Act.67 calm before the storm <1>
二千九十八年、三月三十一日。
この日、詞素大学付属第三中学校から第七中学校への転校を決めていた神室ハヤトという少年は、《VSS-18便》を利用してウィスタリアへと向かっていた。
小学生を卒業して一年弱ばかりの年齢では流石に幼さが拭えず、十三歳になって間もない少年の容姿など敢えて言及するまでもないだろう。
銀髪碧眼という日本人離れした顔立ちは、幼い年齢も相まってかどうも中性的な印象を周囲に与えるらしく、今日に限ってはやたらと周囲の視線を集めているようであった。
その理由こそ知らないが……元々周囲の視線を気にするような質ではないハヤトにとっては、然したる障害にはなり得ないわけなのだが。
「くぁぁあっ…。ケツ痛ってー」
今この時における一番の問題は、長時間に亘るフライトによって生じた肉体の疲労感であった。
長旅を続ける中で固まってしまった身体を解すべく、お世辞にも広いとは言えない座席で四足を許容空間一杯まで伸ばすも、やはり座ったままではあまり開放感は得られそうもない。
人間は動かないでいることが一番辛いのだとわかってはいたのだが、正直、ここまで長時間座席に座っていることが苦痛だとは考えてもみなかった。
(それにしても、暇だなー)
もう一つハヤトが苦痛に感じていたのは、座席に座ったままでは特にやることがない、という点である。
現代の航空機の大半は航空技術と通信技術の発達に伴って、機内での携帯電話等の使用が許可されると同時にモラルの面においてもあまり問題視されなくなってきてはいるが、残念ながらハヤトは根っからのアウトドア派であった。
機械音痴ではないとは言え、電子機器を半日近くにも亘って弄るような習性は持ち合わせていない。
結局暇を持て余した少年が行ったのは、乗客たちの観察であった。
とは言ってもそこまで大それたことではなく、ただ単純に新たな空港に着く度に増える乗客の顔を、その都度漠然とした面持ちで眺めているだけである。
そんな事を幾度となく繰り返しているうちに人間観察にも飽きが来てしまい、もう一寝入りするかと瞼を閉じたところで。
ふと、己から見て右手の座席に人の気配を察知する。
「ここ、空いていますか?」
声を掛けて来たのは、自分と同じ年頃かと思われる一人の少年であった。
褪せた黒の髪に、同色の瞳。無表情の中にもあどけなさが残る、そんな線の細い少年である。
勝色に統一された容姿はアジア系の血筋に違いないが、その色合いと周囲から少年へと向けられる奇異の眼差しに、ハヤトには察するものがあった。
「お前……」
しかし、その先の言葉を口にすることは彼の気質が許さなかった。
「いえっ、迷惑ならいいんです。失礼しました」
周囲の人間からこうした奇異の目を向けられることは、少年にとってさして珍しい出来事でもないらしい。その態度から見るに、むしろ「慣れている」と言うべきかもしれない。
だが、格好が変というわけではない。少し細身ではあるが不健康的な痩せ型ではなく、恐らくは体質によるものだろう。服装は黒のインナーに白いパーカーを羽織っただけの服装で、特にこれと言った目立つ点はないように思える。
しかし、ハヤトの後方座席に腰掛けた女子たちはそうは思わなかったようで、
「あれ見てよ……」
「うわ、何でこの飛行機に『色無し』なんかが乗ってるの?」
周囲の反応から推察するに、目の前の少年が周囲から遠巻きに注視されている要因は、恐らく灰色にも見える色素の薄い瞳と髪。俗に「色無し」と呼ばれる体質ゆえであろう。
勘違いされ易いのだが、「色無し」とは色素の薄さに基づく諸症状のみを指す言葉ではない。その呼称からも連想しやすいが、俗に「色失反応」と呼ばれている色促反応の“亜種症状”を指す一種の差別用語である。
色促反応と同じく構成術師特有の遺伝的な色素異常には違いないが、通常の色促反応と色失反応との明確な違いはその性質にあった。
端的に述べれば、色失反応の場合、脳内に存在するミーム細胞が先天的に劣化していると言われている。
色素が薄くなる要因については、遺伝的にミーム細胞が形成されているとその働きによって色素体であるメラニンの欠乏が生じるらしい。色促反応の場合は髪や瞳の細胞組織に詞素が吸蔵される為独特の色味が現れるが、色失反応の場合は詞素が吸蔵されずメラニンの欠乏のみが生じる為、ただ単純に色素が薄くなる傾向にある。
中には肌の色まで薄くなるケースもあるようだが、目の前の少年の場合は瞳と髪の色がやや淡い。
ハヤトの後方に居座る女子の反応を見ればわかるように、詞素欠乏症をあまり良く思わない者も少なからずいるのは確かだ。
そもそも個人個人の詞素容量は生まれつきの才能とされ、統計学的に見てもミーム細胞の発達が目覚ましい者ほど、身体能力や構成術の制御能力などのあらゆる面において「生物学的に優れている」と考えられている。
これは構成術の発達・普及が進む現代において非常に大きな意味を有しており、詞素を扱う分野では「学歴」よりまずこうした「構成術士の才能」を重視するケースが非常に多い。
理由は単純だ。
構成学並びに詞素学に関連した道具や機材の類は、構成術の才能のない者には到底扱えない物だからである。研究機材にしろANIMUSなどの兵器にしろ、その多くは構成術の知識の他に、「構成術士の才能」を最も必要とするのだ。
しかし症状は基本的に外見でのみ判断されてしまうものであり、髪を染めたりカラーコンタクトや整形手術の類で体色を変えたりと、隠す方法などいくらでもあるはずである。
事実、多くの色失反応の発症者はこれらの手段によって外見を変えて暮らしているのが現状なのだが、目の前の少年は自分の髪を染めることも、カラーコンタクトを使用することも良しとしていないように見受けられた。
ならば、何故コイツは――?
