第五話
「やっぱり、女の子がいると食卓も華やかねー」
「そう言ってもらえると嬉しいー」
「おいしそうな朝食ですね。頂きます」
和やかな食卓に、俺だけが憮然とした顔で座っていた。とても、爽やかに食事をするような気分ではない。見慣れない女の子好みの洋風朝食がテーブルに並んでいるから、ではない。
トーストにハム、スクランブルエッグ。マグカップに入ったカフェオレと、ジャムを乗せたヨーグルト。
おい、いつもの納豆と白いご飯はどうした。中学の修学旅行で買って来た、新撰組ロゴ入りの湯のみに入れた日本茶はどこだ。
もちろん、口にだして言える訳もなく、ひたすらむっつりしていたのだが、理由はもう一つある。
朝起きて、昨日の夢を思い出しながら部屋を出た途端、俺はまず叫んだ。
「うおお!」
丁度俺の部屋の前から階段を降りようとしていた真紀緒に、ぶつかりそうになった。
「おはようございます、田中さん」
俺はがっくりと肩を落とした。
昨日の出来事全てが本当は夢なのでは、という希望的観測はこの時点で崩れ去ったからだ。さすがに、姉妹が俺の部屋に入って来て、テレビに出演してくださいと頼みにきた、という悪夢以外は、現実だったようだ。
仕方ない。ここはあの二人が出て行くまで、ひたすら耐えぬくしかなさそうだ。
「はああ」
「やーね、この子ったら、朝からため息つくなんて。若いくせに覇気がないわよねー。おじさんみたい」
母は、息子の悩み事なんぞに興味は毛頭ないようだ。それどころか、見苦しいとでも言わんばかりの様子で息子から顔を背ける。
「うるさい。行ってくる」
食卓に座っている事も居たたまれない雰囲気を感じて、朝食に何も手を付けないまま席を立った。まだいつもよりだいぶ早い時間ではあるが、構うものか。
「あ、では私も行って参ります」
「あらあ、真紀緒ちゃん、まだ早いんじゃない? カフェオレもまだ手をつけてないのに」
聞こえない振りで俺は、さっさと玄関に向かう。学校への行き方もさして難しい道のりではない。昨日一日で十分覚えられただろう。俺が同行する理由もない。彼女にしたって、俺と一緒にいたら、転入早々、周囲から変な誤解をされて困るだろう。なにより、俺が困るのだ。
躊躇せずに、家のドアを開け飛び出した。歩き出してすぐ、後ろから追いかけてくる音が聞こえたが、振り向きたくなかった。
「田中さん。学校までご一緒してもよろしいですか?」
いやだって行ったところで、向かう先が一緒である以上同じ事だ。
ほんの小さく、ため息を吐きながら言った。
「はあ。構いませんけど……」
真紀緒はすっと横に並び、ミニのスカートからすらりとのびた足を軽やかに動かしながら、大きくはないが、はっきりとした口調で話だした。
「昨日の続きなのですが、まだ番組の内容を説明してませんでしたよね。ですので、歩きながらで結構ですので、そのお話や今後の流れをお伝えしようと思いまし……あれ、田中さん? 」
横にいたはずの俺を見失った真紀緒が振り返る顔を、ただただ見つめた。
なんて事だ。
どこまでも現実だったと言う事か。じゃあ、テレビだ、主役だなんて話も、まさか! 俺、快諾しちゃったけど、あれも……。
「大丈夫ですか? お体の具合でも?」
心配そうに覗きこんでくる真紀緒に、昨日の話をもう一度よく思い出しながら、意を決して聞いた。
「あーっと、あのですね、もう一度全部はじめから、分かりやすく話してもらえますか? ちょっと、混乱していると言いますか……」
真紀緒は暫し、驚いた様子で佇んでいたが、すぐに頷いた。
「もちろんです。急なお話で驚かれたでしょうし、詳しいお話も全然していませんから、当然の事でしょう。まだ始業の時間まではだいぶありますし、ゆっくり歩きながらお話致します」
晶の押しの強い話し方に比べて、真紀緒は穏やかで丁寧な口調だ。そのお陰で少しずつ緊張の糸を緩めて話せるようになってきた。混乱の頂にいる俺には、ありがたかった。
「お願いします」
真紀緒は、昨夜、俺の部屋で晶が話した事から細かく復習してくれた。
いくつも質問したい事はあるのだが、まず聞きたいのはその中でも一番非現実的に思えるところだった。
「未来から来たって言いますけど、それは、冗談ですよねえ?」
ふふふ、と小さく笑ってから真紀緒は答える。
「この時代では、そうですね、冗談の様に聞こえるのでしょうね」
「本当だと言うんですか? 二〇八五年でしたっけ? あなたも、晶って子も、その時代から来たと言うんですか?」
細い顎に右手の人差し指をあて、言葉を探しながら真紀緒は答える。
「田中さん、これを言うとなおさら不信感が増すかもしれませんが、決まりで時空移動に関する詳しい事はお話する事が出来ません」
