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構成術士の欠陥因子 《OD》  作者: 寺鳥 夜鶏
オーバーダイブ編 <下>
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Act.84 共同戦線 <6>

コックピットから飛び降りた明日香の心境は、凛とした表情とは裏腹に、焼け付くような激情に支配されていた。


人は、いつかは死ぬ。


それは生を受けたもの全てに訪れる真理であり、作戦行動中に誰かが死ぬのはむしろ必然と言い換えてしまってもいいのかもしれない。

それは最早不可避の事実として明日香の意識の底にこびり付いており、数年間にわたる実戦経験の中で味わった苦悩と挫折を経て、彼女自身が妥協し苦渋の思いで飲み下した事実でもあった。


明日香がこうして自身の感情に折り合いをつけ偽りの安寧を獲得し得たのは、死者を悼むことで、悲しみや憤りといった負の感情を消化できずとも、許容できる範疇まで縮小できたことに由来する。

明日香にとって死者を悼む上で最も重要な要素は、彼の者が死んだという明確な証拠が残っていることであった。

右腕だけであろうと、遺品の一部だけであろうとも、それは変わらない。

それらは彼らがこの世で確かに息をして、笑って、泣いて、生きていた証拠であり、そうした生のプロセスを再認識できれば一個の生命の消失を悼むべき「人の死」として解釈できたのだ。


それゆえに、オールビューモニターを介して認識できた悲劇は彼女にとって許容できる範疇を逸脱していたのだろう。

水の被膜を身に纏い宙を歩く少女の青の瞳は深く昏く憂いを帯びていて、身を焦がすような敵意と揺ぎ無い使命感との間で揺れ動いている心象をありありと体現していた。


「相手は第一接触禁忌種…ですが、その前に」


視線の先に真っ直ぐにニグエラを捉えながらも、彼女は砂漠一帯に散布させた水分子から、残存する「敵」の存在を全て的確に捕捉していた。


鷹明と同じく特質系能力者たる明日香は、驚くべきことに水素原子と酸素原子。そしてそれらから構築される水分子に対して圧倒的な干渉能力を有している。


情報掌握メディアコントロール」呼ばれる能力によって水分子を動かしている術の名称は「アクア・フル」。

正式名称は「水随方円器(ミズハホウエンノウツワニシタガウ)」だが、長すぎる為に彼女自身でさえも基本英名で呼称している。


ニグエラの光熱線から兵士たちを護ったのもこの「アクア・フル」によって展開された水分子の障壁である。

しかし薄さにして僅か数ミリ程度の水の被膜が数千度はあろう荷電粒子のビームを防いだというのは、はたからすれば確かに馬鹿げた話であろう。


それが「ただの水」であったならば、だが。


彼女が行使しているのは単に水分子間に詞素を吸蔵させ、吸蔵させた詞素を操作することで水分子を操る「水分子操作アクアコントロール」の類ではなく「情報掌握」である。

そもそも「情報掌握」という構成術は、文字通り水分子という「情報体」そのものを完全に掌握する構成術だ。

つまり、水分子という情報体が持つ「情報」を彼女自身の意思によって改竄できるということに他ならない。

改竄できる「情報」には物理学で言うところの力学的エネルギーにあたる「情報量」も当然含まれており、「アクア・フル」は展開した水分子の「情報」全てを固着化。他の事象改変の一切を受け付けない「不変の存在」へと昇華させたのだ。


「不変の存在」への昇華と言うのは、噛み砕いて言うなら、「何が起きても絶対に水であり続ける」という意味である。

座標情報が固着化された水分子は分子間相互作用も不変であり、術者の命令がない限りは、絶対零度に冷却されても凍らず、数万度まで加熱されても蒸発することも、電離しプラズマになることもない。

薄い水の被膜がニグエラの光線を防いだことも、こうした水分子に対する一種の「情報強化」の効力に起因する。

更に透過する「情報」に制限を設けることで、「詞素装甲」と同じく「人体にとって有害な情報体」の侵入のみを拒む性質を「アクア・フル」は獲得していた。


とまれ、いくら少量の水で十二分な効力を発揮すると言っても、この場にいる兵士やAMすべての体表面積を水の被膜で覆うとなれば相当量の水が必要とされる。

そこで明日香は昨日の時点で中国側に水五トンの調達を依頼していた。《晧月コウゲツ》の背中にリュックサックのように懸架されていた巨大な白い箱の中身がそれである。

ニグエラが光線を吐き出す直前、明日香はほぼ無意識的に白い箱へと思念波を送信。合金製の箱を突き破るように展開された水分子が周囲の保護対象へと取り付き、渦巻く高エネルギー粒子の奔流から兵士たちの命を護ったのだ。


