Act.27 暗雲 <2>
バッテリーを入れ、一通りTIGの動作を確認したところで。
突如として、タイミングを見計らったように紗雪が絡んできた。
「そんじゃあ一通りやることも終わったし、少し話そうぜ」
大変困ったことに、それは意味合い的にも“物理的にも”絡まれるものであった。
両肩に回された腕と背中に当たる確かな胸の膨らみに内心動揺しつつ、醒めた表情を保つ。
「話……ですか?」
少年の声には動揺の色はない。
肩に乗せられた紗雪の囁きが耳朶を嬲り、吐息が首筋を撫でる。
鼻腔を突く甜い匂いを認識しながら、襲は揶揄われているな、と傍観者な思考を巡らせた。
――面白い。
襲はシニカルな笑みを胸中ではなく口元に浮かべた後、態とらしく紗雪に訊ねた。
そんな態度に気づいたのか否か、紗雪の発言は少々過激なものとなる。
「ああ。男女の営みについて二人で話し合いでもしよう」
ダリウスが紅茶を飲んでいる最中に咽せ、明日香の肩がこける。
流石に鷹明は明確なリアクションこそ見せなかったが、その目には呆れたような色が映っていた。
とは言え、人を揶揄うことが大好きなのは襲も同じだ。流石に上級生に対して自分から突っ掛ることはしないのだが、絡まれてしまっては致し方ない。
恐らく紗雪は襲が色めいた会話に持っていこうとしたり、変にどぎまぎした様子を見せればそれを徹底的に弄る算段なのであろう。
確かに文体的には多少(?)勘違いされやすいフレーズではあるが、ヒトという種が基本的に男と女しか存在しない以上、文化あるいは文明と呼ばれるものの大半が「ヒトの営み」延いては「男女の営み」によって生み出された副産物のようなものである。
つまり紗雪は、歴史的あるいは経済的、若しくは哲学的な対話でもしないか、と襲に訊いたのだ。何それまわりくどい。
それを瞬時に理解した襲は芝居がかった動作で顔を伏せ、故人を憂うような悲哀に満ちた表情を作る。
「そうですねぇ…。では近年問題となっている、構成術士の素質を持つ者同士の交配実験について議論致しましょうか」
「……はぁっ?」
奇妙な声を上げたのは、彼の肩に顎先を乗せていた紗雪だった。
ダリウスは盛大に紅茶を吹き、明日香が手にしていた携帯端末を床に落とす。
流石の鷹明もこれには驚いたのか、普段より気持ち目を見開いているようにも見えた。
そんなことには気づいていない(気にしていない)襲は、紗雪の表情を間近で観察しながら案外初心なんだなと思いつつ、白々しく首を傾げる。
「どうかしましたか?顔色が優れないようですが、体調でも?」
「いっ、いや。なんでもない…」
「そうですか」
襲が惻隠之心そのものの表情を浮かべて訊ねると、紗雪は少し吃りつつもすぐに答えてみせた。
一瞬の間が空き、皆が油断したところで。
「では先程の続きですが。近年後進国の一部では、構成術士同士の交配実験のような悪しき行為を一部容認、どころか政府側がむしろ推進している傾向にあり、そのことを懸念して――」
「待てっ!もうこの話は止めにしよう」
遂には紗雪が悲鳴じみた制止の声を発し、襲の身体から飛び退いた。
そのリアクションに気を良くした彼は背後に振り向きつつ、実に哀しそうに(内心は愉しそうに)続ける。
「いえ、別に紗雪先輩が謝罪する必要性はありません。
むしろ謝罪すべきなのは『それ』を推進している国の政治体制と、『それ』を実行している人物にあります。あっ、議論の場で『あれ』『これ』『それ』のような抽象的な表現は好ましくありませんよね。失礼しました、『それ』と言うのは――」
「私が悪かった!もう勘弁してくれっ」
流石に先輩にそう言われては襲も悪戯を続けるわけにはいかず、すぐさま口を閉ざした。
一応、謝罪しておくべきだろうか?
