第七話
その後の数日は思いのほか、ただただ普通の毎日だった。何か大きな変事があるものだと身構えているからそう感じるのか、普段よりも普段らしい日々で、かえって不思議な感じがしてしまう程だ。
俺は心配になり、家にいた晶に聞いてみた。こんなに平凡な一般人の変化のない毎日を映していて、番組として成り立つのか、と。
晶は、あっけらかんと言い放った。
「ドキュメントを作る中で一番欲しいのは、普段の姿。わかる? なんでもない日常が、一番面白いの!」
晶にこれだけはっきり言われると、そんなもんか、と納得してしまう圧力を感じる。年齢こそ俺より二つ下だが、年上から諭されているような感じだ。年の差よりも、人生経験の差、というところか。
とにかく、ディレクター様から、そのままでいいと言われるので、俺もニカ子も、学校ではその後も今まで通りの日常を送っている。変わった事と言えるのは、ニカ子と俺が、学校への行き帰りにたまに会話を交わす様になった事くらいだ。それも、
「今日なんかあった?」
「別に。ニカちゃんは?」
「何にも。いつもと同じ」
くらいなものだが。
毎日同じ学校に通う真紀緒とは対照的に、晶はいつも家にいる。編集に時間がかかり、寝るのもままならない、と嘆いていたりするが、ひとつ気がかりだ。
「晶さんは、学校行ってることにしなくていいんですか? うちの母親には、なんて言い訳してるんです?」
見ちゃダメだと言われるので、よくは見えないがこの時代のものではないらしい半透明のノートパソコンの様なものを膝に抱え作業をしつつ、そこから顔を離さずに答える。
「アメリカンスクールは、いま長い休みだって言ったら、信じてくれたみたいだけど?」
あああ。うちの母親の一番弱そうな言葉だ。「英語」や「外人」という言葉が出てくると、鼻っから自分には理解できないものだと拒絶反応が出る。苦手意識が邪魔して、それ以上の話を受け入れなくなってしまうのだ。それなら、必要以上に突っ込まれることもないだろう。うまいとこをツイたもんだ。
この二人が我が家にやってきて来てからというもの、どれだけ気を使う事になるか、と案じていたが、気を使っているのは俺よりも真紀緒の方で、晶の世話から家の手伝いまでそつなくこなしている。家族の生活リズムを邪魔しないように誰よりも早く起き、誰よりも遅くまで起きているようだ。そのお陰で、俺にかかるストレスはほぼゼロと言ってもいい程。加えて、かわいい女の子の世話をするのが余程楽しいのか、母の機嫌もすこぶる良く、俺への風当たりも皆無だ。
「ありがたいもんだ」
つい、口から出た言葉にたまたま居合わせた晶が反応する。
「ん? 何が?」
「いえ、なんでもないです」
ふーん、と晶は両手を上に思いっきり伸ばしていた。そんな晶をその場に残したまま、俺は二階にあがろうと廊下に出る。
「ねえ」
晶が後ろから呼びかける。
「もう寝るの?」
俺と関わるのは、基本的に真紀緒が担当し、あくまで晶はカメラから送られた映像にしか意識を向けていない。そんな晶が、直接俺に質問を投げかけて来たのは、初めて会った日以来だ。
「いや、まだ早いし、明日は休みだし、部屋でゲームでもやろうかなと……」
そう言えば。晶が初めてこの家に来た日、俺の部屋に入るなり、かなりのオタクっぷりを発揮していた。あのときは、パニックっていたので話は流れてしまっていた。
「私も、見たい! いい?」
数段階段を上がった俺を、下から見上げる晶は、より小さく見えたからか、かわいらしく見えた。まるで、近所の小学生が、遊んでくれ、と頼みに来ているように。
「じゃあ、ちょっとだけですよ?」
また自分の部屋に入れるのは、確かに気まずい。でもそれより、あそこで断って晶をがっかりされるのが、とても嫌だと感じたのだ。それに、自分の趣味に、肯定的に興味を示してくれるのは、手放しに嬉しいから。
相変わらず、俺の布団は絨毯感覚と言わんばかりに、ズカズカと踏んづけている晶は見ない事にして、俺はいつもの定位置に座り込んだ。箱に入れてあるゲームソフトを適当に引っ張りだし、座布団の横に広げてみせた。
「どれやります? 二人で対戦できるやつやりましょうか?」
晶はこの前同様、掛け布団の上にペッタンと座り、部屋の中を物珍しそうな顔をして見ている。
「どうして、ユキ君はこういう世界が好きになったの?」
ゲームの攻略本や、アニメの原作の漫画などがしまってある本棚に気を取られながら、晶は聞いてきた。
「どうして、ですか……」
「この時代、ユキ君の年代の男の子なら、まだ殆どが、ファッションや恋愛や音楽に興味を持っているでしょう? それなのに、なぜユキ君は、この世界に惹かれたの?」
ゲームのパッケージを片手で弄びながら、どう答えればいいか悩む。結局のところ「気がついたらなってた」って事なのだが、そう言うのはなんだか無責任な答えになってしまいそうで、いい表現がないか脳内を漁る。
「俺が……一番欲しかったものだから、だと思います」
