Act.59 ハーモナイザー <3>
シェリルが資料に目を通している姿をやや離れた位置で確認しながら、襲はホログラフの操作を続けつつ解説を始めた。
「スーツの背中に装着させる厚さ五センチの装置の名称は、日本語では粒子状防鎖……。まぁ、Harmonizerとでも覚えておいて下さい」
続けてもう一つの立体画面を投げながら、襲は続ける。
「これは詞素の保存・供給の役割を担う小型AIUです。
機能自体は一般的に市販されているC(crystal)ボックスと大差ありません。Cボックス同様、ハーモナイザーと呼ばれる装置の内部には詞晶石が入っています」
詞晶石の実物の画像を表示させながら、「シェリルさんにはフォノンクリスタルと表現した方がわかり易いかもしれませんね」と笑う襲に対して、シェリルはそれが既知の知識であることを言葉にした。
「確か特殊な術式で詞素を物理的な性質へと転化させ、結晶状態にして保存したもの…でしたよね」
「はい、今回は結晶の再変換速度…つまり詞晶石を再び詞素に戻す速度と装置自体の柔軟性を向上させる為に、敢えて――…このように、細かく砕いて粉末状にしてあります」
再変換と言えば、結晶状に結合させた詞素を再び元の粒子状態へと変換し直すことである。
タイミングよくイアノートが持ってきた実物を受け取り、箱型の装置をぐにゃぐにゃと曲げて見せながらも、襲の説明は続く。
「今我々が着用しているスーツはこのハーモナイザーと呼ばれるAIUを装着する為の専用のスーツで、正式名称はHNS(ハーモナイザースーツ)。楠那さんは大抵ハンスと呼んでいます」
襲は苦笑を浮かべつつ手首を返し、再びホログラフの画面を放ってきた。
「ハーモナイザーの内部には、大きく分けて二つの詞法陣が組み込まれています。
詞晶石を再変換させる為の術式と、ハーモナイザーとスーツとを同調させる為の術式の二つですね。
一方スーツの人工筋肉の一部には、詞素を効率良く循環させる為にESA(Ein Sof Alloy)と呼ばれる詞素伝導率の高い超硬度特殊合金を細い繊維状にして編み込んであります」
この言葉にシェリルは強い反応を示していた。
「ESAって、あのESAですかっ!?」
「はい、あの阿呆みたいに値段が高いESAです」
シェリルが知っていたことにも驚いたが、知っているならば動揺するのも無理はない。
ESAとは、詞法陣を組み込んだナノマシンを詞素と一緒に金属に混入させた、構造材の一種である。ナノマシン単体には断片的な術式しか内蔵されていない為実効的な効果を持たないが、高出力の超小型AIUを一定間隔で配置し核とすることで思念波を発振・増幅することを可能とし、非常に高い詞素伝導率を実現させている。
これは近年開発されたばかりの新技術であり、一応構造材として市販されてはいるものの生産数自体が少なく、グラムあたりの相場が貴金属の相場を遥かに超えている一方、それでもAIUの開発企業はこぞって入手を試みている……と、ある意味有名な素材であった。
「一体どこでそんな物を…」
「こちらは知人からいただきました」
さらりと言ってのけた襲の態度に、思わず言葉を失うシェリル。だが当の本人は大して気に留める様子もなく会話を再開していた。
「スーツの随所にあるプロテクターは、複数の衝撃吸収素材を重ねて階層構造を構築しているため、この特徴を活かしてプロテクターの内部にも詞法陣が描き込んであります。
具体的には詞素をスーツの周囲に展開し、立体格子状に結合させて……と、説明臭いのは嫌いなので詳しい原理は省きますが、擬似的な『詞素装甲』のような効果を獲得できます」
「AIUによる、擬似的な『詞素装甲』の再現…ですか?」
「詞素装甲」の効力は、術者に加わった外力を緩和する形でエネルギー放射を、つまり粒子の運動エネルギーによる外力の相殺を行うことにある。
つまりこのスーツは従来のような緩衝材を利用した物理的な衝撃対策とは明確に異なる、“構成術による衝撃緩和服”ということになるらしい。
この事実に、シェリルは戦慄を覚えていた。
「はい、他にも様々な機能を実装していく予定ですが、今現在使用できるのはそれだけですね」
得意げに語るでもなく、淡々と説明する襲。だが、それは異常なことではないかとシェリルは感じ始めていた。
「詞素装甲」は構成術の中でも非常に難度が高い術式の一つであり、それが使えるだけでも近接戦闘を生業とした構成術士として生きていく(食っていく)為には十分、いや十二分だと言われている。
では、構成術の中でも最も難度が低いHETマジックの亜種でありながら、「詞素装甲」は何故ここまで使用難度が高いのか?
