Act.37 侵入者 <3>
「来た」
それが、誰の呟きだったのかはわからない。
囁くような声が耳朶を嬲った、刹那。
春風に撫でられ騒めく欅並木の合間から、三つの黒い影が躍り出てきた。
逆光でよく見えないが、その無駄のない動きを見る限り、対象が高度な軍事教育を施されていることがわかる。
そして、戦闘は常に先手必勝。察するにマニュアル通り、なのだろう。
影の一つが懐から取り出した銀の刃を翻し、躊躇いなく投擲してきた。牽制の意味合いを込められた攻撃。その狙いはやはりカレンだった。襲は無造作に左手を伸ばしそれを掴む。掴み取ったのは冷たい輝きを放つ折り畳み式のナイフ。恐らくはバタフライナイフの一種だろう。
明確な敵対行動に襲の視線の鋭さが増し、やぶにらみの凄みを効かせ始める。
その先に降り立った影の一つ。黒のコートに身を包みフードを目深に被ったやや小柄な人影が、無機質な声音で何かを呟く。
「殲滅対象を視認。対象を駆逐します」
と、同時。三つの影が三方向に散る。襲は手の内にあるバタフライナイフを指先で遊ばせながら眼球を動かし、三者それぞれの動きを視界に収めようとした。
すぐにでも動きたいところだが、構成術に意識を割いているカレンを放って置くような無責任な真似はできない。なし崩し的に相手の出方を伺うような立ち上がりになってしまったが、愚痴を零している場合でもないだろう。
剣呑な気配が周囲を満たし、五感が洗練されていくような錯覚。
構成術の本質は構成の具現だ。ならば、彼が今感じている錯覚すらもその一部でしかない。そして、この粘り着くような違和感すらも、例外ではないのかもしれない。
(人間らしくない…か。なるほど、確かに奇妙な連中だ)
死角から飛びかかってきたガタイの良い人影を左手のナイフを一閃してやり過ごし、側面から放たれる中肉中背の人影の拳を相手の腕の内側に右肘を滑り込ませるようにして軌道を逸らす。
すれ違いの刹那。踏み込みながら左腕を振り上げ、ナイフの柄を使って相手の顎先を殴打した。続けざまに怯んだ所へと腹部への蹴りを放つ。だが既に後方へと跳躍していたのか、入りは浅い。
思わず、舌打ちが溢れる。
対する人影は背中から倒れ込むようにして後方に一回転し、立ち上がりざまに両手で二本のナイフを投げつけてきた。
一本は襲に。一本はカレンに。
淀みなく下された思考に従って、襲は左手のナイフを投げる。放たれたナイフはカレンの喉元へと迫っていた刃を空中で弾き飛ばし、銀の軌跡を描いた。金属が擦れ、火花が散る。その合間に肉迫するもう一本のナイフを襲は右手の甲で払い除けた。
自身の右腕が振り切られる直前。襲は研ぎ澄まされた『感覚』に身を委ね、深く上体を屈めた。
数コンマ遅れて銃声が鳴る。
背後から放たれたと思しき弾丸が頭上を掠め、火薬の臭いと摩擦熱で熔解した金属の臭いを僅かに大気へと混ぜゆく。
襲は伏せざまにアスファルトに落ちていたナイフを拾い上げ、銃声の聞こえた方向へと当てずっぽうに投擲した。命中したことを確かめるよりも早く襲は上体を起こし、カレンへと視線を投げる。
「カレンっ!」
襲の叫びを掻き消すように。
ナイフが突き刺さった拳銃を投げ捨て、コートの袖から新たな拳銃を抜き出した小柄な人影がカレンへと銃口を突き付け引き金を引いた。
体格から見るに恐らく女性、だろうか?
彼女が掲げるのは強化プラスチック製の拳銃。軽量化の計られた銃身は必然的に反動が大きくなるものだが、銃の安全装置を解除しつつ突き出された細い腕は、その反動を完全に抑え込んでいるように見えた。正確無慈悲な狙いによって放たれた弾丸は空を裂き、爆発音を背に対象へと迫る。
ダブルアクションによって連射された弾丸は三発。
回避は不可。
加速していく意識の中でそう判断を下した襲はカレンへと手を伸ばした。
だが、伸ばされた指先は空を切り――、
放たれた弾丸は焔の壁に阻まれて弾け飛んだ。
「 Lorica――」
立ち上る紅蓮は、高励起状態へと転化した詞素の奔流。
爆風を撒き散らしながら揺らめくその炎は、単なるプラズマ現象ではなく構成術によるものか。
その渦中に立ち、鋭い眼光を投げるのは紅蓮の少女。
『紅蓮の構成術士』の名に恥じぬ威風堂々たる風格に、拳銃を手にした侵入者が僅かに慄く。
「調子に乗らないで」
膨大な熱放射を放つ燐光を背にカレンは右腕を掲げた。
腕に纏わり付くように炎が流れ、彼女の腕の動きに付き従う。その光景は炎を意のままに操るイフリートを彷彿とさせるものだ。
明確な敵意を赤の瞳に滾らせながら、腕を振り下ろし、唱える。
「Alea jacta est」
厳かな言葉と共に生じたのは網膜を焼くような強烈な閃光だった。
突き出された掌から純白の光条が迸り光輝く帯となって空間を切り裂くや、乾燥した空気が帯電し蒼い稲妻を虚空へと這い伝わせた。
それはまさに、光の津波と言うべき現象。
発動した術式は、「光熱波」。
詞素を荷電粒子へと転化させつつその運動(熱振動)を操作して前方へと撃ち放つ、中遠距離での流用を目的とした構成術の一つである。
