Act.21 フォノンアーツ <2>
襲とダリウス双方の準備が終わりコートに入ると、電子端末を片手にベリルが試合の注意事項について口頭で述べ始めた。
「勝敗は減点法で決し、一方が三ポイント失点した時点で敗けとなります。
なお審判が続行不能だと判断した場合は三ポイント減点とし、その時点で試合は終了。また選手自らが敗北宣言を行った場合も同様です。枠線から身体の一部がはみ出した場合は一ポイント減点。反則行為に対しても減点の対象となりますので、ご注意下さい。
試合上のルールですが、肉体による直接攻撃及び構成術の使用は許可、武器の使用は禁止。また、相手の肉体を直接破壊する術式の使用は認めません。構成術による治療が困難だと思われる傷害を負わせた場合も失格となります。こちらから合図を行う前にAIUの起動及び開始線の内側に入った場合も失格となりますので、注意して下さい。
これらのルールを破った場合、私が力ずくで息の根を止めに入ります。他に何か質問等ありますか?」
「いえ、大丈夫です」
「おい、息の根を止めるってなんだ。試合を止めろ、そして俺を見ながら言うんじゃねぇ」
「では、使用するAIUを一度審判に預けた後、双方開始線まで移動して下さい」
ベリルから試合の詳細なルールが言い渡され(当然の如くダリウスの問いかけは無視された)、ダリウスはすぐさま予め試合用に調整してある腕輪型のAIUをベリルに手渡した。
手渡された品は一般的に見てもかなり高級品と言えるAIUで、専属の技師に調整を依頼している業物でもある。ベリルはそれにちらりと目を通してからすぐにダリウスへと突き返し、彼はそれを受け取った。
恐らくはあの新入りも俺のAIUを見ていたはず。
そこまで馬鹿じゃなければ棄権するだろうと、ダリウスは得意げな視線を相手コート側へと投げ込もうとした。
だが、目測を誤ったのか。
――ベリルの近くには新入りの姿はなかった。
「な…なに……?」
慌てて視線を周囲へ走らせると、予想よりもかなり遠くに。既に開始線の前で立っているのが目に留まる。
あろうことか、ダリウスが所定地に着くのを悠然とした態度で待っていたのだ。
驚愕のあまり、ダリウスは言葉を失う。
「雨宮さん、貴方はAIUを使用しないのですか?」
幸いベリルが彼の疑問を代弁した形となった為、彼は動揺を口に出す必要はなくなった。流石に、質問したベリル当人は動揺を押し隠せていないようだったが。
そんな彼らの問い掛けに対して、襲は事務的な態度で返答した。
「いえ、使用しないのではなく“使えない”だけですよ。お恥ずかしい話、俺にはAIUを起動できるほど詞素容量がありませんから」
そう首を横に振って、襲は視線を正面の戻した。
その告白に誰もが息を呑む。
開いた口が塞がらないのはダリウスばかりではなく、ベリルも、明日香も、鷹明でさえその無表情にヒビが入っている。
「あはははッ!」
だが、その沈黙を裂く一つの哄笑が競技場に響き渡った。
襲を除いた全員の視線が自然と、声の方へと集まる。
観客席側の壁際、コートの脇に立つ紗雪がその声の正体だった。
「はははっ!いやぁ、もしかしたらとは思っていたけど、本当に使えないのか!面白い奴だなぁ、アイツ」
ただ一人。紗雪だけが不敵な笑みを浮かべていた。
自然な流れとして、紗雪を真横から見ていた明日香が純粋な疑問を紗雪へと向ける。
「紗雪…?どうしたの、何が可笑しいの?」
彼女の言葉には少々、紗雪の正気を疑うようなニュアンスが込めていたのだが。
「いや、だってな……くふふっ」
明日香に問われ返事をしようとした紗雪だったが、何が可笑しいのか、思い出したかのように腹を抱えて笑い出した。
その様子を見ていた、と言うより間近から“された”明日香は不機嫌そうに頬を膨らませ、未だに笑いが止まらない紗雪の肩をゆさゆさと揺さぶりに掛かる。
「ちょっと、何が可笑しいの?ねぇ、教えてよ!今、私軽くパニック状態なんだよ!?」
「わかったわかった、話す。全部説明するから揺さぶるのはやめてくれ」
ようやく正気を取り戻した紗雪は涙目に明日香を宥めた。
開放されてから間を置いて、紗雪は黙々と何やら準備を進めている襲の背中を見ながら事の真相を語り出す。
「だってアイツ、『呼吸』してないんだぜ?」
「えぇ…?」
突拍子もない紗雪の語り口と、素っ頓狂な明日香の声。
だがそれを来ていたベリルと鷹明は何かに気づいたようで、それぞれ納得顔で頷いていた。
ただし明日香は目を白黒とさせて、
「もしかして……死んでるの?」
「はぁ…?」
耳に入ってきたフレーズに、それまで無口だった襲から呆れたような声が漏れる。
