Act.73 青の機影 <2>
シャドウが出現してからおよそ三十分前後。
《VSS-18便》の護衛任務に当たっていたBD部隊は、一向に減る気配もないハンニバルの大群に対し、十全とは言い難い武装での長期戦闘を強いられていた。
四機の内、既に二機の《センチネル》が墜とされていた。撃墜された様は、まるで重力に引かれてゆく流れ星のよう。
直前まで入っていた状況報告の無線の大半は支離滅裂な悲鳴じみたものとなっており、善治にはそれが生にしがみ付かんとする生者の断末魔のように聴こえていた。
『何でこんなところにコイツら湧いてくるんだよ!?』
回線越しに聴く、同僚、佐崎峻の言葉を上の空で聞き流しながら、善治の両手は震えながらも何とか操縦を続けている。
それが日々の操縦訓練の賜物だったことは言うまでもない。だが、現実は訓練とは全く違うのだということを、この時善治は痛感させられていた。
積載されている武装の大半は詞素を利用した対ハンニバル用の兵器ではなく、実弾の使用を主軸とした対人用の兵器の類ばかり。
一応《センチネル》に標準搭載されている武装の一つとして、スプレーガンと呼ばれる、広域に荷電粒子と化した詞素をバラ撒く銃火器が懸架されてはいるが、それは小型から中型のハンニバルを駆逐する為の武装であって、大型以上のハンニバルには牽制程度の効力も持ち得ない。
「くそったれッ!」
幸いだったのは、善治の機体には実弾を発射するガトリングガンではなく、「結合術式」を介して弾倉内の詞素を結合して実弾の如く撃ち放つ、フォノン・ガトリングガンと呼ばれる兵器が懸架されていたことであった。
早々に弾切れを起こしたスプレーガンを投げ捨て、善治は背中から抜き放ったフォノン・ガトリングガンの銃口を《VSS-18便》に取り付こうとする異形の群れに差し向ける。
唸りを上げて回転し始めた銃口から次々と緑の光弾が吐き出され、蚊柱のようなハンニバルの大群に降り注いだ。
「墜ちろっ!墜ちろっ!堕ちろっ!」
呪文のようにそれだけを口ずさみながらも、善治はただ機内に取り残されているであろう後輩の身を案じていた。
一匹も通してはならない。決して乗客を死なせるわけにはいかない――と、一人の軍人としてではなく、同じ第七学園の門を叩いた先輩としての義務感が、焦燥にも似た緊張感と共に善治を駆り立てている。
『AM3、今は小型は無視していい!標的は中型以上!大型の対処を最優先としろ!』
「で、ですが機内には…!」
『わかっている。しかし彼らも構成術士の端くれだ。緊急時の対処の術ぐらい持ち合わせているだろう。
ならば俺たちの役目は、機体を大きく損傷させる危険性がある大型種を食い止めることだ。違うか?』
フォノンライフルを片手に「海蛇」のような外見の大型ハンニバルを迎撃していた隊長機《ガイス》が、青白い光の筋を虚空に刻みながら善治の機体へと背中を預けてきた。
接触回線を通じて伝わってくる諭すような声音に、善治は歯痒い思いで旅客機を、その中で今尚戦っているであろう後輩たちへと向ける。
坂井隊長の指摘は最もだ、と善治は認識を改めた。
一方で、それでは機体が羽田空港まで持たないであろうことも彼は気がついていた。
武器も足りない、人員も足りない、増援も来ない。
ならどうしようもないじゃないか、と善治は悲観した。
それでも……と溢れそうになった嗚咽を噛み殺す。
それでも、諦めるわけにはいかない。
たった一人の家族を、弟を残して死ぬことも。《VVS-18便》の乗客を見限り、戦闘を放棄して逃げ帰ることも。
善治の選択肢には存在しなかった。
「了解しました!」
返事は決まっていた。迷うまでもなく。
側面から突撃してきた「海蛇」のような外見をしたハンニバルに対し、《センチネル》と《ガイス》は互いの機体を押し合うような体制で対応、回避した。
間合いが離れるや、善治は反動で回転する機体を四足の質量移動と姿勢制御バーニアを小刻みに焚くことで静止させ、素早くフォノン・ガトリングガンの銃口を「海蛇」の胴体へと突き付ける。迷いなく引かれた引き金は再び緑光を帯びた弾丸を絶え間なく吐き出し、「海蛇」の身体をボロ布のように引き千切って行った。
『危ない!』
峻から送られた無線越しの注意喚起に気づくと同時、眼前の全天周囲モニターの一面に赤い『BACK』の文字列が表示された。善治は反射的に機体を反転させ、左の腕部に取り付けられたLシールドと呼ばれる巨大な機械盾を構える。