これは極簡単な話、術の制御自体が非常に困難を極めていることに由来している。逆説的に言えば、制御さえできれば「詞素装甲」を使えない構成術士など“ほとんどいない”。
「術の制御はどうやって……?」
溢れた疑問は、誰にでも使えるスーツなのか?と暗に訊ねるもの。
それに対して襲から返された回答は、誤解する余儀もなく、肯定の意を示すものであった。
「基本的に内部に組み込まれた装置が全自動で術の制御はしてくれるので、装着者が術を意識して思念波を送信し続ける必要はありません。
指定の周波数の思念波を送信すると起動し、後は装着者の詞素呼吸に含まれる微弱な思念波で機能します。もう一度指定の周波数の思念波を送信するか、背中のハーモナイザーの詞晶石が尽きることで機能を停止します」
襲は言葉を続けようと口を開いて、思い返したように口を閉ざし、悪巧みする子供のような笑みを浮かべる。
「百聞は一見に如かず、と言いますし、ここいらでどうでしょう?」
脇に控えていたイアノートにハーモナイザーを手渡してから、襲は挑発的な笑みをシェリルへと向けた。
「長々しい説明にも飽きが回ったところかと思いますので、早速身体を動かしてみては」
魅力的な提案に、シェリルには首を横に振れる道理などなかった。
◇◆◇◆◇◆◇
室内で試すには少し面白みがない、と言うより普通に危険とのことで、家の外に出てきた襲たちは早速住宅街の外れにある空き地にてスーツの稼働テストを行おうとしていた。
春を迎えんとする夜の風はどこか人肌にも似ていて、髪を撫でられる感触にシェリルが何とも言えない擽ったさを感じていると、側方から前触れもなくイアノートが声を掛けてきた。
「では、これを」
ハーモナイザーを手にイアノートはシェリルの背後へと回り、慣れた手付きで装置の取り付け作業を開始した。
襲は計測機器を片手に目の前の作業を見守っていたのだが、待ちくたびれたのか欠伸などを零している。その欠伸が片手で数えられなくなるというところで(実際に経過した時間は一分か二分程度である)、ハーモナイザーの装着が終わった旨がシェリル本人の口から告げられた。
「お待たせしてすみません、今終わりました」
「では、早速始めましょうか」
妙に緊張したシェリルの表情に苦笑しつつ、襲は細かい説明なしで実践へと移行した。
「予めお教えした周波数の思念波をハーモナイザーに送信してみて下さい」
「りょ、了解しました」
思念波の周波数…と聞くと、人が意識して特定の周波数を再現するのは困難を極めるのではないかと一般人には勘違いされがちだが、その実、案外難しいものではない。
思念波は非物理的な波であり、“思念”そのものである。つまり電磁波や音波のように、一秒あたりの振動数、といった物理的なものを示す言葉ではなく、決まった“思念”のことを指しているだけだ。
極端な話、「サッカーボールを思い浮かべて下さい」と言われて、その姿形を連想させることと近しいものがある。もちろん、実際にはそんなに簡単な話でもないのだが…。
とまれ、もし簡単にイメージできない場合は誰かに教えてもらえばいい。サッカーボールを見たことがない者に言葉で説明することが困難でも、実物を見せてしまえば簡単に認識させられるのと同じように。
今回の場合、襲がシェリルに対して一度の指定の周波数の思念波を送信して観せていた為、その時に感じた思念波を想像し模倣するだけでいいわけだ。
「ハーモナイザー、起動っ!」
構成術を行使すること自体に、言うまでもなく声を発する必要はない。
それでもシェリルが声を発したのは、己自身のイメージを強くし、思念波の正確性を向上させる為であった。
詠唱しながら構成術を使っていたカレンもそうだが、術の名前やそれに関連した言葉を口にしながら構成術を行使する構成術士は案外少なくない。構成術士として初心者の者が声を発するのはもちろんのこと、ある程度のキャリアを積んだベテランでも、制御が難しい構成術となれば声を発して術に対する集中力を高めようとすることもある。
この精神統一の行程を一般では「コンセントレイト」と言うらしいが、全く、精神の準備運動として文字通りの行為だと内心苦笑しつつ。
(ま、そんなに非効率的なわけでもない、か)
襲が生産性のない思考を脳内で行っていた、直後。
シェリルの声に応えるかの如く、背中に背負われたハーモナイザーは静かな稼働音を上げて起動した。
思念波によってCボックスから抽出された詞素は、スーツのESAを伝って全身に伝わる。
伝わった詞素と思念波によって、プロテクターに内蔵されている詞法陣が稼働を開始。
一度反応し始めた詞法陣は、その後は組み込まれた術式に従い、装着者の詞素呼吸に含まれる無意識下での思念波を偏向、利用して構成術を制御し続ける。
発動した術式は詞素を荷電粒子へと転化させつつ外部へと放出し、立体格子状に結合させた詞素の皮膜をスーツ全体を包み込むように展開。
こうして全ての行程が終了したハーモナイザースーツは、疑似詞素装甲を発動させた。
「わっ…す、凄い」
全身を取り巻く様に詞素が周囲に展開され、朧月夜にも似た幻惑的な輝きが夜闇を満たし始める。
その輝きの中でシェリルの銀髪が踊り、淡く青白く輝く。
起動時こそ無秩序だっていた詞素の奔流は次第に秩序だった循環運動を始め、光の粒が少女の全身を包むように流れ始めた。
「成功したな」
興奮気味に身体を回転させているシェリルの姿を眺めながら、襲は感慨深げに独りごちていた。
「ええ、まさか本当に成功するとは…」
その横で、イアノートが少し驚いた様子で頷く。
「男性用のスーツの稼働実験は自分でもできたが、女性用のは頼む相手がいなくて困ってたんだよな」
今にでも「クックックッ」と笑い出しそうな悪人面で、襲も頷いて、
「でも失敗してたら大変なことになっていたのでは?」
イアノートの問い掛けに、再び襲は頷いた。
「確かに詞素の循環軌道を間違えると火傷や失明、下手したら呼吸器系に詞素が流入して窒息死したりするな」
自身の行った行為に対して、一切悪びれる様子もない襲。
「襲さま、貴方というお方は………流石ですっ」
非道な発言と無責任な行為に対して、何故か惚けたような表情を観せるイアノート。
「ふっ、まぁな」
青い粒子の水面で踊る少女を余所に、腹黒い一人と一機の、他愛ない会話が繰り広げられる一幕があった。




