第六話
俺は相変わらず授業に身が入らなかった。
通学中に真紀緒から聞かされた話を、何度も思い起こしては、頭を抱える繰り返し。
なぜ俺が今回の主役に抜擢されたか、は『オタクであるから』という理由以上は教えられない、と真紀緒は言う。もし、それを話してしまったら、これから起こるはずの、俺の知らない未来を教えてしまう事になり、真紀緒にとっては犯罪行為になるのだと言う。それはすなわち、俺自身も危うくなると言う事だ。
ずるいだろ、それ。
俺は、あたっても仕様がないと思いつつ、真紀緒を恨んだ。
そんな事言われたら、誰だって気になるだろう、聞きたくなるだろう? 最後まで言えないなら、中途半端に言うなよ。俺がオタクであるが故に、何事か歴史に残るような出来事に関わるって事? そんな事、あり得ないってー!
そして、その取材にこの時代を選んで、わざわざ未来から来たという事は、きっとそろそろ何かしら事件とか、異変とかが起こると見て間違いないだろう。いや、もしかしたら既に始まっているのかも知れない。思い出せ、ここ何日かで変わった事はなかったか? 学校で、家で、何かいつもとは違う事。俺は、授業を書き取っているかの様に、ここ最近の変わった事を書き出してみた。
白紙の見開きのページに書けたのは、
・父が帰って来た。
・母にオタクであるとバレた。
以上。
めちゃくちゃ身内の出来事しかない。これのどのへんが歴史に残る出来事になるのか、どう捻くっても想像がつかない。しかも、どれだけ絞り出そうとしても、これ以上の何事も浮かばない。それ程に一昨日までの俺の日常なんてものは、代わり映えのない毎日だったってことだ。
ゆっくりとほぼまっさらなノートに顔を埋める。すぐに息苦しくなって、そのまま首を左に曲げ、窓の外を眺める。
今日は、校庭から楽しそうな歓声が聞こえている。体育をしているクラスが、チームを分けてリレー競争をしているようだ。ただ走れと言われるより、チーム対抗となるとどうしてか俄然盛り上がってくる。見える限りの生徒達の表情は、どれも笑顔だ。
うらやましいと、思った。
高校生らしい青春の一ページを送っている彼らと同じ空間にいながら、俺は、なんでこんな得体の知れない悩みに踊らされているのか。
別に俺は、何も望んでなんかいなかったのにな。
ゲームやアニメを見ている、あの部屋が全ての自分の生活。誉められたもんじゃないって事はわかっているが、今は満足しているんだ。この毎日に変化なんていらなかったのに、なにがどうなったんだ?
未来のテレビ番組に出演。しかも主役。
どんなに楽観的に考えようとしても、ため息しか出ない。これから、一体どうなるのか。すぐ後ろにいる未来からの転校生は知っているはずなのに、知る事はできない。
はっと思い出し、上半身を勢い良く起こす。
しまった。
真紀緒の言っていた事を思い出した。彼女の両耳につけているとても小さなピアス、あれは超小型のマイク内蔵カメラで、真紀緒の前方にあるものは全て、映像と音声が俺の自宅に設置されたハードディスクにおさめられて行くと言っていた。今日の朝、部屋から出て来た無防備な俺の寝起き姿も、今の授業をまじめに受けていない様子も晶はともかく、何年も先の人達に観られるかも知れないのだ。
遅すぎるとはわかっていても、先生が黒板に書いた公式を突然書き取り始めてみたりした。しかし、取り繕う間もなく、授業の終わりを告げるチャイムは鳴るのだった。
昨日の今日と言う事もあり、まだ物珍しさで真紀緒の周りには人が集まってくるが、俺への波紋は殆どなくなった。一応避難先として、休み時間の間は草哉の席で様子を見ているが、わざわざ声を掛けてくる物好きもいない。結局は、『普段は関わりたくないオタク』の一人なのだ。