何故か疲れた様子の紗雪を見てそんな懸念を抱き始めていた頃、他ならない紗雪が口を開いたことで自問自答の思考は破棄されることとなったのだが。
「雨宮も案外、質が悪いんだな」
それは心外だと思いつつも全面的に否定できない辺り、やはり自分も質が悪いのかもしれない。
真っ当な反駁を断念した襲が最終的に執ったのは、少々精神的に痛い演技だった。
「そうですか…残念です。紗雪先輩のような賢明な御方なら、有意義な話し合いができるかと思ったのですが……」
「もしかして雨宮はそういう人なのか……?」
紗雪が真偽を疑うような。悪く言えば正気を疑うような表情を浮かべた。
はて、そういう人とはどんな人のことだろうか、と思索をする素振りなど微塵もなく。襲は無表情に首を水平へと振った。
「まさか。俺は博愛主義とは程遠い所にいますし今は自分自身のことで手一杯ですから、身も知らない他人に同情できるような余力は残念ながらありませんよ。
まぁ、人並み程度には懸念しているつもりではありますが」
白々しいを超越した、ふてぶてしい言い草。
淀みなく断言してみせた少年に、紗雪は苦笑する。
「お前というヤツは……歪曲しているな」
「それほどでも」
「褒めてないからな」
「戻りました」
そんな奇妙な掛け合いをしていると、扉が開く気配と共にベリルが戻って来た。紗雪との絡みを中断させて、艶やかな姿を労いの言葉と共に見送る。
だが大した反応も無いまま席に着く辺り、心なしか不機嫌そうにも見受けられた。
一風変わったベリルの様子に、どうしたのだろうかと襲はちょっとした好奇心に駆られ、口を開く。
「何かあったんですか?」
襲の問いかけに、ベリルはため息を紫煙代わりにぽつぽつと語りだした。
「コンソールの件を生徒室まで説明に行ったのですが……。
どうやらただの故障ではなく、一時的に学園のメインサーバーにアクセスができなくなっていたようです」
「へぇー、初めてじゃない?そんな不具合。結局原因はなんだったの?外部からのクラッキング?」
明日香はベリルに紅茶を淹れつつ、頭上に疑問符を浮かべる。
確かに生徒の入試試験結果を始めとするこの学園のあらゆるデータは、ある意味国家機密扱いを受けていると言っても過言ではない。物理的にもそしてネットワーク的にも、第七学園のセキュリティレベルは国内で、と言うより世界で最高水準にある。
如何なる天才クラッカーの技術を駆使してもそのセキュリティは容易には突破できないだろうし、まぁ物理的にセキュリティを突破する方がまだ可能性は高いとは言えるものの、学園の機密情報の獲得を目論むならばお世辞にも賢い行動とは言えないだろうが。
それはともかく。
彼女が言いたかったのはセキュリティシステムが外部からの攻撃を受けたことで、情報の漏洩を防ぐ為にセキュリティレベルが一時的に上がり、結果的にメインサーバーへのアクセスが禁止されたのではないか、と言うことだろう。
気持ちはわからないでもないが、メインサーバーへのアクセスを禁止するような事態はそれなりに緊迫した状況にでも陥らない限り起こらないものであって、ベリルの答えもそれに準ずるもの――ではなかった。
ベリルはゆったりとした動作で首を“横に”振って、詳細な内容を添える。
「いいえ。外部からの攻撃ではなく内部からの攻撃でした」
「内部から…?」
言葉を発したのは襲だったが、驚きを覚えたのは彼だけではなかったようであった。
自然と全員の眼付きが険しく鋭いものになる。
「はい。攻撃が行われた場所は、二号館近くの第三実験棟の据え置き型のコンソール。侵入者への対策として学園内にいる生徒には既に携帯端末等で屋内への批難を促しています。放送は犯人側を刺激する危険性がありますから無難な判断でしょう。
生徒会も捜索に当たっているようですが犯人は未だ発見されていないようです。本来は春休み中ですし、生徒会のメンバーの大半が外部へ駆り出されているようなので無理もないかと」
「監視カメラには映っていないのですか?」
襲は第三実験棟の場所を脳内の地図から見出しながら、静かに詰問した。
「ええ、どうやら予め監視カメラの位置を把握しての犯行のようですね。現在も調査中ですが侵入経路は不明、人相もわかっていません。
ですが、コンソールに残留した粒子痕を見る限り、恐らくは構成術士だろうとのことです」
