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構成術士の欠陥因子 《OD》  作者: 寺鳥 夜鶏
オーバーダイブ編 <中>
74/124

Act.71 エンカウント <3>

二千九十八年、三月三十一日。



突如として現れたシャドウとハンニバルの大群によって《VSS-18便》が自力での飛行が困難な状況へと追いやられていた頃、目的地たる羽田空港も同様に混沌の渦中にあった。

同時多発的にシャドウが出現するという異例の事態において、一個人ができることは非常に小さなものでしかない。

だが、常に物事を決定するのは神の悪戯や悪魔の微笑みなどと言った抽象的な存在ではなく、常に物理的な現象の連なりである。


偶然と必然。


これは物理的に考察すれば確立的な話であって、本質的には同じ数値上の問題でしかない。

ならば、奇跡と呼ばれるものも同様であろう。

人の総意によって流れるのが歴史であり、構築されるものこそ社会というコミュニティである。

ならば、構成術士たちの総意は何を齎すのだろうか。


下される審判は何時か。


この日も、彼ら構成術士は血を流し、歯を食いしばる。

それは、思い掛けずして現場に居合わせてしまった構成術士の卵たちも同様であった。




    ◇◆◇◆◇◆◇




赤子の泣き声のような声を発する異形の者。

かの者の丸太のような腕が振り下ろされる寸前、椿を救ったのは、


「炎よ!」


眩い火球の雨、であった。

椿の背後から放たれた真紅の光弾が怪物へと降り注ぎ、後方へと押しやる。

光弾から放射される膨大な熱量は皮膚の表面に焼くような痛みを与え、急激に上昇した外気は椿の呼吸を困難にさせた。


「君、走ってっ!」


誰とも解らない声に促され、椿はくるりと踵を返し、赤い炎の中をひた走った。

降り注ぐ熱源に焼かれ、異形が耳障りな断末魔を上げて転倒。肉の焼けるような異臭が周囲へと立ち上る。


「こっち!」


周囲を徘徊する化物たちの視線に留まらぬよう細心の注意を払いながら、柱の影から手招きする人影にいざなわれ、椿は必死の思いで休憩所脇の柱の影へと滑り込む。


「大丈夫だったかい?」


青褪めた顔で俯いていた椿へと声を掛けてきたのは、先程と同じ、優しげな声の持ち主であった。


「た、助かりました…えっと、」


軍で多く支給されている白のアーマースーツに身を包み、フルフェイスヘルメットの奥に素顔を隠した人物。若くも成熟した声音と細身ながらしっかりとした体格から察するに、二十歳前後、であろうか?

柱の影から顔を出して周囲を警戒しつつ、青年は答える。


速水はやみ直人なおと。ここで警備員として勤務している者です。君は?」

「あ、紫菜月椿です。先程は本当に助かりました」


拳銃型のAIUを右手に、直人は声音だけで微笑んで見せた。


「これが僕たちの仕事だからね。それより、紫菜月さんは早く空港から脱出するんだ。ここは僕たちに任せて」


左胸に入れられた鷹の刺繍を見る限り、どうやら空港に常時待機させられているBD部隊の構成員らしい。噂には聞いていたが実際に見たのは初めてだと、椿は場違いな感慨に襲われた。

しかし、それも僅かな時分のこと。

冷静さを取り戻した椿が口にしたのは己のことではなく、これから空港へと訪れることになるであろう親友に関してであった。


「……と、友達が飛行機に乗って空港に来るんです。せめて、このことを伝えないと――」


この戦場に、来てしまう。逃げ場のない、その船で。

自分自身の生命の危機よりも椿が危惧していたのは、惟月いつきの身の安全であった。

強い少女だと、この時直人は思った。同時に、何とか力になりたいとも。


「そうだね、確かに現状において航空機の寄港は被害の拡大を招くだけだ。一刻も早くそのことを伝える必要がある」


そう言って直人は視線を空港の外へと向けた。

「霧」の恐ろしい点はハンニバルを生み出すという性質も然ることながら、その影響下に置かれた電子機器の動作を妨害してしまうことにある。

「霧」を構成するフリークス粒子から放たれる特殊な電磁波は電子機器の作動を妨害し、他の電磁波を吸収するという性質はあらゆる通信手段を困難とする。それは即ち、増援などの到着が著しく遅れることをも意味するものだ。


現状、見る限り「霧」は出ておらず、今なら外部と連絡を交わすことが可能だろうと直人は判断した。


「なら、僕が管制塔に向かうよ。確か、出発ロビーの先にある渡り廊下から向かうのが最短距離のはずだから、そこから――」


青年が言葉を言い終わる直前、椿は直人の腹部を蹴り付けていた。

当然ながら直人は言葉を中断されると同時に酷くせ返ることとなり、何事かと問い詰めようと、顔を上げた瞬間――、


直人はその理由を瞬時に理解した。


見遣れば、先程まで二人が居た場所を巨大なつたのような物体が横切っており、その先の直線上にある合板性の壁面を易々と貫いている。

蔦の伸びる先を視線だけで辿れば、どこか人の輪郭を残した植物の塊が、僅かに人の残滓を残す荒縄状に絞られた肉塊を引き摺り、ずるずると湿った音を立てて這いずって来るのが目に留まった。

