Act.66 mist <3>
イアノートとシェリルが空港へと向かうべく移動を始めている一方、襲は《マーナガルマ》のコックピットへと颯爽と乗り込んでいた。
内面璧はEGGと呼ばれる全天周囲モニターが採用されており、外部の映像を三百六十度全面に出力する機能を備えている。
これは外部の映像をそのまま出力するものではなく、CG処理を施した映像を表示していると言った方が正しい。例えば夜間においては十分な視界が確保できるよう光量が強調されており、逆に戦闘時に生じる閃光の光量は押さえて出力されている。
しかし距離感に難のあるシステムの為、自分の機体を任意で映したり消したりする機能がマニュアルで付いているのが一般的だ。またバックモニターが操縦者の死角を補うように正面に常に表示される為、背後の危険確認にも不都合がない。
「荷物はどこに入れればいい?」
『操縦席の後ろの壁面を押してみて。収納スペースがあるから』
ミルハレーナから入った無線によれば、座席の裏側の壁面には荷物を収容する為のスペースが設けられているらしい。
言われた通り試しに壁面を軽く手のひらで押してみると、案外簡単にEGGの内壁が開いた。襲は黒い箱を手早く収納へと押し込み、内壁を閉じてからリニアシートへと腰を落す。
重量を感知して座席下から股の間にせり上がってきた装置はどうやら操作モニターの一種らしく、そこから投影されたホログラフに襲は視線と指先を滑らせる。同刻、胸部の装甲が閉まり、代わりに全天周囲モニターに外部映像が出力された。
各モニターに異常がないか確認しつつ、イアノートから手渡されたレシーバーを操作モニターに差し込む。すると無線回線にノイズが走り、聞き覚えのある声が機内に響き始めた。
『接続完了致しました』
「早速で悪いが……イア、機体の状態を教えてくれ」
『了解しました』
差し込んだ装置はOSとしてイアノートを機能させる為の端末であり、襲が首から下げている石は送受信機としての機能の全てを、思念波の遣り取りによって可能としたナノマシンを詞晶石に混入させた代物である。
これはESAを参考に襲が開発した生成物だが、その役割としては構成術によって有機的に機能することで、『霧』の影響下でもオペレーションの恩恵を受けられるようにする点にあると言っていい。
噛み砕いて言えば、思念波を電波の代わりに機能させた「思念波通信装置」の一種である。
事実人間一人の状況把握能力など高が知れており、その為に作戦状況や下された指示を伝達するオペレーターという役目はオペレーティングシステムが発達した現代においても、今尚存在している。
構成術士と言えどコクピットの中では外部の状況を認知する手段が限定されてくるわけであって、そんな中『霧』による通信障害は致命的だ。
元々はOSとして開発されたイアノートだが、今ではむしろOSを搭載したAIという印象の方が強い。
非物理的な思念波は『霧』から影響を受け難く、術の対象さえ正しく認識できていれば距離による影響も少ない。
今回の場合、詞晶石を術の行使対象とし思念波を送信し続けることで、イアノートをOS及びオペレーターとして機能させつつ、イアノートの『本体』を介して外部と連絡を取れるようにすることがこの装置の大きな狙いであった。
今の所は狙い通り、その機能を十分に発揮しているようである。表示されるデータに内心満足しつつ、襲はホログラフに表示される文字列へと目を通し続けていた。
『機体状態、オールグリーン。いつでも出撃られます』
「よし、イアはサポートを頼む。」
襲は抱えていたフルフェイスヘルメットを被ってから、耳裏にあるシールドディスプレイの収納スイッチを押し、降りたシールドに投影される各種情報へと視線を泳がせる。
『承りました。出撃準備。アームレイカー、スタンバイ』
イアノートの声に呼応するかの如く、操縦席横に収納されていた一対の操縦桿──半球状のアームレイカーが小さなモーター音と共に屹立した。それを慣れた手付きで握りながら、五本の指をゆっくりとグリップに馴染ませてゆく。
『こっちは終わったわよっ!いつでも行けるわっ!』
ミルハレーナの無線を受け、襲はアームレイカーに使用されているESAを通じて思念波と少量の詞素を流し込んだ。
ESAは非常に高価な為、まず量産機に用いられることはないが、《マーナガルマ》には機体の主骨格を始めとした随所にESAが使用されており、思念波と詞素を伝達する為の回路のような役割を担っている。
その回路を伝ってゆく先は、詞晶石が収められたCボックス。
再変換された詞晶石から詞素が放たれ、装甲の合間から覗くESAを青く発光させた。
「なに……これ……」
呟きは、《マーナガルマ》の足元に立つミルハレーナよりもたらされたものであった。
機体の周囲を漂う青い粒子の本流にその身を委ねる一方で、ミルハレーナの視線が捉えていたのはESAの発光現象そのものではなく、空間を満たしている思念波の『色彩』であった。
構成術士が思念波や詞素の存在を捕捉する際には五感情報として認識されるものだが、そのメカニズムとしては各神経系に癒着したミーム細胞が外部から受けた思念波によって共振現象を引き起こし、生体電位を生じさせることにある。
ミルハレーナの台詞からも察せられる通り彼女はこれらの『視覚』に優れており、精度としては彼女自身が少なからず自負を抱くほどであったのだが、
(綺麗……)
この瞬間、襲から放たれる思念波を視てミルハレーナが抱いた感情は、疑いようもなく賞賛そのものであった。
思念波は思念によって生じるものであり、思念波にノイズを生じさせるのは雑念である。ミルハレーナが襲の思念波を『綺麗』と表現したのは、例えるならば、水質の良い川を見た際に人間がその川を『綺麗』だと表現することに心理的には近い。
だが、思念波に雑念の一切が含まれていないという『事実』が意味するところを、彼女は気づいていなかった。
水質が良過ぎる水には一切の生物が寄り付かないのと同じように、雑念の含まれていない思念波には感情そのものが含まれていないということを──。
思念波における思念が行使する術に対するものあっても、構成術の発動に必要なのは思念波そのものであって、感情自体はたたの雑念でしかない。だから、彼の感情は……。
『機体のロックを解除。メインスラスター。姿勢制御バーニア。異常なし』
夜宵が抑揚の無い声で無線越しに告げた直後、イアノートの報告が入る。
『フリークスセンサー、起動します』
システムの起動と共に《マーナガルマ》の頭部を横切るバイザーに赤い輝きが灯り、まるで闇夜を跋扈する夜行性動物の眼ような妖しい輝きを帯びる。
機内の3Dモニターにはセンサーの起動を知らせる文字列が表示され、発進の準備が全て整ったことを搭乗者へと知らせる。
予測通り駆動系の詞法陣が起動し活性状態に移ったことを確認するや否や、襲はフットペダルを踏み込んでいた。
「雨宮襲。《マーナガルマ》、出撃るッ!」
機体を壁面に固定していた器具が外れ、機体の背部のメインスラスターに青白い炎が点火。襲は操縦桿を捌き《マーナガルマ》の四足を振ることで機体の重心を移動させつつ、姿勢制御バーニアを断続的に焚くことで機体の姿勢を制御した。
推進剤として噴射された詞素が、詞法陣によって付与された物理的性質を以て瞬き、炎の如く淡く各々の頬を照らす。
小さな檻から解き放たれた《マーナガルマ》は狭い空間で巧みに黒の躯体を捻り、天井の出撃ゲートから大空へと飛び立った。




