Act.70 エンカウント <2>
二千九十八年、三月二十九日。
ハンニバル襲撃時刻より、遡ることおよそ二日。
詞素学企業のオフィスビルにて待機していた明日香とダリウスに対して、中国から送られた迎えは見事な流線型を帯びた躯体であり、言うまでもなく戦闘機のそれとわかるものであった。
着陸ポイントに近づく際にジェットエンジンからメインローター(回転翼)へと順次切り替え、騒音と突風はともかく視覚的には非常に静かに着陸する。
機内から出てきた人物は容姿こそ細身ながら、無駄のない身のこなしから鍛え上げられた軍人だと判断できた。
「お初にお目に掛かります、楚云烨と申します」
機体から颯爽とした足取りで降りてきた人物は、明日香とダリウスの前で深く腰を折った。
年齢は二十後半程度だろうか?黒のスーツに身を包んだ、中肉長身の整った顔立ちの男である。
スーツの着こなしも含め、どうやら外交関係の専門家らしいな、とダリウスは恬淡な思考を走らせた。
「サークルの代表を務めております、真藍明日香です」
「ダリウス・ライドと申します」
多言語翻訳機が普及している今日において外国語を学ぶ機会は皆無だが、第七高校には一部そうした機会が選択科目として設けられてはいる。斯く言う明日香も家庭の事情から英語の他に中国語なども一通り学んでおり、日常会話程度ならそつなくこなせる自信があったのだが。相手方が日本語を流暢に喋れるということで、披露する機会を失ってしまっていた。
とは言え、そんな素振りなど表には微塵も見せてはいないのだが。
「早速で申し訳ありませんが、作戦に関する説明は移動しながらでも宜しいでしょうか?何分、時間がないもので」
「ええ、こちらも構いません」
二つ返事で頷いた明日香に続いて、ダリウスも戦闘機へと乗り込んだ。
◇◆◇◆◇◆◇
中国が手配した戦闘機の飛行速度には目を見張るものがあった、と言うより、目を見張らざるを得なかったと表現するべきだろう。
最高時速にしておよそ時速一万八千キロ(マッハ十五)にも及ぶという機内環境はおおよそ快適だったとは言い難く、常時常人ならば失神しかねないほどの加速度を搭乗者にお見舞いしてくる。
しかし幸いなことに、機内に乗り合わせた人物の中に常人など一人も居なかった。
三人が三人とも、平然とした表情で会話を続けている。
「残念ながら、現在我々が置かれている状況はあまり芳しいものではありません。
タクラマカン砂漠から侵攻してくるハンニバルに対し我々もコルラ市を拠点として防衛軍を結成してはいますが、その大半が構成術士ではなく普通の兵士たちです。最低限の武装としてフォノンバレットは用意できましたが、戦況は好ましくありません」
フォノンバレットとは、詞晶石を弾頭に詰めた弾丸のことである。
着弾時の衝撃によって弾丸内部の詞晶石が乖離(詞晶石が熱エネルギーによって蒸発し、再び粒子状態に戻る)現象を引き起こすような仕掛けを有しており、着弾地点を中心として眩い爆発を起こしハンニバルの細胞組織を破壊することを可能とした特殊弾だ。つまり、構成術が使えない者たちにとってはハンニバルに対抗する為の唯一無二の武器と言えるだろう。
云烨が手にした携帯端末から浮かび上がる部隊配置に関するホログラフ情報に目を通しつつ、ダリウスは表情を曇らせた。
「なるほど、大体の事情はお察ししました。ですが、何故ここまで軍の人員が不足しているのでしょうか?
