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便利屋ハンドマン-HandMan-  作者: 椎名ユシカ
第2章 失楽の母胎と黄金の檻編

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14「数えられぬ指先」


『SF作家でありながら科学の地図を引き、「クラークの第三法則」を掲げたアーサー・C・クラーク。機械に良心のフリを与えるために、「ロボット工学三原則」という掟を編んで紐付けたアイザック・アシモフ――そして、パラドックスという性質に血を通わせた「輪廻の蛇」の書き手ロバート・A・ハインラインの三大巨匠』


 やけに小柄で、筋肉も詰まっていないクソガキ……フィジカが先導するように回廊を進み続ける。どうやら先ほど展開された寝室での選択が尾を引いているらしく、クソガキは回廊の角を曲がるごとに幾度も視線を一瞬だけ背後に向けていた。


 石柱を過ぎるごとに――4拍の鼓動を数えることに意識を向ける。歩み続けるごとにフィジカの胸の奥で刻む心音が高鳴りを手放して、穏やかなアンダンテのように規則正しく4拍子で鼓動が徐々に沈黙に溶けていく――だから私は、回廊の奥で佇む不審な黒い影が視界から消えていたのを見落とした。


「……おい、クソガキ」

「セラ、この子の名前はフィジカよ……せっかくなんだから名前で呼んであげなさい」

「イデア先生の仰る通りですよ、セラさん。それに、もう少し急いでもらえませんか? 謁見の間ではリュミエル様やクラウディア様が既に到着しておりますし、もうすぐホルス領土の和睦使団が――」


 寝室でイデアとフィジカが深刻そうな表情で現状を告げたように、私が黄金の檻を安息地としている間に戦況は一変したようだ。両者の領土間に存在する第七緩衝区画へ着弾した――正体不明の迎撃不能な亜音速弾道兵装。それは、魔導王が過去に張った魔力と呪力で構成される正四面体の防壁を崩壊させた上、威力を失わずに被害をもたらしたと報告が上がった。


「それは、私の事情じゃあない」

「……ふざけるな」


 フィジカが回廊の真ん中で立ち止まった。足を止めた瞬間に空気が止まり、石の柱だけが規則正しく並ぶ。まるで観客のいない劇場だ――怒鳴る寸前な若い個体の思いが噛み殺した牙の音に混ざる。


「お前が出れば3年、いや1年以内に戦は終わる……終わらせられるはず。なのに、なんで寝室でぬくぬく黄金に縋ってたんだ?」

「もう一度だけ言ってやる……それは、私の事情じゃあない」

「……事情だと? 事情で防壁が崩れるかよ……事情で死体が戻るのかよ‼︎」


 イデアが息を吸った。フィジカの揺らぐ感情を止めるべきか、見届けるべきか……コイツへの説明を戸惑っていた刹那、あの黒い影が今度はフィジカの真後ろに移動していた。


 やがて黒い影は懐かしさを感じる少女の面影を残す――老いた姿勢の悪い魔女へと変化していく。憤るフィジカの肩へ重ねた手のひらには、樹木の年輪のように年月を指し示す弛んだ皮膚が皺のようにあった。


「……お前、この私を兵器として使いたいのか?」

「違う……けれど必要なんだ」

「……同じだよ。そんなのはただの詭弁でしかない。ニンゲンが責任を背負うフリをして、誰かに押し付けるために用いる合言葉だからな」


 フィジカの瞳が細くなる。理解したくないのに、理解が追いついてしまった顔だ。


「……だったら、どうすればいいんだよ」

「まずは、お前が何も見えてないことを自覚しろ。イデア……後で追いかけるから、女王様やらには待たせるよう言っておきなさい」


 彼女がリアンを抱き直して立ち去ったのを見計らった後、私はフィジカを連れて歩みを止めないまま回廊から外れる。鼓膜を震わせる水飛沫の音に耳を澄ませながら足を運ぶと――そこには、噴水を備えた水浴び場が植物の中に佇んでいた。


「少しだけ教育してやる――お前に何が満ちていて、何が欠けているのかが理解できるようにな」

「教育だって?」

「……そうだ。私が兵器として動く選択を取れば、そこは砂漠から公園の砂場になる。それは、ホルス軍にとって進軍を許す正義の免罪符になるんだ……まずは怒りという犬畜生の糞にも劣る感情なんかに身を委ねず、もう少しだけ思考に余白を残してみろ」


 感情を昂らせる若い個体を石造りの長椅子へ導き、煮えたぎる負の感情に飲まれないよう言葉を紡ぎ続ける。黒い影は柱の陰を縫い、私たちの死角だけを選んでついてきた……それから私は、少し先にある噴水へ目を向けるよう促す。


