Act.20 フォノンアーツ <1>
構成術を用いた近接格闘競技、通称「フォノンアーツ」の試合、もとい模擬戦を行うことになった襲たちは一号館の外れにある実技棟へと足を運んでいた。
普段ならば運動部の生徒たちや“強化部”に所属する構成学部の生徒たちによって占拠されがちな施設ではあるが、春休みに入っている所為か、利用されていない実技棟が一つだけあったらしい。
生徒会室に利用申請を出してくると言って一旦席を外していたベリルだったが、手際よく許可を得てきたらしく実技棟の扉の前で既に合流を果たしていた。
「既に生徒会から利用許可は下りています。審判は私が行いますので、準備が出来次第声を掛けてください」
今回襲たちが訪れたのは、第三実技棟の地下にある特別競技場。やたらと広い空間に人の気配はなく、完全に彼らの貸切状態であった。
「了解しました」
試合を取り締まる旨を伝えたベリルに対し襲は小さく頷くと、制服の上着を脱ぎコートの脇へ適当に畳んで置いた。
卸したての制服なのだ。損傷はなるべく避けたい。
本来ならばフォノンアーツは専用のユニフォームを着て競技を行うのだが、今回の模擬戦は非公式である。まぁ仮に手元にあったとしても、襲は着用を拒否するつもりではあったのだが。
その建前は罪悪感で……本音は悪目立ちしたくないからである。我ながら卑屈だ。
忘れかけているかもしれないが襲はまだ書面上では“普通校の中学生”である。
そんな普通校の若輩が、今日会ったばかりの構成術師の最有力候補生たる先輩に対して堂々と正面から喧嘩を吹っ掛けたのだ(もちろん彼自信にそんな自覚はない)。にも関わらず、当の本人は自分の身より制服の損傷を気にしていると言うのだから、余裕たっぷりを通り越して傲慢だと謗られても、あるいは致し方ないことなのかもしれない。
落ち着き払った態度のまま襲は制服のポケットに入っていた貴重品類を取り出し、脱いだブレザーの上に乗せた。
そうして“全ての準備を終えた”彼は、静かにコートの中央へと移動する。
(これが競技用のコートか。初めて見るな)
競技場は一辺二十四メートル四方の正方形をしており、これは剣撃及びフォノンアーツの公式ルールと同じ規格である。それぞれの開始線は中央線から七メートル。つまり、両者の所定位置には初めから十四メートルもの距離が存在する。
ボクシングや柔道などの従来のスポーツならば、十四メートルという距離は余りにも遠い。むしろ離れすぎていると言っても過言ではないだろう。
しかし、構成術師たちの身体能力は常人の比ではないことも紛れもない事実。
彼らの肉体。構成術士の体細胞の一つ一つには詞素が大量に吸蔵されており、それゆえに超人的な身体能力を誇っている。
そこに構成術を使って更なる肉体の保護と強化を行えば、容易に岩を砕き銃弾を弾く、人の形をした兵器そのものとなるのは必然であろう。
そんな破壊的行為を従来のスポーツのようにマットや畳の上で行えるわけがなく、この競技場に限って言えば超衝撃吸収ナイロンが競技場の全面に張り巡らされていた。
精密高分子技術に詞素工学技術を融合したこの素材は、通常時には強度と剛性の性質を示し、急激かつ強い衝撃に対してはゴムのように衝撃を吸収するという特性を有している。なお、この素材は従来の衝撃吸収ナイロンの衝撃吸収性を更に底上げしたものだ。
ここで目を見張るのは、詞素を織り込んで作られた物質はAIUの操作でその性質をある程度操作できる点だろう。具体的には超衝撃吸収ナイロンの場合、吸収する圧力値を任意で操作できる。つまりどれくらいの衝撃が加わったらその衝撃を吸収するのか、前もって決められるということである。
「なお、今模擬戦では圧力値を一年時の女子生徒が受ける授業と同じ、吸収材の最低値とします」
静かに宣告して。
観客席側の壁面に埋め込まれた円盤型のコンソールへと歩み寄ったベリルは、液晶パネルに指を滑らせ、AIUの操作を開始した。
(……待て。最低値となると、普通の体育のマットとそう変わらないんじゃないのか?)