「時空移動?」
耳慣れない言葉だ。なんだか、そのへんのマジシャンが言いそうな感じがする。先に言われた通り、それを聞いても疑わしい感じしかしない。インチキ臭いと言うべきか。
「私たちはある方法で時空を移動してこの時代に来ています。その方法はお話する事はできません。もしも時代を超えた情報を無断で流出させれば、法律で罰せられるだけでなく、情報を知ってしまった当該人物も抹消されるという重い処分が下されます」
「処分? まさか、殺されちゃうって事じゃないですよね……?」
そんなバカな、という意味で聞いたのだが、返事に困ったその表情の意味する答えは正解のようだった。
「時空を移動するという行為は、私たちの時代でも誰もが気軽に出来るような事ではありません。危険で、リスクの高い行為ですから、厳しい審査と試験にパスし、ライセンスを取る必要があります。それも一年に一人合格者が出るかどうか、という難関です。ですから、そのような迂闊な行為で処罰されるような事をする人はまずいません」
真紀緒はその様子を思い浮かべているように、目線を遠くに置きながら続けた。
「さらに言えば、移動をするにはその都度当局に申請が必要です。確たる目的とその正当性が認められる場合、長い期間を経てやっと許可が出ます。私達は仕事柄何度も経験がありますし、信用もあるのでそれほどでもないですが、初めての場合などは、受諾までに半年以上待たされる事もある程です」
いくら何年先であっても、簡単に時代を移動するなんて事はできない言う事か。それがとんでもない事だ、という認識は、今と変わらないのだな。
「俺もあんまりその事については、しつこく聞かない方がいいですね……」
きっと俺が詳しく聞いたところで、どこまで理解できるかわからないだろう。正直異国から来たのだろうが、異時代から来たのだろうが、どうでもいいっちゃどうでもいい。どちらかと言うと、その話が本当であるかどうかを掘り下げるより、どこまで信用できるかわからないような事の為に、命を危険に晒す可能性がある事に関わりたくない気分だ。それに、それより他にも聞いておきたい事はあるのだ。
「今、仕事でって言ってたけど、学生ではないんですか? 学校行きながら働いてるとか?」
ああ、と真紀緒は言ってから自分の着ている制服の端を手で伸ばしてみながら答えた。
「実はこれ、潜入取材用の衣装なんです。今回、田中さんをより近くで取材をできるように、私が同じ学校に入学するという事になったので、この時代の資料から、適当に見つけて制服を作らせたんですが……変ですか? 何でしたか、確かアニメの主人公の学校の制服で……」
思い出した。どこかで見た覚えがあると思ったが、去年放送していた深夜アニメのヒロインが、こんな制服着ていた。暇な時たまに見ていた程度だったから、すぐには思い出せなかった。
「変じゃ、ないです。全然。っていうか、なんでまた本当の学校のものじゃなくて、アニメのキャラが着てた制服作っちゃったんですか……」
「この時代のものならなんでも良かったんです。私たちの時代の学校では、制服そのものがもう廃止されていますし、もしあったとしても、私は二年前に大学まで卒業してしまっているので、持っていませんから」
「え? って事は真紀緒さん、今いくつなんですか? タメじゃないの?」
言ってからすぐ、女の人に年齢を聞くのは失礼だ、と思い直し、いや、そのー、とどもっていると、真紀緒は声をだして笑った。
「気を使わないでください。私は田中さんと同じ、十六歳ですから」
「……でも、大学まで卒業って言いませんでした?」
にこやかに頷き言う。
「ええ、飛び級ができるので。私は十四歳で大学を卒業して、OBSに入社、今二年目です」
確か、海外では現在も、飛び級制度を取り入れているところがあったはずだ。小学生くらいの子が大学に入学しちゃった、なんていうニュースを見た事がある。それが未来では一般的になっているのか。
「おおお、もしかして? こう言っちゃなんですが、真紀緒さん、頭いいんですか?」
ずっと同じ速度で歩いて来たが、初めて真紀緒が足を止めた。ん? と見ると、手を振って謙遜している。
「いえいえ、とんでもない。私なんて、まだまだです」
少し顔が赤い。照れているのか。ずっと感情のない人だと思っていただけに、意外な所を見れた気がした。
「晶Dなんて十歳で大学を、しかも主席でご卒業されたんです。飛び級制度があるとはいえ、平均大学卒業年齢は二〇歳程度の中、です」
真紀緒もそうだが、晶も相当のエリートと言うことらしい。だから、真紀緒は晶に敬語を使い、晶はあんなに偉そうに話していると。なるほど。また一つ疑問が消えた。