 宮殿の肺のように湿った水場は蒼い光が薄く漂い、噴水の白線だけが空気を縫って落ちている。巨大な葉から離れようとする液体は落下というより、合図のように規則正しく――世界に雫という選択を刻んでいた。


 フィジカが眉をひそめる。怒りの熱がまだ肩に残っているのに、ここは不思議と冷たい。


「……こんな所で何をするんですか?」

「まずは、お前の目を起こす。葉から落ちる雫を10まで数えてろ……瞬きは許さない」

「……はい?」

「聞こえなかったか? 10カウントだ。さっさと数えろ……時間が無いんだからな。その生意気な呼吸や舌打ちも、今だけは余計な感情も炉に焚べてキャンセリングするんだよ」


 フィジカは舌を鳴らしかけて――しかし黙った。噴水から跳ねる水飛沫が葉を辿りながら一箇所に集まり、水滴がひとつずつ石に当たり……砕けて音だけが残る。まるで舞台袖で、開演のベルを待つ観客のように。


「1……2……3……」


 数え始めた瞬間、若い個体の視線が噴水の落下へ吸い込まれていく。万有引力の法則に従い零れ落ちる液体の軌跡は細く、シラけるほど正しい。そして正しいものほど、選択肢を提示された者の目はそこに縛られる。


「4……5……」


 水面が揺れた。揺れは鏡の呼吸みたいに僅かだが膨らみ、除外された余白の位相に黒い影の輪郭を作り上げていく。黒い影は観測位相を合わせたことで視界の中で輪郭を維持し、揺らぐことがなくなった。


「フィジカ、お前には何が見えている?」

「6……7……8……え? 何がって……葉から落ちる雫を――」

「誰が数えるのを止めろと言った? まあいい、そのまま最後まで数えろ……」


 むしろ揺れないどころか、こちらが気づいていないと老いた魔女は錯覚しているらしく、沈黙を孕む寝室で見せた喧しい動きを再演するように周囲を駆け回る。けれどフィジカは数える……数えることを選んでいるようだった。


 お転婆な老いた魔女がフィジカの視界を横切る。老人の背の丸さや魔女の姿勢の悪さ――懐かしい少女の面影の残り香。その全てが見えているはずなのに、コイツの頭の中では延々と『見た』という結果には繋がらない――それは『自分の意志で数えることを選んだ』と思い込んでいるからだ。


 相手の視線を誘導して奪い、選択肢を限定し、最期には自分で選んだと錯覚させる。小難しい異能や術式になんか頼る必要すらない。


「9……10」


 フィジカが息を吐く。勝ったつもりの顔で、こちらを睨む。


「……数え終わりました」

「そうだな……お疲れさま。じゃあ答えろ……今さっき何が通った?」


 私は水面から目を離さずに言う。


「……何も」

「不正解だ」


 無駄死にすると見通しているのなら尚更だ。コイツに気を利かせて言葉を優しくするつもりはない。けれど、必要以上に冷たくするつもりもなかった。


 語気を強めた刃でもなく、この10秒間で起きた事実を縫い針の硬さで告げる。


「お前に足りないのは力じゃない……選ぶ覚悟だ。お前は数えることを選んだ。だから見落とした……そして、それは戦場でも同様に起こり得る。お前が緩衝区画へ赴いたところで、見落とした何かが背後に忍び寄って首をズバッと刎ねる」


 フィジカの喉が詰まる。反論の形が整う前に、理解が先に追いつく――才能を持った顔だ。


「……じゃあ、どうすればいいんですか?」

「そうだな……まずは選ぶことから始めてみろ。数えるなとは言わない……だが、数えることに命を預けるな。雫を見ながら影も見ろ。世界はお前の都合の良い解釈だけで出来てない」


 噴水がまた落ちる。確定した雫の音は、心音みたいに正確で――残酷なほどに誠実な選択履歴を刻んでいく。


「そんなに気を落とすな。水でも汲んできてやるから待ってろ……なあ、フィジカ。クラークの第三法則って知っているか?」


 若い個体を残して噴水の脇へ足を運び、片膝を着いて傍に置いてあったカップへ手を伸ばす。けれど、あれ程までに喧しい動きで駆け回っていた魔女は何を思ったのか、水を掬い上げる際に膝をついた私の姿を目撃するや否や……目の前でジッと佇み、水飛沫が頬に伝うことなど気にせず嘆くような眼差しを向けていた。


