Act.14 されど、少年は <4>
どうやら普通校から来たことが少し後ろめたく、不安に感じているようだが…。
普通校から構成学部へと入学できたのは逆に自慢できる話なのではないかと、疑問を抱く。
「俺も普通校からだから同じだろ。気の置けない友人ができたなら、尚のこと気にしても仕方ない」
口走ってから、ふと、自らの言葉の真意を思索した。
暫しの合間深遠な思考に身を委ねてから。彼は己の発言に嫌悪することとなった。
(…らしくもない)
他人を思いやるような感情には意味がなく、並て価値がない。
なにより――そんなものは存在しない。
ある人曰く。「優しさ」とは、優しさという単語自体が曖昧で、抽象的かつ庇護的な表現である。
例えば、人々は互いの傷を舐めあう行為を「思いやり」と呼ぶ。
しかし、それは他人の心配をする「善人な自分」に酔うことで、精神の充足を図る行為だ。人は自身の行為の正当性を他者に問い、自身の存在価値をその口から再確認したがるものである。
そんなものは思いやりでもなんでもなく、ただの「独り善がり」あるいは「思い上がり」と凶弾すべきものだというのに。
例えば、貧困に苦しむ最果ての誰かに向けて行う奉仕活動を「ボランティア」と呼ぶ。あるいは、中高の文化祭で掲げられたような「絆」だと呼称することもあるのかもしれない。
だが、それは。
苦しみ傷ついた者の姿を写真や電子端末などの媒体を介して認識し、その際に胸中に芽生えた罪悪感や同情心をお金などの「形」へと昇華させ、募金箱を始めとした透明性に欠けた得体の知れない「匣」に落とし込むことで、自身の良心の存在を再確認しているだけではないのだろうか?
むしろ、メディアを通して自身が抱いてしまったネガティブな感情。つまりは良心の呵責と呼ばれるものを解消するためにとった行動が、偶々外向的かつ論理的だっただけなのだと捉えた方が無難だろう。
ここで問われるのは、直接現場に赴き、現場を見て、聴いて、直接行動を起こし、助けた相手から直に感謝の言葉を言われた場合だ。
果たして、それは優しさと呼べるだろうか?
否、人間の心理の本質から察すれば、率直に言わせてもらえば、優しさとは言えないのだろう。
他者の傷付く光景を見て同情し助けたいと思うのは、ミラーニューロンを有した生物特有のカメレオン効果のようなものでしかなく、ただの自己満足が相手にとって偶々都合が良かったという単なる後付け論に過ぎない。
また、他者の人格を議論する際、「優しい人」という言葉が発せられるケースが儘ある。
実例を挙げれば、女子の恋バナ(死語)で「〇〇くんのこと、どう思う?」と尋ねられた際に「い、良い人だと思うよ?」あるいは「優しい人だよね?」などと、答えた当人が何故か語尾に疑問符を舞い踊らせているケースのことだ。
良い人とはつまり「自分にとって都合が良い人」という意味であり、加え、優しい人とは「自分にとって(目や耳に)優しい人」のことを指している。つまり物理的あるいは精神衛生上からみて、己、あるいは社会的に「優しい人だね(笑)」と暗に主張しているようなものだ。
このように優しさの主成分は無味無臭の遅延性の毒であり、そんな優しさに自惚れじみた誤解と有りもしない幻想を抱く者の現実は、逆説的に残酷である。残念ながら、実体験ではないが。
だが、こうした行為が悪いことだとは思っていない。
戦争における援軍が、相手にとっては新手でしかないように。
ヒロインのピンチに遅れてやってきた主人公が、悪役からしたらせっかくの見せ場を潰してくれた無礼者でしかないように。
人は本来、マズローの欲求階層説でいう承認欲求を。己の存在を認め満たして欲しいという、どこまでも自己愛に満ちた利己的な欲求を、「優しさ」という抽象的で外向的な言語で表現している。
それは嘘であり、欺瞞だ。
優しさの本質が俗に言う自己満足の延長でしかないということを、気づかないで、あるいはその振りをしているのだから。
だが、それでも。優しさに救われるものもある。
だとしたら、「優しさ」の本質についてあれこれ思慮してしまうのは所詮ただの気苦労でしかないのかもしれない。
誰も傷つかず。誰も悲しまず。世界が優しさに満ち溢れることは実に結構なことなのだろう。
だが、襲は。
己自身の卑しく下卑た欲求を、優しさと割り切ってしまうことができずにいた。
更に言えば、己自身の欲求を満たす為に起こした行動を周囲から「優しい」と評価されることが耐えられない。
つまり襲は「優しい」と誤解を受けてしまう行為が嫌いだった。
(なら、さっきの言葉はなんだ?)