放たれた高励起状態の粒子の渦は一世紀前のロボットアニメのワンシーン宜しく、荷電粒子砲の発射を彷彿とさせる情景と共に触れた物を並て押し熔かし、吹き散らしていく。
「光熱波」が向かう先は、拳銃を投げ捨てながら後退を始めていた女の背中だった。
「光熱波」の殺傷能力は術者の力量に左右されやすいものの、掠めただけでアスファルトを熔かしてしまう様から察せられる通り、非常に高いものだと言っていい。構成術士ならばともかく、普通の人間に「光熱波」が命中すればひとたまりもないだろう。
拘束を目的とした今回のような場面においてはいささか扱い難い術式ではあるのだが、同時に術の威力及びその範囲の調整がしやすいこともこの術式の特徴であった。
事実、彼女の放った「光熱波」は威力よりも範囲を重視した低威力の構成であり、目で『視て』彼女の術が理性的に制御されていることに気づいていた襲は、落ち着いた眼差しで閃光を見送った。
侵入者の三人のうち二人はなんとか術の有効範囲から脱出できたようだったが、「光熱波」の標的となった小柄な人物はやはり回避が間に合わなかったのだろう。左の肩口から先を詞素の奔流の中に置き去りにし、爆音と共に身体が弾き飛ばされる。
生身ならば肩から先を吹き飛ばされているであろう、無慈悲な一撃。
だが、術を受けた侵入者は肉体に受けた衝撃と副次的に生じた爆風を利用して後方へと更に転がり、欅の影へと飛び退いて見せた。
相手が構成術で防御した様子はない。いくら肉体的に強靭な構成術士でも、荷電粒子の奔流をまともに喰らえば無傷では済まないはず――であった。
「これは……」
茫然としたカレンの視線に誘われるように、顔を上げた襲の視界が異様なものを捉えた。
視線の先。立ち上る白煙の先に立つ小柄な侵入者は、焼け焦げたコートの袖を引き千切り焼け爛れているはずの左腕を外気に晒した。
熱に焦げた肌色の皮膚。滲み出すように滴る異色の液体。
だがそれは脈動する鉄分の臭いではなく、合成繊維が熔けたような異臭を発していた。
その合間に覗くのは鈍色の光。焼け落ちた肌と肌との合間に春の柔らかな日差しが差込み、金属特有の冷えた輝きを放っている。
襲の表情にも茫然の色が浮かび、胸に抱いた動揺が冷や汗と共に零れ落ちた。
「ロボット、なのか……?」
ナイフで殴った時から薄々気づいてはいたのだが、どうやら連中は全身の主骨格全てが金属で構築されているらしい。
よく思い返してみれば、カレンの言葉の節々には彼らが普通の人間ではないことを示唆するものが含まれていた。彼女が察知した微弱な電磁波にしろ、鎧付きという言葉にしろ。侵入者が“人間らしくない”ことを暗に伝えているものではなかったか?
カレンの沈黙に嘲りのニュアンスを感じた襲は、自虐的に、鈍くて悪かったな――と皮肉ろうとして。
「人間……じゃない?」
驚愕を露にした彼女の声音に、今度は襲が驚く番だった。
「戦闘用アンドロイドって、そんなに珍しいのか?」
「正直見るのも始めてだし、珍しいってもんじゃないわね。一昔前までは兵器としては割とメジャーな分類だったみたいだけど、構成術が普及してからはパッタリと開発が中止されてたのよ?」
「それに――…」と意味深にカレンは言葉を切って、正面へと視線を戻した。顎をしゃくって襲の視線を一人の侵入者へと誘導しながら、続ける。
「ロボットが構成術を使うなんて聞いたこともないわ」
視線の先に立つのは一人の大柄な男だった。
先の先頭でフードが取れたのか、三十半程の彫りの深い顔立ちが遠目からでも確認できる。その太い左腕には赤色の腕輪が嵌められていた。
男はゆったりとした動作で右腕を前方へと突き出すと、
「構成術の使用許可を確認。使命を受諾する」
残る二人もうわ言のように復唱し、左袖を捲りあげた。彼らの腕にも、男と同型のAIUが巻かれている。
思いがけぬ光景に、襲は引き攣った声を零した。
「AIU……!?」
詞素を練り上げ、注ぎ込む。構成術士ならば至極当然の、一連した動作。
だが、奴らはロボットだ。詞素の保存方法はともかくとしても、構成術の発動には思念波が必要不可欠である。
だから思念波を生成・保存する技術でもない限り、機械単体での構成術の行使は不可能のはずだった。
その要因は他でもない、思念波を生み出しているミーム細胞に起因するものである。ミーム細胞は人間の脳内でのみ生成されるミーム粒子の集合体であり、ミーム粒子はその特異性の下、詞素の次元移動と構成式の提供を司る。
そこに例外はない。故に、代替品もない。
逆説的に言えば、無機物で構成された機械では構成術の発動は不可能のはずである。彼らを動かすのは金属の歯車であり、電脳部品の塊だ。指令を下すのは精密に作られた電子回路であり、そこに人間のような思考は構築し得ない。
物事を客観的かつ主観的に捉え、欲求段階説で言う「承認欲求」のような外向的な欲求を「優しさ」としてはき違えてしまうような、際限なく利己的でどこまでも排他的な自己愛主義など、機械には存在しない。
だから、機械に“構成”する力は存在しない。
ミーム細胞はあくまでも細胞であり、有機的な繋がりの中でしか存在を許されない。
それこそ、『人間の脳』でもない限り――…。




