Act.49 在り処 <2>
槙人に引率されること、十数分。襲たちはようやく楠那宅へと辿り着いていた。
外見上はやはり特に変わった所がない普通の住宅だが、そこに暮らす人物は全く普通ではない。
核弾頭を優に超える軍事力のファクターとして、世界から認められた数少ない世界最強の構成術士の一人。そして、AIUに内蔵されている詞法陣開発の第一人者として、世界の構成学を推進している構成学界の先駆者でもある。
鳴神楠那。彼の者が暮らす、住まいである。
そして――、
「シェリルッ!」
「えっ……わゎぁ?」
汚れが些か目立つ作業着(いわゆるツナギ)のままシェリルに抱きついた女性こそ、鳴神楠那、その人であった。
一児の母とは思えないほど若々しいのは仕様(?)だが、整った顔立ちに満面の笑みが貼り付けられているのは、今この場におけるオプションなのだろう。
挙げ句の果てにはシェリルの上体にしがみ付いたたまま服の上から彼女の身体をベタベタと撫でまわし、セクハラ紛いの過剰なスキンシップ、もといボディタッチを始めている始末である。人の善いシェリルでも、流石に迷惑気味だ。
「あ、あの……」
「大丈夫?怪我はない?お腹空いてるでしょう?」
「だ、大丈夫ですからっ。あ、あの……」
楠那に抱きつかれた衝撃で後方に大きくよろめいたシェリルだったが、やはりそれ相応に鍛えられているのだろう。不安定な状態からなんとか持ち直し、キツい抱擁を御見舞いしてきた人物を受け止めてみせた。
困惑顔で、素直には再会を喜べないと言った面持ちで、彼女は口を開く。
「楠那……さん、お久しぶりです」
「……うん」
楠那はシェリルの胸に抱きついたまま、ただ頷いていた。その横で再会の様子を見守っていた槙人の顔に僅かな微笑みが浮かぶ。カレンの口元にも、疲労混じりだが確かな安堵の色が滲んでいた。
そんな彼女が何の気なしに、襲に声を掛けようとして、
「襲……?」
その肩に手を置こうとしたカレンは、不意に、伸ばしかけた手を宙に彷徨わせた。
それは――襲の様子が奇妙なことに、彼女が敏く気がついたがゆえ。
触れてはならないような気がして――…カレンは思わず立ち竦む。
世間一般で言う感動の再会シーン。だが、襲の表情には微塵の変化も生じていない。
どこまでも無機質で、静謐で、不動で。そして、冷たい眼差し。
カレンは探るような視線を襲へと向けていたが、襲はそれさえも気づかない振りをしていた。
そんな沈黙を穿つように。
ぐるるるぅ……と、誰ともなしに、腹の虫が鳴った。
同時に、それぞれの口から笑い声が零れ落ちる。
それは、無表情を貫いていた襲でさえ例外ではなかった。恥ずかしそうな表情を浮かべているカレンの横顔を斜め下から盗み見て、ニヤニヤと意地の…というより、人が悪そうな顔を浮かべている。
「な、なに見てんのよっ!」
「いや、なんでも?」
「じゃあそんな濁った眼で見ないでくれる?見られた箇所から急速に酸化が始まって腐ってしまうじゃない」
「はは、こらこら。おい鼻をつまむなあからさまに距離を取るな涙が出ちゃうだろ」
結局頬を紅潮したカレンの激昂を買う羽目になり、襲がカレンの激しい口撃に晒されている中。総員を代表してシェリルが頬を紅くしたまま楠那に陳謝した。
「す、すみません……大変お見苦しい所をお見せしました」
「ははっ、色々あったとは思うけど、まずは――、」
楠那はようやくシェリルの胸から顔を離して、男らしい笑い声を上げながらその場から一歩距離を置いた。身軽に玄関先に設けられた石段の上に立って、シェリルへと手を伸ばす。
楠那の茶色の瞳に月明かりが差し込み、白く煌びやかに流星のように輝く。その口元が緩やかな三日月を描き、そっとシェリルの名前を呼んだ。
「シェリル、お帰り」
その言葉が成す意味は、「居場所」へと帰還した凱旋者を歓迎するものか。
だが、やはり本質は違うのだろう。
行く者と、待つ者。
互いの存在があってこそ始めて放たれる「迎え」の言葉。それは、帰る場所が奪われた少女にとってどんな意味を成すのだろうか?
