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便利屋ハンドマン-HandMan-  作者: 椎名ユシカ
第2章 失楽の母胎と黄金の檻編

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12「赦しの諦めと母の帰還」


『志向性とは意識が虚空に浮かぶことなく、なお何かを追い、触れ、そして刻むことである。朝に挽かれた豆の香り、天の使いと見紛う無垢な童の歌声。それらを包括した自己を縁取る記憶が痛みを迎え入れるたび、私は黄金郷へ続く久遠の旅路の果てに見つめたものすべてに対し、断罪と崩壊の痕跡を刻んでいく』


 乾留を纏う私の甲殻鎧からは、今日も絶えず黒い泡が滲み出ていた。質量を持つ攻撃も魔力の奔流も、殺意の衝撃も――万象はこの泡へ触れた途端にただの「虚実」に矮小化され、相殺の理に従い弾けて消える。それが乾留の甲殻鎧(ターレット)の絶対防壁であり、どれほどの災厄であれ対価を支払わせて相殺する私の護りだった。


 しかし絶対防壁の泡たちが、立て続けに音を鳴らし弾け飛んだ。風の刃が裂いたのではない。衝撃でも、魔術でもない――ただ見られただけで、幾つもの泡が悲鳴を上げて破れたのだ。セラさんの視線が触れた場所を起点に、泡が次々と結果だけを生成して断たれていく。防壁はもはや働いた形跡すら示さず、実と称する世界側が後から遅れてついて来るように――私の甲殻に走る断裂が因果を置き去りにして刻まれていった。


「物騒な異能……いえ、随分と手の込んだ術式なのね。こうも容易く私の絶対防壁が剥がされるとは思わなかった……さて、どうしたものかしら」


 初めてだった。

 自己とそれ以外を拒絶する絶対の泡を纏う私が、守られているのではなく、守りという前提そのものを奪われたと悟った瞬間は。


 泡壁の裂ける音が連続し、鼓膜の奥で乾いた雨のように散った。セラさんの姿はひとつの輪郭として結ばれることなく、断層の向こう側で幾度も結果だけを先に示しては揺らいでいる。無論、これらの攻撃の軌跡は見えない――ただ世界の接合面が後から遅れて歪んでいく。


「……どうしてなのかしら」


 理由を探ろうとした瞬間、思考がつるりと滑り剥がれ落ちた。泡の壊れる音がどこから聞こえたのか判断できない。セラさんの腕の数は……数えようとした途端、ひとつ前の数字が消える。私の名前さえ、一拍遅れて胸の奥に戻ってくる。


「なるほど――これは、思考そのものを断っているのね」


 彼女の異能は質量を持つ斬撃や衝撃でもない。未来と過去の縁取りを断ち、存在するための前提を削ぎ落としてしまう力――ならば私は、その断ち切られた継ぎ目をもう一度、縫い直すことで対処できるはず。


「行くよ……アロンダイト」

 

 私は魔剣の柄へ指を添えた。光が微かに脈動し、崩れていく因果の境界線を結び戻すように揺らいでいく。直後に泡の裂ける音が今度は間断を失って降り注いだ。アロンダイトに宿る断裁の余波が空間を縫い直し、世界そのものが薄皮を紡いでいくように綴じていく。


 セラさんの姿は、もはや位置では示されない。断層の向こう側から1つの未来と1つの過去が同時に滲み出し、私の視界に重なるたび――結果だけが先に生成されて存在してしまう。それは逃げる動作を取る前に床石が割れ、防壁の泡が壊れる前に胸甲へ走る断裂が刻まれるものだった。


 世界のほうが私に遅れてついてくる……のか。


「まだ立つのね、リュミエル」


 セラさんの声がした瞬間、その声はすでに背後にあった。耳に届いた理由はなく、ただそうであったという結果だけが私より先に世界へ刻み、認識だけが事実を伴いながら遅れて私の髪を切り落とす。そして次の瞬間、視界に閃いた黄金の断層が私の頸を横切った。決して触れてはいない。けれど、触れた後の結果だけが鮮明に刻まれていた。