「なあ、本当にお前と杉田さんって知り合いなの?」
草哉は、昨日の真紀緒のちょっとした知り合い宣言がまだ気になっているらしい。
「ああ。親同士がちょっとした知り合いらしいけど、俺は知らなかったし、昨日まで会った事もなかったしな」
必ず聞かれるだろうと、あらかじめ考えておいた通りに答える。
「ふーん。でもさー、かわいいよなー。見れば見る程、この学校の女子なんかより、おしとやかでさー。帰国子女なのに、話し方も丁寧で、奥ゆかしいというかさー」
肘を机に立て、顎を乗せて真紀緒の方をうっとり眺めている。
「まあ、目の保養以上にはらなんけどな、生身の女なんてさ」
草哉も今まで、周りからオタクとバカにされ、もちろん女の子にも煙たがられて来た。それも慣れっこになると、このように卑屈なことを自ら言うようになる。どうせ俺なんて、どうせ無駄だ、と。かくいう俺も、同じ線路を歩んで来たので、気持ちもわかるし、経験もある。
「そういや、日曜。行ってもいいよ、オフ会」
「お? まじで? ありがと! 良かったー! おおおっと、じゃ、早速ルーフェスさんにお前の名前、ちゃんとリストに入れてもらうように伝えないと」
そう言って、早速携帯のメールを打ち始めた。
真紀緒の素性を知っていながら、隠さなければならない負い目と、話題を変えたい気持ちでこの件を思い出した。勢いで、オフ会に参加する事にしてしまったが、まあ多少気が傾いていた事だ、よしとしよう。でも、「ルーフェスさん」って誰だ? 外人?
カチカチと、素早い指さばきで、そのルーフェスさんだかにメールをしている草哉をぼーっと見ていると、後ろから軽く肩に触れる感触があった。誰かが、たまたまぶつかったのかと、確かめるようにゆっくり振り返ると、そこに立ってこちらを見ていたのはニカ子だった。
「うお」
俺は座っていた草哉の席の机から、落ちそうになった。いつも、出来るだけ近寄らないように、関わらないように、俺なりに気を使って来たつもりなのだが、何事だ。
「な、なんすか」
ニカ子は、俺に目を向けたままでいる事が出来なくなったのか、斜め下のほうに視点を移して口を開いた。
「今日、帰りちょっと付き合える?」
すぐには、今聞いた日本語を理解できなかった。飲み込むまでに時間がかかっている為、無言になる。
返事は待っていないようなタイミングでニカ子は続けた。
「今日、部活もないから。とりあえず、後で」
一方的に話を終わらせ、踵を返して教室の外に出て行ったニカ子のいた、空を見つめるしかない俺。
「ユキ、なんかお前、石野さん起こらせるような事、したんじゃねーの?」
気を抜いていた背後から、面白そうに草哉は言った。
「してねーよ!」
そう言いつつも、いや、何かしてしまったのでは、と必死で記憶を巡るが、やはりない。日曜の件で気を良くしたのか、草哉はご機嫌で、人事だと思って面白そうに冷やかす。
「思い当たる事がなくても、知らない間に、って事もあり得るからな。石野さん、結構他のクラスでも人気あるから、隣に住んでるってだけで、逆恨みされてるかも知れないぞ? せいぜい、人気のない所に連れて行かれないように気をつけろよ。取り巻きに囲まれてぼこぼこなんてな」
ふふふ、と笑う草哉を睨みつつ、何の目的なのかと、考えてはみたものの、見当もつかなかった。
そして、教室の窓側から、忘れていた視線を感じる。
クラスの女子に囲まれたその隙間から見える、真紀緒のわざとらしくさえ見えるやさしい笑顔だった。
クラスの女子に、しかも幼なじみでもある相手に、ちょっと話しかけられたくらいで動揺をしまくった姿をバッチリ撮りましたからね、って言っている様に見えるんですけど!