「ぐぅぅうっ!!」
衝撃は、その直後に訪れた。
激しく機体を揺さ振られたことでリニアシートに背中と後頭部を打ち付け、苦悶の声を漏らす。
Lシールドによって形成された緑色の光壁は、言うまでもなく立体格子状に結合した詞素によって形成された「詞素光壁」の力場だが、その力場を押し退けるような勢いで衝突してくる物体があった。
外見は爬虫類の胴体に巨大な羽を生やしたような、お伽話で語られる「竜」のような姿。
「竜」はその巨大な鍵爪で《センチネル》の躯体をLシールドごと鷲掴みにすると、肉を焼く光壁にも怯まず、尋常ならざる怪力で締め上げてきた。
オールビューモニターが「DANGER」のアラート表示に埋め尽くされ、重圧に軋む機体がまるで悲鳴のような音を立て始める。
「そこを……どけぇぇえ!」
善治は一対のアームレイカーを巧みに捌き、《センチネル》の左腕に取り付けられたLシールドを「竜」の頭部へと押し付けた。僅かに生まれた隙間に右腕のフォノン・ガトリングガンの銃口を押し込み、引き金を引き絞る。
生じたのは、衝撃と閃光。
銃身から機体へと伝わる衝撃が発砲しているという事実をコックピットにいる者へと教え、着弾時に生じる燐光がモニターを真っ白に埋め尽くす。やがて鳥の鳴き声に似た断末魔を上げて海面へと落下していった「竜」を見送った善治の視界に、側面から映り込む影があった。
『ダメだ!数が多すぎる!』
それは無数の中型ハンニバルに押されるように、峻が操る《センチネル》の機体がスプレーガンをバラ撒きながら下方へと落下してゆく姿だった。
「峻っ!」
突破されてしまった、と善治は臍を噛んだ。
慌ててフォノン・ガトリングガンの銃口をハンニバルの群れへと向けるも、その射線上に《VSS-18便》が入ってしまい引き金を引けない。
手の打ちようもなく、善治が絶望に項垂れた、その時。
――青白い閃光が、上空に満ちた。
閃光は波動を生み、淡い輝きを帯びた光の“奔流”が津波のように周囲の空間を圧倒する。
「な、何だ!?一体、何が起きて――」
“それ”は、VSS-18便を中心として発生しているように見受けられた。
生じた光の津波は旅客機へと取り付かんとしていたハンニバルの群れを消し飛ばし、更には、隊長機と交戦を続けていた「鳥」のような大型のハンニバルの姿さえも、まるで初めから幻だったかのように消滅させてゆく。
構成術士として高度な軍事教育を受けた善治には、この時、発動された構成術が自分の知っているどの術式にも当て嵌らないことを本能的に理解していた。
そして、この圧倒的な「力」が一人の少女によってもたらされたのであろうことも、
「雨宮、唯…?」
《VSS-18便》の風穴から垣間見ることができた機内の状況から、悟っていた。
◇◆◇◆◇◆◇
貨物室から戻って来た唯が、迫り来るハンニバルの群れを視認した瞬間。彼女は無意識のうちに、右手に嵌められた腕輪型のAIUへと思念波を送信していた。
発動させた術式は「深域」。
それは唯の肉体を中心として、半径一キロメートルの空間に強力な詞素の“奔流”を発生させた。
構成術の大半は術の効力を及ぼす領域こそ指定できたとしても、効力を及ぼす対象の識別は困難を極める。
それでも唯が旅客機やAMには傷一つ付けずハンニバルだけを一掃することができたのは、「深域」と呼ばれる構成術が攻撃用の術式ではなく、防御用の術式の一種であることが大きな要因の一つとなっていた。
「詞素の“奔流”を発生させる」とは言っても、それは一定領域内に散布させた己の詞素を遠隔操作した結果であり、詞素を広域に散布する際に生じる謂わば二次作用――衝撃波に近い。
本来「深域」と呼ばれる術式の用途は、己の周囲に接近した「情報体」に対し大気中に散布させた詞素を一種の緩衝材として作用させることで、「情報体」の運動エネルギーを極限まで減衰させることである。
これは重力による自然落下現象も減衰の対象に含まれる為、「深域」に囚われたものはまるで“時間そのものが凍てついてしまったかの如く”その場で「静止」することとなる。その原理は、冷却レーザーに最も近いと言えるだろう。
青く昏い深海の如く、一定領域内に侵入したもの全てを凍て付かせ「静止」させる。