隠された真意に、嫌気が差す。言い訳をしようとする理性に、反吐が出る。
襲は自身のセリフに辟易し、そしてそれ以上に背筋が粟立つ思いを無表情のうちに噛み殺した。
しかし言葉を受けた当人は口をぽかんと開けて、
「気の置けない友人…?」
きょとん、とした表情で呆けた椿に、少年はこめかみの辺りに鈍痛が響くのを自覚した。
「気の置けない、というのは、気を使う必要が無いって意味だからな?」
「も、もちろんわかってます!馬鹿にしないで下さい」
「そうか、ならいいんだが」
酷く怪しい反応だが、追求しても詮無きことか。襲は早急に話題を戻すべく口火を切ろうとして、
「……ん?」
僅かだが自身へと向けられた視線を感じ窓の外へと意識を流した。
視線の延長線上。店頭から見て百メートルほど先に、店先から望める噴水の石造りの縁に、一人の少女の姿を捉える。
遠目から見てはその容姿こそ定かではないが、背格好からして高等部の新入生だろうか?襲だけではなく椿へと時折困ったような視線を向けていることからも、どうやら自分は待ち人を“待たせているようだ”と悟った。
(そろそろ御暇するか)
若干の罪悪感を感じながら、視線を店内へと戻す。
そして少し不機嫌に椅子へ座り直した椿を横目に、襲はカップに残ったコーヒーを一気に飲み下し席を立つ。
「悪い、そろそろ時間だ。コーヒーサンキューな」
「えっ!?もう行っちゃうんですか?」
店内に視線を這わせ食器の返却口を探していると、先程のAGAと同機種の機体がこちらへと歩み寄りトレーを差し出してきた。
差し出されたトレーの上にそっとカップを預けてから、慌てて腰を上げた椿にジェスチャーで座るよう促して。
「ああ、先輩を待たせるわけにはいかないからな。それより椿の方もそろそろ来るんじゃないか?」
「あ、はい…。あの、今日は本当にありがとうございました!」
席を立ってペコリ、と頭を下げた椿。
納得顔で、とはいかなかったようだが、それでもこちらを無理に引き止めるような素振りは見せなかった。
(別にお礼を言われる筋合いはないんだけどな)
襲はどこか醒めた心持ちでその光景を傍観しながら、椿の言葉を拒絶するような本音を口にすることができないでいた。
返事をすると、彼女の為に自分が助けに入ったことを認めることになる。
コーヒーを奢ってもらった身分で言えた義理ではないが、それだけは嫌だった。
複雑な心境に陥った襲が出した答えは、特に言及はぜずにこの場を後にする、という淡白極まりないものであった。
「…じゃあな」
ただそれだけを口にすると、真っ直ぐに出口へと向かう。
無論、振り返ることはしない。
確かな視線をその背に感じながらも襲は逃げるように足を進めた。
時間はまだそれなりに余裕があるが、学園内を少し観光しながら行けば丁度良い塩梅かもしれない。
頭の中で携帯端末に落とした地図情報を思い浮かべながら、襲はそう判断した。
はずなのだが、
「待って!」
再び襟首を背後から掴まれ、組み立て始めていた思考は忘却されることとなった。
二度目ということもあり流石に呼吸に困るということにはならなかったものの、店外に出るべくドアノブを捻ろうと伸ばされた左腕は空を切り、挙句――。
「あっ…!」
椿が慌てて手を離したことによって拘束から開放された彼の額は、ゴン、という鈍い音とともにガラス扉へと衝突した。
その光景をガラス越しに目撃することとなった女子生徒が、店内に入ろうと伸ばしていた手を引っ込めて――唖然とした表情を浮かべている。
痛みに声を漏らすことも、悶絶することもなく。
むくり、と淀みなく顔を上げた襲は、目の前のドアノブを引き、立ち尽くしていた女子生徒を店内に招き入れた。
愛想笑いを浮かべる少女達に、襲も小さく会釈を返してから。
背後を振り返り、青ざめた表情の椿と対面した。
「ご、ごめんっ。私そんなつもりじゃ…」
「それは別に良いんだが、まだ何か用なのか?」
襲自身は別に怪我をするような事故ではなかったので大して気にも留めていなかったのだが(むしろ驚かせてしまった女子生徒に対する罪悪感の方が強かった)、加害者たる少女はやや混乱気味と見える。
正直混乱したいのはこちらの方だったのだが……致し方なく、襲は椿が落ち着くまで待つことにした。
顔を両手で覆い涙目になりつつある椿に、更なる罪悪感を募らせながら。
成る丈優しげな声音を作って、ようやく落ち着きを取り戻した様子の椿へと声を掛ける。
「大丈夫か?」
「…ホントにごめんね。えっと、むしろシュウの方が大丈夫だった?」
「いや、重症だ。身体は大丈夫でも、幼気な少女を泣かしてしまって心が痛い」
無表情のままそんなことを口にしてしまう辺り、常人ならば頭を打っておかしくしたのではないかと危惧されるところではあったのだが。
先のイタズラが効いているのか、椿は顔を両手で覆ったまま涙声で笑った。
「真面目に心配してるんだよ…?」
「…悪い、見ての通り大事ないから顔を上げてくれ」
襲はポケットからハンカチを取り出し、顔を覆う指の隙間から流れる透明な雫を拭ってやりながら椿に陳謝した。
小さな掌にハンカチを押し付け、ようやく泣き止んだ少女の腫れぼったい目元を見て、困った様子の男子生徒。
その光景が周囲の視線を多分に引き付けていることを、彼らは自覚していない。
何より少女の友人が、怒気を孕んだ鋭い視線を少年へと向けていることに、彼は気づいていなかった。
その後、二人がとった「ある言動」が更なる誤解を生み、襲が梓と呼ばれる少女に目の敵にされることとなったわけなのだが。
揺るぎない事実に対して。
当事者たる襲は全ての切掛となったこの出来事のことを「青春の時代の苦い思い出」として、深く胸のうちに封印しているらしかった。