身を震わせ、もう一本の蔦を振りかぶる怪物。迷っている暇など直人にはなかった。


「フレイムバレットッ!」


直人の叫びと共に、拳銃型AIUの引き金が引かれる。

展開された構成式は、周囲の空間に多数の灼熱の光球を生み出した。

火の玉にも似た光球は高励起状態になった詞素の塊であり、荷電粒子と化した詞素によって形成された疑似プラズマのような熱源は周囲の大気から水分を奪う。

炎の弾丸は空気をバリバリと爆ぜ帯電させながらも、術者の思念に従い植物のような怪物へと降り注いだ。

奇妙な声を上げて燃え始めた怪物を横目に、直人は転倒している椿へと手を伸ばす。


「立って!」

「はっ、はい!」


緊急事態に伴い停止したエスカレーターを駆け登りながら、二人は空港の入口たるロビー全体を見下ろせる位置まで辿り着いていた。


「ひ、酷い……」


見下ろせば、眼下に広がるのは巨大な水溜りのような赤の湖面。

到着ロビーに広がる血溜りを悠々と泳ぐ異形の姿に戦慄する一方で、少女が抱いたのは言い様もない無力感であった。


「なに…これ?そんな、違うよ。こんな…、こんなの――」


逃げ惑う親子に襲い掛かる爬虫類のような外見の怪物。既に息絶えて動かない遺体に牙を立て、血肉を啜る四足の肉塊。必死に交戦する構成術士たちを余所に、奴らは着々と命を刈り取ってゆく。


目の前の凄惨な光景が、少女の中では母親の死と重なって見えていた。


幼き頃にハンニバルに襲われ食い散らかされた母親の“肉塊”が目の前に転がる女性の遺体とダブって見え、椿の脳内でフラッシュバックを引き起こす。

震えは拳に伝わり、やがて嗚咽は慟哭となる。

激痛が伴うのは彼女にとって忌むべき記憶だからであり、頬を伝う涙の熱は憤りそのものであった。


やがて、湧き上がった激情が引き金となり、


「こんなの、人の死に方じゃない!!」


少女の「才能」が、凄まじい詞素の輝きと共に花開いた。


「な、何だ!?こ、これはっ…」


開放された詞素は眩い奔流となって少女に肉体を包み、圧倒的な「力」を以て周囲の大気を掻き乱す。


詞素をもたらし、制御するのはミーム粒子。そして、そのミーム粒子の集合たるミーム細胞の形成を助けるのは、他ならぬ人の「感情」である。

「ミーム」という言葉自体が人間の脳から脳へと伝わる「文化を形成する情報体」であると定義されているように、ミーム細胞は人間の感情や思考様式によって変化を遂げる細胞である。

この瞬間、椿のミーム細胞は進化ともいうべき“劇的な変化”を遂げようとしていた。

自身の感覚がこれまでになく研ぎ澄まされてゆくのを自覚する一方で、椿の感情はそれさえどうでもよくなるほど猛り、憤り、ゆえに“狂っていた”。


「紫菜月さん、落ち着いて!」


現役の構成術士でさえ思わず言葉を失うほどの「意思」の奔流。だが、兵士としての使命感が青年の意識を正常なものへと回帰させた。

ハンニバルは性質上、詞素に対して最も強く「接蝕本能」と呼ばれる捕食特性を表面化させる。直人が危ぶんだのは、椿の肉体から溢れ出す詞素に反応したハンニバルが標的を椿一人へと集めてしまうことだった。


不安は現実となって、椿へと襲い掛かる。

一方、椿からすれば願ってもない話であった。


自分一人にハンニバルの注意を集められればそれだけ市民への危険性が減ることになる。それを彼女が冷静に認識していたかと言われれば、否、であろう。

しかし結果から述べれば、彼女が取った行動は実に理が叶ったものであったと、そう評価を下さざるを得ない。


「私が囮になります!ショッピングエリアに向かいますので、その隙に速水さんは管制塔へ!」


激情は四足を動かす原動力となって、少女の肉体を駆け巡っていた。


「ま、待って!それじゃ危険過ぎる!」


直人の制止を無視して、椿は二階出発ロビーの手摺から一階の到着ロビーへと飛び降りる。

一階までの高さは距離にして十メートル近くあり、常人が飛び降りようものなら確実に重傷ものだが、HETヘットマジックを無意識のうちに発動させていた椿には無用の心配であった。リノリウムに似た材質の床を踏み付けるや否や、眼前から繰り出された異形の触手を横へ跳んで躱す。

待ち構えていた異形のたちの隙間を縫うように、椿は人気ひとけけたショッピングエリアの方角へと加速していった。


遠ざかってゆく小さな背中を見送りながら、直人は愕然としていた。


「なんてことを…」


呟きは少女に向けられたものではない。

それは、何故少女を一人で行かせてしまったのかという自責の念から来るものであった。

椿の詞素に釣られ追い掛けてゆく怪物たちの姿を二階から呆然とした表情で見送った直人は、同時に、言い様もない苛立ちに襲われていた。

すぐさま追い掛けたい衝動に駆られ、反射的に踏み出した足の爪先を、不意に直人は凝視する。


「………ッ」


理性では、少女一人の命と飛行機に乗っているであろう人々の命を天秤に掛ければ――命ひとつの重さが等しいとすれば、その数の差は明白であり、下すべき決断も同様であった。

ともすれば、直人が実行すべき行動は決まっているはずである。

しかし彼の心を苛んでいる感情がそれを阻害してしまう。それは他でもない、友人を助けたいと訴えた少女の姿であった。


「くそッ!!」


苦悩の末、導き出した答えは、


(信じるしかない!今は、自分にできることをするだけだ!)


少女の生存を信じ、警備員として己が果たすべき責務を全うすることであった。

拳銃型のAIUを構え、駆けながら、襲い来る鳥型のハンニバルを光弾で撃ち落とす。逃げ出すように駆け出した青年の足取りには、確かな後悔と迷いが残っていた。



この時、シャドウの出現からおよそ十分が経過していた。

住民の避難も全てが完了したわけではなく、通信障害によって遅れた増援も未だ到着していない。



状況は、なおも改善の兆しを見せない。



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