気軽に考えていたけれど、いつでもどこでもカメラとマイクがすぐ側で記録を撮り続けているというのは、なかった事にする、が出来ない一発本番の連続のような気がして来た。
気が抜けないって事か、これ。
考える事や、気にしなければならない事が多すぎて、そんな身近な事さえ、今頃気づいている自分に、ため息がまた出た。
出来るだけ目立つ行為を避け、いや、特に意識しなくても学校では控えめな立ち居振る舞いの俺なのだが、さらに気をつけて一日を過ごした。
それ程変わった事をしたつもりもないのだが、やけに気疲れしたところで、問題の放課後なのだった。
終業の合図が終わった途端に、くちゃくちゃとガムを食べながら草哉が駆け寄って耳元でささやいた。
「ユキ、頑張れよ」
「頑張るって……頑張らねーよ、何も!」
「はいはい。あ、杉田さん、さようなら、また明日」
「あ、御門さん。さようなら、また明日」
たった二日で何人のクラスメイトの名前を覚えたのだろう。草哉の名字をあっさりと言い当てている真紀緒に、さすがエリートと感心している場合ではなかった。
真紀緒が一緒について来てもらっては困る。どんな事かはわからないが、プライベートなところまでは、遠慮してもらわなければならない。新しいガムを銜えながら、草哉が大きく手を振って帰って行くのを見届ける。
「杉田さん……」
先に帰っていて欲しいと、振り返って言おうとしたところ、真紀緒は既に鞄を手に持ち、席を立つ所だった。
「田中さん、お先に失礼しますね」
「ほ?」
真紀緒は周りの生徒と挨拶をかわしながら、さっさと教室を後にした。
考えてみればそうだ。俺と真紀緒が一緒に帰らなくてはならない必要はないし、そんな約束もしていない。俺が勝手に、帰宅途中も取材は続くのかと思っていただけだ。安心したのと同時に、なんだか力が抜けた。そこに声を掛けられた。
「もう、準備いい?」
見ると、すこしこわばった表情で横に立っていたニカ子だった。
「あ、ああ、すぐ。って、一体何するの?」
言うとニカ子はちょっと怪訝な顔を見せてから、早口で言う。
「家に帰る以外に、何か他にあるの?」
「あ、あああ……だよな、ですよね」
「校門で待ってるから、用意できたら来て」
訳が分からないままではあるが、一緒に下校するという事らしい。そんな事今まで、偶然であろうと避けて来たのに、変な気分だ。俺は、適当に荷物を鞄につっこみ、校門へと急いだ。
下駄箱を出て、校庭を横切ったところにある校門の隅にニカ子は鞄を両手で持ち、立っていた。
お互いを確認し、特に声はかけずにそのまま歩き出す。つかず離れず、というよりは、着かず着かず、の距離の二人は、端から見れば、たまたま同じ道を通る、見ず知らずの同じ高校に通う生徒二人、である。何の為に、わざわざ呼び出されたのだろう、と少々ふてくされ始めていたときだった。
突然前を歩いていたニカ子が立ち止まった。つい、俺も驚いて足を止めたが、動く様子のない彼女の横までゆっくり進んで行ってみた。丁度、ニカ子の平行に並んだ時、彼女は顔を前に向けたまま話しだした。
「突然、呼び出したりしてごめんね」
その言葉を言いながら、今度はさっきよりもゆっくりとニカ子は進み始めた。俺も遅れない様に、横を歩いて聞いていた。
「殆ど話しもしてなかったのに、いきなりで驚いたでしょ」
久しぶりに二人で話すニカ子は、昔よく遊んでいた時の口調のまま、変わらぬハキハキと気持ちのいい声だった。なんだか、昔を懐かしむ気持ちになり、俺も素直に答えた。
「うん。何かしちゃったかな、って。もしかしたら、しばかれるんじゃないかって思って、ビビってた」
「ぷーーーーっ」
大げさに吹き出すニカ子は、すぐに笑い出す。
「やだ、私、女よ? いくらなんでも、男子を呼び出して、懲らしめてやろうなんて、思わないわよ」
お腹から笑う声は、よく通る。これも昔のままか。
「笑うなよ。それくらい、なんで呼び出されたのか分からなかったんだから」
「そうか。ごめん、変に心配させちゃったのか」