「何かの法則ですか?」

「……そうか。今の表層文明から消えたのは残念だが……まあ、仕方ない。アーサー・C・クラークってのは――」


 石造りの長椅子に戻ってカップを差し出す。けれども、それを跳ね除けるようにフィジカの口から溢れ落ちた「4200」という数字に、私の指先が一瞬だけ止まった。


「4200……これが何の数字だと思いますか?」

「さあ、私にはわからないな。興味がない」

「……4200名です。第七緩衝守備師団の総勢が一発で。4150名が跡形もなく蒸発して、残り50名もまだ生死不明なんです。貴女が動けば……こんな馬鹿げた死はもう起きません。なのに、なんで……なんで動かないんでしょうか?」


 若い個体の声は噴水の水音を突き破るほど鋭く、怒りと悲しみが混じり合って震えていた。私は差し出したカップをゆっくりと長椅子に置き、フィジカの瞳を真正面から見据える。


「……それは、私の事情じゃないからだ」


 静かな声で返すと、フィジカの肩が激しく上下した。拳を握りしめ、唇を噛み――言葉を継ごうとする。しかし私は片手を軽く上げてそれを制し、水面に視線を落としたまま続けた。


「アーサー・C・クラークの第三法則ってのはな、『十分に発達した技術は、魔法と区別がつかない』というやつだ……今のお前は、まだその『技術』を選ぶ覚悟ができていない。だからこそ、4200名の死をただの数字として数えてしまう」

「4150名です。二度と命の数を端折らないでください」

「……どうでもいい」


 魔女はまだ涙を流しながら、ジッとこちらを観測している……目尻に溜まった涙が手の甲で拭われないまま。直後にフィジカは息を荒げたが、次の言葉を噛み殺した。


「なら、どうすればいいんでしょうか。教えてください、セラさん……元魔導王リュミエル様と貴女が戦ったことは、もう宮殿の誰もが知ってます」

「……そうか」

「リュミエル様は――最強だった。彼女が居なければ、このセト領土だって何百年も前に支配されていたかもしれない。だから、セラさんが前に出て参戦してくれれば――」


 噴水の雫が落ちる。絶え間なく輪が広がって消え続け、遠くの回廊で金属の擦れる音がした。銅製の鎧の幾人もの足音――謁見の間へ向かわざるを得ない現実が、否応なくこちらへ歩いてくる。


「駄目なんだよ、フィジカ」


 私は水面から視線を外さない。


「いつだって私は、飼われる側の犬でしかなかった。だから騙して悪いが、教育なんて札を貼って噴水へ寄ったのは時間を買うためだ」


 魔女の泣き顔が初めて揺れた気がする。老いた彼女は何かを察したように走り回らず、ただそこに佇んでいた。濡れた指先を払いながら私は立ち上がり、カップの水を長椅子に置く。


「今のお前は魔法みたいな救済を夢見てるだけで、自分の手を汚す技術を選べてない。そろそろ、話もまとまる頃だろう――謁見の間へ行くぞ」


 背を向けた瞬間、フィジカの声が刺さった。


「本当に……本当に貴女って人は最低ですね」

「なんとでも言え。騙されるお前に非がある」


 唾を飲む音。怒りが冷えて、代わりに古い痛みが立ち上がる声だった。


「セラさんがこれまでどんな人生を送ってきたのか、僕は知りません。けれど、古い地上文明の言い回しとされるものに、こんなのがあるんです」


 フィジカが一語ずつ数えるように言葉を紡ぐ。その横顔は、まだ少年の輪郭を残している――けれどコイツは戦地へ行けない身体だった。


「『戦争では国が大砲を、金持ちは牛を――貧しい者は息子を出す。そして戦争が終われば国は大砲を、金持ちは牛を取り戻し――貧しい者だけが墓を数える』って言い回しです……」


 噴水が落ちるに伴い――またひとつ、確定した選択の輪が生まれて消えていく。


「……僕は他の魔人族と身体構造が違っていて、戦地に行きたくてもいけないんです。もう貴女には期待しません……僕は墓を数える側でしかないんですから」


 フィジカが僅かに笑った。


「……今の僕は、その息子ですらありません」

「そうかもしれないな。お前は息子の役すら与えられていない……だが観客は、それでも勝手に役を決めるんだ――ラベリングの皮肉はそこにある」


 私は急いで踵を返した。

 

 噴水の音が背中へ遠ざかる。回廊の石床が足裏に硬く響き、駆け足の拍が自然と4拍に整っていく――1、2、3、4。謁見の間へ向かうほど、空気が重くなっていくようだった。


『十分に発達した高度な技術は、魔法と区別がつかない。それは十分に発達した高度な魔法が、たった一人の奇術師が魅せる高度な手品と区別がつかないことを意味する』


 誰かの足音や鎧の擦れる音が大きくなるにつれて、謁見の間という観客席が埋まっていく気配を感じる。観客ってのは見たいものしか見ない……だから私はこれまでに何度も、彼らが望む鏡像となって見たいものだけを差し出してきた。

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