ちらと砂漠を一瞥いちべつした明日香は残存する外敵へと全神経を集中させてゆく。

自身の周囲に残った水分子へと右手をかざすと、囁くように、命じる。


「ファンネル」


術式名を言の葉とするや、拡散していた水分子が更なる拡散を見せ、淡い霊光を放ちながら砂塵の中へと紛れ込んだ。

思念波によって誘導された水分子は敵の死角にて再び集い、宝石にも似た水球が形成される。

ハンニバルは背後に出現した水球の存在に気づいていない。

それを視認するような暇もなく、明日香は掲げた右腕を下へと振り下ろした。


「貫け」


その様はステージの上でタクトを振るう指揮者然としていて。


球体から円錐形に変形した水球はまるで漏斗フォンネルのような造形を成し、先端から水流を撃ち放つ。

月明かりにも似た輝きを帯びた水分子は、陽光を浴びた水面の色と言うより星屑の瞬きに近く、収束された水の束は撃ち出された速度と相まって流星のようにも映る。


砂上を行き交う水流はウォータージェットの如く、射線上に介在する物質の一切の存在を許さない。


高速で放たれた水分子はその圧倒的な運動エネルギーを以て対象表面の分子結合を削り取る。ならば「切る」というよりは「押し流す」あるいは「吹き飛ばす」と表現した方が的確なのだろうが、工業用に用いられているウォータージェットの類を遥かに凌ぐ速度で放出された水流が対象を紙切れのように分断してゆく様は、やはり「切る」と呼ぶに相応しい。


彼女が発動させた「ファンネル」と呼ばれる構成術は、水分子の空間座標情報を連続的に切り替えることで水流を生み出し、その軌道上に存在する物体を切り裂く術式である。


水の刃に射抜かれ両断された異形のモノたちは、留まることなく撃ち放たれる水分子の奔流に晒されることでこの世に存在した形跡そのものを隠蔽されてゆく。

恐らくそれは明日香の激情そのものでもあったのだろう。

十秒と要さずニグエラを除く数十のハンニバルが細切れになり、砂塗すなまみれになった残骸がぼとぼとと湿った音を立てて、熔け固まった砂面を無秩序に転がる。


眼下に広がる光景を視野に収めながら、明日香は上着のポケットから市販の飲料水を取り出した。

ペットボトルの縁に口をつけ、天を仰ぐようにして水を飲む。

しかし飲み下されたはずの水分はどこへいったのか、白く艶めかしい喉元は動かず食道も嚥下えんげに要するであろう収縮運動をしていない。ならば飲み下さずに口内に溜め込んでいるのかと問われれば、膨らむ様子もない頬を見る限りそうでもないらしい。

ただ淡々と、ペットボトルの水が口内へと流れ込んでゆく。

ペットボトルの中身が空になるや、明日香はキャップを閉めた容器を再びポケットへと押し込んだ。


その最中に繰り広げられていた光景は単なる戦闘ではない。

殺戮にも似た過剰で一方的な攻撃は「制圧」の一言に尽きる。


だが、反撃に転じる個体が一体だけ存在した。

眼前で繰り広げられる水のクロスファイアを前に、ニグエラは上空に漂う明日香へと狙いを定め、巨大な光弾を吐き出す。

放たれた高エネルギー粒子の塊は先程遠方で巨大な光輪を咲かせたものより一回りほど大きく、速い。

恐らく明日香のことを危険な存在だと本能的に悟ったのであろう。

対して、明日香の表情は風のない日の湖面のように静かだった。


放たれた光弾に意識を向けることもなく、ましてや何かしらの動作を見せたわけでもなく。

放たれた光弾は水分子の障壁に誘導されるようにその進路を変え、明日香の脇を掠めるようにして通過。後方に、一際巨大な光の瀑布を撃ち立てる。

見下みおろしてくる、否、醒めた眼差しで見下みくだしてくる少女に、今度は強烈な熱線が放たれた。しかし放たれた熱線は周囲に散布された水分子に撹拌され霧散する。続け様に放たれた数十の光弾も全て本来の軌道を外れ、爆炎の中に明日香の見姿を浮かび上がらせるに留まった。