 痕跡だけが――因果の末端だけが――鮮明に残されている。ただ1つ、泡が震えながら弾けたことで、私はようやく命が繋がっていることを知った。力を失った膝が沈み、続いて背骨を刺す寒気が遅れて追いつく。セラさんが歩み出た……のではない。歩みという“未来の選択”が断層の中で収束し、結果として私の目の前へ再現されたのだ。

 

 これは斬撃ではない……線による攻撃ですらない。つまり、彼女の異能は線を介して行われるものではない。観測が因果を先取りし、未来と過去の縁をもつれさせた上で断ち切る――量子的なもつれにも似た結果先行の世界操作なのだろう。だが、それだけでは説明しきれない。物理の法則ではなく、セラさんという観測者自身が因果を書き換えている。

 

 そう思った瞬間、思考の縁が再び滑ると剥がれ落ち、言葉が一度白紙へ戻った。

 

「もう十分でしょう? あなたをここで終わらせても、誰も困らないわ……リアンのためにも。あなたは邪魔よ」


 六本のうちの一本が、私の頬に指先を添える。触れたという感覚さえ私には遅れて訪れ、その一瞬前には皮膚が断たれた結果だけが存在していた。そして視界が狭まる。アロンダイトは未だ輝いているが、断裁視(S&D)が世界の縁を奪い続けるせいで、私の現在が保てなくなっていく。


 息を吸う前に、喉が震えていた。言葉を発する理由が抜け落ち、声だけが先に零れた。


「……来ないで……セラさん……」


 その哀願が、かえって彼女を静かに愉悦へと傾けたのが読めた。六本の腕が揃い、私の首へと重なりかけ――黄金の断層が決定的な死を象る絶命の瞬間。しかしその時、空間を両断するような悲鳴が走り、金の断層がわずかに揺らいだ。


「ああもう、こんなに散らかしちゃって。駄目だぞ、セラ。本当に壊したいものはそんなちっぽけな事じゃあないだろ?」

「やめなさい、セラちゃん。これ以上続けたら――玩具が先に泣いちゃうわ」


 甘やかすような声と、刃のように冷たい声。両方が同時に世界を押し広げて侵入した途端、凍り付くような冷気を孕んだ声が響き、断層の向こう側へ2つの影が割り込んだ。一人は鮮血めいた赤髪を揺らす女――イデア。もう一人は私の喉元へ添えられたセラさんの腕を軽く押し返し、微笑を崩さぬ彼女の義姉クラウディア・ヴェロニカ・インヴィオレイト。


 彼女たちはセラさんが展開した断裁の縁を恐れもせず――ただ私の前に立つという結果だけを強引に世界へ上書きし、困り果てた表情を浮かべて現れた。


「……セラ。貴様よくも我が主の首に刃をッ――」

「大丈夫だよ、ララちゃん。あなたも来てくれてありがとう」

「……ですが、あのままではリュミエル様の御首が断たれていたのですよ……!」


 ララが差し伸べた手を握り返して起き上がった瞬間、私ははっきりと悟った。魔導王の守護者として誰よりも冷静で、敵との力量差を見誤らぬ彼女――ララ=オルリア・オルロットの手が微かに震えていた事実こそが、この場で繰り広げられた全てを物語っている。

 

 これは誇張でも比喩でもない。戦場で怯むことのない彼女が、だ。その震えが教えていたのはただ1つの結果。ほんの一瞬でも遅れていれば、私は迷いなく喉を裂かれていたという厳然たる事実。あのままセラさんの指先が私の肌に触れ続けていたなら私は今ここで――情け容赦なく胴から首を落とされた姿で転がって存在していたのだろう。


「セラちゃん……」

 

 クラウディアはただそれだけを告げ、直後に軽く彼女の後頭部を弾いた。無論、痛みなど感じるほどのない衝撃。それにもかかわらずセラさんは大袈裟に頭を抱えて痛がり、振り向き様にもう一度後頭部を弾かれると嘘のように涙ぐんで叫び声をあげる。


「痛……っ、もう何なの――」

「ダメよ。妹が誰彼構わず殺す未来を、私が認めるわけないでしょう?」


 彼女の声音は優しさも怒りもなく、ただ秩序そのものとしてセラさんの殺意を内側へと押し返していく。それに続いて、絡みつくような甘い声と共にイデアがセラさんの肩へ腕を回し、慣れた仕草で頬を指先で突きながら煽るように笑った。


