Act.72 青の機影 <1>
二千九十八年、三月三十一日。
上空一万メートルという戦場で、少年少女らは決死の反攻を続けていた。
ソフィアが光壁を維持し外敵の侵入と機内の酸素濃度の低下を防いでいる中、新たな脅威が《VSS-18便》を襲う。
それは、旅客機の窓を突き破って機内へと侵入してくる小型のハンニバルの群れであった。
「窓から入ってくるぞっ!」
「片っ端から撃ち落とせ!」
風穴を塞いだからといって外敵の侵入を完全に防げるわけではなく、更に言えばハンニバルが外壁を喰い破って内部に侵入してくる危険性は依然として付き纏っている。
それでも小窓を破って侵入してくる鳥、あるいは虫のような姿のハンニバルを前に、構成術士の卵たちは拙い構成術を以てなんとか迎撃に当たっていた。
構成術とはいってもAIUも無しに素人同然の彼らが行使できる構成術など高が知れており、唯一彼らが持ち得た武器は、肉体を強化する「HETマジック」と、体外に放出した詞素を掌の中で圧縮して撃ち放つ「気弾」の類。
気弾とは言ってもダリウスが見せたような洗練された弾丸状のものではなく、形も不鮮明な、ただの詞素の塊を叩きつけているだけである。
青の、赤の、緑の光弾が生徒の掌から放たれ、小型のハンニバルを撃ち払う。
戦況は、一応の膠着を見せているかのように思えた。
だが、突如として「それ」は姿を現した。
凄まじい、衝撃と共に。
「な、なんだ!?」
ようやく落ち着きを取り戻そうとしていた生徒たちの間で、激しく揺れる機体に対する不安が募る。
耳を澄ますと、「何か」が、天井を這ってゆくような音がした。
ごくり、と誰かの喉が鳴る。
窓から顔を出して確認しようにも、外は未だに黒い霧が漂っている。
カツカツと「何か」が機体の外周を回り始めた音を聴きながら、その音の方角へとハヤトと憐。一拍遅れて惟月が駆け出していた。
向かう先は、機体の前方。コックピットである。
「マズいッ!」
《VSS-18便》はその機体を大きく損傷しつつも何とか飛行を続けているが、機体を操縦するパイロットたちがいなければ着陸どころか飛行すらままならなくなる可能性があった。
ハヤトが先行し、その後を憐と惟月が追い掛けるようにしてコックピットへと飛び込む。
自動開閉式の扉が横へとスライドした、瞬間、正面から飛び出してくる物体があった。咄嗟に、ハヤトは圧縮した空気の層を自身の眼前の空間に形成させる。しかし、
「がぁっ!」
衝突してきた物体の加速度はハヤトの構成術の防御、物理的な干渉力を僅かに上回り、少年の右肩へと突き刺さった。
構成術の本質は「情報体」へ干渉し、操作することにある。しかしそれは構成術を用いて事象を改変しているだけであって、物理法則が全く作用しないわけではない。
そもそもこの物理世界におけるあらゆる自然現象は、それ自体が物理現象を通じて「情報体」を変化させているだけだと言い換えることができる。
これは当たり前の話である。この宇宙を構築している全てが「情報体」即ち高次元空間構造に根源をおくものである以上、ほんの些細な物理現象と言えどもそれらが「情報体」を改変していることに変わりはないのだ。
プロセスやアクセスの仕方は違えど、本質は同じ。だとすれば、実際に効力を発動させるのはより「情報体」への干渉力が強い事象改変である。
この場合、ハヤトが生み出した事象改変は空気圧縮による防壁であり、その防壁を貫く慣性力を有した物体が防壁を突き破っただけのこと。