「学園内から出た形跡はありましたか?」
「今のところ確認されておりません。サーバーへの攻撃が確認されると同時に学園の出入り口は封鎖されますので、脱出しようとすれば警備に当っている者が気づくかと」
襲は顎に指を添えて思案する素振りを見せつつ、身勝手な話、そんなに気にも止めていなかった。
正確には自分に直接の被害が及ばなければどうでもよかっただけなのだが、責任感豊かな先輩方はそうは思わなかったようで。
大人しく聞いていたように見えた紗雪が、真っ先に床を蹴って駆け出していた。
「紗雪っ、ちょっと待って!」
紗雪の異変を誰よりも早く察知した明日香が“床を滑るように”移動して扉の前に回り込み、両腕を広げて行く手を遮る。
「…私が今から探して来ます」
「闇雲に探しても仕方ないでしょっ?!」
「わかってる。それでも学園内をしらみつぶしに探せば…」
「だとしても、貴方は軍からの仕事を優先するべきです。
それに相手は構成術士です。紗雪がいくら強いと言っても、実戦では何があるかわかりません」
明日香が言わんとしていることが紗雪にも伝わったのだろう。
恐らく、数ヶ月前の彼女ならば聞き入れなかった言葉だ。「仲間の死」を知らなかった、彼女ならば。
紗雪は悔しそうに歯噛みして、拳を握り締める。
明日香がほっとした表情を浮かべたのも束の間、紗雪は無言のままその場で振り返り――、
他の誰でもなく、新入生である襲を見た。
訴えるような瞳を正面から見据え、襲は探るような視線を紗雪へと向けていたのだが。
数秒の間を置いて。
渋々といった表情で、彼は無言の要請を承諾する。
「俺が様子を見に行ってきます。こっちは仕事までまだ間がありますし、学園の方は任せてください」
「ちょっ、雨宮くん?!」
「心配なさらなくても絶対に無茶はしませんよ。生徒会の方々と一緒に学園内の見回りを行うだけで、別に一人で何とかしようなんて考えていませんから」
驚いたのは明日香一人のみ。対する鷹明は黙したまま明日香を見遣り、瞳で肯んじている。
それでも決めかねていた明日香だったが、襲の同行を後押しする形で声を上げる者がいた。
「大丈夫ですよ部長。新入りですがコイツの腕は確かです。実際に拳を交えた俺が言うんですから、間違いないですよ」
口を開いたのは椅子に腰を落ち着けたまま微動だにしていない、ダリウスだった。
瞳を逸らさず、力強い声音で断言する。
ダリウスの有難いお言葉を拝聴しつつ、自分の主張を擁護してくれている人物に対して「なんだ、あんな表情もできるのか」と襲は普通に驚愕していたのだが、そんなことをこの場で口にしたら速攻で「前言撤回」される可能性が大だったので、もちろん口にはしなかった。
「明日香」
突然の呼びかけに視線を流すと、ベリルが卓上ディスプレイに表示されたメッセージを見て、くるりと明日香へと向き直った。
「……とダリウス、中国政府から新たに連絡が入りました。早急に指定されたヘリポートに向かって欲しいとのことです。
それから紗雪と鷹明はもうすぐ軍から迎えが到着するとのことですので、追って指示が入るまでは待機していて下さい」
それが功を奏したのか。
いや、それはダリウスの主張が通りかつ依頼の連絡がタイミング良く入った結果であって、襲が黙っていたお陰ではないのだろうが――。
いや?ダリウスの前言撤回を未然に防いだという意味で、慣用句としては間違っていないのかもしれない。違うか?我ながら絶対違うな。
真偽の程は定かではないが(常識的には定かである)、結果として明日香は溜息混じりに頷いた。
そして奇妙な瞑想(迷走?)に走っていた襲へと向き直り、折り目正しく頭を下げる。
「……わかりました。雨宮くん、くれぐれも無茶だけはしないでね」
「了解しました」
返答を合図に、襲は明日香に会釈をしてから部室を後にした。
廊下を猛スピードで走りつつも、醒めた心持ちで侵入者の目的について思考を巡らせる。
先刻の「余波」と、止まらずに転倒した無人のトラック。
そして、謎の襲撃。
襲は妙な胸騒ぎがするのを自覚しつつ、「願わくば大事にはならないで欲しい」と恐らくは叶わないであろう願望を胸中に抱きながら。
取り敢えずは今考えていることを確かめなければならないだろうと、彼は徐々にその歩幅を大きくしていった。