乾いた陽炎の中に少女のシルエットが切り取られる。


黒く縁取られた輪郭が動き、彼女が右腕を上げたのだという事実を見るモノに理解させる。

口元へと運ばれた左手は、ゆっくりとした動作でとある形を形成してゆく。

親指は自身に、人差し指は上に、他の指は軽く握って。

まるで拳銃のような形へと変化する。

天へと屹立した人差し指の先端に、明日香は静かに息を吹きかけた。

一連の所作は、弾丸を撃ち放ったガンマンが銃口に残る硝煙を消し去るべく息を吹きかける様に似ている。

しかし、ふぅ、という呼気の音は聴こえない。

吐き出されたものは空気ではなく、青い輝きを放つ水の粒。

それは先程嚥下した水で形成された塊であった。

水が圧縮されて形成されたビー玉大の球体は、吸蔵された詞素によって冷たい光を放ちながら少女の人差し指の先端に乗る。


緩慢な動作で降ろされた腕は水平を保ち、手で模倣された拳銃の銃口が「敵」へと向けられた。

青の瞳は不動のまま、少女の唇だけが動く。



Kissキッス ofオブ Fireファイア――」



紡がれたのは流暢な英語。

瞬間、突き出された銃口――人差し指の先端から青の球体が放たれた。

射出時の衝撃波が黒の長髪を揺らし、放たれた球体とよく似た色彩の双眸が覗く。

ライフル弾を思わせる慣性力を有した水球は、真っ直ぐに白き竜へ。ニグエラの喉元へと迫る。


――ニグエラの「炎」の鎧を前に蒸発することもなく。

――貫通した水球はニグエラの外殻を貫通する。


水球の空間座標がニグエラの体内へと達した瞬間、明日香は前方へと突き出していた左手を胸元へと素早く手繰った。



――砂漠に、青の花が咲いた。



圧縮された水分子は思念波に促されて膨張、瞬時に気体まで拡散しニグエラの肉体を内部から粉々に吹き飛ばした。

現象としては水蒸気爆発に近い。だが、「情報掌握」によって“任意の加速度”を得た水分子の運動エネルギーは水蒸気爆発の加速度それとは一段を画する。


膨張速度は亜光速。


荷電粒子砲の重金属粒子の射出速度を優に超越した膨張速度は、膨大なエネルギーを有する一方、その膨張範囲を完全に制御されていた。

摩擦熱でプラズマ化することもなく、拡散した水分子は半径数メートル程度でその膨張を終え各指定空間座標に静止。ホログラフにも似た青の天体と化す。


しかし相当量のエネルギーを体内で炸裂させたとはいえ、ニグエラの細胞組織を形成するフリークス細胞の強靭さは並外れたものであり、純粋な破壊力だけでニグエラを跡形もなく消し去れる道理はない。

それでもニグエラを破壊し得たのは、純粋に水分子が膨大な「情報量」を――エネルギー有していた為であった。

あらゆる物理的な障害があろうとも、指定された空間を“必ず”占領し掌握する。

例えその空間内に強靭な物体があろうとなかろうと、それは水分子の運動エネルギーに関係なく“確実に完遂される”。


水分子が指定された空間を絶対に掌握しつつ拡散するならば、四次元時空における空間座標を略奪された物質に水の拡散に抗う術はない。

つまり事実だけを述べれば、ニグエラを倒すのに水分子を亜光速で拡散させる必要はなかったのだ。


それでも明日香が放った光弾、正式名称「水燦花火スイサンハナビ」が無慈悲ともとれる爆散を演じたのは、ひとえに、明日香の性分に起因する。

「性分」と言えば聞こえは良いが、単に彼女が「派手好き」なだけである。

そのことは術式の名称にも如実に現れており、術の発動に際して発せられた「キス・オブ・ファイヤー」と言う言葉も、過去に見た湖面花火から連想した一種の「遊び言葉」に過ぎない。


「綺麗……」


滔々とうとうと、誰かが言った。

膨張し拡散した水分子に押され、圧縮熱を帯びた大気分子が電離する。

副次的に生じた蒼いスパークが湖面に咲く光輪に華を添え、肌身を打つ音と風が見る者に砂上のスターマインを想起させた。


「――戻れ」


拡散した水分子が、明日香が取り出したペットボトルの中へと戻る。その光景を見た者はビデオの逆再生のようだと思ったことだろう。


彼女が勝利の美酒代わりにと、飲料水を煽ったと同時。


勝利を確信した兵士たちの叫びが花火大会の余韻のように砂漠一帯へと響き渡り、恍惚こうこつとした感情の波となって、束の間に、だが決して短くはない合間滞留した。


明日香には、それが勝利を知らせるファンファーレのように聞こえた。



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