後方に転倒しつつ、ハヤトは冷静に現状を分析していた。
「ハヤトっ!?」
激痛に視界が霞む中、案ずるような憐の声に促され、ハヤトは自身の右肩に突き刺さった物体を見遣る。食い込んでいた物体は分厚い金属の破片であった。舌打ちしつつ、ハヤトは破片を引き抜く。
出血は少なくない。少年はHETマジックを発動していなかったことを悔やみつつ、傷口に詞素を集中させ粒子による皮膜を形成させた。
発動させたのは「詞素装甲」の一種だが、細かく分類するならば「詞素皮膜」と呼ばれるもの。傷口表面に詞素による被膜を形成することで出血を防ぐ、主に応急処置として利用されている術式である。
治癒術式が扱えない以上傷の回復は見込めないが、これで出血は防げるだろう。
ハヤトが扉を開け、構成術による止血作業を行うまでに要した時間は実に五秒弱。
その間に、やや後方を走っていた惟月は前方に確かな脅威の存在を視認していた。
コックピット、と呼ぶには些か損傷が激しく、辛うじてその面影を残している空間には言うまでもなく機長たちの姿はない。
代わりに、「魔物」が忍び込まんとしていた。
外見から言えば昔話に出てくるような魔物そのものであり、それ以上の言語表現を持ち合わせていなかった惟月はまるで「ガーゴイル」のようだと思った。
獣と人間を足して割ったような外見は魔物と呼ぶに相応しく、巨大な背中には蝙蝠の翼に似た禍々しい翼が生えている。
「ガーゴイル」は金属の合板を引き千切り、幅を広げながら、しゃがんだまま身動きが取れずにいるハヤトへと巨大な腕を伸ばそうとしていた。
「二人共伏せろッ!」
二人の頭上を跳び超えて、惟月は両腕を魔物の腕へと振り下ろした。
発動させた構成術は「結合術式」。形成されたのは、橙色の輝きを放つ片手斧であった。
掌の中に顕現された斧の柄を両手で握り閉め、そのまま荷電粒子の束を全力で叩き付ける。
「らぁあア!」
しかしAIU無しでは上手く力場の形状が維持できず、「ガーゴイル」の腕を強打した瞬間、斧は光のシャワーとなって周囲に拡散してしまった。
それでも多少の効果はあったらしく、魔物は伸ばした腕を引き戻し呻き声を上げる。
生じた一刹那の隙に、飛び出したのは惟月でもハヤトでもなく、
「憐っ!?」
右拳を硬く握り締め、「ガーゴイル」へと肉薄した憐であった。
言葉にならない叫び声を上げ、少年は魔物へと真正面から飛び込んでゆく。
(いけない!)
この瞬間、惟月が危惧したのは憐の体質に関してであった。
憐の外見からも察せられる通り、彼は色失反応の発症者である。俗に「色無し」と呼ばれ蔑まれるのは、先天的にミーム細胞が劣化しているが為。事実、色失反応の発症者の大半が詞素を全く放出することができず、HETマジックすら碌に発動できないとされている。
一方ハンニバルを構築するフリークス粒子は触れたものの分子間に入り込み、取り込もうとする性質を有している。構成術士ならば詞素との対消滅によってその捕食特質が抑えられるが、一般人ならば話は別だ。
それは「色無し」と蔑まれている憐という少年も、また、変わらないはずである。
「待てっ、早まるな!」
惟月の声が憐の耳に届くよりも早く、膝を折ったままの体制でハヤトは「神凪」を発動させていた。
魔物と憐との間に、分厚い空気の遮断壁を構築する。
(ダメだ、間に合わねぇ!)