「セラ、そんなに乱れて……かわいいねぇ。ねえ、もっと面白いもの、後で見せてあげられるよ?」

「うるさいっ……私は本気で怒ってるの……っ!」

「はいはーい、はいリラックス〜。ホントに構ってちゃんなんだから。ちゃんとリアンちゃんに授乳してる?」


 イデアが片目を細めただけで、セラさんの胸に溜まっていた怒気が別の色へと滑り落ちていく。


「ああもう、なんだかんだ言って毎日ちゃんとしてるってば!」

「そっか、偉いねセラ。ちゃんと私との約束守ってるんだ?」

「……あんなあ、こちとら毎日授乳、授乳で……乳首がカ◯パスみたいに伸びねえか不安なんだよッ!」

「あ、それよりホルス領で甘ーいお土産見つけたんだ。ストレス溜まってるって思ったからさ、食べたい?」

「……うん。欲しいけど私の話を無視するなッ!」


 そのやり取りの直後、ララの声が静かに降った瞬間――断裁の未来図から私の死という選択肢だけが音もなく脱落した。


「リュミエル様は……私が守ります。セラ、あなたにこの方は殺させない」


 その声を聞いた時、私はようやく理解した。彼女たち三人が示した力は、断裁の刃を打ち消したのではない。私が断たれる未来そのものを三方向から同時に奪い去った……選択肢そのものが、世界の側から消滅したのだと。


「お土産は授乳が終わったらね、セラ」

「……や、やだ……置いていかないで……っ、クラウディア義姉さん……イデア……ああもう、わかったから! 見捨てないでよッ……! リアンの母親だってやるからっ……だから……!」


 殺意でも呪詛でもない。狼狽とも甘えともつかぬ声が、彼女の喉から漏れた。六本腕は断裁も敵意も抜け落ち、支えを失った四本が震え、そのまま粒子となって解けていく。


「ほら……行くよ、リアン」


 セラさんが軽く指を鳴らすと、空中に漂っていた小さな泡が揺らぎ、その中心からリアンが姿を現した。気を失っているのか眠っているのか――肩の力が抜けた小さな身体はゆるりと彼女の腕へ吸い寄せられる。私は反射的に半歩、足へ力を込めた。守れる位置に立たねば――そう思ったのに、身体が震えて動かない。


 さっきの断裁の感触が、まだ喉奥に焼き付いていた影響なのだろう。そんな私の様子を、セラさんはちらりと見ただけだった。


「……何チラチラ見てんのよ。リュミエルさん……もしかしてビビってるの?」

「ビビってなんかいない。ただ――」

「嘘つけ絶対に見てたでしょ……」


 その声音には殺意も呪詛もなかった。ただ、呆れたような、どこか年上の姉に諭されるような調子だけがあった。


「ああもう……それでも貴女って次期魔導王なんでしょ? もっと堂々としてなさい」


 胸の奥が痛みとは違う熱で満たされる。悔しさなのか、安堵なのか――言い表せない遥か高みからの干渉とでも解釈すべきなのか。セラさんは片腕でリアンを抱き寄せ、もう片方の腕でイデアの袖を軽く引いた。

 

 イデアは楽しげに肩を弾ませ、クラウディアへひらひらと手を振る。


「じゃ、クラウディア。続きはお願い。セラが余計なこと考えないうちに連れて帰るからね〜」

「はいはい、任せたておきなさい。ああそう、セラ。後でホルス領土の地政学的問題で話があるから、夜にでも顔を出しなさいよ」

「はぁい……聞きたくないけど帰ってきたらね……」


 三人の背が女王の間の出口へ向かって消えていく。残された空間には、泡の割れた匂いと断裁が残した金の断層の名残だけがゆっくりと溶けていった。その背中を見送りながらようやく息を吐くが、そこへクラウディアが私の隣へ歩み寄り、静かに言った。


「さて、次期魔導王リュミエル様。お話があるので続けましょうか……ホルス領土で起きている混乱について、大使殿と共に報告すべきことが山ほどあるの」

「……嘘、大使殿と共にって事はラパンが帰ってきたって言うの⁉︎」

 

 その声音は現実へ引き戻すように冷たく、しかし確かに私の背を支えてくれた。セラさんが去った空間の温度が、少しだけ戻っていく。

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