無為な思考に身を委ねながら(ついでにカレンの猛攻に耐えながら)、襲は自問する。
根無し草の自分にはわかり兼ねる感情だが、繋がりを求め、群れようとするのは度し難いヒトの性だ。
人は互いに依存する。
これを共依存と呼ぶが、こうした依存関係は生物学的には極自然なことだ。むしろ、必然だと言い切ってしまってもいい。その根底にあるのは生物的な「本能」などと言った、連綿とした歴史の中に育まれた生命の進化の産物だが、要するに大半が「種の保存本能」に基づいたロジカルなものなのだろう。
例えば、サバンナに暮らす肉食獣と草食獣の間にも共依存の関係が存在する。
肉食獣は草食獣を食わなければ生きてはいけない。これは自明の理だ。そして、一見肉食獣が居なくとも生きていけそうな草食獣にも、その実肉食獣との間に強い依存関係が存在する。
草食獣は言うまでもなく植物を――草を食べて生きている。逆説的に言えば、草がなければ彼らは生きられない。
ならば食料が、草がなくなるのはどういったケースだろうか。
環境の変化はあえて挙げるまでもないだろうが、ここで語るべきなのは肉食獣の存在だ。自然界における草食獣の総数は、増えては減って、長いスパンで見ればほぼ一定を保持していると言っていい。もちろんこの増減には、捕食者として肉食獣の総数が大きく関係している。
こんな中、例えば肉食獣が絶滅したとしよう。
草食獣を捕食しその総数を減少させていた肉食獣がいなくなれば、外敵をなくした草食獣たちの総数は必然的に、爆発的に増加する。総数の増加は食い扶持の増加を意味する。つまり草の消費量が増えるということだ。消費量が増え草の繁殖速度がそれに追いつかなければ、次第に草の総量も減少する。
そしてその総量が草食獣の需要を――腹を満たせなくなれば、やがて彼らは飢え死にし、絶滅の道を辿ることだろう。
このように自然界では互いが干渉し合い共依存することで、生活圏を維持していると言っていい。
そしてもう一つの依存性に、繁殖本能がある。
自己複製への欲求。言い換えてしまえば、色欲に関する全てのものが共依存の一部だと言えるだろう。
何故なら、種を残す為には番いが必要だ。これもまた、自明の理。
だが無論のこと、人間同士の共依存の関係は、何も物理的で生理的なものばかりにその根源をおくわけではない。
例えば、精神的な依存。
むしろ、人間における依存とは精神的な依存を意味するケースが多いのだから、敢えて深く考える必要性は低いのかもしれない。
人間が番いを――恋人を作ったり、友達やサークルなどを始めとしたグループを形成あるいはそこに属することで、他者と何らかの縁を結ぼうとすることも、依存の一形態に他ならない。
損得勘定――これは物理的な損得“だけ”を指す言葉ではない――を含め、人間が作るコミュニティの大半が、惰性にも似た精神的な依存関係を欲するものである――と、少なくとも襲は思っている。
正確には、そうとしか思えないように“思考を『構成』してしまった”と言うべきだろうか?
とまれ、楠那の言葉を受けたシェリルの脳裏にどんな葛藤が起こり、どんな感情が生じたのかを。
そして、
「ただいま――」
何故シェリルがそんな表情で返事をしたのかを、自分は終ぞ理解できないのだろうと襲は悟った。
虚ろな眼差しを浮かべ目の前の光景を俯瞰している襲の横顔を見たカレンが、怒りに振り被らんとした拳を下ろし、何故か泣きそうな顔をしていたことも。
……きっと、自分には一生理解できないのだろう。
何の根拠もなく、そう、思った。