「だって息してないんでしょう?あっ、それとももしかしてロボット!?」
「違うっ!」
何故かキラキラとした眼差しで襲を見始めた明日香の頭上に、苛立ちが込められた紗雪の手刀が振り落とされた。
「あぅっ…!」
命中と同時に明日香の上体が揺らぎ、声が漏れる。
その和やかな光景に擬音語を付属させるならば、間違いなく「ぽすん」といった様子だろう。
ショートコントを思わせる遣り取りに気を取られているうちに、鷹明がいつの間にか客席から降りてきていた。明日香の渾身のボケにも鷹明は呆れた様子すら微塵も見せず、醒めたトーンで訂正する。
「呼吸ではなく、詞素呼吸のことだろう」
「ああ、なるほど。そっちか」
鷹明の指摘に、明日香が満面の笑みを浮かべた。
その頭をくしゃくしゃと撫で回しながら、紗雪が肯定する。
「部室に入ってきた時に『視た』んだけどね。アイツ、詞素呼吸をしてない…と言うか、全く視えないんだよ」
「視えない…?集気法の類ではないのか?」
鷹明の詰問に、紗雪は小さく首を横に振って。
「いや、確かに集気法は詞素を体内で『練る』過程で体外への詞素の放射量が激減するけど、全く詞素呼吸が見えなくなるってわけじゃないから」
「なるほど、確かにそうか」
仲間外れにされたのが嫌だったのか、ボサボサになった髪を手櫛で整えながら明日香が口を挟んだ。
「集気法って、確か詞素を体内で偏向して詞素圧を上げる技術だよね?確か中国の構成術師が編み出したっていう噂の」
話題を掘り下げた言葉に、二人は静かに頷く。
詞素圧とは、実技成績の評価基準の一つでもある「一瞬で放出できる詞素の総量」のことだ。
構成術の最大瞬間出力という言い方もあるが、端的に述べると術の規模に関わる重大な要素だと言える。
何故なら構成術師は幾ら膨大な詞素をその身に宿していたとしても、一度に放出できる詞素が少なければ大した術は行使できないからだ。それゆえに、詞素圧は構成術士の素養として非常に重要視されている物差しだと言えるだろう。
術の発動速度に関しては詞素圧より構成式の展開速度が主なパーセンテージを占めているものの、詞素圧が全くの無関係ではないのも事実だった。
それを前提とした上で、紗雪の解説は続く。
「ともかく、アイツの詞素呼吸は下手したら一般人と大差ないレベルだ。
本人の言う通り、本当にAIUの操作ができないというのもあながち嘘じゃなさそうだな」
「ふむ、詞素呼吸を抑えることは可能なのか?」
「理論的には不可能じゃないんだろうが、基本的には無意識でやってることだからな。
幾ら器用でも完全に消すことは難しいだろうし、仮に消せたとしても長時間は無理だと思う」
捲し立てるように早口で説明して、紗雪はコートの上に立つ襲の姿を見据えた。習うように、鷹明と明日香の視線が流れる。
「つまり結論としては、アイツは一般人である可能性が限りなく高い……と言うことか」
鷹明の呟きは宙に溶け、無言の肯定だけが重く漂う。
そんな中、冷や汗を浮かべた明日香が何か言いたげに紗雪を見上げた。
「えーと、それってすごく不味いんじゃない?やっぱり私止めてきましょうか?」
「いや、放っておいても問題ないだろう」
答えたのは紗雪ではなく、真っ先に止めそうな鷹明であった。
それでも納得できていない様子の明日香を他所に、紗雪も同意する。
「ダリウスも薄々気づいてるみたいだし、まさか即死級の技は使わないだろうさ」
これは希望寄りの観測ではなく、一年間ダリウスという人間と共に戦ってきた彼ら全員に共通した認識であった。それを共有している明日香も例外ではなく、どうやら少し落ち着いた様子である。
そのことに安堵しつつ。
紗雪は隠さざる本音を、笑みと共に露わにする。
「まっ、取り敢えず死ななければ、大概の負傷なんてベリルが何とかしてくれるハズだし。
それより私は、アイツがあそこまで自信っぷりな理由が気になるんだけどね」
紗雪の呟きと同時に、双方が開始線に着いた。
ダリウスは準備運動を終え、開始線に立つ。
その左腕には金色のAIUが嵌められている。
対して。
襲は開始線に爪先を合わせてるようにしゃがみ、まるで傅くような姿勢をとった。
その腕にはAIUは嵌められていない。
「それでは―――、」
沈黙がコートを、第三実技棟全体を支配する。
ダリウスが腰を屈め中段に深く拳を構えて、
襲が瞼を閉じ深く息を吸って、
ただ、ベリルの合図を待っている。
「始めッ!!」
床を蹴る爆音がスターター・ピストル代わりに。
襲とダリウス、両名の闘いの火蓋が切って落とされた。