加速してゆく意識の中で、ハヤトは己の術式が間に合わないことを悟った。
絶望に満ちた眼差しで、二人が憐の背中を目線だけで見送る中。
――遂に、憐の拳が魔物の顔面を捉える。
蝕われた、とハヤトと惟月は思った。
だが現実は違っていた。
「はぁぁあ!!」
触れた拳を、憐は振り抜いていた。
爆音と爆風。
凄まじい衝撃がコックピットを揺らした刹那に、五メートルはあろう「ガーゴイル」の巨躯が機外へと錐揉むような体制で吹き飛ばされていった。
閑散とした窓(ウインドーシールドが無い以上、窓とは言い難い)から吹き込む風に息を詰まらせつつ、ハヤトは呆然とした眼差しで拳を振り抜いた体制の憐を見遣る。
「スゲェ……」
衝撃を露わにしていたのは、接触の衝撃で後方へと飛び退いていた惟月も同様であった。
「マジですか……」
魔物を退けたことに安堵したのも束の間、バランスを崩した憐の身体が機外へと放り出され──、
「うぉぉぉ危ねぇえっ!?」
何とかハヤトが「神凪」の術式を途中で変化させ、大気の囲いを作ることで事無きを得た。
「あ、ありがとう。死ぬかと思ったよ……」
大気という不可視の力場に支えられて機内へと戻って来た憐は、案の定、色の薄い瞳に焦りの色を受かべていた。
憐の無事を確認したハヤトは安堵の色を見せた一方で、それ以上に激昂していた。青い顔をした憐の鼻先に人差し指を突きつけ、唾を飛ばさんかという勢いで捲し立て始める。
「お前馬鹿だろっ!?死ぬ気かよ!?ホント馬鹿!信じらんねぇ!ふざけろ!」
「えっ、いや、えっと……ゴメン?」
「ゴメンで済めば警察はいらねぇ!」
「えっ、今の警察沙汰だったの…?」
ハヤトの激昂に混乱の色を呈し始めていた憐だったが、二人の様子を脇から見ていた惟月はニマニマと人が悪そうな微笑みを浮かべていた。
ぶつくさと文句を垂れ流しながら「気流操作」を用いて“大気の”ウインドーシールド(コックピットの窓)を作り始めたハヤトを横目に、惟月は落ち込んだ様子の憐を手招きし耳打ちする。
「あれは怒ってるんじゃなくて心配してるんだよ」
「えっ…?そう、なんですか?」
「ああ、いわゆるツンデレというヤツだな…」
「つ、つんでれ?」
「ハイ!そこうるさい!」
妙なことを口走る惟月と、再び混乱し始めた憐。両者に対してハヤトは憤怒の矛先を向けた。
「ご、ごめん」
「はーい」
肩を竦めた憐と対照的だったのは、気の抜けたような返事を返した惟月である。
流石に一言行ってやらないと気が済まないと、ハヤトが口頭で文句の文面を並べようとした時。不意に惟月が距離を詰めてきた。
「それより傷は大丈夫なの?」
「お、おう…」
何故か何の前触れもなく怪我の容態について詰問してきた惟月の態度に意外感を覚えつつ、思いの他、彼女は世話焼きなのだろうかとハヤトが思い至った、直後のこと。
凄まじい爆音と衝撃が、三度、彼らを襲った。
「こ、今度は何だ!?」
惟月の言葉を意識の隅で認識していた一方で、ハヤトの意識の大半はコックピットの外へと向けられている。
見遣れば、巨大な鳥のようなハンニバルに空中で組み伏せられたAMが無残な様体を晒しながら爆発、背面のメインスラスターに積載されたCボックス内の詞素が乖離現象よって誘爆を引き起こし、『霧』の合間に紅の大輪を咲かせていた。
また一機撃墜された、と憐は愕然とした。
確かに現状こそ好ましいものとは到底言えないものだが、それでも相手が小型のハンニバルだけだったから何とか自分たちにも対処できていたのだ。
大型のハンニバルの相手を請け負ってくれていたAM部隊が壊滅すれば、最後の砦が瓦解し状況は一気に悪化の一途を辿ってしまうことだろう。
携帯端末の通信機能では『霧』の影響下では電波の出力が足りない以上、外部との連絡が取れる可能性は《VSS-18便》のコックピットの専用回線かAMの軍用回線に限られてくる。しかしコックピットがこの有様となってしまった以上、AMが全て墜とされてしまえば、現状を外部に伝えるどころか、戦況の維持すら困難になるのは必須。
その先には、一塵の希望も無い。
ようやく『霧』が晴れ始めたというのに──。
惟月は、知らず歯噛みした。
それは、負傷に痛みを堪え事態の成り行きを見守っていたハヤトの心中も同様である。
確信は、絶望へと変わった。
――恐らく、増援は来ない。