ベリルの思念波を送り込む動作を見届けたところで、襲はようやく冷静な思考でそう解釈した。自ずと焦りが生じ始める。
(それは不味いな)
ベリルのセリフを耳にした襲は、珍しく少し慌てた様子で声を上げた。
「風間先輩。圧力値は男子の公式戦と同値にして下さい」
「それは…」
このとき、ベリルの表情に初めて陰りが生じた。
危険だ、と言おうとしたのだろう。
あるいは無謀だ、と思ったかもしれない。
なぜならそれは単純な組手ではなく、軍用AIUによる近接構成術の使用を許可された試合を意味するからだ。
生身の人間を素手で容易に殺傷できる、彼ら人間兵器の独壇場に普通の中学生が参加するなど、もはや自殺願望以外の何物でもない。
それ以前に肉体に詞素を吸蔵した構成術師と普通の人間の身体能力では、まず相手にならないのも事実だ。襲がダリウスに試合を申し込んだということは良くて出来レース(構成術を用いる以上、八百長とは言えない)、悪くて公開処刑と評価されることだろう。
それでも、彼は迷わない。
否、構わなかった。
「これは模擬戦ですが、同時に入会試験でもあります。俺が実戦で立ち回れることを証明できなければ、何の意味もありません」
襲の指摘にベリルは少し困ったような視線を鷹明へと送った。
向けられた視線に対して。
分厚いアクリル板に囲まれた外壁の向こう、客席の最前列に腰掛けた鷹明がゆっくりと首を振った。
横ではなく、縦に。
それを見たベリルは酷い頭痛に苛まれたような表情を浮かべ、ため息を押し殺したまま襲へと振り向く。
「つまり貴方は、AIUを使用した公式戦同様のルールで試合を行いたい、と言うことですか?」
「はい、そうです」
生身で構成術を行使できるならばAIUは必要ないと思われがちだが、彼らも常に構成術を精確に実行できるわけではない。むしろ困難とさえ言える。
何故なら術の発動範囲や座標、これら「対象」に対する認識は構成術士自身の“意識下”で実行されるべき行程だからである。
もちろん人間のイメージの中にも「視覚情報を起源とする座標情報」が含まれるが、あくまでもそれは漠然としたイメージでしかなく、構成術の「行使対象」を特定する方法としては人間の認識力だけでは限界がある。
この問題を前に活用されるようになったのが、他でもない、術の三次元的な演算を補助する「AIU」であった。
構成術の実用化、否、軍事分野への利用法が模索される中で、元々巨大だった装置のダウンサイジングが図られ、今現在では腕輪やネックレスなどの装飾品を模したような形状に落ち着いている。
「ですがそれは……」
AIUを使えば、彼らは人体など楽に損傷できる。
いや、それ以前に。
曲がりなりにもダリウスの実力は折り紙付きだ。その点は不愉快ながらベリル自身も認めている。
ダリウスの実技成績は二年生の中で第五位であり、近接格闘に限った話ならば全学年でも五本の指の数には入るほどの実力者だと言われている。
だからいくらダリウスの得意分野が「剣戟」だからと言って、「フォノンアーツ」ならば簡単に勝てるという話ではないだろう。事実、ダリウスはフォノンアーツの実技授業ではここ一年間無敗であり、近距離戦闘においてはベリルもそれなりに信頼してはいる。
だから余計に、だろうか?
少年の瞳を正面から見据え、これから行われる模擬戦は単なる格闘技ではなく“フォノンアーツなのだと”、このときベリルは初めて理解した。
「……わかりました。では公式試合と同じ規格内であればAIUの使用を全面的に許可します。ダリウス、構いませんね?」
「俺は構わない。だが、本当にいいんだな?新入り」
ダリウスは律儀にも、他でもない、言い出しっぺである襲本人に確認を取ってきた。
見かけによらず紳士なんだな、と場違いな感想を抱きつつ、襲は小さく頷く。
本当は後腐れない試合を襲は望んでいたのだが、どうもダリウスは人が良すぎるらしい。
悪く言えば小心者だが、それこそ口にしてしまうと今後のサークル活動に支障が出そうだったので口にはしない。
代わりに、わかりやすく挑発してやることにした。
「はい、実戦通り殺す気でお願いします」
「……後悔するなよな」
案の定ダリウスの顔付きがより険しいものとなり、研ぎ澄まされた刃のような純度の高い殺気が宿る。
間違いない。
これは適当に単位を取って卒業まで漕ぎ着けたようなにわか持込みの者の殺気ではなく、“現場”を知っている実力者だけが出せる鋭利な殺気だ。
(これでいい)
と、襲は静かに満足した。