構成術士の総数で言えば、確か中国は世界一位だったかと思うのですが…」
「ええ。しかしずば抜けて優秀な構成術士と限定されると、その人数は他国とそこまで大きな差はないというのが現状です。
そして、人員不足の最も大きな要因となっているのが……」
云烨が言い澱んだ理由に対し、明日香には心当たりがあった。
「先週発生した、構成術士たちによる一斉ストライキ騒動、でしょうか?」
明日香の指摘に云烨は苦い表情を浮かべる。
「お察しの通りです。中国政府直属の構成術士や人口の多い沿岸部に勤務する構成術士の多くは労働に見合う十分な対価を国から支払われておりますが、中国という国は如何せん国土が大きい。
山岳部の支部では十分な人員が居ないが為に超過労働となり易く、同時に支払われている賃金も安価です。
同じ構成術士の一人として言わせてもらえば、彼らの不満が溜まり、ストライキという形として爆発してしまったのはある意味必然なのかもしれません」
言葉の節々に感じられるのは政府に対する不満であり、兵器として生を受けた構成術士が抱く、偽りの安寧を貪る人間たちに対する憎悪にも似た感情である。
だがそれ以上に、この男が一人の「人間」としての確固たる矜持を持ち合わせているように明日香は感じた。
「現状、政府直属の構成術士の大半が、ストライキを起こした中でも過激派と呼ばれる者達の鎮圧に駆り出されており、ハンニバルの迎撃作戦に十分な人員を避けなかった要因にもなっています」
「事情、お察し致します」
自然と、ダリウスの口から放たれた言葉も角が取れたものとなっていた。
そのことに気がついた云烨の表情も、幾分か解れてきている様子である。
「今回貴方日本の構成術士の皆さんにご協力願ったのも、こうした事情があった為です。
他の国の事情で申し訳ありませんが、どうか、一人の構成術士としてご助力願いたい」
「私たちにできることであれば、謹んでお受け致します」
深々と頭を下げた云烨に釣られるように、明日香も浅く頭を垂れた。
承諾を受けた云烨はホログラフの一角、ハンニバルの大群を指さし言葉を紡ぐ。
「先程も申し上げました通り、今回あなた方にお願いしたいのは現在タクラマカン砂漠からコルラ市に掛けて進行中のハンニバル迎撃作戦への参加です。
既に現地で交戦中の部隊と協力し、これを退けて頂きたい」
誠意を以て成された請願に、明日香が返す答えなど最初から決まっていた。
「お任せ下さい。
人命を護る構成術士の一員として、国境や思想、所属に囚われることなく、死力を尽させていただくことをここにお約束致します」
部長の決定にダリウスが反論など抱くはずもなく。
ここに、中国の構成術士と日本の構成術士――ライセンスを有していない以上、正確にはまだ構成術士ではないのだが――による、共同戦線が引かれることとなった。
◇◆◇◆◇◆◇
二千九十八年、三月三十一日。
尚も飛行を続ける《VSS-18便》に、遂に、その時が訪れようとしていた。
初めに気がついたのは、色紙を手渡してきた惟月とハヤトに続き、結局恥ずかしそうにノートを差し出してきたソフィアにもやや不慣れな手付きでサインを描いていた唯であった。
紙の上に走らせていたペン先を止め、唯は天井を、障害物が何もなければ晴天の大空が見えるであろう上空を振り仰ぐ。
「この感じ…っ!?」
一拍遅れて気がついたのは、サインが描き込まれた色紙を満面の笑みで眺めていたハヤト、そしてその様子を脇から苦笑交じりに見ていた憐であった。
「おい、この感覚は…!」
「これってまさか――…」
ハヤトと憐が言葉を切ったのは、決して言い淀んだ為ではなく、機体が大きな衝撃に襲われたがゆえ。
脳髄を揺さぶるような衝撃によって座席に着いていた乗客の多くが態勢を崩し、席を立っていた乗客は転倒。手荷物の類が宙へと散乱する。
「な、なにっ!?」
体制崩しながらも、窓の外にソフィアが見たものは、
「シャドウ!?」
青空を呑み込まんとする、黒い『霧』の奔流であった。
『霧』はただ漂うだけではなく、右へ左へ生き物のように彷徨っては不気味な色彩を周囲に撒き散らしている。
晴天を黒く滲ませる光景は侵蝕と呼ぶ他なく、肌を弄るような「気配」はあまりにも異質。
乗客は皆、抱いた悪寒を、一定に保たれていた機内温度の急激な低下と錯覚した。
やがて『霧』は、人間の顔のような模様を空中に描いた。
――まるで、嗤っているかのような顔を。
目撃した者の間に、形容し難い怖気が走り抜ける。
「おい、あれ…」
窓際に腰掛けていた惟月が指差した先には、黒い霧に呑まれ制御を失ったものと思しきAMの残骸があった。
やがて握り拳程度の大きさだったそれは、眼前を覆い尽くすほど巨大化してゆく。
否、接近していたのだ。
それを瞬時に悟った唯が惟月の襟元を乱暴に掴み、絶叫と共に座席を蹴った。
「離れてッ!!」
赤い炎を血のように吹き上げながら、AMの残骸は《VSS-18便》の右翼へと接触。再び襲った凄まじい衝撃と轟音に、機内からは劈くような悲鳴が上がる。
「きゃぁあ!?」
轟音だけではない。
衝突の際に飛び散った破片の一つが機体を薙ぎ、巨大な風穴を開けていったのだ。
「ソフィア、掴まって!」
窓際に腰掛けていた生徒の幾人かが衝突の衝撃に吹き飛ばされ、あるいは、気圧差によって生じた気流に押し流されるように『霧』の彼方へと消えてゆく。
(不味いッ…!)