部屋のあちこちをきょろきょろしていた晶の目が、ゆっくりこちらに向けられた。
「なるほど。『フューチャーワールド』」
「は?」
「ゲームの事。それやった事ない」
「あ、ああ。じゃ、これやりますか」
俺なりに考えた返事はあっさり流されて、晶はこれから始めるゲームの説明書を楽しそうに読んでいる。俺もそんな話を続けられてもどもるだけなので、すすんでゲームの準備をする。難易度を決めたり、自分のキャラの名前や容姿を決めたり、そんな事をしていると、自然に話題もできるし嫌な間が開かないで済む。
「そう言えばこの前、『アトリエ・A』の作品は、なんとかに全部あったって言ってましたよね。なんでしたっけ。えっと……」
「クラシック?」
「ああ、そうそう、そのクラシックって何ですか?」
晶はまだ、自分のキャラクターの着る洋服を決めかねていた。待たされていた俺は、なんとなくその事を聞いてみた。
「簡単に言えば、古いゲームを集めたベスト盤みたいなものかな。クラシックっていうのは、それぞれの年代ごとに発表されたゲームをまとめたソフトの名前で、今二〇〇〇代のはフリーソフトになってるからみんな持ってるの」
「フリーって事は、ただで出来ちゃうんですか?」
「まあね。百以上のタイトルが入ってるけど、私はアトリエ・Aのは全部やった」
いい時代だ。限られた小遣いの中で、ゲームソフトやDVDに出て行く金額は非常にでかい。時代が違うとはいえ、羨ましいと思ってしまう。
「晶さん、ゲーム好きなんですね。嬉しいです、女の子なのに、俺の好きなゲーム知っててくれたし」
ピコピコと動いていた画面のアイコンがぴたっと止まった。
「どうしました?」
「ううん……私がゲーム好きって事も、珍しいことなのよね」
俺は晶が何を言っているのか理解できず、そう顔で伝えたが、また画面に釘付けの晶は、そんな俺に気づきはしなかった。
そしてその有耶無耶も、ゲームが始まると頭の片隅にもとどまる事はなかった。
「おっと、もうこんな時間だ。結構やったし、そろそろ寝ますか?」
操作の仕方を間違っていた最初の一回以外、やり込んでいた本気の俺に勝ち続け、夢中になっている晶に言う。知らないうちに大分時間が経ってしまっていた。
「まだまだ大丈夫! もう一回!」
未来ではやり手のディレクターで、ここには仕事で来ているとはいえ、晶はまだ十四歳である事には変わらない。楽しい事に心を奪われる年頃のはずだ。
「じゃあ、もう一ステージやったらおしまいでいいですか? あまり遅くなると、明日きつくなりますよ」
俺に提案に、まだ不服そうにしながら晶は言う。
「だって、明日お休みでしょう? 構わないじゃない。私は平気。仕事でよく徹夜もするもん」
「はあ……でも、明日は出かける用事もあるので」
「へー、どんな用事?」
明日は日曜日。草哉とあのオフ会に顔を出す予定の日だ。
「ちょっと……友達と遊びに」
「遊びにって、どこに?」
俺は草哉から送られて来ていた携帯のメールで確認しながら答える。
「えーっと、秋葉原、です」
ガタンと、持っていたコントローラーを床に落とし、口を半開きにして俺の顔を晶は見つめている。俺はその音に驚き携帯から顔を上げた。
「ど、どうしました?」
「秋葉原って、あのアキハバラだよね?」
「あの秋葉原って言われても、どのアキハバラだかわかりませんけど……電気街の、です」
「行く! 一緒に行く!」
膝下をバタバタと動かしながら、顔一杯に広がる笑顔を見せる。
「いや、でも、友達もいますし、行く所もあるんで……また違う日じゃダメですか?」
「なんでー。ちょっとだけでいいからさー。いいじゃーん」
大げさに不満を漏らす。こんな時だけ、子供を全面アピールだ。
「別に俺が一緒じゃなくても、行って来たらいいじゃないですか。真紀緒さんも明日は学校休みなんですから」
晶は目を細めてじろりとこちらを睨んだ。
「それが出来れば頼んでないわよ」
珍しく歯切れの悪い話し方をする晶は、口をひん曲げてそっぽ向いてしまう。その様子をみて、俺はピンときた。
「わかった。俺の取材って名目で、秋葉原観光したいって事じゃないですか?」
体を反対に向けてはいるが、図星と言わんばかりに肩が一瞬上下に揺れた。
「仕事で来ている以上、自分の意思で出かけたりできないって事なんですね? ははん。まあ、いくら遊びに来てるんじゃないとはいえ、自由に行きたい所にも行けないんじゃ、ちょっとつまんないですね……」
晶は鼻から息を吐きながら、ゆっくりこちらに向き直った。
「仕事で来てるんだから、しょうがないけどね」
言っている事は、どこまでも大人びているが、表情も声も、縛られる煩わしさが漏れている。こんな事は本人には言えないが、かわいそうに思えたというのが本音だ。
「早く、寝ましょう。明日、起きれませんよ」
ずっと見せて来た、営業スマイルではない、素直な笑顔を初めてその時見せてくれた。




