨沙を見た。ある疑念が頭をよぎる。
(抗争が尻拭いだって? そんな話は聞いていない。亜梨沙さんは何かを隠して……いや、俺は彼女を信じるぞ)
詰めたくても決して詰まらない距離――亜梨沙に近付こうとすればするほど感じることだ。亜梨沙は本音を言わない。いつも笑顔の仮面を被って他人を近づけさせない。手を伸ばすと消えてしまう陽炎のような女だ。
(あーあ、厄介な人に惚れちまったな)
稲葉は自分の足元に視線を落とした。
【参照】
リーシャ→第七十三話 龍の器
フェイロン→第七十九話 龍王
亜梨沙に惚れている稲葉→第二百二話 亜梨沙と稲葉のすれ違い
ママラガンの情報提供→第二百四話 東国のテロリスト
スメラギを取り逃がした→第二百九話 公安警察「烏蛇」