「十歳ってここなら、まだ小学生五年生か。すっごいな……。って、あっ?」
「はい?」
そう言えば、これは昨日も気になった疑問だ。今までの話からすると、俺の予想はこうなる。
「あの、晶さんを呼ぶとき、『晶ディー』って言いますよね? それってもしかして、晶さんがディレクターって事ですか?」
先ほど照れたときだろうか、少し乱れた前髪を丁寧に右耳に掛け直しながら、首を縦に動かす。
「ええ、正解です。晶Dがディレクターで、私はアシスタントです。今回の取材班は二人だけですので、私が撮影と音声を担当し、編集と監督を晶Dがこなします」
「ってことは、やはりお二人は姉妹ではないんですね。なんとなく感じてはいましたけど」
「ええ、はい。どなたかのお宅において頂く時は、この設定が一番怪しまれないので。ご家族の方には嘘をついてしまって申し訳ないと思っているのですが、正直なお話をする訳にもいかず、やむを得ず。田中さん。この事はどうか内密にお願い致します。この事に限らず、一連の私たちの秘密も含め、ですが」
「……誰かに話したとしても、誰も信じてもらえないと思いますから。大丈夫ですよ」
やはりそうか。なんとなくわかってきた。が、そうなると、いよいよ、本題に突入しなければならない。今まで彼ら自身についての話をしてきたが、ここからは俺に直接関係する部分だ。
「それより、一番わからない事でもあるんですが、番組に出演とか、取材とかって、どういうことなんでしょうか」
仕事とプライベートの切り替えという感じだろうか。真紀緒も緩やかだった表情を一瞬で引き締め、小さく咳払いしてから説明し始めた。
「私たちが今作っているのは、歴史ドキュメント番組なんです。実在する歴史上の人物を取り上げて、その人の活躍ぶりや人物像はもちろん、その時代の生活スタイルなども含めて、身近な視線で追いかけていく、という企画です」
「歴史……ドキュメント……ですか」
よく聞くようでそうでもないようなカテゴリーだが、そんな感じのテレビ番組は何度か見た事がある。なかなか面白かったから覚えている。たしか国営放送だったと思うが、有名な人物の、歴史の教科書には載っていない、人間的な裏側のようなところを紹介する番組で、どんなに英雄や天才と言われるような人も、自分と同じ人間であるに違いはないと思わせるような、失敗談や意外な弱点を見せる内容は、しばらくは毎週の放送を楽しみにしていたほどだ。その類いなのだろうか。
「先ほども言いましたが、私たちは時空移動をする事ができますので、番組で取り上げる時代に私たち取材スタッフが直接赴き、生の映像と目の前で仕入れた情報をお送りする、と言うのが売りなんです。晶Dが考えた企画から始まったんですが、毎回高視聴率で、教育的にも社会的にもいい影響を与えている、と政府も時空移動を積極的に使ってよいと言うお墨付きまで頂いたんですよ!」
自分の事を話すように嬉しそうに話している。きっと真紀緒にとって、晶は年下ではあれ、憧れの先輩なのだろう。
「じゃあ、肖像画とかでしか見た事ないような昔の人も、実際の映像で見れちゃうんですか? それ、見てみたいなー」
「ええ。前回の主役は……あ、名前は言えないんですけども、戦国時代に活躍された将軍で、みなさんご存知のお顔とは全く違ってびっくりしましたけど、やはりご立派な方でした。桶狭間での戦いの回は、番組最高視聴率……あっ!」
俺も真紀緒も見開いた目を同時に向ける。
ちょっとちょっと。今桶狭間って言った? 桶狭間で有名な戦国武将って……、一人しか思い浮かばないんですけど。
俺は、想像以上に大きな話になりそうな予感に、朝っぱらから汗をかき、真紀緒は、まずい事を言ったというのがバレバレな様子で空を仰ぎ、それでなんの話だったっけ、などとごまかしていた。
「あ、あのー、それで前回がその方で……、次が……?」
真紀緒はわずかに弾んで左右の足を揃え、かしこまって言う。
「はい。今回が、田中さんなんです」
「そんな。だって、歴史上の有名人の番組なんじゃないんですか、取り上げるのは? なんでまた俺? 一般人の回とかもあるんですか?」
「何をおっしゃいます」
真紀緒は眉間にしわを寄せ、強く言った。とんでもない事を。
「だって、田中さんは立派なオタクじゃないですか!」
ちょうど差し掛かった小さな交差点で、信号待ちをしていた時だった。俺は、倒れそうになる体を電信柱にもたれる事ができなければ、倒れ込んだだろう。
「田中さーん? 青ですよー?」
横断歩道を渡った向こう側から、呼びかけられた。
学校までの距離は、もう半分以上進んで来たが、たどり着けるかどうか、俺は心配になった。
俺がオタクだから、だと!?




