第三十七話 DMDの売人
繁華街の路地裏。見えるのは点滅する外灯、散乱したゴミ、外国語の落書き。自販機の明かりにコツンコツンと蛾がぶつかっている。
その薄暗い通りを一人の男が歩いていた。サラリとした黒髪、甘いマスク、長身痩躯、羽織っているブラックのジャケットがばっちりと決まっている。韓国の俳優を彷彿とさせるこの男の名をソジュンという。
ソジュンはマナを目に集約させて視力を上げていた。探しているのはダークマナパウダー、通称DMPである。DMDの製造に欠かせない黒い粉だ。ダークマナ教と取引をして、既に金は払っている。後は粉を受け取るだけだった。
自販機の脇にはゴミ箱があり、その奥の植木の中に黒いポリ袋が捨てられていた。袋に小規模のマナ結界が張られているのが分かる。更にマナを目に集める。ダークマナが漏れ出ているのが見えた。
「これですね。うん、個数も問題ありません」
DMPはダークマナに染まった粉末の総称だ。マナ結界で隠さないと協会や警察、他の異人に発見される。受け渡しには細心の注意を払う必要があった。ダークマナは人体に有害だが、ソジュンは耐性を持つ希有な異人だった。
ポリ袋を大きめのボストンバッグへ入れて表通りへ出る。するとすぐに声を掛けられた。
「ソジュンくん、どこへ行くのー? うちへ寄っていかない?」
顔見知りのホステスだ。彼女が勤めているのは龍尾が経営するクラブだった。ソジュンは龍尾の売人なのだ。このクラブは接待で頻繁に使っている。
「いや、今日は帰ります。お疲れ様」
「あーん、今度は寄ってってねえ」
「あはは、了解しました」
抱き付いてくるホステスをいなしながら家路を急ぐ。DMPは高額なうえ、協会員に摘発されたら一発でアウトだ。ソジュンは東銀を抜けて人気のない道を歩いて行く。
(さて、急ぎますか)
ソジュンの祖先は在日朝鮮人である。そして一族揃って異人だった。自覚はないが、過去に経験した、ささやかな差別の連鎖はソジュンの深層心理に蓄積されていた。
母親は水商売で家を空けることが多く、幼少期は孤独な時間を過ごした。次第に荒んでいき、不良グループに入った。そのグループのケツ持ちが中国系移民をルーツに持つ反社組織[龍尾]であった。
そして十五歳の頃、ハオランと呼ばれる男に誘われて実家を出た。ハオランは【黒龍】という異名を持つ龍尾の幹部で面倒見がいい男だった。
ソジュンは現在二十代前半、DMDの密売をやらされて三年が経過していた。DMDは危険なドラッグだ。一口舐めるだけで意識が飛ぶ。ソジュンは興味本位で一度試したが、バッドトリップを起こし、自殺未遂をしたことがあった。
(今週のノルマも無事に達成できそうだ。ハオランさんが喜びますね)
ソジュンは龍尾のドラッグ担当で腕の良いストレンジャーである。硬拳のシンユーは弟のような存在だ。
(そう言えばシンユーは龍王の後藤とやり合って警察に捕まったって聞いたな。まあ、もう釈放されただろうけど)
異人喫茶の小競り合いが発端となり、龍尾と龍王の関係は最悪となっている。近々抗争に発展する可能性があるのだ。
(ハオランさんには恩は感じている。だけど……僕は死にたくはない)
先日の異人喫茶の事件で死者が一名出た。ソジュンの同期のケンだ。胸を撃ち抜かれたらしい。犯人はまだ捕まっていない。
ふと母の顔を思い出す。精神を病んだ母の姿はもう見たくないと思っていたが、最近やけに気になっていた。ソジュンはもやもやしながら玄関のドアノブに手を掛けた。
「じゅんじゅん~」
突然声を掛けられる。視線を向けると、そこには少女が一人立っていた。人懐っこい笑顔を浮かべて手を振っている。ハイトーンの金髪、セミロングで肌は雪のように白い。右目は青、左目は緑のオッドアイだ。
「あ、愛ちゃん」
「近くに来たからねー。上がっていい?」
「うん、どうぞ」
愛はクッションの上にあぐらで座った。大きな目をぱちくりしていて小型犬のような愛くるしさを感じる。その仕草に緊張しながら、ソジュンはキッチンへ向かう。そしてボストンバッグをゴミ箱の裏に置いた。
(DMPなんて視られたら通報されて終わるな……)
愛は異人だ。マナを視る。ソジュンは冷や汗を掻きながらリビングへ戻った。
「な、なんか飲む?」
「いらなーい。愛、自分でお茶買ってきたよ。じゅんじゅんの分もあるから」
ソジュンは床に腰を下ろす。愛はソジュンの横に移動し、肩に寄りかかった。彼女の体温を感じる。日常で荒んだ心が癒やされていくように感じた。
瀬川愛とは異人の合コンで出会ったが、当初から変わった女の子であった。一言で表すと天真爛漫。いつも笑顔で子供のような純粋さを残している。
年齢を聞いても「忘れたー」と答える。「夕飯何にする?」と聞けば「何でもいいかなー」と答える。「俺たち付き合ってるの?」と聞いても「どっちでも良いと思うよー」と答える。「母親が病気なんだけど会いに行くべきかな?」と聞くと「うーん。愛、わかんなーい」と答える。
愛は自分の意見を述べない。相手を否定も肯定もしない。しかし、それが愛の魅力でもあった。ふらっとやって来て、いつの間にか帰っている。野生の小動物のように気ままな女の子である。
ソジュンは隣にいる愛に目をやった。彼女は部屋の隅にある金庫をじっと見ている。
「じゅんじゅんー。あれは何?」
金庫にはDMDや注射器が入っている。持っているだけで法に触れるブツだ。愛に知られるわけにはいかない。
「ああ。通帳とかお金が入っているよ。この辺り、治安が悪いから金庫は必需品なんだ」
適当に嘘をつく。それを悟らせないようにペットボトルのお茶を一口飲んだ。
「へー。そうなんだね-」
愛は納得したらしい。いや、よく分からなかった。感情が読めない。愛は目を細めて金庫を見ていたがふらりと立った。
「シャワー浴びてくるー」
「あ……う、うん」
ソジュンは愛の背中を見送るとほっと胸を撫で下ろした。意味もなく窓の外に視線を移すと空には満月が浮かんでいた。
【参照】
愛について→第二十七話 スパイダーのオスカル
異人喫茶の事件→第三十一話 鬼火の後藤