なんとなく俺も、自分の不甲斐なさに顔が緩む。
「情けないよな、俺」
「そんな事は……ないけどさ」
ニカ子は、やはり顔をこちらに向ける事はなく、そう答えた。そのまま暫く二人、距離を取りながらも家へと向かっていた。
俺が朝、電柱に倒れ込んだ交差点に着いたときだった。信号は赤で、横断歩道の手前で待たされていた。
「私も聞いたんだ。テレビの取材の事。晶ちゃんから」
一日に二度、電柱に感謝をする事はそうそうないだろう。目の前がぐらっと回り、平衡感覚を失い、また電柱に救われた。
「青だよ」
そう言うニカ子を待たせながら、なんとかしっかり気を持ち、歩を進めた。
「ちょっと……、晶ってあの、小学生みたいな女の子の事……?」
ニカ子は、特に動揺する事もなく、今まで通りの口調で話している。
「そうよ。だって、晶ちゃんも真紀緒ちゃんも今、ユキちゃんの家に住んでるんでしょう?」
二人の事を知っている事もそうだが、俺の事を昔通りに『ユキ』と呼んだ事にも驚いた。
「いや、えっと。なんで、そんな事まで……。いつから知ってるの?」
「昨日の夜。突然家にやって来て、未来から取材に来たなんて言うんだもん。びっくりしちゃった」
あいつらは一体何をしてくれてんだ。言っちゃいけないんじゃないのか、未来の事は。
「しかもユキちゃんが主役の番組を撮りに来たって言うでしょう? はじめは信じられなかったんだけど、二人が真剣に話すのを聞いてたら、信じてもいいかなって思って」
「あいつら、なんで俺を取材に来たかって、言ってた? 俺には何にも教えてくれないんだ。ただ、番組に出演してくれって言うだけで」
「うん、聞いたよ?」
俺は初めて自分から一歩ニカ子に近づく。そして、乗り出すようにして問いかけた。もしかしたら、これから起こる事が、分かるかもしれない。
「……なんでだって、言ってた?」
「ユキちゃんがオタクだからだって」
「なっ……!? あいつら、そんな事言ったの!?」
ニカ子は平然と、うんと頷いた。
俺は顔が赤くなっていくのを感じた。ニカ子に、俺がオタクだと知られていないとは思っていない。かといって、オタク呼ばわりされる事を、嬉しく思っている訳でもない。俺のいない所で、オタクだなんだと噂されていたと思うと、心拍数もあがる。
「……どうしてニカちゃんとこに行って、そんな話したんだ……」
まずは、そこだ。なぜニカ子にこの話をわざわざする必要があるんだ。
すると意外にもニカ子はニッコリと白い歯を見せて笑って話した。
「ユキちゃんに『ニカちゃん』なんて呼ばれたの、久しぶりだ。今はみんな、ニカ子って呼び捨てだから。……なんか照れるな」
小さい頃は、そう呼び合っていた。癖で何も考えずそう呼んでしまった。俺はぎこちなく笑う。
「なんかね、私にも協力して欲しいって言われたの」
「協力? あいつらに?」
「一緒に番組に出演してもらいたいから、出来るだけ側にいてあげてくれないか? って」
「ニカちゃんも出演依頼されたの!?」
「うん。でも、私もユキちゃんも、最近ちょっと離れてたじゃない? 幼なじみではあるけど、挨拶もしないでさ……」
「うん」
「そう言ったら、今日一緒に帰ろうって誘ってみたらって、真紀緒ちゃんに勧められて。それがいいかなって思ってさ」
なるほど。だから真紀緒も、事情を知ってて先に帰ったって訳か。
「それで、ニカちゃん、出演承諾しちゃったの?」
ニカ子は、眉毛をきゅっと上げて、口をとんがらせて言う。
「当然でしょ」
男の俺よりも男らしい、うじうじ考えない潔さ。これだ、俺の知っているニカちゃん。
それに、とニカ子は続けた。
「ユキちゃんだけじゃ、きっと視聴率上がらないわよ」
ちょうど家の前に着いた所で、ニカ子は、なんてねー、と笑いながら高らかに手を振り、走っていった。しなやかに束ねた髪を揺らしながら。
俺の周りでも、俺の知らない所でも、着実に何かが動き始めている事を肌に感じながら、足取りも重く自分の家の玄関に向かって行った。