それこそが、「深域」の真骨頂であった。
無論、留意すべきは人体への影響である。本来「深域」は大気分子の小さな移動すら運動エネルギーとして認識し、一度最高出力で放たれたならばその熱振動さえも減衰させてしまう。これは生身の人間であれば凍死は免れず、仮に生き残ったとしても、動くことはおろか呼吸すら不可能となってしまう危険性を孕むものである。
そこで唯は、運動エネルギーの減衰対象を「識別不可能な情報体」へと定めた。一聞無謀な判断にも思えるが、唯はこれしかないと確信を持っていた。
そもそも識別不可能な物体など“この物理世界には存在しない”。
高次元空間構造によって形成されるのが四次元空間(宇宙)という空間構造であり、そこに例外はない。本来この時空間の存在ではない「もの」を除けば、だが。
即ちそれは、異空間より現出する「詞素」と「フリークス粒子」。
唯の明断によって、術の対象は己自身の詞素を除く全ての詞素とフリークス粒子だけに絞られることとなった。
結果、発動した「深域」は周囲のハンニバルだけを消し去ることに成功した。
もちろん発動に伴い他の構成術を軒並み阻害してしまったが、まあ致し方ないだろう。詞素の一部を推進剤として使用しているAMの機体も推進力の低下から一時飛行不全に陥っていたが、数秒後には何とか体制を立て直していた。
「す、凄い……」
誰かの呟きが耳朶を震わせたが、唯の意識は損傷した機体を如何にして羽田空港まで運ぶか、それだけに向けられている。
続けざまに発動させたのは、「吸蔵操作」と呼ばれる構成術。
「吸蔵操作」はその名の通り、詞素を吸蔵させた物質を、吸蔵させた詞素を操作することで“間接的に”操作する術式の一つである。
大まかに分類すれば「気流操作」も「吸蔵操作」の一種であることに違いはない。
しかし術の対象が大気から他の物質まで広がるとなれば術の難度が上がってしまうのは致し方のないことで、今回唯が制御下に置こうとした旅客機は、大きさや質量、更に言えば航空速度の維持が非常に困難を極めていた。
(流石に、キツい!!)
展開された詞素は《VSS-18便》の機体全体、主に機体表面のジュラルミン合金(正式には一世紀前のものとは名称も強度もまるで違う)に吸蔵され、淡い緑光を放ち始めた。
温かな輝きを放つ粒子に覆われた機体は急速に高度を下げつつあった機首を緩やかに擡げ、羽田空港のある方角へと導かれてゆく。
「綺麗……」
光壁の維持という大役を終えたソフィアは、額の痛みも忘れ、眼前に広がる美しい光景に目を奪われていた。
それは他の生徒たちも同様であり、誰もが祈るような所作で発動された唯の構成術に心を奪われ、眼前の神々しい光景に呆然としていた。
◇◆◇◆◇◆◇
驚きの度合いから言えば、機内にいた生徒たちよりも外部から《VSS-18便》が光に包まれる様を眺めていた者達の方が大きかったと言えるだろう。
『凄い生徒も居たもんだ』
無線越し届いた峻の声音には、隠し切れない動揺と、安堵の色が滲んでいた。
「ああ、本当に……」
傷付いた機体はオーロラの輝きに導かれ、「霧」が晴れた空を滑走してゆく。その様が、彼らにはとても愛おしく美しいものに見えたのだ。
これで胸を張って家に帰れる。
そう、善治が安堵の息をついた時であった。
突如、峻の回線から怒号にも似た報告が飛んだ。
『六時の方角より、高熱源体接近!』
『数は?』
『一、二、三……いえ、五つです!』
峻の報告と坂井の詰問と時を同じくして、善治が翔る《センチネル》のコックピットのオールビューモニターにも、熱源センサーに反応ありとの表示が入る。
『増援か!?』
峻の声音が明白に上擦ったものとなったが、善治はセンサーに表示されている情報に不信感を募らせていた。
違和感を抱いたのは坂井も同じだったらしく、無線越しに届くその声の変化が、表情すら険しいものへと変化していることを善治に理解させた。
『いや、識別信号を出していない。これは――』
瞬間、赤色の光線がすぐ目の前の空間を引き裂く。
反射的にフットペダルを踏み込んでいた善治は、続けざまに放たれるビームから機体を逸らしつつ、悲鳴じみた声を上げた。
「敵襲!?」
目まぐるしく反転する視界の先に善治が捉えたのは、カーキーグリーンの随伴機を連れ立って侵攻する、青のANIMUSの機影であった。




