Act.28 遭遇 <1>
軍絡みで用事があるとの断りを入れ、一足先に七高へと向かった桐生一真と別れた後。カレンは学園内で発生していた無人トラックの横転現場へと、ひとり足を運んでいた。
事の始まりは今から数十分程前。
彼女自身も渋滞に捕まった身ではあるものの軍の指定した集合時刻までにはまだ少し間があり、ならばその時間でも使って学園内を見て回ろうと思っていたその足が、並木道に差し掛かった頃だった。
自然と道を遮るように横転しているトラックが目に留まり、遠目から現場検証の様子を眺めている次第である。
(事故……?)
職業柄、いや、彼女自身の性分だろうか?身近で何らかの事件を察知すると事の詳細を把握したくなるのは。
彼女が軍人であることを明かせば詳しい事情を訊けるのかもしれないが、必要以上に首を突っ込むのは如何なものだろうと建設的な思考を巡らせる。
(怪我人は見当たらないし、後は専門家の仕事よね)
理性的に判断を下したカレンは、後ろ手に束ねた赤色の髪を揺らして事故現場から踵を返した。
颯爽と、並木道沿いを再び歩き出す。
彼女はトラブルに好かれる……と言うより、トラブルを好む気質ではあるものの、別段何でもかんでも関わりたいわけではない。あくまでも軍人としての責任感がそうさせるだけであり、彼女自身が野次馬根性丸出しという意味ではないからだ。
それよりも今は、やるべきことがある。
昨夜の重力波の観測結果と先刻の通信障害について頭の中で整理しながら、カレンはそう独りごちた。
今回の軍の召集も、何より彼女自身が呼び出されたことも、恐らくは無関係ではないのだろう。つまりは、ハンニバルの撃滅作戦及び一般市民の保護について何らかの指令があるに違いない。
気を引き締めなければ……。
制服に身を通した身体を両の腕で抱いてから、彼女は決意を新たにする。
そういえば「一高生」である彼女の制服と、ここ「七高生」の制服とでは随分とデザインが異なるようだ。
七高の制服には近代的なデザインの随所に紫のラインが引かれ、左胸と校章に詞晶石がシンボルとして描かれている。対して、彼女が身を包む詞素大学付属第一高等学校の制服は、紫の代わりに差された赤のラインと左胸に描かれた一本の管のようなシンボルが特徴的と言えた。
彼女の言う「一高」とは国立詞素大学付属第一学園の高等部の略称であり、付属校の中で最も歴史の長い学園でもある。
岩手県東半部というやや内陸部に位置する第一学園は、国際リニアコライダー(International Linear Collider)の経済的恩恵を受けて設立された国内最大級の学園だ。
ILCは線形粒子加速器と呼ばれる地下に建設された全長三十キロメートルを超える巨大な管のような装置、いや施設のことである。本来ILCは陽子などの粒子を加速し衝突させることで高エネルギー状態を作り出し、超対称性理論の検証や暗黒物質の同定、ビックバン直後の初期宇宙の解明などを目的として建設された。
しかし詞素の発見以後はその研究に利用されるようになり、現在では日本の詞素学発展の要として重宝されている。
言わずもがな、彼女の左胸の刺繍のデザインはILCを模したものであるわけだが。
「流石に、他校をこの制服のまま彷徨くのは気が引けるわね」
制服に身を包んだまま出歩くのには些か抵抗があったものの、着て来てしまったものは仕方がない。
溜息混じりにそんなことを憂鬱に思っていると、ふと一人の少年の顔が脳裏を過ぎった。
(そう言えばアイツ、七高に入学したんだっけ?)
黒髪に紫苑がかった黒目、どこか皮肉気な風貌が特徴的な幼馴染のことを思い出し、思わず笑みが溢れる。
(前に会った時は入学試験で落ちそうだとか嘆いてたわね…。あれから会ってないけど、案の定落ちたのかも?)