純粋な好奇心が、ハヤトの中で芽生えていた。
「どうぞ」
座席を叩きながら悪戯っぽく座るように促したハヤトの態度に、驚いたのは声を掛けた少年の方であった。
「えっ、でも……」
「いいから座れって。飛行機出ちまうぜ?」
ハヤトが面倒臭そうに眉を顰めると同時に、機内に離陸を知らせるアナウンスが鳴り響いた。
「あっ、うん。……ありがとう」
遠慮がちに少年が座席に腰を落とした直後。
突然、その背後から一人の少女が声を掛けてきた。
「すみませんっ!私も良いでしょうかっ!?」
肩を上下させ額に薄く汗を浮かべているのは、金髪碧眼の少女である。彼女も二人と同年代らしく、整った顔立ちながら表情の随所に幼さを残していた。
「えっ、僕……俺は構いませんが…」
言葉を濁したのは、着席したばかりの『色無し』の少年であった。
「お願いしますっ!飛行機乗り遅れそうになってしまって、他に席が見付からないんです!」
「でも、良いんですか?俺の隣なんかで…ご迷惑を…」
必死に頼み込んでくる少女の気迫に既に押され気味の少年だが、彼が返答を渋っていたのは少女に座られるのが嫌だというわけではなく、自分の隣に座ることで少女に不快感を与えてしまうかも知れないという至極卑屈な不安からもたらされた言葉に相違ない。
この時少年の口から放たれた台詞にはこれらの感情が内包されていたのだが、金髪の少女の返答は二人の予想を裏切るものであった。
「えっ?何で?」
呆然とした表情を浮かべる色無しの少年と、それを見て首を傾げる少女を見て、ハヤトは思わず破顔してしまう。
「いいぜ、早く座れよ。お前も構わないだろ?」
「えっ?あ、うん。……じゃあ、どうぞ」
ハヤトの言葉に押され頷いた少年は、慌てて金髪の少女に着席を勧めた。
「ありがと!」
満面の笑顔を咲かせた少女は軽やかに腰を落とすと、こちらへと顔を向けた。
「私はソフィア・セラフィー。親の仕事の関係で、第二中学校から第七中学校に転校になったの。宜しくね?」
続けて、己の顔に親指を向けたハヤトも口を開く。
「オレは神室ハヤト。元三中。まぁ宜しく」
「ハヤトくんは……あ、名前で呼んでもいい?」
第一声から名前で呼ぶのは少し失礼な気がしたのだろう。確認の為に首を捻ったソフィアに対し、ハヤトは手元のペットボトルを開封しながら答えた。
「呼び捨てでいいぜ。代わりにオレも呼び捨てにさせてもらうから」
「良かった。で、訊きたいんだけどハヤトくんは日本人?」
「呼び捨てじゃねぇのかよ……まぁ、いいけど。オレは父親が日本人で母親がドイツ人だから、ハーフになるのかな」
「へぇ……じゃあその髪と目の色は母親譲り?」
「そんなとこ」
含みのない些細な会話ではあったが、二人に挟まれる形となった色無しの少年は、少しバツが悪そうな表情を見せていた。
「俺は……天津火憐です。普通校から来ました。両親とも日本人…です」
歯切れの悪い回答は、察するに己の外見を気にしてのことかもしれない。あるいは普通校から転校することになった事情を知られたくない、という心理もあったのだろう。
だがハヤトから返ってきた答えは、憐が予想していたものからは大きく外れたものであった。
「もしかして……お前コミュ障なの?」
半目になって放たれた呟きに憐が目を白黒とさせていると、その脇からソフィアが眉を逆立てて口を挟んできた。
「ちょっとハヤトくん!憐くんはきっとちょっと緊張してるだけだよ」
口にジュースを流し込み終わったところで、ハヤトはキャップを閉めながら唇を尖らせる。
「だってよぉー、何でコイツ話す度にビクビクしてんだよ。イライラするじゃん」
「ご、ごめん」
居た堪れなくなった憐が俯き加減に謝罪の言葉を口にすると、ハヤトは深々とため息を零した。
「細かいこと考えるのは苦手だしこの際ハッキリ言わせてもらうけど、お前、自分が『色無し』だからって何卑屈になってるワケ?」
「ちょっ…ハヤトくん!?」
「色無し」という中傷の言葉を本人に向けて躊躇い無く言い放ったハヤトに対し、ソフィアが顔を青くして制止に掛かったが、ハヤトは制止を振り切るように憐へと顔を寄せた。
「オレは“お前”と話してるんだ。お前が普段どんな扱いを受けてるかは知らねーけど、オレをそんなつまんねー奴らと一緒にすんな。後、敬語は止めろ。気持ち悪りぃ」
ハヤトの言葉は決して丁寧なものではなく、ましてや優しさなど微塵も含まれていない。しかし彼自身の本心には違いなく、表面上だけでの人付き合いが嫌いなハヤトにとっては極当たり前のことを指摘しただけであった。
それでも、日々忌み嫌われてきた少年にとっては、特別な意味を有していた。
怒られていたはずなのに、思わず憐の口元から笑みが溢れる。
「わかった。気をつけるよ、ハヤト。えっと、……ソフィアさんもありがとう」
「ふふっ、私も呼び捨てでいいよ」
僅かながら表情が和らいだ憐の口から発せられた言葉も、そしてソフィアから返された言葉も、心無しか砕けたものへと変化していた。
三者三様の表情を浮かべた後、銘々と手荷物の類を整理し始めた少年少女は、暫し他愛ない世間話に花を咲かせていた。




