第三十話 鬼火の後藤
硬拳のシンユーの後ろには戦闘員が四名控えていた。この間の一宮でのリベンジを考えているとしたら、最悪のタイミングである。
「うるせぇな。このおっさん達に絡まれているだけだ。あっちへ行け」
シュウは面倒くさそうに手を振った。シンユーはにやりと笑うと、後藤を見た。
「おいおいおい、何でドラキンのクソどもがここにいんだよ? 誰の許可得てんだ、こら後藤」
龍尾と龍王は犬猿の仲である。元々は一つの組織だったが、意見が対立し、分裂した過去を持つ。龍尾は異人国家の樹立を目指しているが、龍王にそのビジョンは無い。龍王にあるのは差別と貧困から生まれた復讐心のみである。
後藤は面倒くさそうに舌打ちをした。赤髪とスキンヘッドもシンユーの方へ身体を向ける。龍王が龍尾に向ける敵意は相当なものだ。
「何でここで貴様の許可が必要なんだよ? 日和った龍尾がいきがってんじゃねぇぞ! ああ? シンユー」
ボッと音が鳴り響き、着火したライターから巨大な炎が放出された。その炎は後藤の身体の周辺に留まり浮遊している。まるで火の防護服のように見える。
「あ? ドラキンってだけでクソなんだよ! その頭蓋割るぞこら!」
シンユーは<硬気功>と中国武術の達人である。コンクリートを素手で叩き割る力があるのだ。その拳を頭部や胸部に食らったら致命傷だ。
シュウは事態の行く末を見守りながら、現状を打破する手段を考える。今、懸念すべきは二つの組織の縄張り争いに巻き込まれることだ。異能の戦闘はちょっとした掠り傷でも致命傷になる可能性がある。
シュウはシャーロットを庇いながら、壁側へ後退りする。店内に客はほとんど残っていない。後藤が火を出したことで、今まで無関心だった異人喫茶のスタッフがこちらを見ている。火事は困るのだろう。
緊迫した現場にそれぞれの思惑が交錯していた。一歩も動けない。時が止まったかのような錯覚を覚える。街の喧騒はもう聞こえない。呼吸を忘れる。
次の一手は誰が――。
シュウが止めていた息を吐いた瞬間、シンユーの後ろにいた龍尾の戦闘員の一人が、どさりと倒れた。胸部から血を流し、恐らく死んでいる。その場にいる誰もが意表を突かれた。シュウは動揺した。
(何だ、今の攻撃は! 見えなかった!)
一秒遅れてシンユーが動いた。仲間をやられて完全に切れている。
「後藤! てめぇやりやがったな! ドラキンは皆殺しだぁ!」
シンユーは後藤の炎に怯まず踏み込むと、硬化した拳を打ち込む。後藤はまともに受けると骨が砕けるその突きを回避し、炎を纏ったパンチを繰り出した。
「ああ? てめえ等の自作自演だろうが! そんなに戦争がしたけりゃ乗ってやる!」
龍尾と龍王、武闘派チームの抗争が勃発した。「きゃあ!」とシャーロットが悲鳴を上げる。
次の瞬間、バリッと青白い閃光が店内を照らす。シュウの発電である。神速の回し蹴りが店の窓を粉砕した。
「シャーロットさん! そこから出てください! 手を切らないように!」
その掛け声に後藤が振り向いた。鬼の形相である。
「おい! そいつら逃がすな! 面倒くせぇ! 男は放っておけ! 女を殺せ!」
後藤の恫喝に、スキンヘッドの男がシャーロットに向けて木刀を振り下ろす。シュウに見向きもしない。明らかに殺意をシャーロットへ向けている。
(おいおい! 何だこいつら! ストーカーじゃないのか?)
シュウはスキンヘッドの男の腕を掴むと、電気のマナを放出した。バリバリッと甲高い音が響き、男に電流が流される。シュウはすかさず拳を男のみぞおちに打ち込む。スキンヘッドの男は悶絶し、意識を失った。後藤は鬼の形相でシュウに飛びかかろうとするが、それをシンユーに阻まれる。
「後藤! よそ見してんじゃねぇぞ! かかって来いよ!」
後藤は否応なしにシンユーの乱撃に巻き込まれていく。シンユーはメンバーの一人に指示を出した。
「おい! 東銀にいるメンバーでこの店囲め! 川成からも人集めろ! 今日、ドラキンを殲滅するぞ! 頭領にそう伝えろ!」
シュウはシンユーに向かって叫んだ。
「おい、シンユー! もうやめろ! 抗争になったら協会が出張ってくるぞ!」
「うるせぇ、シュウ! てめぇはどっかに行っちまえ! 二度とその面見せんな! ぼけ!」
その時、店のカウンターの奥からオーナーが歩いてくるのが見えた。ひょろっと背が高く、ぼさぼさの黒髪である。無精ヒゲが目立つダンディな風貌だ。彼の名は八神と言い、東銀で指折りの異人である。
後藤は店のカウンターが視界に入っているので八神の接近に気付いたが、シンユーは気が付いていない。戦闘に熱中しすぎている。
(まずい! オーナーに『制裁』される!)
シュウは大声でシャーロットに言った。
「シャーロットさん! 逃げましょう! ここはいずれ囲まれます!」
――ところが、シャーロットの返事がない。寒気を感じて振り返ると、そこに彼女の姿は無かった。
(いない! 逃げた? それともさらわれた?)
シュウが窓から外へ飛び出すと同時に、背後から激しい爆発音が響き、暗くなってきた街中を明るく照らした。オーナーの異能が発動したらしい。凄まじい量の排マナが放出され、大きな黒煙が立ち上る。シュウは振り返らずに駆け出した。
「シャーロットさん! どこですか!」
叫んでも返事は無い。姿も無い。遠くでパトカーのサイレンが聞こえる。直にここへ警察がやって来る。それとも協会の方が先か。空を見上げると夕方になっていた。暗闇が迫ってきている。
シュウは嫌な予感を振り切って走り回った。異人街は夜の顔に変化しつつある。多くの客引きと仕事あがりのワーカーの姿が目立つ。
「兄さーん!」
その声に振り返ると、リンとチェンが走ってくる姿が見えた。見慣れた妹の顔にシュウは冷静さを取り戻した。そして同時に思い出した。シャーロットに渡したお守りの存在を――。
【参照】
シンユーとの因縁→第二十話 電拳と硬拳