今度会ったら揶揄いの一言でも浴びせてやろうと、ほくそ笑んだ、丁度その時。
ブレザーの内ポケットに入れておいた携帯端末が――TIGが震え、着信を知らせる簡素な電子音を吐き散らした。
カレンは内心ドキッとしつつ、慌ててTIGを取り出し、画面に表示された名前を見た瞬間に胸を撫で降ろす。
先程の思考がもしかしたらアイツに“伝わってしまったのではないか”と危惧していたのだが、どうやら杞憂だったらしい。
一転して冷静さを取り戻したカレンは柔らかな口調で電話に出る。
「もしもし、ユイちゃん?」
『あっ、カレンさん。お久しぶりです』
電話に出たのは以前より大分幼さが抜けた、だが間違いなく、彼女がよく知る少女の声だった。
カレンは懐かしさのあまり、胸のうちに僅かな動揺が湧き立つのを自覚した。
「ええ、本当に。あの……久々に顔見て話したいんだけど、映像回線繋げる?」
『はい、大丈夫ですよ。ちょっと待ってていただけますか?』
少女の了承を耳にするや否や、カレンは手早くTIGの電話モードをテレビ電話へと切り替えホログラフを投影した。
回線が繋がるまでの間、映像が見やすいように欅の木の下へ移動し近場のベンチへと腰掛ける。
『お待たせしました』
回線の接続を知らせるアラームと共に映ったのは、袖の長い白のワンピースを着たやや青みがかった黒髪の少女だった。
宝石のような瑠璃色の瞳に白く柔らかな輪郭が目を見張る少し人間離れした(良い意味で)容姿の少女は、映像の向こうで初々しくも慎ましい柔らかな表情を見せる。
「うわぁ、以前会った時より一層綺麗になったような……。なんだか“テレビ”で見るのとは一味違う可愛さがあるわね」
『や、止めて下さい。親しい人にお世辞を言われるのは流石に恥ずかしいです。
……それに、カレンさんに言われると嫌味に聞こえます』
「えぇっ!?嫌味っ!?ゆ、ユイちゃん、待って。そんな意図はないし、何で私だと嫌味に聞こえるの?!」
黒の髪の少女――雨宮唯に責め立てるような視線を向けられ、カレンは目を瞬かせた。そんなカレンの慌てた様子を見た唯は深々とため息をつき、瞳に呆れたような色を浮かべる。
『自覚してないんですか……?カレンさん、そんなに可愛いのに』
「はぁっ!?ば、バカなこと言わないでっ。流石に怒るわよ!」
顔を真っ赤にしたカレンが映像に向かって指を突きつけると、空中に投影されているホログラフが唯の表情と共にぐにゃりと歪んだ。
いつの間にか熱くなっていたことに恥じらいを覚えカレンが慌てて指を引っ込めると、そこに映る唯の表情も極自然な笑顔に戻っていた。
黒い髪の少女は口元に指を当て、くすくすと楽しげに笑いながら謝罪を口にする。
『ふふっ。すみません、おふざけが過ぎました』
「もうっ……!」
唯が相も変わらず元気にしていることに安堵しつつも、知らない間に随分と意地悪な性格にもなったようだと愚痴を零したくなった。
「ユイ、なんだか随分と手厳しくなったみたい。
……あ、もしかしてアイツに感化されたんじゃないでしょうね?」
『アイツ……ですか?』
カレンが半目に問い詰めると、唯ははて?と小首を傾げた。美少女な上に一つ一つの動作に愛嬌があって、憎ましいほど様になっている。
内心羨ましいなぁと思わないでもなかったが、当然そんなことは口には出さず。代わりに、どこか呆れたような表情で頷いた。
「そう、あの馬鹿のこと。確か今は日本で一緒に暮らしてるんでしょう?」
『あっ、もしかして襲さんのことですか?』
唯はようやく気づいたようで、珍しく苦笑いを浮かべた。頬をポリポリと掻きつつ、所在なさげに視線を泳がせる。
そんなどこか余所余所しい態度に疑問を覚えたカレンは眉を顰め、ベンチから僅かに腰を浮かしながら問いを口にした。
「うん?どうかしたの?」
『どうかした……と言うか、されたと言うか……』
「……えぇと、つまりどういうこと?」
煮え切らない返答に、今度はカレンが首を傾げることとなった。
映像の中の少女も少々困惑気味のようで、自分自身の感情を整理するようにぽつりぽつりと語りだす。
『えっと、話すと長くなる…わけでもないんですが。取り敢えず簡潔に言ってしまうと、襲さんとはもう一週間ほどお会いしていないんです』
「え、一週間も会ってないの?でも確か、同じアパートに住んでるんだよね?」
『はい、そう、だったんですが……』
唯はあからさまに表情を歪めると、心なしかどんよりとした様子で俯いた。
一向に状況が飲み込めないカレンだが、唯が何やら落ち込んでいるということだけは辛うじて理解できる。と言うのも、カレンは唯の落ち込んでいる姿を見るのは初めてだったのだ。いつも笑顔を絶やさない唯が落ち込むなど、既に彼女の想像の域を脱している。
「ど、どうしちゃったの!?ユイがそんなに落ち込むなんて」
カレンが慌てている間にも唯の表情は更に暗くなって、血色すら悪くなっていくようである。
血の気が引くとは、正にこのこと。
暫しの間を置いた後、決心したように顔を上げた少女の眼差しには光が消えていた。
生気のない井戸の底のように昏く虚ろな瞳。その目尻に光るのは……涙?
『あの…ですね。実は襲さん、先日アパートから出て行っちゃったんです』
「出て行った……?」
カレンの疑問に唯はややオーバーアクションに頷いて。
『はい、しかもある日突然に、です』
「連絡はないの?」
『一度もありません。心配になって何度か電話を掛けては見たんですが……』
表情から察するに、繋がらない、ということらしい。
元気がないのはそれが原因だったのね…とようやく得心がいった反面、心底心配している様子の唯に掛ける言葉が思い浮かばず口を噤む。
相当重症ね、これは――…。
頭痛がし始めたようにも思える頭を我知らず抱えたカレンは、画面の向こうの少女にばれないよう小さくため息をついた。