体制を崩したソフィアを抱え込み逆方向へと走り出した憐を横目に、ハヤトは風穴から内部へと侵入しようとしている存在をその視線の先に捉えていた。
外見的には巨大な虫、だろうか?蜂と類似した造形のハンニバルは、四枚の羽を震わせて機体の外壁に取り付き風穴に頭を突っ込まんとしている。
突然の騒動に、まだ誰も気づいていない。
ならば、どうするか。
下された判断に、停滞は、無かった。
幼きながら、家庭の事情によって既にハンニバルとの交戦経験があったハヤトには、迷う暇すら、必要ない。
無心のまま座席を蹴って垂直に跳び、暴風に身を任せて「虫」へと肉薄する。
「神凪ッ!」
「虫」に対してハヤトが行ったのは、右腕を振り翳す、ただそれだけであった。
瞬間、「虫」の眼前の空気がぼうっと揺らぎ、火薬が破裂するような乾いた音と共に数メートルはあろう「虫」の巨体が機外へと弾き飛ばされる。
発動させた術式は「気流操作」と呼ばれる構成術の一種であり、ハヤトが最も得意とする術式の一つでもあった。
原理は極単純。周囲の大気分子に詞素を吸蔵させ、吸蔵させた詞素を操作することで大気分子の運動を制御し任意の結果を獲得する。
ハヤトは跳躍と同時に両手の間に周囲の空気、更に言えば機外の気体を吸い込み、圧縮。圧縮空気の塊、謂わば空気の爆弾を生成した。
後は空気の爆弾を標的へと放り、大気分子の運動ベクトルを一定方向へと限定しつつ対象の眼前にて炸裂させるだけである。
こうして、彼が乗客や機体をこれ以上傷付けないという趣旨で適切とも評価すべき術式を選択することができたのは、明断と言うより、むしろAIUを所持していなかったが為に選択肢が絞られた結果だったと表現すべきであろう。
そうと言うのも、基本航空機の大半はAIUの持ち込みが原則禁止となっており、AIUは搭乗の際荷物と共に空港のカウンターへ預け、降機の際に空港にて受け取る。それがマナーとなっていたのだ。
つまり彼のAIUは現在客室の床下に位置する貨物室に格納されているわけであり、AIUの回収は困難と判断したハヤトが唯一、確実に行使できる構成術と言えばこれだけであった。
「結べよ!」
ハヤトが床に着地すると同時に、風穴が淡い緑光を放つ光壁によって塞がれた。
声の方向へと視線を横へ流せば、惟月を降ろした唯が右手を前方へと突き出し「詞素光壁」と呼ばれる構成術を発動させていた。
分類としては「詞素装甲」と同じ「結合術式」の一種であり、立体格子状に結合させた詞素の力場を発生させるという点においては同じだが、発動に際する対象の指定方法が大きく異なっている。
端的に言えば、術者という「特定の物体」に対して術を発動させる「詞素装甲」に対し、「詞素光壁」は「特定の空間」に対して術を発動させている。
風穴を塞ぐべく唯が咄嗟に発動させた「詞素光壁」だが、時速数百キロで移動し続ける飛行機に対して発動させるとなると、必然的に術の指定空間座標を飛行機の移動に合わせて連続的に切り替える必要が生じてしまう。
構成術の制御には絶対の自信を持つ唯だが、流石にこの状態を長時間維持させるのは困難だと判断した。
「少しの間で構いません!誰か、この穴を塞いでおいて頂けませんか!?」
羽が捥がれ飛行能力を失った機体を安全に着陸させるとなると、やはりAIUが必要になる。
冷静に判断しての行動であった。
しかしパニック状態に陥った生徒の中に、好き好んで穴を塞ぐという危険な役割を買って出るような人間が居るはずもない。それ以前に、「詞素光壁」のような高度な術式を継続して発動させることができる術者など、この場には――。
唯が諦めかけた。その時、
「わ、私がやります。やらせて下さい!」
意を決したような表情で駆け寄ってきたのは、金の髪を己の血でべったりと濡らしたソフィアであった。
「基礎的な制御でしたら覚えがあるので、少しの間でしたら光壁を維持できると思います!」
AMが衝突した際に転倒でもしたのだろう。額から伝う血の量も決して少ないとは言えず、恐怖からか顔色も悪い。
だが、その瞳には力があった。
構成術士の卵として己の使命を果たんとする、幼き少女の意思の力が。
瑠璃色の少女の瞳を正面から見据え、唯は苦渋の決断を下した。
「―――ッ、すぐに戻ります!」
「はいッ!」
唯が光壁を解除すると同時に、ソフィアの構成術が発動する。
拙いながら、再び機内に淡い緑光が満ち始めたのを視界の隅で認識しつつ、己のAIUを探すべく唯は床下の貨物室へと駆け出していた。




